第7話 木漏れ日のような夢
多少のハプニングはあったものの(全然多少ではない)、居酒屋での話は尽きなかった。
これは俺の勝手な印象かもしれないが、前の顔合わせの時は鶴山さんは相当緊張していたのだと思う。
だって、元々は軽快にトークができる人なのだ。ラジオでアドリブをしたりいつもはゲストとおしゃべりしたりしている。
本質は喋り上手の聞き上手。気がついたらトークの主導権を握られて、割と根掘り葉掘り聞いてこられた。
そして、
「——そうなんですね! そんなに味の染み方が変わるんですか、お茄子の揚げ浸し」
とまぁ今はおつまみの作り方を話している。おかしいなあ。俺が色々聞きたいと思っていたのに。
とはいえ緊張が解けたというのはいいことだ。
多分、俺が情けない所を見せたのが功を奏したのかもしれない。認めたくないけど。
と、話が弾んでしまったことによって、ある一つの問題が発生した。
「ラストオーダーまでお時間10分前になりました。何かご注文はありますか?」
「えっもうそんな時間?」
見るとなんと23時40分。
鶴山さんと目配せして、何も頼まないことを確認。すなわちお開きということだ。
「いえ、おあいそで」
「かしこまりました、お会計が——」
店員の声が途切れる。
あぁ、そうなるよね……。
そこにはとんでもない金額が表示されていた。
俺はいつも思っている。
フードファイターの人ってどんだけ金持ちなんだ?
そこに表示されているのは大半は酒代だけど。
ここは鶴山さんの名誉の為に、具体的な金額は伏せておくことにする。
「あ、こべつか——」
「——割り勘でお願いします」
鶴山さんの宣言に割り込む形で、俺は割り勘を宣言した。
この人はまた個別会計にしようとしていた。
「え!? いや、流石にこの金額で割り勘は」
「すいません全額払いたい所なんですが、持ち合わせに自信がなくて」
「いやいやそうじゃなくて」
目一杯慌てる鶴山さん。多分自分で払うつもりでリミッターをかけずに飲んでいたのだろう。
「自分もご相伴に預かりましたから。美味しいお酒を一緒に飲めてよかったです」
そういう論理で割り勘にすることを最初から決めていた。
前回、個別会計にしたことが気になっていたのだ。
元々失敗する気だったから気にしていなかった。けれど今回は違う。そんな適当な態度じゃいられない。
なぜなら自分が誘って、自分が主導したデートなのだから。
——自分が主導したデート。
………………?
何か大事なことを考えている間に決済が終わり、我に返った。
危ない。ぼーっとしていた。呑み過ぎたのは明らかだし、帰ったらすぐに寝よう。
ふらつく身体を美鳥さんに支えられながら、店を出た。
✳︎
「あーどうやら終電無くなっちゃってたみたいです」
なんですと?
この時点での「終電無くなっちゃった」とは、男女の文法においては……。
「なので、私もタクシーで帰ります! 大倉さんもそうした方がいいですよ、ふらふらしてますし」
「……かたじけないです」
まぁですよね。
いやあの別に期待したわけじゃなくて。男として自信を持っていないからまごついていたのであって、そういう展開を望んでいたわけじゃない。
これはマジで。
「ほんとに、すみません。限界超えちゃってることに気づかなかったです……いつもはこんなことないんですけど」
「私がペースを引っ張っちゃったんです。私、異様にお酒に強いから、同じペースで呑むとすぐ潰れちゃうんです」
違うんだ。
いつもはお酒に強い妹と呑んでいるから、自分のペースの保ち方を知っている。狂わされることなんてない。
「あ、タクシー来ましたよ。先に乗ってください」
……頭が痛い。二日酔い確定だ。
大事を取って明日は休みを取っている。
帰ってゆっくり寝ればいい……。
「大倉さん。貴方の住所を言えますか?」
……………………。
――優しい声が聞こえる。
温かい吐息に乗って、耳をくすぐるかわいい声。
「——」
ずっと聴いていたい声。
こんなに近くで聴けるなんて、なんて幸せなんだろう。
「タクシー代は気にしないでくださいね。お酒の為にいっぱい引き出してきていたんです。大倉さんが半分出してくれたから余裕があるんですよ」
「——」
はい。でも大丈夫です。
貴方と過ごしたこの時間が。貴方が私にかけてくれた言葉が、声が。
私が推したい全てなので。
——あぁ、そうか。
俺、この人といて楽しいんだ。
楽しくなりたいから、自分から誘ってたんだ。
この人の声が聞きたくて……また会いたいって思ったんだ……。
あたたかな声。
すてきな声。
やさしい声。
耳から入って心を通り抜けるあなたの声が——大好きなんです。
「おうちに着くまでまだかかるみたいなので。それまでゆっくり休んでください。着いたらちゃんと起こしますからね」
はい。ありがとうございます――美鳥さん。
…………………………………………。
……………………。
✳︎
「大倉さん、着きましたよ。起きられますか?」
「——ッ!?」
はっとなって飛び起きる俺。
やばい、もしかして……寝てた?
「あれ? あ、えっと」
というかここはどこだ?
タクシー?
……あぁそうだ、そういえばタクシーで帰るって話をしたわ。
まずい、記憶が混濁している。
「すみません、めちゃくちゃ迷惑かけちゃって」
「いえいえ、お気になさらないでください」
鶴山さんは不自然なくらいニコニコして言った。なんでそんなに笑ってるの?
「大倉さん寝言可愛かったですし?」
「え? は? 何言ったんですか?」
マジで何言ったの? ちょっと待って。ねえ。
「っとと、そんな場合じゃない」
タクシーが停まっているということは、メーターが回り続けているということだ。早くお金を払って出ないと。
金額を見ると……うわっ、結構するな。
「すいません、これで。お釣りの分は彼女の分に回してください」
そう言って一万円札を運転手に手渡した。
「あ、大丈夫ですよお金は。私が払いますって」
「いえいえ。帰りまで送ってもらって迷惑かけたわけですから。むしろ余分にお金かけさせちゃってすいません」
半ば強引に運転手さんに受け取ってもらい、お釣りを出される前に外に出た。
寝たのが功を奏したのか、さっきよりは足取りはしっかりしている。とりあえず玄関先で倒れこむなんてことにはならないだろう。
「今日はありがとうございました。楽しかったです、本当に。また……また誘いますんで、よろしくお願いします」
「はい。私も楽しかったです。連絡待ってますね」
そう言って笑顔で手を振る鶴山さんに、俺も手を振り返した。
タクシーが見えなくなるまで、俺はマンションの前で佇んだ。
これが婚活を継続すると誓ってから初めてのデートだなんて、とてもじゃないが信じられない。
——連絡待ってますね。
そう言われただけで、心臓の音がうるさくなる。
「はは……まさかな……」
相手は推しのエロゲ声優。
だからと言って、俺が現実の女性に……。
……。
考えがまとまらないな。
今日はもう寝よう。
俺一人だけの家のドアはゆっくり閉まったのに、やけに俺の耳に響いた。




