第4話 長い一日の終わりに
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大倉さんとの顔合わせが終わって、六本木から電車で30分くらい。私はちょっとふらふらしながら帰宅した。
生まれてはじめての婚活。
なのに、今日に限って伸び伸びになったラジオ番組の打ち合わせ。
これから用事があるって言ったのに帰してくれなかったので、押し付けられた無理難題を承諾する羽目になっちゃった。
結局、待ち合わせに遅れたわけで。あのディレクターさんはタンスの角に足の小指をぶつければいいと思う。
「大倉さん、全然怒らなかったな……」
あのとき、遅れてしまった罪悪感で頭が一杯になってしまって借りてきた猫みたいになってる私に、大倉さんは一生懸命話しかけてくれた。
……お酒呑みまくってることはちょっと引いてたけど。
大倉さんは多分、プロフィール通り普通で、とっても優しい人。
そんな人がオタクな私を見て、それでも優しくしてくれるのかなと。
実際、大倉さんも深夜アニメを見てるみたいだった。
すけぼく見てるのはびっくりしたけど、友達から聞いたって言ってたよね。
多分オタクじゃないけどオタクに偏見を持たない人なんだなって。
それよりも、すけぼくの内容知ってるってことは私がとてつもなくはしたない女だということがバレたかもしれなくて、急に恥ずかしくなってしまった。
下ネタだらけのエロゲだもの。そんなもの、婚活の場で開けっぴろげに話すことじゃない。
大倉さんはそれで何かを察したのか、話題を変えるべきと思ったのか、私の気持ちを抉る質問をしてきた。
「鶴山さんは、どうして婚活を始めたんですか?」
私のありのままの仕事を受け入れてくれる人を探すには、出会いを増やさないといけなくて。
お母さんは私にお見合いして欲しいと思ってるけど、お見合いで受け入れてくれる人を探すのは無理。
そもそもお母さんにもこの仕事のことは話していない。
私が見極めて、私が決める。
積極的に結婚したいとは思ってなかったけど、きっとそんな人を見つけられたら——それは、運命の人だと思うから。
私は大倉さんがそうだったらいいな思った。
優しくて、誠実で、謙虚で。私よりも大人な人で。
だから大倉さんが婚活に乗り気じゃないと聞いた時は、落ち込んだ。
なのに急に撤回して、私とまた会ってくれると。
——ホストか何かかと思った。
あんな、下げて上げるようなこと言って。口説かれたかと思って凄いドキドキした。
実際口説かれたようなものだけど。「貴方に興味が湧きました」みたいな口振りだったもんね。
なんだか悔しくて、だけど不思議と悪い気はしなかった。
だから大倉さんと交際していつか勇気を出して私のことを打ち明けて、それが受け入れてもらえたらいいなと思う。
鶴山美鳥としての私と、雛坂日奈子としての私を。
今はまだ打ち明けられないけど、大倉さんならきっと——
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「なぁ。興味本位の質問なんだけど聞いてくれるか?」
「なにー?」
「もしも婚活してマッチングしたのが推しのエロゲ声優だったら、お前ならどうする?」
「知らん」
にべもない。
俺はあの後自宅に帰り、適当なブラウザゲームをぽちぽちいじりながら、ネット内の友達とボイスチャットでだらだらと喋っている。
ハンドルネームは「つるきち」で、確か今は大学生である。結構頭いいらしく院に進むらしいので就活はまだしていない。
歳下ではあるが気兼ねなくエロゲの話ができる数少ない友人の一人だ。
「何それ? ラノベ?」
「Web小説かもしれない」
「面白くなさそー」
そうでないと思いたい。
「だって俺声優とかに興味ないし。そもそも婚活するような歳でもないけど、リアルに会ってもふーんってなるだけだわ」
「ドライやなーZ世代」
このように、かなーり生意気な歳下であるが憎めない奴だと思っている。
これでも案外気が合ってオフでたまに会って遊んだりしている。エロゲの趣味が合わないのだけは残念なのだが。
「だってむしろ声優がノイズになってできねえゲームあるし。雛坂日奈子とか」
「…………」
そうなのだ。こいつは何故か雛坂日奈子を毛嫌いしている。
曰く「身内の声に似ている」とかなんとかで、生理的に拒否反応が出るらしい。
しかもロリ趣味ではなく熟女好き。学園エロゲの多いこのご時世に茨の道を進むような趣味である。
そして俺はその熟女キャラが出る作品は大の苦手。
ということでお互いにやりたいゲームが相反していて、勧めようとしたら喧嘩になるのだ。
「……その、雛坂日奈子なんだけどさ。今日の婚活で来た相手かもしれねえんだよ」
「へー。なんかすごいじゃん」
めっちゃ軽っ。
「言っとくけど、お前だから言うんだぞ。声優オタじゃなくて騒いだりしないから。絶対誰にも言うなよ。特に、間違っても雛坂日奈子のファンに公言するなよ」
「分かってるよ。俺にも言っちゃダメだと思うけど」
「それを差し置くくらい悩んでるんだよ」
つるきちは信頼している相手とはいえ、リスクであることは間違いない。
しかし一人で考えて出る答えはないと思っている。
「雛坂日奈子は声優であることを隠してるみたいなんだよ。それって、俺みたいなファンに会わないためだよな?」
「相談に乗るとは言ってないよ」
「乗って」
強制。
「おっさんのお悩み相談とかめんどくせえ」
「おっさん言うな殺すぞ」
30はまだお兄さんです。
「……んーまぁそうとは限らないんじゃね?」
「というと?」
「単純に恥ずかしがってるだけだろ、多分」
「……一理あるな」
エロゲ声優だもんな。恥ずかしがってできるものでもないと思うが、婚活とかになると話が違うというのは分かる。
「他にも職業として不安定だとか、印象が悪いとかで隠してたり、隠すように言われてたり。キモオタに会わないためってのもありそうではあるけど」
「お前やっぱ頭いいな」
「くらさん最終学歴は?」
「専門」
「俺、もうすぐ院生」
「は? 喧嘩か?」
学歴マウント取ってきやがったぞこいつ。
ちなみに「くらさん」というのは俺のハンドルネーム。「くら」ではなくそのまんま「くらさん」だ。
「……まぁ頭良いのは認めるわ。若いやつの方が頭が柔軟だし」
「視野の問題だと思うよー?」
正論すぎて腹立つー。
何か言い返そうと考えていたら唐突にスマホアプリに連絡が入った。
『今からお兄ちゃんの家に行きます』
あ?
『なんで?』と返信。
『婚活の結果を教えてもらいに』
『……電話じゃダメか?』
『酒飲めないじゃん』
……こいつ。
「あー……すまん。なんか今から妹が来るらしいから落ちるわ」
「うい。唐突やね」
「婚活の結果聞きたいという建前で酒飲みに来る」
「草」
生やすな。
ボイスチャットを閉じて早速準備を始める。
まずキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。うーん、大したものがないな。
とりあえず、ししゃもを取り出してグリルに入れる。
妹が来るとなると、奴は必ずつまみを欲しがる。なので、こうして準備をしてやってるわけだ。
そうしないとキレる。理不尽に。
とはいえ、ない物を差し出せと言ってくるほどではないので、素直に連絡することにする。
『ししゃもくらいしか無かったから自分でなんかコンビニで買ってこい』
『えー。こちとら残業on残業でクタクタなんだけど』
『ししゃもは焼いてるから。あと適当につまみになりそうなやつ買いだめしておいて』
『はーい』
……まあ聞き分けが悪いわけではないし、世話を焼いてやるのもやぶさかではないのだ。
しばらくしてインターホンが鳴り、鍵を開けてやると、スーツ姿でビールとつまみが入ったビニール袋提げて、くたびれた顔をした妹が入ってきた。
「あー疲れたーあついーエアコンー」
そう言ってリビングに直行して勝手にエアコンをつける妹。
「せめてお邪魔しますくらい言おうな」
大倉由貴美。27歳。
バリバリのキャリアウーマンだが、その正体はこの世の幸を全て酒に注ぎ込んだ場末のOLである。
俺からしたらそうとしか見えないが、これでも仕事中はパリッとしているとのこと。見たことはない。
「んで。婚活どうだったの? 相手どんな人?」
直球か?
「まあ……優しくて良い人だと思ったよ」
「小学生の感想かっ!」
まさか推しのエロゲ声優だったとは言えず、当たり障りのないことを言ったら本当に当たり障りのない感想になった。
「どんなところが優しくてどんなところが良い人だったのよ。まさかブッチして適当言ってんじゃないでしょうね?」
「いや流石にそこまでではねーよ。ちゃんと行ってきたし、話をして、これからもよろしくお願いしますってしてきた」
「え!? 付き合うことになったの!?」
「ちげーよ。お試し期間ってやつだ」
……いや、交際開始だから付き合うで合ってるのか?
そんな経験がないので全くわからん。
「うへぇ。びっくりした。ねえどんな人なの? 写真見せてよ」
由貴美の何がそこまで駆り立てるの?
そんなに兄の恋愛事情が気になるものなのか。もういい歳だぞ俺ら。
「きちんとお母さんに報告しないといけないんだから。ほら、さっさと吐きなさいよ」
「うるせ。分かったから……ほら」
鶴山さんのプロフィールを表示して、妹にスマホを投げ渡す。
妹はスマホを掴めず弾き飛ばして己の眉間にシュートした。
「痛っ」
鈍くさ。
「投げる必要ないでしょー!? 適当すぎなんよお兄ちゃんはー!」
「はいはい悪かったって。お前の運動神経の悪さを考慮してなかったお兄ちゃんがバカだった」
こいつの運動神経の悪さは子供の頃から変わっていない。
「あることないことお母さんに言いつけるぞ!」
「ごめんマジで勘弁して」
この妹より母の方が面倒くさい。
「じゃあさっさとゲロりなさいよ。……へえ。めっちゃ美人じゃん。小顔ー」
「そうなん?」
「何で直接会った癖に分かってないのよ」
小顔とか言われたって分からんし。何基準?
美人かどうかも俺には分からん。
「正直顔で選んでるわけじゃないし」
「何で選んでんの」
「……声?」
「はい出たオタクー声豚ー」
「……」
そう言われても、実際声が最初のきっかけだったのは間違いない。声豚と言われても事実なので反論できない。
「まあ美人は声も可愛いって言うしね。あたしとか」
「え? なんて? ごめん耳が遠くなって聞こえなくなった」
「殺すぞ」
ドスの効いた声で言われた。
「まぁ……それだけじゃなくて、誠実だったり、素直だったり、あと趣味が合ったり」
「ふーん……オタクなんだ。この顔で」
何でオタクって断定したの?
「趣味の欄には違うこと書いてるだろ」
「ネットサーフィンとか書くのはオタクくらいよ」
偏見すぎる。
「まぁ……そんな感じだから。俺もう風呂入って寝るから、酒飲み終わったら片付けとけよ」
「はーい」
その「はーい」は、やらないやつだが、一応言っておく。
明日の朝やりゃいいや。
ああ、今日は長い一日だった。
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「……ふーん。本当に美人さんだ」
兄が置き忘れたスマホで、鶴山美鳥さんという人のプロフィールを見る。
黒髪ロングで目はぱっちりしてて、全体的に愛嬌のある顔をしてる。
これは……ナチュラルメイク?
28歳でナチュラルメイクが許される肌ってあるんだ。
私より歳上なのに私より肌が綺麗ってどういうこと?
それでいて、なんだか雰囲気が兄に似てるような気がする。プロフィールも無難なことばっかり書いてるし。
オタクが共通してるって半ば認めてたし、それだけなのかな?
「これは……お兄ちゃんにはもったいないねえ」
こんなに美人さんなのに、兄は顔を見ちゃいない。
いや……実は見てたりするかもしれないけど。
だって兄は気づいていないみたいだけど、足取りがすごい浮かれてた。
結構斜に構えたふりする皮肉屋だけど、行動には素直さが出る。
それは本人以外の家族が知ってる兄の秘密。
だから、何も心配していない。
お母さんが婚活をやらせたのは正解だった。
私に関しては、お母さんに諦められているらしい。何も言われないし。別にいいけどね。
「……絶対離しちゃダメだよー? お兄ちゃん」
兄はシャワーを浴びてるから聞こえていない。
兄の焼いてくれたししゃもをつまみにして、私は缶チューハイを傾けた。




