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婚活相手が推しのエロゲ声優だった。気づいているとは言えないのに、隠し事ができない彼女がポンコツすぎる。  作者: 速水つばくろ


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第3話 声優オタクとしてではなく

 ブルーベリー(らしい)ソースのかかったやや厚切りのステーキは、ナイフを入れるとまるで豆腐を切っているみたいにすんなりと刃が通った。


 口に入れると柔らかいにも程がある肉がバターのように溶けて、旨味が口いっぱいに広がる。


 後に残るはずの脂っぽさもソースの酸味が中和してくれる。


 これが、高級レストランのステーキか……。


 いち小市民の自分にはこんな機会でないと口にできない。しようとも思わない。


 だが……はちゃめちゃに美味い。多分もう普通のステーキで満足できないので、今日の食事は失敗である。



 ——今日の話はそれで終われば良かった。



 だけど、初めての婚活で本来会えるはずのない憧れの人と対面して。


 内心でまごつきながらファンでないことを取り繕って、憧れの人を不安にさせないように尽力して。


 ……そしてたぶん今、失敗して。


 それでも起死回生(きしかいせい)のチャンスを掴む為に、俺は彼女の事情に踏み込むことにした。何故、婚活をしているの? と。



 ——何のために?



 分からない。


 ただ、今のまま終わっちゃいけない気がした。


「私、そんなに結婚願望無いんですよ」


 やがて、鶴山さんは口を開いた。そうして出た言葉は、この場にいることそのものを足場から崩す言葉だった。


「結婚適齢期で出会いがないことを母が心配して、お見合いするか自分で婚活するかの2択を迫られて」


 ……それで婚活を選んだ。と。


 実際、お見合いは難しいだろう。これはイメージの話だけど、お見合いをするような人たちってなんとなく潔癖(けっぺき)な印象がある。


 結婚相手がいかがわしいゲームの声優をしているなんて、その場にいるであろう誰もが認める気がしない。


 多分それは、彼女の母もだろう。


 そうか。彼女が職業の欄に「声優」と書けなかったのは。


 母にも、声優として一線で働いていることを隠しているからだったのもあるのかもしれない。


「現状には満足していたのですけど。確かに今後のことを考えると、結婚はした方がいいのかなって少し思って。それで、自分で婚活することを選んだんです」


「……なるほど」


 確かに、自分達の年齢は結婚を考えてもおかしくない年齢だ。


 生涯独身を貫くとして、将来孤独に生きることへの不安が全くないかと言うと嘘になる。


 それでも俺は結婚に乗り気ではなかったのだ。何故なら、今の日々が充実していたから。


 彼女と同じだ。



「私、お仕事で結構忙しくしてて。あっ、塾講師が何言ってんだって思われるかもしれないんですけど、実は……他の仕事もしてて」


 でしょうね。


「今日もその……打ち合わせが思ったより長引いてしまって、それで遅刻してしまいました。改めて、ごめんなさい」


「……! あ、いえいえ。事情は聞きましたから、お気になさらないでください」


 …………そうか。


 今日遅れたのは塾の仕事じゃなくて。


 声優の仕事だったのか。


 しかも、打ち合わせ。


 先方(せんぽう)と話し合いをしている最中に連絡などできようものではない。


 本当に仕方ない用事だったのだ。



 <今更かこのクソアマ>


 <……嘘つきめ>


 <時間にルーズなのは別に良い。だが、事前に連絡できるのにせず、連絡できなかった最もらしい言い訳をでっちあげる所は、人として気に食わない>



 手元のナイフとフォークを己(おのれ)の頭に猛烈(もうれつ)にぶっ刺してしまいたかった。


 嘘つきなどではない。


 事前に連絡などできようものではない。


 言い訳などではない。


 鶴山さんはきっと誠実(せいじつ)だったのだ。打ち合わせが終わってすぐにメッセージを送って、走ってここに向かってきたのだ。


 息を切らしながら。



 それを、自分の中で勝手に決めつけて。勝手にムカついて。


 中学生のガキみたいじゃんかよ。



「本当に、気にしないでください。私はあなたと会って何を話そうか考えていたので、待ったような感覚はありませんでした。緊張してそれどころじゃなかったですよ、ははは」


 事情を知らないことになっている自分が、何を察したかなんて言えるわけがない。


 だからせめて、彼女——鶴山さんの罪悪感(ざいあくかん)を取り除きたかった。


 嫌われたくないとかそういうのは関係なく。


 取り繕うのでもなく。


 鶴山さんの誠実さに応えたいと思った。


「大倉さんは優しい方ですね。偏見もなくて、誠実で。写真で見た印象通りで安心しました」


「ありがとうございます。でも……そんなことないですよ」


 偏見だらけだ。


 俺はさっきまで鶴山さんを雛坂日奈子として見ていた。


 でも違う。彼女はおそらく雛坂日奈子だけど、紛れもなく鶴山美鳥さんなんだ。


 誠実でもない。


 今の俺は嘘をつき続けている。だけど、これは「つき続けなければいけない嘘」だ。



 今は、まだ。



 だから代わりに、他のところでは本当の事を言うことにした。


「俺も実は、婚活しようだなんて思ってなかったんですよ」


 既に主食のお皿は下げられ、代わりにデザートが置かれている。


 周囲の上品な喧騒(けんそう)は少しボリュームを上げて、人の数も増えてきた。これからは今の俺にはまだ早い大人たちの熱い夜の時間だろう。



 俺と鶴山さんの時間はもうすぐ終わる。



「親に早く結婚しろとせっつかれまして。一回失敗しておいて、それで何やかんや言って人間不信になったと報告すれば、親も諦めてくれるかなと。その為に、婚活サイトに登録してました」


 鶴山さんが、少し困ったような顔をする。それとも残念そう……なのだろうか。


「ですが。はじめての婚活の相手が鶴山さんだったので、その計画は失敗しました。貴方が相手では人間不信になれそうもありません」


 ここからは、大きな勇気が伴(ともな)う決断だ。


「まだ結婚願望があるとまでは言えませんが、結婚について全く考えないのをやめて少し考えたいと思いました」


 鶴山さんがまばたきをする。その目に俺の顔が映っているのだろう。俺も、そんな鶴山さんのことを見つめる。



「——あなたを通して」



 それは、事実上の交際継続宣言。


 同時に、交際を継続してくださいというお願いだ。


 正直、まだ鶴山さんのことは分からない。俺にとって雛坂日奈子の中の人であるだけ。


 当然、付き合いを続けるのはリスクがある。


 自分が雛坂日奈子のファンであるというのが彼女の地雷である可能性は高いから、それがバレないようにしないといけない。


 それでも。俺が初めて知りたいと思った女性は雛坂日奈子ではなく、鶴山美鳥なんだ。


 とはいえ……彼女もあまり婚活に乗り気ではなかったし、断られる可能性は高い。もし断られても気落ちしないようにしよう。


 できるかな? 無理かもしれない。


「私も……結婚願望が膨らんだというわけではありませんが——」


 しまった。ワイングラスが空っぽだ。こんなにも喉が渇いているのに。唾を飲み込んで凌(しの)ぐしかない。



「いずれ結婚したいという気持ちが膨らめばいいなと思います——大倉さんを通して」



 この瞬間に感じた達(・)成(・)感(・)は、告白の成功とはきっと違うけれど。


 今の俺にとって、それと同等のものである気がした。




 ✳︎




 会計すると、目ん玉飛び出るくらいのとんでもない金額が表示されたが、鶴山さんが涼しい顔で支払いをしていた。


 残った金額は普通の高級料理店くらいになった(それでも高いけど)。


 合点(がてん)がいった。鶴山さんが個別会計にしたのはワインを浴びるほど呑みたかったからか。



 いや限度があるだろ。収入印紙(しゅうにゅういんし)(金額5万円以上の領収書に貼るやつ)出てきたんだけど。



 正直、もし個別会計にしてもらってなかったら人目を憚(はばか)らず泣いてたかもしれない。




 レストランを出て、鶴山さんと直接の連絡先を交換した。


 そして二人で駅まで歩き、路線が違うということで改札に入った後。


「では、休みの日が合う日が分かれば連絡します。これからよろしくお願いします」


「はい。こちらこそよろしくお願いします。また今度」


 そう言って手を挙げると、鶴山さんは可愛らしく手を振ってくれた。こうやってみると、愛嬌(あいきょう)のある人だ。


 こうして、俺にとって人生の分岐とも言える濃密な婚活1日目が終わった。




 推しのエロゲ声優と話せたこと。


 凄いペースでお酒を呑んでいるのを見れたこと。


 手を振ってくれたこと。


 婚活相手として交際を続けられること。


 それらを思うと込(こ)み上(あ)げてくるものがありすぎて、叫び出したくなる。


 どうにか我慢しているが、顔が緩むのは止められなくて、電車の中で近くの人に気味が悪いものを見るような目で見られてしまうのだった。



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