第18話 幸せになっちゃいけない職業の人なんていない
『ひなたん婚活してるってマジかよ』
それは、ひなたんのゲーム配信中に起こった。
俺は仕事をしていたから、その瞬間を聞き逃していた。
だから、気づいたのは横目で流れたコメント欄の文字を見てからだ。
『婚活って何?』『結婚すんの?』『は?』
『ひなたん何歳だっけ?』『推し活の間違いでしょ』『ひよこって婚活できるの?』
とんでもないスピードで流れていくコメント。ひなたんはあたふたしてろくに喋れていない。ゲーム画面も止まっている。
何が起きたんだ。
俺はその瞬間と思しき時間にシークバーを動かした。
事の発端は、とあるリスナーのコメントだった。
『もう40代になんだけど今から将来が不安になってる。婚活始めようかな』
それは、いつもいる古参メンバーの何気ないコメントだった。
その何気ないコメントを、ひなたんはゲームをしながら何気なく拾ったのだ。
「婚活ねー。なかなか出会いってないもんだよねー。すぐ見つけたいって言うなら婚活した方が早いと思う!」
『ひなたん婚活詳しいの?』
その瞬間、ゲームの画面は佳境に入っていた。だから……注意が逸れて、持ち前の特性が漏れ出した。
「詳しくはないよ。でも私も今婚活してるから」
それは「詳しくはないよ。でもこのゲームやったことあるから」くらいのトーンで。
だから本人も何を言ったのかその時は気づいてなかったんだろう。
しばらくゲームに集中している所に。
『ひなたん婚活してるの?』
というコメントが流れた。
——この時はまだ、ごまかそうと思えば出来る段階だった。
ひよこ界隈では婚活してる。とか。
推し活は婚活みたいなものだよね。とか。
切り返し方はたくさんあった。
だけど、完全に油断していたひなたんは。
「ぁ……」
この吐息一つ漏らしたことで、リスナーはそれを「冗談ではない」と受け取った。
そしてコメントの流れがガラリと変わってしまったのだ。
「……ガチの炎上じゃねえか、これ」
俺はシークバーを現在時間に戻した。
そこはもう、地獄絵図。
ひなたんも落ち着いてくださいとか一旦ごめんなさいコメント止まってくださいと静止を促すが、誰も聞く耳を持たない。
——配信者というのは、人の好意を集める人だ。
ファンだったり仲間だったり遊び相手だったり。
形は色々あるが。
V配信者で一番多く集めるのは、そのキャラクターが好きな人である。
その配信者が、他の人へ好意を向けているという事実は、好意を持つ者にとって裏切りとなる。
そして好意は嫌悪に。
嫌悪は——敵意に変わるのだ。
『ひなたんのサポやめます』『今までのスパチャ返せ』
『俺とは会ってくれないの?』『ショックすぎるもう見ない』
『しなくていいよ婚活』『婚活実況配信まだ?』『ゲームしてる場合か?』
敵意で生み出された心無いコメントはひなたんを貶めるだけでなく、一部の擁護的リスナーにも降りかかった。
そして敵意は連鎖する。
『婚活してて何が悪いの』『お前らガチ恋過ぎてキモい』
『エロゲの中の人でシコんなカス共』『コメントうるさすぎ』『嫉妬乙』
もちろん、一部の穏和なコメントもある。しかし、それを埋め尽くすように喧嘩腰のコメントが溢れていた。
——これは収拾がつかない。
こうなってしまってはどうしようもない。挙げ句の果てにコメント欄で擁護派と否定派で分かれて喧嘩し始めた。
『Vが婚活して何が悪いんだよ』
『ファン活動してんのに裏で婚活するのは背信者だろ』
『声優とアイドル一緒にすんなよ』
『ひなたんにとって俺らは何なの?』
『マジガチ恋勢キモすぎるから見るのやめろ』
『オフパコ野郎出てこい』
見るに堪えない。
諦めるしかない。
これはもう視聴者側から出来ることはない。
一度配信を終わらせて、謝罪動画を作るしかないだろう。
俺は、ひなたんがこれ以上傷つくところを見たくなくて、ブラウザの閉じるボタンをクリックしようとした。
『エロゲ声優が普通に婚活して幸せになれるわけないだろ』
その文字列が目に飛び込んできた瞬間。
俺の——心を司る臓器が一際大きく脈動し、全てを終わらせようとする指を止めた。
幸せになれない?
お前が何を知ってるんだ。
ひなたんの何を知ってるんだ。
お前が鶴山美鳥さんの何を知ってるって言うんだよ!!!
「……」
気持ち悪い。
腑を圧力鍋で煮られたような気分だ。
俺が一番怒りを感じた時はどうだった?
その時はこんなに気持ち悪かったか?
怒りの上限値を塗り替えられた今はもう思い出せない。
「……考えろ」
怒りと殺意で支配されそうな頭の片隅で、唯一残った冷静さ。
それをフル稼働させて考える。
——これはもう視聴者側から出来ることはない。
本当に?
視聴者だからこそ。
ファンだからこそできることが、一つあるんじゃないのか?
——今。
俺の中に選択肢が浮かんでいる。
一つは……このまま諦めて、後でファンとして、婚活相手として慰めること。
そして、もう一つは。
今この場で、ひなたんを……雛坂日奈子を救うことだ。
財布の中からクレジットカードを取り出し、そして配信サイトのポイント購入画面を開いた。
ポイント購入を選択。
50000ポイントを選択。
クレジットカードの番号を入力。
暗証番号を入力。
購入完了。
繰り返し。
上限まで。
さあ——はじめよう。
配信画面では、Vのアバターがひたすらに俯いて、ひなたんが謝り続けているところだった。
それでも……敵意へと昇華したコメントは収まることはない。
誰もが……どうしようもないと諦めて。
早く配信を閉じろと。
あるいは自ら配信を閉じて祈っていることだろう。
そこに俺は一石を投じる。
最古参コテハンリスナー「ぐらさん」として。
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『俺は、ひなたんの婚活を応援します!!』
それは、配信者に送れる有償のギフト。
スーパーチャットと呼ばれるもので、ポイントがそのまま送られる金額になる。
そして、ポイントの額によって色が決められている。
青、水色、黄緑、黄色、赤、マゼンタ、赤紫など。
後になればなるほど金額が大きく。
赤が含まれる色のスーパーチャットのことを。
「赤スパ」
と呼ばれる。
そのうちの50000ptとは、一度に投げられる最大の金額。
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『俺はひなたんがこれまで、配信やラジオ、声優活動を頑張ってきていることを知っています』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『そんな努力をしている人が幸せになれないなんて、世の中の方がどうかしているんです』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『俺はひなたんがどれだけ優しくて明るくて元気な人なのか知っています』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『そんな人が、落ち込んだり悲しむなんてあってはならないんです』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『だから、一人のファンとして俺は、ひなたんの幸せを応援します』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『この赤スパは……俺からのエールです』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『エロゲ声優が幸せになれないなんて、そんなこと絶対にない』
「ぐらさん」さんから50000ptギフトが贈られました。
『俺は、ひなたんが誰よりも幸せになれる人だと信じています』
「ぐらさん」さんから10000ptギフトが贈られました。
『だから、婚活頑張ってください。応援することだけが、ファンである俺が出来ることだと思っています』
総じて46万。
自分にできる限界値まで投じた投げ銭である。
最初に出た赤スパには、誰も反応しなかった。
次に出た赤スパで、コメントが反応し始めた。
その次の赤スパから、リスナーの空気は少しずつ変わっていった。
そして最後の赤スパを投稿する頃には、敵意よりも応援する人のムードの方が高くなっていた。
『そうだよ、幸せになれ』
『ファンがやることは燃やすんじゃなくて応援することだよな』
『ガチ恋勢でも応援はしろよ』
『1ファンとして俺も幸せになってほしい』
『頑張れ! 心無い声に負けるな!』
『888888』
『結婚するなら俺たちを呼んでくれ!』
重苦しかった空気は払拭されて、コメント欄は明るい前向きなものばかりになった。
俺に倣って赤スパを送る人まで出てきた。
もう……炎上などではなくなっていた。
一方、ひなたんはとんでもなく焦っていた。
「うわわわわちょっとまっ、待って! 赤スパ投げすぎ、投げすぎだから! そんな貰っても私どうしようもないって! 応援してくれるのは嬉しいけどだめだよぐらさん。お金大切にして! あああ他の人も便乗しないで、スパチャ切ります! 切りました! あとこのお金返したいんだけど……無理なの!? 嘘でしょー!」
「……はは」
テンパりすぎだって。
言われたって返してもらうつもりはない。
これは覚悟の証だから。
「うわ、スパチャ禁止設定しても時間かかるの? あーじゃあ配信切るしかないんだ! えー皆さん! どうも申し訳ございませんでした! この配信について、あとこの件について、後日改めて説明させていただきます。応援してくれるって言ってくれてる人ありがとうございます! 怒ってる人ほんとにごめんね。ちゃんと説明します。すいませんもう少しお時間ください。今日は配信切らせてください。おつぴよありがとね、でも今日はちゃんとあいさつさせていただきます。配信に来てくださってありがとうございました。お疲れ様でした。失礼します!」
流れるような早口で捲し立てた後、エンディングトークもなく配信が終了した。
今回のは初めてのケースだ。初めての炎上で相当焦っていたはずだ。
……でも、なんとかなったはずだ。
——雛坂日奈子は。
「……そろそろ来るかな」
独り言の後、すぐに。
スマホにメッセージが入った。
『夜分遅くにすみません。明日の夜、どこかで会う時間はありませんか?』
「やっぱり来たな」
それは……鶴山さんからのメッセージだ。
「……さて」
雛坂日奈子は救えた。
なら次は?
決まっている。
鶴山美鳥の番だ。




