第1話 婚活したらマッチング相手が推しのエロゲ声優だったんだが
午後6時45分。
待ち合わせに指定したのは六本木にある(やたら高い)レストラン。予約を取って合流する、というプランだった。
顔を合わせたこともない男女が初夏に、人混みのせいでさらに上がった気温の中で待ち合わせをするのは困難だからである。
なんと合理的。
シャンデリアが淡い光を放つ店内で、純白のクロスを敷かれたシャレたテーブルが点在している。
津波の如き人混みが騒がしい外と違いゆったりと落ち着いた空間で、客層もなんというか……上流階級っぽい雰囲気がある。
一応TPOに合わせてフォーマルな格好をして清潔感も整えてきたつもりだが、生まれついた小市民感は隠せていない。
場違い過ぎておどおどする俺を、物腰の柔らかいウェイターが何食わぬ顔で予約席に案内してくれる。すげぇ。プロだ。
こういった場所ではそういう費用は男が出すもの……という知識はあるが、なんと先方から「個別会計にしましょう」と提案してきた。
これは真に受けていいのだろうか……? とも考えたが、まぁそれが失策だとしてもどうせ先方にお断りされるつもりだ。
想定より懐が痛まないのは単純に好都合。
もう一人予約している人が来ることをウェイターに伝え、待ち合わせの7時まで予約していた席で待つことにする。
断られるつもりだとしても表面的には失礼な態度は取りたくないというのは、男としての最低限の見栄だ。
7時10分。
来ない。
婚活アプリのメッセージを確認するが、連絡は来ていない。場所がわからなくなったとか、電車が遅れているとか可能性を考えてみたが、連絡が来ていない以上それは無さそうだ。
……ドタキャンされた?
こういうマッチング系ではよくある話らしい。
土壇場になって急に会いたくなくなるとか、他にもキープしている男性がいてそちらから声がかかり急遽乗り換えたとか。
それでも何らかのメッセージを残さないのは不誠実だと思うが、どうせ二度と会うことがない相手に誠実になる必要はないという考えで、平気でそういうことする人がいてもおかしくはないか。
7時15分。
来ねえ。
店員に「先にお食事メニューをお持ちいたしましょうか?」と聞かれたが断った。
「……帰るかあ」
このまま待っていても埒が開かない。
個別会計指定だったが、キャンセルとなればキャンセル料は全額負担。
飯も食えない上に何にもならない手痛い出費だけど、まあ勉強代と考えれば納得いくかな。
……。
…………。
んなわけないわ。普通にキレそう。
もうブロックされてるかもしれないが、最後に呪詛でも残しておいてやろうとアプリを開くと、ちょうど先方からメッセージが飛んできた。今更かこのクソアマ。
『申し訳ありません! 仕事が思った以上に押してしまって、連絡もできない環境だったので連絡できませんでした! 今から向かいます』
今から? 向かいます?
『今から出て何時にこちらに着きますか?』
「大丈夫ですよ」とか「気にしないでください」などの文頭に置くべき社交辞令も忘れ、ただ淡々と気になった事だけを送信。
既にこの女のプライオリティは下がっている。
『近くでしたので、10分以内には着きます! 本当にごめんなさい><』
早え。
職場はそんなに近いのか?
この店は駅に比較的近いと言っても、徒歩10分はかかる。ということは職場は六本木?
お待ちしています。と返事して、気になって彼女のプロフィールを確認する。
マッチングは向こうから希望されたものだが、実は名前くらいしか確認していなかった。
だってどうでもいいし、今もこっちから願い下げだと言ってやろうと思っている。
顔は……多分美人な方なのだろう。清楚系 (?)の黒髪ロングで細身の女性のようだ。
脳が二次元に染まりすぎて現実の人間の美醜に自信がないため分からないが、不快感はないと思う。
——氏名:鶴山美鳥
——年齢:28歳
——趣味:音楽鑑賞、読書、ネットサーフィン
——職業:塾講師
……嘘つきめ。
塾講師をしていて仕事が押しているとはどういうことだ。
仮に今日塾の仕事があったとして、今日の待ち合わせギリギリまで仕事を入れているのは流石に舐めすぎでは?
もっと余裕を持った時間にしなければこういうことが起きる可能性があるのは大人ならばわかるだろ。
何を教えているか知らないが、別の可能性として、塾講師は急な仕事が入るということもおそらくほとんど無いはず。
そして何より……ここ周辺徒歩10分圏内に進学塾は無い!
つまり、遅刻の理由に仕事であることをでっち上げ、浅ましく自分のだらしなさをフォローしようとしたのだ。そうに違いない。
……度し難い。
時間にルーズなのは別に良い。
だが、事前に連絡できるのにせず、連絡できなかった最もらしい言い訳をでっちあげる所は、人として気に食わない。
「顔を見たら罵倒して速攻で帰ってやる」
心に決めたその時、レストランのドアが開き——
「すいませんッ——」
その"声"が俺の耳に届いた瞬間、理性は飛んだ。
スマホを見ていた顔を上げドアの方を見やるまで、0.2秒もかからなかっただろう。
推しの声がした。
頭の中はそれだけに支配された。
「あの、予約して、ました、鶴山なん、ですけど」
対応に来た店員に、息絶え絶えに説明している女性は鶴山と名乗った。
そこで俺はようやく冷静さを取り戻せた。
あの声は「鶴山さん」の声だ。雛坂日奈子じゃない。
なんだ、他人の空似か……。
…………。
違う。他人の空似なわけがない。
俺は雛坂日奈子の出演作を全て網羅しているし、彼女の配信もラジオも欠かさず聴いている。演じている声だけじゃなく、地声も聞いているんだ。
彼女の声が染みついた耳が、頭が、心臓が、「雛坂日奈子」本人であると俺に教えていた。
その彼女が、ここに来て、「鶴山」と名乗った。
何故?
鶴山?
俺の婚活相手の名前は?
……鶴山美鳥。
「!!?!?!?」
——冷静になどなれるわけなかった。
「冗談だろ……?」
もはや疑っているのは、両の目と口だけか。
それ以外はもう、パニックになって役に立たない。
今かろうじて分かるのは。
さっきまで抱えていた怒りが、どこかに消え失せたことだけだった。
「お席はこちらになります」
硬直していた思考が再起動したのは、店員が彼女をこの席に案内した所である。
どんなにパニックであろうと俺は社会人。ほとんど反射レベルで席を立つ。待ち合わせに来た相手を座って迎えるなどあり得ない。
彼女は自分の胸に手を置いて、肩で息をしながらお辞儀をしてきた。
「はあ、はあ、遅れて申し訳ございませんでした、その……」
「ああ、大丈夫ですよ! 息を整えてからで。その間に私から自己紹介させていただきますね。はじめまして、大倉陽彦です」
おい誰だこの爽やか青年は。
自分の口から出た言葉に自分で驚愕する。
まるで人格が分離して勝手に喋っているかのようにスラスラとイケメンみたいな対応が出てきた。
確かに仕事で客先と対応する経験は培われている。が、大抵こちら側が下手側であり気を使われる立場なのである。
こんな風に気を使う立場で相手を迎えるなんて、ぶっちゃけやったことない。
その結果がこんな、アニメで出てきそうなイケメン対応。
そしてそれとは裏腹に、推し声優に話しかけられた衝撃が顔がニヤけていることを内面の俺は自覚している。バカだろ? たすけて。
「はあ、はい……ありがとうございます。鶴山美鳥です……今日は、その、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。お疲れでしょうし、一旦座りましょうか」
「はい、ありがとうございます。えっと、失礼します」
……さて。
どうやら外面の俺はこのまま行くみたいなので、その間に考えることにする。
実際に話したその声から、俺はほぼ100%雛坂日奈子であると確信している。
外面モードでなければとっくの昔に溶けている。万が一他人だったとしても冷静ではいられない。いやいられていない。頭の中に今人格が三つあって、一つは外面、もう一つは思考する俺。もう一つは「やばい声可愛すぎるううう」などと溶けながら叫んでいてうるさい。黙れ。
……ゴホン。それを踏まえて現実的なことを考えよう。
何故、雛坂日奈子は婚活をしている?
エロゲ声優は当然年齢を公開していないため年下であることに驚いたが、確かに28歳といえば一般的にそろそろ結婚を考える時期だろう。
しかし、同時に一番忙しい時期でもあると思うのだが……。
……これはすぐに結論が出る話ではないし考える時間もないので置いておこう。
次に。何故、彼女は声優であることを隠しているのか?
これはさほど難しい理由ではないだろう。
エロゲ声優であることを相手に知られると、その時点で抵抗を覚える人がいる。
ぶっちゃけた話、エロゲは性的な産業だ。
声だけとはいえセックスシーンを演じるのだから「性にオープンなはしたない女性」というイメージがどうしても生まれてしまう。初対面で理解を得るのは難しい。
かと言って、婚活市場でエロゲ声優であることを最初から開示していたら、群がってくるのは「エロゲ声優と接点を持ちたい厄介なファン」だけだ。
一般とは別の意味で、声優業の理解を得られるかどうかは難しいだろうな。
……………………。
エロゲ声優と接点を持ちたい厄介なファン?
……………………。
俺 じ ゃ ね え か ?
「……あの、どうしました? 急に、黙ってしまって。なんか汗も出てますし、暑いですか?」
……はっ。
「ああ、いえすいません。お気になさらず。ちょっと、酔いが回ったかなあ、ははは」
あまりの衝撃に一瞬で俺の三つの精神が統合した。
やばい。俺は今まで何を話してた?
対応は全て外面の俺に任せて、思考に没頭していたからここまで何が起こったのか分かっていない。
食前酒を飲んでいるから注文は済んでいるようだが……。
「まだ一口しか飲んでないのに……もしかしてお酒弱かったですか? 無理して合わせたんじゃ……」
「い、いえ! そんなことはないんですけど、いやあ結構緊張しちゃって。いつもより酔いやすくなってるのかもしれません」
恥ずかしすぎる。よくもこんな口から出まかせがスラスラと出るもんだ。
しかし。
「ファンを避けている」という推定が真実であれば。
俺が雛坂日奈子のファンであることが何かの節でばれてしまったら。顔を知られたと感じた彼女を嫌な気分にして帰してしまうことになりかねない。
それだけは避けたい。
食前酒であるワインを一口。少し辛口だが、頭を切り替える分にはちょうど良い刺激だ。
……なんとかして、彼女にオタク(特にエロゲ)であることを悟らせないようにしないと。
かくして、俺の婚活が始まったのである。




