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夢現の圏士  作者: くろよ よのすけ
2章:回帰事件
9/15

彼と彼女の事情


「さぁ! せっかくの出会いだ、料金は自分が出すから遠慮せず食べてくれ!!」

「ど、どうも…」


 半ば無理矢理、断るような余地なく連れ込まれたのはそれなりに高そうなレストランだった。外から見たことはあっても、懐事情からして入ろうと思ったこともない。

 しかも、ここって昼間は開いてなかったような気がする。その証拠におれたち以外の客は誰もいないし、店員もおれたち以外が来ることなんて考えてないようなそぶりだ。


「………」


 つまり、目の前にいる男はそれほどの金持ちか、コネがあるってことで。


「ふ、ふふ…」


 おれの隣で引きつった笑みを作ろうと頑張っている女の兄らしいということだった。


「ファルム様、料理を用意させていただきましたシェフが挨拶をしたいと」

「おおそうなのか! いやぁ自分にそのような価値のある人間かは分からないが、求められたなら応えねば! うむ、噂にたがわぬ美味だった、こちらから足を運ばねばならないのにすまないな!」

「いえいえ、ファルム様とカルディア様のようなお方に足を運んでいただければこそでございます。我ら一同、今日の日を楽しみにしておりました」

「うふふ……」

「ははは、自分のような者にそこまでお世辞を言われてしまうと恥ずかしくなってしまう」

「まさかそのような謙遜を——」


 初老の品のいいウェイターが男、“ファルム”と話しているがそれほどの人物なのか。そうなるとまさにおれは場違いだな。周りから見たら護衛に宛がわれた圏士とでも見えているのか。

 しっかしあれだ、本来何の関係もないおれからしたら、まず現状が分からなさすぎてどうしようもない。となると、巻き込んだ元凶である、隣でガチガチの笑みを浮かべている奴の腕を周りに見られない様に小突く。


『おい…これは一体全体どういうことだよ』


 周りに聞こえないよう小さな声で聴いてみると、ファルムの様子と辺りを窺がった後、それまでの引きつったすまし顔を崩していつもの口調で返答してきた。


『え、えへへ~…、そ、そのっすねぇ…。兄が急に様子を見に来たいって言いだしちゃいまして……』

『それはいいけど、なんでおれまで巻き込まれてんのかってこったよ』

『それはぁ…そのぉですねぇ…? …ゴメンナサイっすぅ、なんとかこの食事だけ付き合ってくれないっすか…? お礼とか謝罪諸々はあとでさせてもらうっすから……』

『はぁ…、こうなってる以上しゃーないか。その泣きそうな顔止めろ、キリいいとこまでちゃんと付き合ってやるから』

『ロストさぁん…っ』

『泣くな、鼻水垂らすな…っ』

「そうだディア! 彼のことを紹介してくれないか、ともすれば我が家の一員となるやもしれない男だ。気が急いてしまって、思えばちゃんと自己紹介もしていなかったのは自分の悪い癖だった」

「うぇ…と、そ、そうですねお兄様、えぇと、彼は…彼、が……」

「うんうん、そう恥ずかしがることではないさ。ゆっくり話してくれればいい!」


 急に話を振られてしまって会話は打ち切り、それにしても我が家の一員とか言ってたな今。……思い返せば駅前でも想い人だなんだとデカい声でしゃべっていたような…。


「そのぉ…この人が、手紙に書いていた、アタ…ワタシの……」

「うむうむ」


 顔を赤くしながら、視線をファルムとおれの間で泳がせる。熱暴走する寸前とでもいうかのように湯気が立ち上っているかのようで、水をかけてやった方がいいかもしれない。

 そして、その後の言葉は流石のおれでも想像はつく、ついてはいたができれば違ったらいいな、とか。偶然隣にいた知り合いだから食事に誘われただけだったらいいな、とか。

 都合よく考えてはみたが、隣で勝手に覚悟を決めたらしいカルディアによって容易く撃ち砕かれることとなった。


「この人はっ、ワタシの恋人で圏士のロスト・ヘリオールさんで、っす!」

「…ぁー……」

「はっはっは、そうかそうか、すでに知らされていたこととはいえあの小さなディアにも恋人ができたと思うと感慨深いものがあるなぁ」


 だと思ったよ、それ以外だったらどれほどよかったか。


「はっはっは!」

「ぅえ、へへ、ふふふ」

「ハハ」


 これからどうすればいいか、もはやどうにも分からないがとりあえず笑っとこう。笑っとけば、何とかなるかもしれない。多分。

 それから少し経った後、またしてもキョロキョロし始めたカルディアが声を上げた。


「わ、ワタシちょっと席を外させていただきますっ、すぐ戻ります、のでっ」

「分かった、急ぐ必要はないからゆっくり行ってくるといい」

「は、はいっ」

(便所か?)


 急ぎたいが走るわけにもいかず、その上普段着ることのない服のせいで変な歩き方になっているカルディアを見ていると、コケそうでこっちが怖い。


「しかし、本当に嬉しいよ。ディアが一人で灯日に行くと言い出した時は心配でたまらなかったが、元気にやっているようで。それにロスト君という良い縁とも出会えたようだ」


 事情を説明しないものの、それまでクッションになってくれていたカルディアが消えて二人残されてしまう。理由はともあれ恋人として紹介された以上何を話せばいいものかと……。


「…気にしないんですね、おれが圏士だってこと」

「まぁ、確かに驚きはしたがね。なんせあの子と…何といえばいいか……ううむ」


 これまで一切詰まることなく元気の塊のように話していたファルムの声が濁る。

 そりゃあ、あんなに可愛がってる妹が離れて暮らしてる間に圏士と付き合ってるなんて言い出したら困りもするか。

 カルディアの奴、これまでおくびにも出してこなかったがかなりの金持ちだ。そんなのが何で瞳士やってるのかは知らないが、この様子だとそれも言ってなさそうだ。


「おれたちがどう思われているかは分かってるつもりです。えぇと、ファルムさんの思っている通りに言ってくれて構わないです」

「む、すまないね、気を使わせてしまった。うん、ロスト君の考えているように、自分がどういったスタンスを取るべきか掴み損ねていてね。ああ先に分かっていてほしいのは圏士という職業を否定などしていない。むしろ、昨今の異常に軽視されている現状を変えられれば、とも思っているんだ」

「そうですか、ならどうしてです? まぁ、おれ…えと、自分? は——」

「ははは、変に気を使わないでくれ、ロスト君がどういった人なのかも知りたいし、いつも通りに話してほしい」

「あー…、と、それなら助かります。目上の人と話すのは得意じゃなくって…。そうだ、おれは田舎の出で、ファルムさんのような身分はないですから、そっちはそっちで褒められたもんじゃないですけど」

「確かに生まれというものは本人の意思ではどうしようもないところだからね。両親であれば口をはさむところだろうが、自分としてはディアが選んだ相手ならば尊重してあげたいと、思っているんだ」


 その時、これまで真っ直ぐおれの目を見て話していたファルムの視線がほんの一瞬、錯覚と思えるくらいほんの一瞬だけ逸れた気がした。


「幼いころから、家では物静かな子でね。ずっと部屋に閉じこもって一人で本を読んでいる子だった。それがある日突然、家族の反対を押し切ってまでこの街に行きたいと言ってね。出来るわけがないと父も母も当然反対したが…」

「じゃあファルムさんがオッケー出したんですか? カルディアと話してる様子を見てても随分大事にしてるようでしたけど」

「お、普段は呼び捨てなのか」

「あ…っと、すいません…」

「ハハ、構わない。それに自分はいいと思う。心を許している証拠だろう」

「そういうもんですかね」


 いつものほほんとしながらも仕事に追われているアイツの姿を思い出すと、物静かっていうイメージは合ってこない。

 それになつかれてはいると思うけど、心を許してくれているかどうかなんてのは本人にしか分からないことだし、やっぱりおれにはよく分からない。


「話を戻そう。両親に反対されたディアはそれ以前よりも更に内にこもってしまってね。ロスト君だって大事な家族の、そんな姿は見たくないだろう? だから、条件を付けることで何とか了承を得たんだ」

「条件?」

「とはいってもそう厳しいものじゃないし、達成できなければすぐに帰らせる。というものでもないんだ。定期的に連絡を怠らない、年に数度決められた時期には家族の誰かに顔を合わせるってね」

「そんなことですか? それはまた、ほんとに厳しいってことはないですね」

「ハハ…我が家はどうにも、自分も含めてだが両親も心配性でね。ディアにも心配するがゆえに厳しく当たってしまっていた部分もある。それがよりあの子を一人の世界に閉じ込めてしまったんだろう」


『ロスト、アナタは一人になっちゃダメですよ。友達を作って、広い世界で生きてくださいね。じゃないとヤな男に育っちゃいますから』

「………」


 なぜか、あの田舎から立ち去る前日。最初で最後の、まともなアドバイスを口にした彼女のことを思い出した。


「どうやらロスト君も心当たりはあるようだ。心配を押し付けている自分が言うのもなんだが、分かってあげてほしい。子や弟妹、家族というのは大切な存在だ。何を犠牲にしても護るべき対象だと思っている。……なんていうと、圏士の君相手でも言いすぎと思われるかな?」


 これまで笑みを浮かべながらも真面目な表情を崩さなかったファルムだったが、イタズラ気味に口元を緩ませる。冗談さえも生真面目に受け取るタイプかと思っていたが、立場上対応しきれないだけで、素の彼は案外そうでもないのかもしれない。

 おれたちが付き合ってるなんて話だって初めから気づいていて、知らないふりをしてくれていたのか。


「そういうのは本人に言ってやった方がいいと思います。アイツ普段からのほほんとしてるんで、ちゃんと言ってやらないと意味ないですし」

「それは分かっているんだが、なかなか難しくてね。兄妹の関係だからこその壁、というもの。とはいっても自分が勝手に作っているだけかもしれないが」

「それに、おれは別に家族だからとか知り合いだからとか関係なしに、自分を犠牲にしてでも全員護りたい。もちろん、その中にはカルディアも入ってます。…おれみたいな二級の下っ端の言ってるようなことなんで、そうそう信じるのは出来ないでしょうけど」

「……」

「ファルムさん?」

「…いいや、その言葉、自分は信じたい。今、自分を見る目に嘘はないように見えた。たとえそれが自分の願望であったとしてもね。だから、ディアのことも任せられる相手だと信じることにする」

「ちょ、心配で会いに来たのならそんな簡単に信じちゃっていいんですか。デカい夢宣ってますけど、まだまだ実力もなにも足りてないですよ!?」

「構わない、信じる! ハハ、例え夢でもいいじゃないか。そこに向かって歩き続けられるのなら、君は確かに信じるに足る人物だ」

「……そういうことなら、まぁ、…期待を裏切らないよう頑張ります」

「うむ! それじゃあ話が長くなってしまったね。ディアもまだ戻っては……おや?」


 その時、ペシペシと何かが叩く音が耳に届いた。

 ファルムの見た方向には外の景色を移す窓ガラス、その向こう側からガラスを叩く一匹の猫がいた。


「あれは…、ははは、美味しそうな料理につられてやってきたのかな?」

「いやあれは。すいませんちょっと席外します」

「うむ?」


 あの猫、間違いない式神だ。

 猫を使ってる瞳士に知り合いはいないが、街中の圏士に召集でもかかっているのか。


「よっと…、こちらロスト二級。何か緊急事態か?」

『——、ぇ—ぇと、———ますか? 聞こえ——』

「接続悪いな。途切れ途切れだけど聞こえてる」


 式神の向こう側からはノイズ交じりの女の声。一体誰だったかと思ったが、その疑問はすぐさま解消した。


『ロス…ト、あー、あー、これで聞こえますか?』

「ん、ああアイリスだったか。こんな式神使ってまで連絡してくるってことは何か急ぎか?」


 向こうから聞こえてきたのは間違いなくアイリスの声。

 ハイネはまだ調べ中だろうし、わざわざ他の瞳士に借りて連絡してきたってことか?


『いえ、厳密にいえば緊急事態というわけではありません』

「? ならどうした?」

『ですが、キリエがお腹を空かせており、私も朝食の時間がスケジュールよりズレたために空腹状態となっております』

「あ、ああー……、悪い…」

『私は慣れているので構いませんが、キリエもそろそろ我慢の限界の様ですので、そういった意味では急いでいただければと思います』

「できればおれもそうしたいんだけどさ——」

「ほう、これが式神というものなのか。灯日の外ではあまり見る機会がない。なるほど確かに本物の動物そっくりだ。それが通話機能を備えているというのは摩訶不思議だな!」

『お話の最中失礼します。此方は討滅局所属の圏士、アイリス・マトラ、階級は二級です。もしも問題が無ければ其方のロスト・ヘリオール二級を招集したいと思っているのですが、構わないでしょうか?』

「これはご丁寧に、感謝しますマトラさん。もちろん、時間があればまだ話していたいがロスト君の使命を思えばここに引き留め続けるわけにもいかないだろう。ディアは…、まだ戻っていないが自分から伝えておく。向かってくれたまえ」

「すいません、話の途中だったのに」

「いいさ。ああそれと盗み聞きの様で申し訳ないのだが、朝食が無いと聞こえてきてね。軽いものでよければすぐ用意させるよ」

「え、いやそこまでしてもらうだなんて悪いです」

「自分からの気持ちだ。大したことは出来ないが、ちょっとした金銭で君を助けることができるなら喜んで出すさ。これから先もディアと共に仲良くしていきたいと思っているしね」

「ありがとう、ございます?」


 今のセリフにちょっと違和感を覚えたが、これまでアイリスたちを待たせていたことをはっきりと思いだした焦りに流される。


「ああ、なら少し待っていてほしい。そういうことなんだが、朝食を……三人分用意してくれないだろうか」

「かしこまりました」


 背後で待機していたウェイターは恭しく礼をするとそのまま厨房の方へ姿を消すと、 それからそう時間もかからず、いい匂いを漂わせるバスケットを渡してくれた。


「こちらをどうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ」

「あ、ありがとうございます」

「それではロスト君、ディアと一緒に見送りたかったが…まだ戻らないね。うん、事情は自分の方から説明しておこう。気を付けてくれたまえ!」

「そんな大したことじゃな…、とか言ったら怒られるかな…」

「ハハハ、女性を待たせると後が怖いからね。自分たちのことは気にせず、行ってほしい。それに、そう遠くないうちに会えるよ。きっとね」

「その時はまたお礼させてください。おれにできることは早退したことじゃないですけど」

「気にしないでくれ。今日だって自分が好きでやったことだ」

「そういうわけには…、でもありがとうございます」

「ディアのこと、これからも支えてあげてほしい」

「とりあえず、おれが死ぬまでは付き合ってやるつもりではいるので、出来る限りはやってみます」

「うむ…うむ!」

「?」


 なにやらものすごく満足気にしているが、そこまで喜ばれるとは思わなかった。カルディアも護るべき相手の一人だからな、おれが生きてる限りはしっかりしないと。


「それでは、もう行かねば。引き留めているのは自分のようなものだが、さっきも言った通りすぐにまた会えるよ」

「はあ…、じゃあありがとうございます。それじゃあ!」

「ああ! さらばだ!」


 店の前まで見送ってもらってしまったが、これで元々の目的に戻ることは出来たし、軽い食事の予定だったのが高級料理店のものにランクアップしたのだから、これで許してもらうしかない。


『にゃ、にゃ~……なぁんて、っす…』

「お、とりあえず助かったよ」

『ま…まあアタシのせいなのは間違いないっすから…。ホント助かったっすロストさん』


 さっきまでアイリスとの通話に来てくれていた、隣を歩く猫の式神から聞こえてきたのはアイリスではなくカルディアの声。

 つまりこの式神を操っていたのは席を外していたカルディアだ。おれが離れられるよう気を回してくれたんだろう。


「まあいいさ、事前の説明くらいは欲しかったけど」

『その時間もなかったんすよぉ…。わっ、とと……、すいませんずっとトイレにこもってたから、店員さんが探しに来ちゃったんで、話はまた今度っす』

「ああ、ファルムさんから大切にしてもらってるみたいだし、ちゃんと相手してやれよ」

『言われなくても分かってるっす。あそうだ、兄に何か変なこと言ってないっすよね?』

「多分、言ってない。考えがそのまま顔に出るタイプってなら、おれでも分かるくらい気分は良さそうだったぞ」

『ふぅ…ならよかったっす。あ、ハイ! 大丈夫、すぐ出ますからっ。そ、それじゃまたっ』

「おう」


 慌ただしい音を最後に通話は切れた。よっぽど慌ててたのか、式神も動きを止めてしまっている。

普通なら瞳士からの操作が途切れたら観測室とか、物陰とか、所有者の瞳士が決めておいた場所へ行くらしいが、完全にその場で座り込んでしまった。


「ったく、しゃーねーなぁ。お前も来るか?」

「みー」

「なんだ、返事出来るのか。よしじゃあ行くか」


 だらしなく伸びきった身体を持ち上げてバスケットとは逆の手に抱きかかえる。

 これならカルディアに何かあればすぐ連絡も取れるし、まあいいだろう。アイリスとキリエが猫好きなら怒りを逸らす手助けになってくれるかもしれないし。


「ちょっと急ぐか。カルディア拾った時の感覚で…」


 あの時の身体強化は上手くいった。それまではムラっ気みたいなのがあったが、一度成功しちまえばコツは掴んだも同然。

 走る勢いのままに朝飯を潰してしまわないように気を付けながらも最速で。

 誰の目にもとまらないよう走りだして、誰の目にも映らないよう駆けていく。

 このまま病室の窓から入ってしまおうかとも考えて、病室の場所を知らないことを思い出したから止めておいた。


  □ □ □


「うむ…、やはり…」

「あ、あのぉごめんなさい兄さん…遅くなってしまいました」


 彼が立ち去った方向を見送った後、席に戻ると丁度ディアが戻ってきていたところだった。久しぶりの再会だ、互いに緊張していたようだし、ロスト君のこともあってディアには悪いことをしてしまったかもしれない。


「ああ、ディア。遅かったね、ロスト君は仕事らしい。圏士というものは大変なものだね」


 ロスト君が去ってしまったのは残念だが、二人で話すことができたのは収穫だ。


「そう、ですね。いつも走り回ってる、みたいだから」

「はっはっは、若いというのは素晴らしいことだ!」

「兄さんもそんなに若くないわけでは、ない…でしょう?」

「そうでもないさ、体を鍛えていてもデスクワークにしか使っていなければ自然と衰えるというものさ」


 絶えず鍛えてきたこの肉体も、彼等圏士の前では大したものではないことを知っている。それこそ、その気になりさえすれば指一本で抑え込まれる。

 その彼等が、命を賭けても届かぬ怪物が跋扈している現実をふと忘れてしまいそうになることもあるが、それは討滅局が影で戦い続けてくれているからだ。


「そのことを、誰もが忘れてしまいそうになっている。…いいや、忘れたいのかもしれないね。それほど、彼の戦争は皆の心に暗い陰を落としてしまった」

「……兄さんは、気にしてないように見える」

「天地ほど力に差はある。暴れられれば同じ圏士にしか止めることができない戦力差だ。だが、自分も彼等も同じ人であることを忘れないよう心掛けているだけだよ。できれば、ディアにもそう感じていてほしいと思ってもいる」

「それは、…まぁもちろん」

「そうだな、わざわざ自分が口を出すようなことでもなかった! 彼との関係も良好の様で一安心だ!」

「……うん?」

「ディア、自分の口からこういうとプレッシャーになってしまうかもしれないが、個人の意見として言わせてくれ。ロスト君、とても素晴らしい少年だと思う。ディアのことも『絶対に守る、自分が死ぬまで付き合う』といってくれていたし、自分も安心できる」

「———……な」

「おっと、自分から伝えることではなかったな! 本人から言われたことはなかったというのなら、黙っておいてくれないか。本人には伝えられない想いというものもあるだろう。はっはっは!」

「お…おぉぉ………」


 何か声を上げながら顔を覆ってしまったが、照れているのだろう。

 人このことを言えた義理ではないが、若者の恋愛というものは見ているほうも心が華やかになるというものだ。

 これから先の二人のためにも、自分が少し手助けができればいいのだが。


(ふふ、最初の一手くらいはこちらから打たせてもらおう)


 考えはある。

 彼はあまりパーティなどには参加していないようだから少し困らせてしまうかもしれないな。だが、今後のことを思うと段階を踏みつつ慣れて行ってもらった方がいい。


「ふふふ、ディア。自分は決めたよ。君たち二人の恋を手助けするためならどこまでも頑張って見せる!」

「あ…ははは……わーい、うれしいなー」

「そうかそうか! 喜んでくれるなら何よりだ! はっはっは!」

「う、ふっふっふっ…ふぅー……、ふぁぁ……」


 またしても顔を覆ってしまった。

 昔から引っ込み思案なところがあったし、あまり言いすぎると怒らせてしまうな。粛々と自分のやるべきことを出来るよう頑張らねば!


(ロストさぁん…、機嫌がよさそうとはいってもよすぎるっすぅ…っ)


 喜び勇む兄と比べれば自分の心はもみくちゃだ。

 確かにロストさんならだれが相手でもそう言うんでしょうけど、状況が…相手が悪いっすよぉ……。

 昔から思い込んだら一直線な兄を前にして今更、『実は恋人がいるっていうのは根も葉もない嘘で、ロストさんは偶然居合わせただけで何でもないの』なんて言えるわけがない。


(今回ばかりは恨むっすよロストさん…)


 切っ掛けも、巻き込んだのも。元を正して誰が悪いかといえば、まあアタシなんすけど。

 この騒動の中、現在進行形で学んだことがある。

 それは“人の善意は必ずしも正しい方向へは向かない”ということ。


「灯日について早々いい気分だ。よしディア! 約束の時間まで街を案内してくれないか!」

「は、はい兄さんっ、まかせて、ほしい…です」


 隣ですさまじく元気な姿を見せる兄の前では、アタシの姿は全ていい方向へ変換されてるっす。


(誰か、誰か助けてほしいっす……)


 天地の差ほどもあるテンションも、二人並べば平均化され…たりはしないわけで。アタシは今日一日をどう乗り越えるか。そのことに脳の神経ほぼすべてを総動員し続けることとなってしまった。

 僅かに余った神経で、なぜ寝坊をしてしまったのか後悔しながら。


  □ □ □


 受付でキリエたちのいる病室の場所を聞くと、迷惑にならない程度の早歩きで向かう。院内で走るのは常識が無さすぎるしな。


「悪い、遅くなったっ」

「お待ちしてました」

「おそいっ!」


 ドアを開いた先には座って資料に目を通すアイリスと、ベッドの上で仁王立ちしたチビキリエ。見るからに怒っているし、いつもなら平謝りになるが、身長のせいか威厳がない。

 むしろ可愛らしいと言えるくらいだ。


「すまん、カルディアの身内事に巻き込まれてな。アイツなりに深刻そうだったんで断れなかった」

「遅くなっていたので寄り道をしているのかとも思いましたが、その時カルディアさんの式神がやってきまして」

「みー」


 ハイネのウサギとまではいかずとも、自分が話に上がったことくらいは分かるのか、胸元から顔を覗かせて声を上げる。


「連れてこられたのですね。制御はされていないのですか?」

「ねこちゃん!」

「カルディアのやつ、大分参ってるみたいだな。おれとの通話の後、すぐ足を止めちまった。ほら」


 式神だし怪我をさせたりする心配はないだろう。服の中から持ち上げるとチビキリエに渡してやる。


「かわいい、おみみふにふにー」


 気に入ってくれたらしく、笑顔で戯れている。

 そういや任務中とかでも式神見てはニヤニヤしてたな。おれが見てるのに気付くとすぐ怒り出すんだけど。


「ロスト」

「ん?」

「カルディアさんから連絡が来た時、時間がないとのことで詳細はお聞きできませんでしたが、ご無事でよかったです。可能性としては低くとも、襲撃を受けていたかとも思っていたので」

「…ああ」


 胸をなでおろすアイリスの言い分を聞くと、確かに例の犯人が昼間から襲ってきた。なんてこともないわけじゃない。


「そうだよな、心配させた。これからは隙見てちゃんと連絡するようにする。…お詫びといっちゃなんだけど、これ」

「あさごはん?」

「それについては謝るしか出来ねえな。けど正解、しかもいいとこの料理だからキリエお嬢様でも満足だろうよ」

「もうおそいわよ、おなかぺこぺこ」


 怒っていたのはどこへやら。楽しそうに移動式の机をおれたちの中心へ動かすと、ベッドの縁に座り直す。テキパキと動く姿に元々のキリエとそう変わらないものだと思いながらも、バスケットの中身を二人の前に並べていく。


「どちらのお店の料理でしょうか。包み紙が上等なものですね」

「んー、アイリス知ってるかな。駅前からこっちに向かってちょっと行ったとこに高級そうな店あるだろ。名前は…見てなかったな…」

「はい、一件思い当たるレストランがあります。ロストがあのお店を選ぶようには見えませんが。いえ、今のはロストに品格が無いというわけではなく性格的な部分です」

「わざわざ訂正するほうがそう思ってるっぽさが強いぞ」

「…………すみません」

「間が長えなおい」

「もういいからっ、はやくたべましょう。どこかのだれかさんのせいでずぅっとまってたんだから」

「はいすみませんでした。でもおれのことはほっといて二人とも食べててくれ。あっちいる時にそのまま食事に誘われちまって軽く食べちまったからあんまり腹減ってなくてな」

「そういう事でしたら。ではいただきましょうキリエ」

「うん、いただきますっ」

「命に感謝を」


 それぞれの挨拶をこなすと黙々と食べ始める。


「とても美味しいです」

「ええ、おかあさんのごはんにはかなわないけど」

「キリエはお母様のことが好きなのですね」

「えへへ…」


 楽しそうに飯を食ってる様子を見ていると気づいたことが一つ。

アイリスはともかくとして子供の姿になったキリエにさえ、飯の綺麗な食い方で負けてる気がする。

いや、気のせいじゃねえなコレ。間違いなくおれの方がきたねえ。


「………」

「…? どうかしましたかロスト」

「なんでもね」


 苦笑しつつ、一人分残った食事をどうしようか少し考えて。後でハイネにでも送ろうと決めておいた。

 

「んふふ~」

「み、みぁ…」


 腹いっぱいになったからかすぐ横になっちまったチビキリエと腕の中の式神ネコ、結構強く抱かれてるのか苦しそうな声を上げているが、ここは我慢してもらおう。

 おれはアイリスに、さっき起こった出来事を簡単に話していた。遅れた理由の言い訳にはならないが、教えちゃいけないような話でもない。


「食事に誘われたということは、その相手がレストランへ?」

「そ、なんとカルディアの兄さんだと。アイツもアイツで、実家は大分金持ちらしい」


 まさかまさかだ。何度思い返してもカルディアにはそれらしいそぶりを見せたことはなかったと思うんだがな。


「そうなると、ファミリーネームであるビンとは、ビン教導隊のことだったのですね」

「え、なにアイリス知ってんの?」


 こっちもまさかだ、おれが知らないだけで結構有名なのか。それも教導隊なんて大層な名前がついてるときた。


「圏士を輩出する家系ではありませんが、街の外では『穢れ』だけでなく人間の犯罪も起きます。そのような事例に対し、傭兵を雇うという手段もありますが、一時的な解決にしかならないのも事実です」

「じゃあ教導っていうのは、なにか教えてるってことか?」

「雇われという意味では護衛などの傭兵に近しい仕事も受けてはいるようです。基本は犯罪者相手への護身術や、組織的な戦闘方法などが主の様です。他にも文字の読み書きなどの勉強、作物の育て方、医学についても——」

「分かった、分かった。簡単に言えば訓練専門の何でも屋、って感じか」

「『穢れ』相手であれば圏士がいますが、人相手の事件にはそれほど介入することは出来ません。そういった事態には地域の治安維持組織や、ビン教導隊のような外部組織にゆだねられているのが現状です」

「うちの実家にはそういうの無かったからなぁ。思えば平和だったわけだ」


 田舎だったとはいえ、治安維持組織なんてものも無かったような気がする。

 それでも大きな事件も起きなかったのだから、あそこの人たちの善性には感謝すべきか。


「で、そういう界隈でも名前が売れてるのがカルディアの家ってわけだ」

「とはいえ、私が知っている理由としては、一時期教戒へと戦闘訓練の教導で来られていたことがあったからです」

「じゃあアイリスも受けたのか?」

「いいえ、当時の私は『原型』への適正も見出されていませんでしたから。戦闘訓練に参加する理由はありませんでした。ただ以前お話しした友人、『原型』の所在について手紙を出した相手から何度か話を聞いたことがあったのです」

「そういうことか。しっかし教戒に依頼されるってことはやっぱり界隈でも有名なとこなんだろうな。…アイツの家がねぇ」


 そうなるとカルディアはものすごいお嬢様だ。今日だって話し方とかはぎこちなかったものの、着てた服の生地については抱き上げた時の触り心地がすごい良かった。ありゃあ高い。


「しかし、それならばどうしてカルディアさんは瞳士になったのでしょう。ロストの話を聞く限り、家族には黙っていたように思えます」

「だろうな。ファルムさんも家を出て一人暮らしをしたがってた、くらいにしか言ってなかった。でも、まあアイツ自身のことだからな。あんま勝手に深入りしない方がいいだろ。何かあれば向こうから言ってくるさ」

「そうですね。ロストを相手にしている時のカルディアさんはとても楽しそうに見えます。信頼関係は築かれているかと」

「そんな風に見えてんの?」

「お嫌ですか?」

「…なんだか照れくさいだけ。さて、と。一回ハイネの様子でも探ってみるか」


 嘘とは言え恋人扱いだったわけだし、改めて他人から説明されると恥ずかしさが顔を出す。なんでそんな嘘ついてたのかは知らないが、家族とはいえなんでも話せる相手っていうわけじゃないのか。


「ハイネでしたら分かり次第連絡を行うと言っていましたし、それまでに話をしようとすればまた怒られてしまうのでは?」

「別にそこまでするつもりはない。ただ、どうせ休みもせず働いてるだろうからな。飯くらいは送ってやろうかと思ったわけだ」


 言いながら、元々おれの分として用意してくれていたサンドイッチの包みを更に上から布で包んでいく。


「これでよし、と。キリエ、そのネコ返してくれー」

「えぇー、もっといっしょにいたい」

「みー」

「お前もお前で大分懐いてんな」


 さっきまで苦しそうにしてたように見えたが、式神の方もまんざらじゃなかったらしい。なんとなく抗議っぽい視線と声を向けられた。


「お前カルディアの式神だろうよ。ご主人様を鞍替えか?」

「なるほど、その式神に届けさせるのですね」

「ああ、おれたちじゃ操作は出来ないけど、観測室に連絡して一時的に帰る様にしてもらえばハイネに飯の配達だ。っつーことでキリエ、悪いんだがそのネコ返してくれないか? おれの、知り合い、てか友達に飯を届けてやりたいんだ」

「むぅー…」

「みぅー…」

「仲いいなマジで」

 

 キリエは唇を尖らせながらもちょっと考えているようだったが、仕方ないとばかりに式神を抱いた手をこっちに差し出してくれた。


「ま、いいわ。でもやくそく。ちゃんととどけてあげてね」

「ああ、そうだな。頑張ってもらおうか。少なくとも今日一日はカルディアも休みだからソイツが使われることもないだろうしな」

「ロスト、他の式神経由で瞳士には連絡を入れました。ハイネはまだ観測室にいるようです」

「流石、仕事が速い。じゃあ頼むぞネコ、これをあのひねくれものに届けてやってくれ」

 飯の入った包みを式神の身体へと、落ちてしまわないようリュックのように背負わせる。書置きも入れておいたから、ハイネでも初手で捨てたりはしないだろうさ。

「………」


 そのまま少しすると、耳とヒゲを何度か規則的にピクピク動かすと窓から出て行った。向かった先も討滅局の方向だし問題はなさそうだ。


「いっちゃった」

「だな。じゃあ…、適当にぶらつくか」

「ハイネからの連絡が来るまではどうしようもありませんし、私もそれでよいかと思います。キリエ、行きたいところはありますか?」

「んーと、わかんない」

「まあ記憶も子供の頃ならそりゃそうか」

「こどもあつかいしないでよねっ」

「アテっ、ハハ、そりゃ悪かった。とはいっても、おれもお前もあんまガキの頃から変わってねえな」

「ろすとなんかといっしょにしないでちょうだい! わっぷ、あたまをなでないでよっ」


 いつもの憎まれ口も子供が言ってると思うと、不思議と気にもならない。


「はっはっは、嫌なら止めて見せるがいい」

「このぉ、わたしのことバカにしてぇっ、きゃはは…っ」


 怒った口調の中でも笑っているのは子供らしいのか、コイツの素が出てるからなのか。

 病室での少し騒がしい戯れの後は、アイリスがキリエの髪を梳いたり街に出て店を見て回っているうちに、ゆっくりとした時間がながれていった。


「あら、報告は受けていたけど本当に小っちゃくなっちゃったのね」


 ハイネからの連絡はなく、アイリスとチビキリエの三人でブラついて日も傾き始めた頃、前方方向から夕日を背負った影が声を上げた。


「珍しいな、こんなところで会うなんて。今日は仕事じゃなさそうだけど」

「私だって休みの日くらいあるわ」

「なるほど確かに、いつもより顔色もいいみたいだ」

「そう? んー、言われてみれば今日は頭が軽い感じ。なんてね、いつも通りよ、私は」

「そっか、ならいいんだけど。それなら散歩でもしてたのか、ミカ」


 その相手はおれの教育係でもあるミカだった。最近は灯日内で姿を見ることも無かったから本当に久しぶりな気がする。


「ご苦労様ですミカ・ルアック一級。エイオス討滅の際はお世話になりました」

「お疲れ様アリ…、アイリス。その時のことなら助けてもらったのは私の方だから気にしなくたっていいのに。それに今日は仕事も関係ないから階級をつける必要はないわ」

「分かりました。ミカさん」

「よろしい、いい子ね」

「いまアイリスの名前呼び間違えただろ」

「そういうこと一々突っ込んでるようじゃまずモテないから直しなさい。また空を飛びたい?」

「……ハイ、直します」


 いつもの隊服とは真逆の白を基調とした服を着ているけどご令嬢って雰囲気じゃなく、装飾の多い派手な服だった。こういうのなんて言うんだ?

 パンクというか…ロックというか……。


「おねえさんだれ?」


 いい感じの言葉が思い浮かばず唸っていると、隣にいたちっこいのが首をかしげていた。そりゃあ記憶がないならミカのことも知ってるわけがなかった。


「ふふっ、そこのダメなお兄ちゃんの先生、かしらね。時間があれば貴女のことも面倒見てあげたいんだけど、あまり時間が取れなくて。ゴメンね」

「?」


 チビキリエからすれば何の話か分からないだろうが、元のままなら今頃喜びのあまり気絶してるかもしれない。

 ちょっと挨拶しようとするだけで、緊張してタイミングを逃してる時もあるのに。その相手から直々に面倒見てあげたい、なんて言われてたらいつもの数倍増しで暴走しかねん。


「てかミカ、あの件のことだけどさ、マジでおれたちだけに任せてるつもりか?」

「私はほぼ関わってないから詳しくは知らないわよ。担当はフォムドとリッカだからそっちにいって頂戴」

「しかしお二人とも、任務のためか局内からは姿を消しております。どこへ向かったかは私たちにお伝えいただくことは出来ますか?」

「そうねぇ。どこに行ったのかは心当たりがないわけじゃないけど、機密ってことで言わないでおくわ。諦めて自分たちの力で解決してちょうだい」

「そうですか。了解しました、与えられた任務である以上全力で取り組むつもりです」

「聞き分け良すぎねえか…? つってもやらないわけにもいかないんだけどさ」

「そうそう、若者は身を粉にして働いて早く強くなってちょうだい。じゃないと私の仕事も一向に減らないもの」


 可愛らしく笑いながら、冗談めかして口にしているが、ありゃ多分に本音だな。第一ミカが休み取ってるとこなんて初めて見たし。


「あ、そうだロスト」

「む…なんだよ」

「なにに構えてるのかは知らないけど、アナタたちにお客さんみたいよ」

「客?」


 こっちの考えでも読み取られたかと思ってちょっと身構えちまったけど、…お客さん?

 どこからその客が来たのかと思って振り返ってみたけど、辺りには買い物客や帰り道を行く人々の姿しかなく、おれ達の方を見ているような人物はいなかった。


「それってどこに…うがっ!?」

「あははっ、引っかかった」

「うさぎっ」

「お疲れ様ですハイネ。調べごとというのは解決いたしましたか?」

『一応な。しかし、話をするには馬鹿らしい状況のようだが?』

「またかコイツ…っ」


 ミカに向き直った瞬間、目の前が真っ暗になり頭が重くなる。具体的にウサギ一匹分くらい。というか、式神がおれに対してだけちょっかい掛けてくるの分かってるミカもミカだけどさ。


(アイリスの反応がもはや疑問も呈さなくなってきたな……)


 前までは表情に出ないまでも少しは驚きつつ、式神を外す手助けをしてくれていたアイリスもこの光景に慣れちまったのか、至極当然のこととして処理し始めている。

 仕方なく一人でウサギと格闘するしかないわけで。


「はなれろ…っ、このヤロ……」

「~♪」


 顔面にへばりついてきていたかと思うと、肩やら頭やらに飛び乗って、おれの身体の上を逃げ回る。傍から見てたらおれが変な動きをしているようにしか見えないかもしれない。

 それは、あらかたおちょくって満足するまで続き、おれが捕まえるか逃げ切るかの勝負が展開されているのが最近の流れ。

 最近の勝率は大体五分五分だが、今日は完全に先手を取られたのもあって負けにカウントされてしまった。その後はミカに飛び移ろうとしていたがミカ相手にはあっけなく、後ろ脚が捕まると宙ぶらりんの状態で吊るされていた。

 その様子を見たアイリスは少し不思議そうに首をかしげる。


「ミカさんは、その式神はあまりお好きではないのですか? 独特な性格をしているとは思いますが」

「そういうわけでもないわよ。ただ、この式神を作ったヒトとはちょっと縁があってね。少し思うところがあるのよ。この子に対する態度は…八つ当たり、みたいな?」


 ミカもミカで首をかしげならの回答は、自分でも探り探りの発言のようにも見えた。…まああの勢いで飛び移ろうとしてきたらまずはキャッチするのは同感だけど。


「ほら、飛びつくなら私じゃなくってロストに行きなさい。いくわよ、せーのっ」

「ちょ、まてや! っとと、ふぅ、ナイスキャッチ」

「上手上手。流石名物になるくらい相手してるだけあるわね。キャッチも様になってるじゃない」

「なかよしだね」

「そういうんじゃねえの。ハイネが大人しくさせてくれりゃ、おれもこんな苦労しなくていいんだけどな」

『どれだけ調べても中身の構造は不明だ。10年以上前の遺物だというのに、まったくもって腹立たしい』

「昔は街の外にも中にも、そこかしこにいたんだけどね。いつからか気が付いたら急にいなくなっちゃって、残ったのはその一匹だけ」

「その当時の式神の性能が今もなお最新を更新し続けているということなのですね。彼のナキ・ブルーマンは技術者として素晴らしい才能の持ち主だったのでしょう」

「ずいぶんな変わり者だったけどね。ホントに」


 頬を掻きながら思い返すように上を見上げる。

 ごくごく自然な表情で苦笑が浮かんでいるのだから、それほどの変わり者だったのか。


「ミカが言うくらいなら確かにすげえな。いまだに天災だなんて呼ばれるわけだ」

『あの女の話はよせ。苛つくことしか思い出さん』

「そういえばハイネはナキと会ったことあるんだったわね。そんなにからかわれた?」

『ミカ一級…、よしてください。貴女相手に喧嘩を売るつもりはありませんので』

「あら残念」

「アイリス、あいつ今おれ達相手には喧嘩売ってるって自白したぞ」

「恐らくですが、それはロスト相手にのみかと……」

「……そっか」

「口にするのは心苦しいですが、…ハイ」

『そんなことはいい、そこの二人には話がある。私の研究室にさっさと来い』

「研究室、ですか? 普段集まっている会議室ではなく?」


 ハイネの口から研究室なんて言葉を聞くのは初めてだ。

 そんな場所観測室の中にあったか、なんて考えていると続けてハイネが話し出す。


『そういえば言ったことはなかったか。まあいい、案内するからついてこい』


 捕まえていた式神が身震いする。

 軽快な動きで肩に跳び乗ると、耳を小刻みに動かして前足を伸ばしている。あっちに行けと方向を指し示しているつもりか。


「普通ついてこいとか言ったら歩いてって先導するもんじゃねえのか?」

「ですが見失うこともありませんし、間違いはないかと」

「そうだけどさぁ。っと、その前にチビキリエを一旦病室に帰しとかないと…」

「えぇ…ふたりともいっちゃうの?」

「すみませんキリエ。仕事が入ってしまいました」

「今日一晩あれば全部終わるからさ。一人にしちまうのは悪いけど、我慢してくれねえか」

「うん…、しごとなら、しょうがないよ。いってらっしゃい」


 無理に明るく振舞おうとしているが、悲しんでいるのは服の裾を両手でつかんでいるのを見るに明らかだった。


「あー…、そうだな…」


 元がアレなのは分かっているが、そんなのは関係なくガキが泣きそうなのは後ろ髪を引っ張るには十分。なんとか上手いこと言えないものかと口を動かしてみるが、出てくるのは空っぽの意味をなさない呻きのみ。

 とはいえ、また遅刻しようものならハイネが怒り出す。

 帰さねばならないと考えていると、手を上げてくれたのはミカだった。


「キリエなら預かってあげようか?」

「え、マジでか? 今日休みだろ」

「ロストがとーっても不甲斐ないから仕方なくね。ふふっ、それに大切な後輩が泣きそうになってるのを放っておけるわけないじゃない」

「そういうことなら、頼んでもいいか」

「そう言ってるの。と、いうことでキリエちゃん。よければ私と一緒にお散歩でもどうかしら。悪い男からでも守ってあげるわよ」

「誰のことだよ」

「誰のことでしょう」


 わざとらしくすっとぼけながら、チビキリエの目線に合わせてしゃがみ込む。

 子供相手ならいつもこうなのかは知らないが、なにやらいつもより楽しそうに見えた。


「じゃ、じゃあ…、おねがいします」

「はい決まりね。じゃ、二人を見送ったら私の住んでるところに戻ろっか。美味しいごはんが食べられるわよ」

「うんっ」

「ありがとうございます。ミカさん。この御恩はまた返せるよういたします」

「そんなに気にしなくてもいいのに。アイリスは真面目なんだから」

「じゃあ、チビキリエのこと頼んだ。…つってもミカなら心配することもないか」

「そうそう。だから早くハイネのところに行ってあげなさい。また怒られちゃうわよ」

「おれとしては慣れっこだから別に……」

『通信はまだつながっているぞ』

「行くぞアイリス、人を待たせるなんて最低な野郎だ」

「は、はい、あ、ロストお待ちください…っ。ミカさん、それではっ」


 式神ウサギの指し示す方へと走り出す。

 クソ、いつもなら言いたいこと言い終わると同時に通信切ってるクセしてこういう時だけ繋ぎっぱだよ。してやられたと思いながら、頭を叩く式神の指示に従って走っていく。その様子が面白いのか、周りの人たちからは珍しく圏士のおれに対しての笑いが起こっていた。


(もうちょっとマシなことで笑ってほしいんだけどなぁ)


 罵詈雑言に比べたら全然素晴らしいことなんだが、それでももうちょっと良くなっていかないものかね。世の行く末を憂慮するおれの想いが伝わる日はいつか来るのだろうか。

 ま、来ねえわな。

 その後、あとから追い付いてきたアイリスからは急な行動について、それは余りよろしくないと優しく諭されてしまった。これ怒られるより精神的にクルかもしれん。


 □ □ □


 慌ただしい二人が走っていく背を見送る、といってもそれはロストの方だけね。

 もっと精神的に落ち着いてもらわないと圏士としてもまだまだ、とはいえ“元のアレ”みたいになられても困るのだけど。


「じゃあ私たちも行きましょうか。…ふふっ」


 手を繋いだ少女を見やると、つい笑いがこみあげてきてしまった。


「どうしたの? いいことあった?」

「ん、そうね。…懐かしいことを思い出しちゃって。本当、今日は懐かしいことばかりね」

「? そうなんだ」


 こうしてキリエの手を取っていると、昔彼女と一緒に街を歩いていた時のことを思い出す。あの頃は私も小さかったから手を取ってもらっていた側だったけれど。

 自分でも思い出すだけでずいぶん子供っぽかったという自覚はある。

 けれど、首をかしげる仕草を昔の私はしていただろうか。きっと彼女に聞けば私の覚えていないことまで事細かに話してくれただろう。

 

「私も成長したってことかしら」

「おねえさんはかわいいよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。お礼に何かプレゼントしちゃおうかしら」

「えっ、ほんと!」

「ほんとー、ふふ、それにしても今日は本当に楽しい休日になってくれた。無理矢理に休まされたけど、たまにはいいものね。こういうのも」


 リッカが姿を消す前に有無を言わさず勝手に申請されていた休みだったから、正直少し不本意だったけど、いい日になってくれたから許さざるを得ないわね。


「キリエはどこか行きたいところはある?」

「おねえさんといっしょならどこでもいいよ」 

「またまた嬉しいこと言ってくれるのね。それと、私のことはミカって呼んでちょうだい。そっちの方が慣れてるから」

「じゃあミカさんっ」

「素直でいい子ね。ロストももうちょっと反抗的な態度を止めさえすれば——、あら揃った」

「お疲れ様ですミカさん。…揃ったとは?」


 進行方向に黒い影、というより黒い隊服の美男子が立っている。

 それは数少ない新米圏士の一人で、ロストの最後の同期でもあるジャイロ・サントルだった。見回りでもしていなければ圏士同士が街中で会うことはあまりないことなのだけど、ロストの世代に連続で会うことはタイミングを図りでもしなければそうそうないでしょうね。


「いいえ、こっちの話よ。それにしてもアナタは討滅任務で外を駆けまわってると思っていたのだけど、仕事終わり?」

「ハハ、その通りです。一週間出ずっぱりでした。服もずいぶん汚れているでしょうからミカさんのような方に見られるのはお恥ずかしいですが」


 灯日の外はほとんどが荒野。

 その中で『穢れ』を探しては討滅する任務は過酷なものになるし、『穢れ』との戦闘がなくっても単純に汚れる。

 近くに小さな町でもあれば休むこともできるけど、この任務で向かう範囲は町々と灯日の中間の範囲なせいで望み薄。

 慣れていないうちは全身土埃塗れになって帰ってくるのがよく見る光景なのに、ジャイロの着ている隊服は新品同然、には届かないまでも目立った汚れは一切なかった。

 それほど要領がいいのでしょうね。ロストなら半日でもっと汚れるだろうし、キリエやアイリスでも敵わないと思う。


「日を跨いでの任務でその程度なら及第点以上ね。優秀な新人が入って助かる、って声は良く届いてるわよ」

「そんなに褒められると調子に乗ってしまいそうになりますよ。それにあまり褒められるのは慣れていないので、どう反応すれば喜ばれるかもよくわからなくて」

「そう難しく考えなくていいと思うけど。それに帰るところを邪魔しちゃいけないわね。またロストに稽古でもつけてあげて頂戴。あの子ったらまだ基本の動きがぎこちないから」

「アハハ…、ボクなんかよりもミカさんの方がずっといいと思いますけどね」

「普段は忙しくってね。出来ることなら全員相手にしてでも鍛え上げたいとは思ってるんだけど」

「ありがとうございます。…そういえばその子は?」

「こ、こんばんは……」

「こんばんは、ミカさんの妹さんですか?」

「知り合いの子なの。訳あって預かってて。ね?」

「…ん、うん」


 繋いだ手に軽く力を籠めつつ目を合わせて、キリエには同意してもらう。

 フォムドのことなら、例の任務は息のかかったメンバー以外にはあの三人にしか話していないでしょう。嘘はついていないし、ここはお互いに知らぬ存ぜぬを決め込んでしまいましょう。


「それじゃあ私たちも行くわ、これからも頑張ってね」

「はい、ありがとうございます。また任務でご一緒できた時はよろしくお願いします」


 そう言うと、一切の疲れも見せずに立ち去って行った。


「確かに、優秀っていう話に嘘はなさそうね。それなら私ももっと楽できるといいんだけど」

「おしごといそがしい?」

「そうなの、でもみんなには期待してるから、ね?」

「? そうなんだ」

「ということで、キリエにもこれからがんばってもらわないと」


 もちろん、その皆にはアナタも入っているわ。なんて言っても今のキリエには分からないでしょうね。

 でも、期待してるのは本当よ。これから先は少し、大変にはなるけれどね。

 結局、圏士になった以上それしかない。

 他人でしかない私は、みんなが自分の運命を乗り越えられるよう手助けすることしかできないけれど。


「がんばってもらわないと、ね」


 呟くよう言った言葉は風に流れて夕焼けに融けていった。

 これからの戦いがどう動くかまでは分からないけど、自分自身がどう動くかは選べるのだから。

『本編について』

・カルディアの名前

 今作もメインキャラはコーヒー関係の名前を使っていますが、カルディア兄妹の場合は、

 カルディ・ファームをもじってます。(カルディア・ファルム)


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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