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夢現の圏士  作者: くろよ よのすけ
3章:赤蝕雷銅
19/21

美女と野獣と

「……よし、あれが例の『穢れ』」


 サガさんに聞いた場所へと辿り着くとすぐに辺りを調べて回る。貰っていた手書きのメモを参考にしながらの捜索だったけど、一度足跡を見つけてからはまるで手に取る様に『穢れ』のいる場所を探し出すことができた。


「落ち着いて……、こっちにはまだ気づいてない」


 岩陰からそっと覗き込んだ先には真っ黒な、狼のような姿をした『穢れ』が一体で荒野に座り込んでいる。間違いない、あの『穢れ』だ。


「ふぅぅ、大丈夫、落ち着いて。ワタシならやれる、ううんやらなきゃ……」


 ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、『原型』を握りしめる。 

 きっと、みんなはすごく怒ってるし、心配させちゃってる。それでも、ワタシにはこの道しかないと思ったの。

 圏士として正しく成長して、進んでいくためにはちゃんと準備して、時間を掛けて戦いに臨むべきだってことは分かってる。でも、いまはそんな風に積み重ねていくような成長じゃ時間が足りないの。

 このまま順当に訓練をこなして、任務を順々に頑張って。でもそれじゃあ間に合わない。お姉ちゃんは力づくにでもワタシを実家に帰そうとするだろうから。一度そうなったら、次の機会を得ることは不可能かもしれない。


「ワタシには、今しかないんだよ」


 お姉ちゃんが心配してくれているからこそ、あんなにも厳しくなってるのは分かってる。でもそれはワタシにとっての正しさじゃない。

 絶対に認めてはくれないお姉ちゃんを説得するには、ワタシが圏士として戦えるってことを見せつけて無理矢理にでも認めさせるしかない。


(これが正しいことじゃないのは分かってる……、でも)


 ここがワタシにとって、戦わなきゃいけない瞬間だと思うから。この剣を下ろすことはしない。


「お願い、力を貸して」


 『原型』の柄を握りしめ、祈る様に額を押し当てる。それは入隊試験の日、一度だけ姿を見せてくれた『代行者』への言葉。


「……っ」


 でも、“彼”からの返事はなかった。彼からも認められていないのか、それともワタシの実力では協力を感じ取ることができていないだけなのか。

 そのどちらであっても代償契約を扱うには望み薄、使うことができたとしても制御が上手くいかなくて自滅することも考えられる。だからこれは、逆によかったのかもしれない。

なんて、……そんな風に考えていないと体の震えをごまかせなくなっちゃうから。


「…………よし」


 『原型』を額から離すと覚悟を決めて岩陰から身を出す。

 『穢れ』はすぐにこっちに気付いて警戒を露わにしているようだった。でも彼方も此方も不倶戴天の敵を前にして逃げるという選択はしない。

 剣を構え、まっすぐに睨みつける。


「ワタシが、圏士のエウリナ・ディロンがアナタを倒して見せる!!」

「――――!」

「…っ、来なさい!」


 宣戦布告を受けて戦闘態勢に入った『穢れ』の殺意に一瞬たじろぎそうになりながら、ワタシは切っ先を向けた。

 この光の先にこそ、ワタシの進むべき道があるのだと信じて。



  □ □ □



「ってわけで、その子なら今頃『穢れ』のとこに向かってるぜ? いや今頃戦ってるかもな」


 ヘラヘラと笑いながらエウリナの居場所を口にするサガを前にして、おれは言葉を選ぶことは出来なかった。


「どういうつもりだ」

「どういうつもりも何もねえさ、困ってそうだったから道筋を一つ教えてやっただけだ」

「ふざけるなっ!」


 怒りを抑えれずにサガの胸倉を掴み上げる。だがコイツは一切態度に変化はなく、限りない余裕を見せつけるように笑っていた。


「エウリナはまだ新人も新人だぞ。これまで戦うこと自体経験してこなかった子だ。そんな子を前線に一人で行かせるとかトチ狂ってるのか!?」


 大怪我をさせるだけじゃすまない可能性だって十二分に存在する。現地に到着する前に怖気づいて逃げ帰ってくれることが最も望ましいが、そのまま戦闘に入ってしまうことだって十分あり得るんだぞ。


「お前からすれば確かにエウリナはキリエの妹で? 金持ちのお嬢様で? 可愛い後輩だろうが、オレからしたら関係ねえこった。戦う場所を探してたヤツにその場をくれてやった。そこに経験だとかタイミングだとかはどうだっていいのさ」

「それを決めるのはお前じゃないだろう」

「なら、誰が決めてくれるんだ? お前の中には明日の午前十時にどこそこへ行けば英雄にでもなれるって教えてくれるカミサマでもいるわけか? ずいぶん楽しそうな人生だ」


 サガの様子はいつも以上にわざとらしく、それでいて何かしらの目的がありそうな気配も感じられる。

けど、その真意をおれに悟られるような真似はしないというのも分かっている。なら少なくとも今はコイツに関わっている時間も惜しい。冷静になれ、すべきことをしなければ。

 きっと何度でも、この手の外側に救えない人を生み出してしまう。

 ならこの怒りだって、今は飲み込んでやる。サガの胸倉を掴むため、力を籠め続けていた腕から力を抜いて、ゆっくりと数歩距離を取る。


「サガ……、アンタがどういうつもりで挑発してきてるのかは知らない。でも放っとけばいいのにわざわざ出てきたってことはおれに行けって言ってるんだろ」

「さぁて、な。気になるなら止めとけばいい。アイリス一人でも十分だろう?」

「馬鹿抜かせ。それにアンタの言うことは的外れだ」

「へえ?」

「相手がエウリナだからじゃない。金持ちだからでもキリエの妹だからでもない。たった一人でも救える命があって、ソイツが間違った方向へ堕ちようとしてるなら、力づくにでも引っ張り上げるだけだ」


 エウリナが誰であっても関係はない。救える命があって、救う力がここにはある。

 あの少年を助けることは出来なくて、どうすればいいか分からないままな部分もあるけれど――。


「相手が誰だとか、つまらない話ししてるんじゃねえ。どけ、サガ。おれは仲間を助けに行く」

「……そうかい、なら行ってくればいい。素晴らしい報告を、楽しみに待ってるぜ」

「ふん……っ」


 横目で睨みつけながら、サガの隣を通り過ぎる。

 アイツが何考えてるかは知らないが、優先順位でいえばエウリナの命よりもずっと下なことに変わりはない。


「……時間が惜しい」


 アイリスとの約束の時間まであと十分、その待ち時間さえ今は足りない。仕方がない、一人で向かい、現地で合流するしかなさそうだ。


「カルディア、カルディア! 聞こえるか?」

『うへぇー、ロストさんじゃないっすか。慌ててどうしたんっすかー?』

「疲れてそうなとこ悪いけど、アイリスのとこに式神寄越してくれ。多分家にいるはずだ」

『うん? いいっすけど別行動っすか? もう任務も一緒のはずっすよね』

「今は別れてる。ただ問題が起きて急がなきゃならなくなった。おれはこのまま現場まで行くからその間に繋いでくれ」

『なんかホントにヤバそうな声してるっすね。りょうかいっす、じゃあ繋いだら声かけるっすね』

「ああ頼んだ」

 

 現場までは本来列車を使った方が速いし、エウリナも余計な体力を使わない様にそうしてるだろう。けど追いかける側が同じように動いても追い付けるわけがない。ならどうするか、走るしかない。


「どれくらいで着くか……」

『我が主、その位置ならば一時間程かと』


 静かに伝わってきた声は『代行者』、彼女も今の状況に対して何も言わなくても力を貸そうとしてくれている。


「分かった。契約使ってもその時間?」

『はい、到着時に主の肉体が万全であるという前提を考えればその程度かと』

「そうか……、ならまだ縮められそうだな」

『あまり、ご無理をなさらぬよう』

「ありがとうな。いつも無茶な使い方してて、助かってる」

『私は主の所有物、当然のことです。では、ご武運を』

「ありがとう」


 それ以上の会話は必要ないと、現れた時と同様に静かに声は消えていった。

 そして、入れ替わる様に式神からカルディアの連絡が届く。アイリスの元にもう一体の式神が到着したらしい。


「アイリス聞こえるか――」


 急げばおれの方が早く着く、ならすれ違ってしまったりしないよう状況を伝えておかないと。ただ、想定外だったというかなんというか、キリエにまで聞かれてしまった。

 アイツにも知らせるべきだという思いもあるが、それでも今のアイツに無茶はさせたくなかった。


「でも、もう仕方ないな」


 一度やると決めたキリエを止める方法は知らないし、止めるべきじゃない。こうなった以上、これまでやって来たとおりやるべきことをやるだけだ。 


「サガを何とかするのは後だ」


 まずはエウリナ、あの馬鹿は終わってから考えればいい。


「略式契約」


 街の外に出てからなんて悠長なことは言っていられない。屋根に飛び乗り、誰にも見えない位置で契約を発動させる。

 今度こそ取り逃してしまわないように、『原型』を握った手に力を籠めながら。



  □ □ □



 式神での通話の後に最速で準備を終え、カルディアの指示に従ってエウリナが向かった場所へと足を向ける。

 到着時間的に列車を使うことも考えたけど、移動中何もせずじっとしていたらそれこそ暴れ出してしまいそうだったから走って向かうことにした。

 それに、他人に運ばれるよりは自分の足で向かった方が確実だ。

 ロストは先に向かってくれている。アイツの速度なら私たちよりもずっと早くエウリナのところに行ってくれるだろうし、アイリスから聞いた『穢れ』の情報からして強さ的に苦戦する相手じゃない。

 間に合いさえすればどうとでもなる相手、そんなことは分かってる。

 なのにどうしても、ぬぐい切れない不安が押し寄せては私の心にどうしようもない黒い汚れを残していく。

 エウリナへの心配や怒りともまた違う予感めいた不安は、私の足がほんの少し速度を落とすには十分すぎた。


「…………」

「キリエ、問題ありませんか? 休息が必要ならすぐに言ってください。エウリナさんが心配でしょうが、私一人でも向かうことは可能です」


 隣を走るアイリスが心配そうに声を掛けてくる。私の姿は走りながら見ても一目瞭然らしい。当然、二日酔いの人間が青い顔をしていたら気付かないわけがないか。


「……え、ええ大丈夫よ戦闘になっても足を引っ張ったりはしない」

「そうではありません。肉体面よりも精神面において苦しんでいるように見えたものですから」

「そんなこと、ないことないわね。……隠せると思う方がよっぽど無理か」


 ロストだけじゃなくアイリスにもあの子との関係は知られている。そうでなくても私の今の様子を見て問題ないなんて判断するような奴がいたら、それこそソイツは何も見えてない社会不適合者でしょうね。


「でも問題はないわ、休憩している場合なんかじゃない。気持ち悪くなったくらいで足を止める理由にはならないしね」


 少しでもマシに見えるように空元気を総動員させて、アイリスへと笑って見せる。けど、彼女は対照的に表情を曇らせる。私がどんなに意地を張ったところで、、額に汗を滲ませている時点で逆に心配させてしまったみたい。ま、当然よね……。


「ゴメンねアイリス」

「それは、何に対しての謝罪なのでしょうか。キリエが謝るようなことなど――」

「巻き込んじゃったこと。こればっかりはこっちのせいだもの。今ね、もうちょっと私が突き放さなければこうはならなかったんじゃないかって、頭の中で何度も何度もめぐり続けてる。……もしもの話をしても仕方ないんだけど」


 何か一つでも私があの子に寄り添うようにできていればもっといい方向へと話は進んでいたかもしれない。実際にはどうなっていたか分からないし、もっと酷いことになっていたとしてもおかしくないんだけど、やっぱり都合のいいように考えてしまう。

 あの子を追い詰めたのは私だし、それを誰かのせいにするつもりなんて毛頭ない。あの子に何かあったら立ち直れないかもしれないほど。

それはなんて自分勝手で、最初から最後まであの子の気持ちを慮ることのない、押し付けるばかりの酷い姉だ。


「それでもね、助けたいの。死なせたくない、怪我の一つもしてほしくない。戦いなんかとは関係のない、普通以上の人生を送ってほしい。私なんかは忘れちゃってね」


 エウリナ・ディロンはそういう家に生まれて、そう言う人生を送れるはずだから。だから私はあの子が戦うことを否定したい。それは間違っていると無理矢理に突き付けてでも、止めたいと思った。


「キリエ」

「だからゴメンね。アイリスにだって愛想つかされちゃうかも――」

「いいえキリエ、そのようなことは思っていません。ただ一つ伝えさせていただきたいことがあるならば――」

「うん……」

「私なんかと、自信を卑下する言い方をしないでください」

「うん……、え? そこなの?」


 私の行動を踏まえて、まさか擁護するような言葉が飛び出してくるとは思っていなかったから素で驚いてしまった。アイリスたちからすれば完全に巻き込まれただけで、いくら文句を言ってもいい立場でさえあるのに。


「自分に価値がないなどとお思いにならないでください。貴女に起こった問題は私の持ちうる力を振るうのに一切躊躇う必要のないほど大事なことです。それが例え失せ物探しでも、ちょっとした金欠でも、キリエが困っているなら力になりたいのです。私にとって貴女は大切な仲間であり、友人なのですから」

「…………、驚いた。まさかアイリスからそんな風に言われるだなんて」


 普段のアイリスは物静かで落ち着いていて、物事を一歩引いて見ているという印象だった。けど、そっか、この子もあの夢馬鹿の影響を受けちゃったわけだ。


「ふふ…、ふふふ……」

「き、キリエ? やはり一度休憩を取った方がいいのではないでしょうか……?」


 心から心配そうに見つめてくるアイリスに向けて手を伸ばすと、その意見を却下する。

 いつもいつも大真面目で嘘の一つも満足に付けなさそうなこの子の言葉は、ええそうね、良いことかはとりあえず置いておいて、自信になる。

 アイリスに認められたのならきっとそうなんじゃないか。そう思わせてくれる力がある。

 うん、だからつい笑みがこぼれてしまった。きっと、この子を今みたいに自分の意見を言う様に影響を与えたのは、あの夢みたいなことばっかり口にしてるお馬鹿だろうから。


「アイリス、あんまりアイツの影響受けすぎちゃダメよ。間違ってることを言ってたらひっぱたいてやりなさい」

「その根拠は不明ですが……、参考として頭の隅にはとどめておきます。それにキリエ、今のがロストの影響だとよくお分かりになりましたね」

「そんなセリフを言うの、思い当たるのがアイツしかいないわよ」

「はい、私にとっても思い出深い言葉です」


 アイリス? なにやら嬉しそうに笑ってるけど、その緩い顔は無意識かしら?


「……思い出深い?」

「はい、私とロストが初めて出会った日に、自身を卑下するなとロストから言葉を受けました。それ以来意識するようにしてはいたのですが、まさか私から言葉にすることがあろうとは、自分のことながらに少し驚いています」

「なるほどね。初対面相手にそれ言えるアイツも大概だと思うけど。……本当に、変なヤツ」


 でも、そんなヤツだからこそ、今もエウリナのために戦ってくれている。変なヤツだけど、信じられる。それなら、私も信じないと。


「エウリナは無事。元気で生きてるし、危険な場面だとしても間に合って助けられる。絶対にね。その後にちゃんとお説教しないといけないもの。何が何でも助け出して、引っ張り上げる」

「キリエ……、はい、その通りです。必ず、助けましょう」

「もちろん、だからアイリス。力を貸してちょうだい」

「無論です。ただ在るがままに、私の力を振るいましょう」

 

 不安がすべて消えたわけじゃない。でもずっとマシにはなった。

 そうだ、何が何でも助け出して、その後ちゃんと抱きしめてあげてお説教をして、ちゃんと、向き合って話をしよう。きっと逃げていたのは私の方だから。

 昔の自分を見せつけられるようであの子と向き合うのは怖いけど、それは私の問題で間違った道だ。

 正しくありたいと口にした妹のために、私にできることはこれくらいだ。だから必ず、最後まで諦めたりはしない。


「だからあとちょっと、待ってなさいよ。エウリナ」


 二人の圏士が荒野を駆ける。

 その姿は不条理ばかりの世界へ、厳しくも立ち向かっていく戦士そのものであった。



  □ □ □



「――くっ!」


 迫りくる黒爪を剣で払い、がら空きの胴体へと剣を叩き込もうとする。けど『穢れ』の動きは狼の見た目を反映したかのように俊敏でしなやかだ。

 これまでに何度も反撃に転じることはできたものの、毛皮を掠めるのみで一度たりとも有効打には至っていない。


「――――」


 一度距離を取った『穢れ』は戦闘態勢というよりもワタシのことを観察するかのように、ジっと見つめてきている。


「ふぅ…ふぅ……!」


 さっきからこの繰り返しだ、ワタシの攻撃は当たらないまま体力を削られ続けている。このまま続けていても先に膝をつくのはワタシの方。

 そして、その時でもこの『穢れ』は不用意に近づいてはこない、と思う。サガさんの言っていた通り、この『穢れ』はそんなに強くはないんだ。だから確実に、こっちが完全に弱るまで攻めてはこない。ワタシの剣の腕でも、直撃さえさせれば勝利することは出来るとなんとなくわかるくらいだもの。

 倒せていないのはお姉ちゃんの言う様にワタシが弱いだけ。

 基礎訓練も終えていないのに一人で実戦に出るだなんて、周りから言わせたら気でも狂ったのかといわれるかもしれない。お姉ちゃんと会ったら死ぬくらい怒られるんだろうな。

 ああでも、それくらいならずっといい。その時こそ胸を張って、ワタシだって戦えること、この気持ちは嘘なんかじゃないってことを正面から言い返してやるんだ。


「落ち着いて、相手の動きをちゃんと見ないと……っ」


 『穢れ』から目を離さずに額を流れる汗を拭う。相手の一挙手一投足から先を読むんだ。まともに代償契約を扱えないワタシじゃ身体強化も出来なくて、爪でも牙でも一撃受ければひとたまりもない。致命傷を逃れてもそれ以降は相手を有利な状況を生み出すだけ。

 これ以上時間は掛けていられない。


(なら、ワタシにできるのは速攻で勝負を決めること。そうでなきゃワタシは負ける)


 『穢れ』との戦いで負けるということは死ぬことだ。

 言葉で理解することと、目の前に対峙することは大きく違う。汗が冷たい、喉が渇く、指先は震えるし心臓はうるさくて仕方がない。

 こんなことを、みんなは常にやっている。過去の圏士が命を掛けて繋いできたものを今も絶えてしまわないように頑張っているから、ワタシだってここに立つことができたんだ。


「こんなところで、立ち止まってはいられない」


 噛みしめる様に呟いた声、だけど指先の震えを止めるくらいの効果はあった。

 だったらきっと大丈夫。

 訓練で学んだことは無駄にはなってない。それでも攻撃が当たらないのはワタシが怯えてるから。だから攻撃が当たるわけがない。

 間合いの中から逃げているのは『穢れ』じゃなくてワタシの方。


(恐れちゃダメ。攻撃を受けるよりも躱されるよりも速く、強く、目いっぱいに剣を振る)


 言い聞かせるように何度も頭の中で言葉を反芻しながら、これまでの『穢れ』の行動を重ね合わせていく。ワタシの攻撃に合わせての回避にそう多くパターンがあるわけじゃない。


「ふぅぅ……」

「―――」


 あっちもこっちも見つめ合い続けるのは限界みたい。生死を隔てる一撃のために身を低く剣を構え、『穢れ』はワタシの周囲で円を描くように走る。相手からしたらワタシは狩りの獲物のようにしか見えていないのかもしれない。

 隙を見せた瞬間に爪牙が襲い掛かり、防げなければ死んでしまうのはワタシの方。

 攻撃を仕掛ける側と立ち向かう側、時間の感覚が長びいて歪む中。

 きっかけは些細な、とるに足らない偶然だ。頬を伝う汗が音もなく雫となって地面へと落ちる。ワタシでさえ聞こえない水音だったけど、それでもワタシたちには始まりを告げるナニカがあった。


「――――!!」

「……っ」


 背後から獰猛な黒い影となって襲い掛かる『穢れ』の爪牙、それは決着をつけるべく全身を投げ出すかのような勢いを伴っている。これまで見せたことのない、ワタシの予測を超える一撃だ。

 『穢れ』とワタシの認識に違いはなく、これまでと同じ反撃では剣を振るう前に致命傷を負ってしまう。


「そうは――させない!」


 けど、そうはさせない。絶対に負けるわけにはいかない。

 ワタシの生きる道を自分で選んでいくために、人を苦しめるアナタをここで倒す。そのためにも、ここで攻撃を受けてあげるわけにはいかないの!


「――はぁぁ!!」 


 勝負は一瞬、攻撃の届く寸前に身をかがめ、一人で何度も何度も何度も練習してきたように剣を振るう。振り向きざまに倒れながら空に向かって振るった剣。訓練でやってきたものとは比べ物にならない、態勢の整ってない型も何もない不格好なもの。

 けれどその剣に込められた力は代償契約を伴っていないにもかかわらず、『穢れ』の胴体を両断する力を見せたのだ。

 それは、彼女の意思が眼前の障害を切り拓いたかのようで。


「あ…………」


攻撃した後の受け身なんて考えていない。時間がゆっくりと流れる中で目にうつる景色は『穢れ』の胴体に邪魔されて黒く覆われていた。

だけど、振り切った剣線の先からは光が差し込み、そこからは勝者を称えるかのような一筋の光が差し込んでいた。



  □ □ □



「―――!?」


 驚愕は『穢れ』から発せられたものだ。爪を突き立て、牙で食らいつくはずだった圏士の姿が消え去った。

そのような速度を出すほどの力は残っておらず、『穢れ』の放った決死の攻撃は間違いなく、相対する圏士を仕留めるに値する速度と威力を宿していたはずだ。

 何度も牽制を行うことで削られた体力は傷を僅かずつでも増加させ、もはや必要ないと判断したからこその最後の一手、捨て身にも似た一撃。


「――………」


 ゆえに、驚愕が理解に至る以前に己の状態を認識することはできなかった。空虚な獣の視界は空中をぐるぐると周り、地面へと不格好に落下する。

肉体は消滅を始め、黒い塵が風に乗って消え去っていく。徐々に感覚を失う中で、眼球が消え去る直前に目にしたのは、泣き別れとなった『穢れ』自身の下半身だった。



  □ □ □



 倒れ込んだまま空を見上げてどれくらい経ったんだろう。でもきっとほんの少しの間だけで数分すら経っていない。


「………っはぁ…はぁ……!」


 止まっていた呼吸が戻る。これまで以上に破裂寸前な心臓は酸素を求めて身体から飛び出してしまいそうなくらい脈打っていた。

 あと数秒でも息が止まっていたら本当に死んじゃっていたかも。


「…………」


 声は上手く出せなくて、でも塵になって消えていく『穢れ』の姿を見届けてようやく。


「………やった」


 小さな、そよ風にすら掻き消されそうな小さな声がこぼれ出た。

 そうしたらようやく、自分の手足が地面に投げっぱなしになってることに気が付いた。今の今まで血が通っていなかったんじゃないかって思うくらいなんにもなかったのに。

 体中を巡る血の熱さはこれまでに感じたことのない勢いで、落ち着くまでに時間がかかりそう。


「…………ワタシ、やったんだ……はぁぁぁ……やったよぉぉ……」


 終わったんだってことを自覚したら、今度は急激に疲れが押し寄せてきて、このまま眠りたくなってきちゃった。

 もちろんこんなところで寝るなんて危険だし、みんなに迷惑をかけておいてそんなことはしないけど、ほんの少しの間だけ目を閉じる。 

 この、圏士としては大したことのない戦果だとしても、ワタシにとっては大事な一歩だから。自分にはやり遂げる力があるんだってことを忘れない様に、胸に刻み付けておきたい。

 次に目を開いた時、飛び込んできたのは大きな空。

 小さな頃に庭で走り回っては地面に寝転んで、その度に怒られていた。でもその時のワタシは寝転んで見る空が大好きで、いつも一緒に遊んでくれていたお姉ちゃんも大好きで。


「……帰ったら怒られるだろうなぁ………、う、ううんっ、これはワタシが悪いからちゃんと謝って、その後はみんなにも謝って、それからまた頑張らないと…っ」


 頑張ることに終わりなんかない。

 今回のことでしばらくワタシの評価は下がりっぱなしだろうし、命令無視で謹慎処分だって受けてもおかしくない。というか受けるのは間違いない。

 だからちゃんと謝って、それからも一つ一つ頑張っていくしかない。今日だけじゃなくって、ワタシはワタシの力で戦っていけるって示し続けないといけない。これからもずっとずっと。


「よし…、怖いけど、帰らないと」


 流れる雲をずっと眺めていたいけど、これ以上見てたら日が暮れちゃう。

 そう思って立ち上がると、一つ大きな伸びをして前に向かって歩き出す。この先起こる出来事に負けないように心を落ち着かせながら。……具体的に言うと開口一番どうやって謝ろうかと考えながら。



 □ □ □



 そうして歩き始めた矢先、ふと彼女は気が付いた。

 思っていたよりも日が傾いていたのか、視線の先には一つ大きな影が伸びていたのだ。


「――――」


 それは、木だ。それにずいぶんと不格好な木だった。

 幹は太った人間であるかのように中央部分が奇妙に膨らんでいて、下と上に向かうにつれて細くなっていく。

 枝は根が天地逆さになったかのようで葉がついておらず、枯れ木の様でありながらしかし、丸々とした実らしきものがいくつも生っているのだ。

 異様な気配を宿したその木は、しかしその見た目が更に彼女の脳内に警告音を鳴り響かせる。

 形状ではなく、その色が。

 自然界に存在するにはあまりに黒い。枝から幹から木の実に至るまで何もかもが黒く、開けた荒野の一部を鋏で切り取ったかのように異物であると見せつけられている。

 再び、緊張によって震え出した手を慎重に剣へと伸ばす。


「……、――っ」


 声を上げてはならない。

 わずかな振動でも起こせばあの木の実が落下してしまうのではないかと感じてしまう。

 あの木は間違いなく『穢れ』だが、それも漂う気配からは先ほど死闘を繰り広げた『穢れ』とはまた異なる雰囲気を漂わせている。


(活力がない……? なんて言えばいいんだろう)


 剣を構えながら思考を巡らせるが、そちらに回す余力はすでに消えつつあった。

 目の前の『穢れ』からは他の『穢れ』が持つ生き物らしさが感じられなかったのだ。だが、同時に木から感じることのない生物の様な気配も携えている。


(考えるのを止めちゃダメだ。ちゃんとよく見て、どんなことからでも自分に有利になるように考え続けないと)


 諦め、放棄することこそ愚の骨頂であると、エウリナは先の戦闘で学んだばかりだ。ゆえに戦闘経験は浅くとも気付けたのかもしれない。

 形状が木でありながら生物の様な気配、歪なそれは枝先に生っている実から発せられているのだと。


(あの実が本体? それともやっぱり実が生ってる木の方? ……ううん、どちらにしても片方だけ何とかすれば済むような話じゃなさそう……。それに、もう戦わなきゃダメみたい――)


 対峙する圏士の存在に気が付いたのか、それとも圏士を獲物として木の『穢れ』はその姿を現わしたのか。その答えは分からないが、一つ分かったことがある。


「……っ」


 絶句に近しい驚きの声。その声の先では、いくつか生っていた黒い実の内の一つが音もなく地面に落ちていた。それは影の様に堕ち、水溜まりの様に地面に広がっている。

 そして、黒い水溜まりは意志を持っているかのように寄り集まり、一つの姿をかたどっていく。


「そんな、まさか……」


 二度目の驚愕、それは彼女にとって心を揺るがすには十分なもの。

 『穢れ』には同系統の姿を持つ者は多く存在する。それは獣であり鳥であり、伝説上の生物に近しいものも含めてだ。

 だがそれでも、まったく同じ姿ということはそうそうない。個体差と呼べるものが彼等にも存在し、それは目を凝らして観察すれば素人でも分かる程度には顕著なものなのだから。

 故に彼女は驚愕した。もうしばらく見ることは無いだろうと思っていた『穢れ』、つい先ほど自分の手で切り捨てた狼の姿と寸分も変わらない『穢れ』が、地面に落ちた実から生み出されていたのだから。

そしてそれは一体だけではない。

 いくつも枝に生っていた黒い実、それらすべてが続々と地面に落ちては新たな『穢れ』を生み出していく。それはまるで命を産み落とすかのように。


「これは…マズイよね」


 一体を倒すだけで精一杯であった彼女の前に、まったく同じ『穢れ』が何体も現れた。そして今目の前で、獲物を噛み殺さんとジリジリと距離を詰め始めている。


「でも諦めたりなんかしないから。ふぅ……、さぁ、来るなら来なさい。ワタシの剣が恐ろしくないというのなら!」


 震える自分を鼓舞するように、『穢れ』に向かって声を張り上げる。

 木から産み落とされた彼等に意志があるのかは不明だがそれでも、狼達は踏み込もうとしたはずの一歩は宙で止まる。攻め込む機会を瞬間的に逸したのだ。


「ふっ!!」


 だが、その中で一体の『穢れ』が恐れを知らずに襲い掛かり、彼女によって両断される。命を掛けたただ一度の経験は圏士としての精神面を急速に成長させていた。


(でも、いつまで持つか分からない。……何とか離脱する方法を考えないと)


 元よりこの想定外の危機的状況に放り込まれ、初勝利の勢いままに全てを倒してしまおうなどと考えてはいない。

 そんな力は持っていないという現実を彼女は一時も忘れてなどいない。

 だからこそ、油断はできない。いいや、初めからその選択肢は存在していなかった。


「くっ、このぉ!」


 怯んだのもつかの間、『狼の穢れ』たちは取り囲むように散開し、隙を見ては襲い掛かってくる。産み落とされたばかりのせいか、最初に戦った『穢れ』よりも弱い個体であったが、それでも数は脅威だ。

 木の実から発生した以上、下手をすればあの『木の穢れ』を倒さなければ一生終わることは無いのかもしれない。

 逃げ道はふさがれ、着々と『穢れ』の数も増えてきている。

 剣を振るう力も消耗していき、呼吸も乱れてくる。それでも攻撃の手が休まることはなく、確実に獲物を追い詰めるために陣形を維持し続けていた。


(このままじゃ……、お姉ちゃん…っ)


 この状況下で思い出すのは大切な姉のこと。でも記憶の中でこっちを見つめるキリエに対して、なんと伝えたいのかが出てこない。謝りたかったのか、喜びたかったのか。


「――っ!?」


 そして、瞬きした瞬間、目の前にいたのは此方を見る姉の夢ではなく、『穢れ』の持つ牙が迫りくる現実。


(しまっ――)


 思考よりも早く手を動かさねばならないのに、刹那夢見た記憶は肉体を弛緩させ、牙の到達までに剣を持ち上げることが間に合わない。

 完全に虚を突かれた以上、意識だけはどれほど『穢れ』を捕らえていようとも肉体が空っぽならば何もできはしない。

 目の前で広がる口と、その奥に広がっている黒い口内だけがはっきりと見えた。その中でようやく、とっさに動かすことができたのは瞼だけであり、役目は痛みを覚えるまでの恐怖を誤魔化すことだけだった。


「――――――え?」


 だが、その痛みがやってくることは無く、次に感じたのは強力な神威が迫る気配。急速に迫りくるそれは雷の槍の形状を持ち、まるで雨の様に、しかし意志を持っているかの如く『狼の穢れ』だけを地面に縫い付けていく。

 空から迫る雷から逃れようと駆けだす『穢れ』もいたが、その努力は死という形で無為に消えた。


「これ、ロストさん……!?」


 この力、雷神の力を扱う圏士の存在を、エウリナは一人知っている。何度も命を救われてきたからこそ、その人物の名を思い出そうとするまでも無く口に出てしまうくらいに。

 雷の槍の衝撃による土煙の中から、彼女の声に応じるように現れた人影。風が吹き、その土煙が晴れた先に立っていた人物はまぎれもなく――。


「おや? なんとも珍しい気配がしたので途中下車などしてみたのですが、助けることができたなら何よりも素晴らしいことだ。ご無事ですか?」


 パタンと音を立てつつ、手に持っていた本を閉じると、混乱しているエウリナに対して安心させるように静かに話し始める。


「初めましてお嬢さん、その姿からして圏士の方でよろしいでしょうか、不思議な出会いもあるものですね」


 誰が聞いても安心してしまうような優しい声色、圏士とは逆に白を基調とした衣服、褐色の肌にはたまた銀灰の髪。脳裏に現れたはずの人物とは反対の特徴を持った青年は、自身の服が汚れることもいとわず、地面に膝をついてエウリナへと手を差し出した。


「………………あの」

「はい、どうかされましたか?」

「どちらさま、でしょうか……ぁ?」


 ……途中下車をしたと口にする、とりあえず圏士には見えない青年。

試しに記憶を探ってみても見覚えすらない彼はまぎれもなく、エウリナにとってまったく、欠片も知らない人物であった。



 □ □ □



 キロクゼが異変に気付いたのは灯日への移動中の暇つぶしにと持ち込んだ小説をすべて読み終わった頃だった。

 車両に自分以外で乗っているのは数名、各々が距離を取りつつ他者の邪魔にならないよう自分のスペースを作って時間を潰している。

 移動も順調そのもので、灯日には予定通り到着しそうだ。もう一度本を読み返そうか、それともひと眠りでもしたものかと考えていた時。


「おや」


 列車の窓から新鮮な空気に混じって淀んだ気配が入り込んできた。

それだけならば、意識していなければ気づくことさえ出来ないほどの微弱な気配だったが、気配がもう一つ。


「圏士ですね」


 この淀んだ空気が『穢れ』のものであるなら、もう一つ感じ取ることのできる気配は圏士のものだろう。神威の波動が届いてこないということは代償契約を使用していないらしい。ならば相手は強敵というわけではないのかもしれない。


「下手に手を出してもご迷惑になるだけでしょうか」


 自身も教戒に所属し『原型』を与えられてはいるものの、本職である彼ら圏士の戦いへと不用意に手を出すことはむしろ邪魔となってしまうかもしれない。

 そう思い、上げようとした腰を戻そうとしたのだが、さきほどの淀んだ気配がもう一度流れ込んできた。そして、この『穢れ』は通常現れるものとはやはり異なる様にしか思えない。それほどに異質なのだ。

 それにもう一つ、疑問が浮かび上がる。


(代償契約を使用していないようですが、使っていないのではなく使えないのであれば……)


 そう考えてからは手を出さない理由はなくなった。

 もし首を突っ込んだ後に怒られたならそれでいい。この場で救えることのできる命を見逃してしまう事こそ彼にとって認められないことなのだから。


「ただ在るがままに」


 ぼそりと呟いたのは教戒の教義であり、言葉通りに実践するのであれば、圏士の命もまた運命に任せるべきなのだろう。


「などと、やはり僕の様な未熟者では皆の手本にはまだまだ至らない」


 一応は司祭の地位に座している自覚はあるのだが、こと人命となると話は別だ。どうにも損得勘定の前に身体が動いてしまう。


「皆を救うには、まず目の前の一人から」


 旅行鞄から一冊の本、表紙から中身まで真っ黒な経典、彼に与えられた『原型』を取り出すと席を立つ。同乗者たちの中で彼を気にしている者はいないが、窓から跳び出そうものなら騒ぎになりかねない。

 目立たないよう車両の連結部分へ移動すると、叩きつけるような風と共に荒野が流れていく。

『穢れ』のいる方向へと意識を向けると、いまだ代償契約を発動した気配はない。


「思っていたよりも急がねばならないようだ」


 事態は想像以上に火急のようで、顔も知らぬ圏士が死に瀕している。


「略式契約」


 本を開き、頁に書き記された文字が薄ら光を帯びる。

 神威が肉体に満ちる感覚を確かめつつ、彼は散歩へと出かけるかのように一歩を踏み出し――。

 列車が過ぎ去った後には、影一つ残してはいなかった。



 □ □ □



「略式契約――」


 到着した時、まず目に入ったのは大量の『穢れ』に襲われていた圏士の姿だ。

 だがまだ間に合う。代償契約の発動、現状にもっとも適応する異能の検索と適用を瞬時に行い、雷槍を射出する。

 一発目が圏士を救ったことを確認すると、そのまま続けて二発三発と数を増やし、目に見える範囲の『オオカミの穢れ』を一掃する。

 

「初めましてお嬢さん、その姿からして圏士の方でよろしいでしょうか、不思議な出会いもあるものですね」


 敵ではないと圏士に伝えようと、出来る限り落ち着いて挨拶を行ったときに見た彼女の姿は少女だった。


(まだ若い、それに戦いなれていなさそうだ)


 剣を握るよりも楽器でも手にした方が向いているかもしれないというのが第一印象だ。


「……あの、――どちらさま、でしょうか……ぁ?」


 想像以上に若い、少女であったことを確認すると混乱しているらしい彼女へと言葉を続ける。


「ああそうでした、自己紹介を済ませなくてはいけませんね。僕の名はキロクゼ・イェメクといいます。時間がないため詳細は省きますが、教戒所属のためお力添えをと思いまして」

「は、はぁ……。そうだ、ワタシは二級圏士のエウリナです」

「エウリナさんですね、よろしくお願いします」


 事態を理解しきれないらしく、ポカンと口を開けたまま返事をする少女の姿にキロクゼは小さく笑うと、もう一度手を差し出す。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」


 ハッと我に返りあたふたと立ち上がる彼女の姿は愛らしい。幼いころから周囲に愛されて育ったのだと、それだけで伝わってくる。


「さて、お聞きしたいことがあるのですが、この場にいる圏士は貴女お一人ですか?」

「そうです…、えぇとちょっと色々ありまして……」

「なるほど、ではその話はよしておきましょうか。つまり、目下解決すべき障害はあそこにいる木のような『穢れ』だということですね」

「はい…っ、あの実には気を付けてください。さっき倒したオオカミの様な『穢れ』が生まれてくるんです」

「『穢れ』を生む『穢れ』ですか……、なるほどそれは、聞いたことは無いですね」


 異様な気配を放っていたのはあの『穢れ』であることは、対峙すれば良く分かる。明らかに生物の姿を模した既存の『穢れ』よりも別系統。植物そのものの姿をとっているモノは文献でもみたことがない。

 新種か? 彼らなりの進化というものか?

 詳細不明、けれどすべきことに変わりはない。


「まだ戦えますか? 僕の能力では接近戦は難しいもので。攻撃を行う間、可能であれば守っていただきたいのですが」

「わ、分かりました。大丈夫です、まだ戦えますっ」


 胸元で剣を握り直すと元気よく返事をしてくれるエウリナは、『穢れ』を前にした場であっても心を明るくしてくれる。


「ではお願いします。あの木を倒さねばならないようですが、エウリナさんは略式契約は可能ですか?」

「う…っ、い、いえすいませんできません……」

「あはは、そう気になさらないでください。そう言うことなら僕がトドメを担います。準備が整うまで護っていただければ」

「は、ハイっ、任せてください」

 

 僕の前に立ち、『木の穢れ』との間で剣を構える彼女の背からは強い意志を感じられる。経験が足りないものの、将来性は十分だと思うのだが、その人物をわざわざ一人で前線に向かわせるのはどうだろうか。


(人手不足とは聞きますが、それでは本末転倒でしょうに)


 誰一人傷つかない世界は夢物語なのだとしても、組織として死者を増やすような真似をしているのであれば、討滅局への見方が変わらざるを得ない。


「…………ふむ」

「あの、どうかされましたか?」

「ん、いえお気になさらないでください。少し考え事を……、おっと、オオカミたちが生み出され始めましたね」


 言葉を交わす間に再度枝の先が膨らみ始め、その塊はすぐさま大きく育つと重力に従って地面に落ちる。

 黒い実はべシャリと水音を発生させながら、水溜まりが寄り集まり『オオカミの穢れ』を形どる。そしてその速度は侮れない。すぐさま大量の、群れと形容できる数を揃えていた。


「またあんなに……。キロクゼさん、近づいてきた『穢れ』からは必ず護ります。ですから……手伝ってもらっていながらお願いするのは申し訳ないのですが、もう一度さっきの電気の攻撃を――」

「ああすみません、それは出来ません」

「ふぇ?! できないっていうのは……あっ、もう一度使うのに時間がかかるとか」

「いいえ」

「実は使い慣れてないとか…?」

「半分はそうですね。簡単に言うと使い捨てのようなものでして」

「じゃあ本当にさっきのはもう使えない?」

「はい」

「…………えと、じゃあ…ええと……」

「大丈夫、そう心配しないでください。ただ在るがままに、目の前の障害に集中してくれれば大丈夫ですから」

 

 何度も振り返りそうになっては『オオカミの穢れ』に視線を戻すエウリナの肩に手を当て、集中するように伝える。

 彼女自身、未熟であることの自覚はあるだろうが、それでもまだ実力を把握しきっているわけではなさそうだ。爆発的な力を発揮できる人間であっても、目の前の敵から目をそらしていては隙を生む。

 敵が何者であっても変わらない。

 ただ侮らず、謙虚に、在るがままの姿を捉え、決して油断せずに挑むことこそが生死を掛ける戦いでの第一歩。


「いきなり出てきた僕を信用しきるのは難しいでしょう。でも生き残るためにはしなければならない。分かりますね」

「……ハイ」

「攻撃は僕が、防御は貴女が。現状最も確実な方法はこれだと思っています。そしてそのために僕は貴女を信じる。何があろうと『穢れ』の攻撃を防いでくれると、心から信じている。だから貴女も、信じてはくれませんか」

「ワタシが護って、キロクゼさんが倒す」

「はい。約束します」

「すぅ――、ふぅ……」

 

 深呼吸を数度、エウリナはもはや『穢れ』たちから視線を外すことはしない。

 その中で、わずかでも信頼を結ぶために顔を合わせることなく、言葉を交わして己が意志を伝える。日頃言葉を使って生活の糧を授かる身ではあるが、誰にでも意志を十全に伝えられるわけではない。

 可能な限り不信感を消そうと思ったが、信頼できない相手であることは否定できない。むしろあの口調は第一印象としては失敗かもしれない。受け取り方によっては詐欺師の類。

 だから、僅か心配が胸をよぎった。

 これ以上言葉を重ねても、焦りは関係性の悪化を生みかねず、そうなってしまえば僕自身はともかくエウリナさんを救うことは出来ないかもしれなかったからだ。


「……」


 時間にすればわずか数秒、言葉は出せずにジリジリと寄ってくる『オオカミの穢れ』の姿を視界に収める。その中で伏し目がちに頭を下げ、深呼吸をしていた彼女がハッキリと言葉を紡ぎ出した。


「大丈夫ですキロクゼさん、今更考え込んでても仕方ありませんもんね。ワタシも圏士の端くれです。攻撃は通しません、キロクゼさんの準備が整うまで必ず護り切って見せます」

「頼みます。略式契約――」


 先ほどの、慌てた年相応でしかない少女の様な声ではなく、圏士としての言葉。ならばもう僕から伝えることは無い。



  □ □ □



 青年は本の姿をとった『原型』を開くと、文字は淡く光を放ち、教戒の教義が書かれていたはずの中身は別の文章へと変化している。

 それらは一ページごとが異なる伝承、神話に連なる物語。そのめくれ上がるページの中から必要な一枚を選び出すと、本来壊れることのない『原型』だというのにキロクゼはそのままに引き千切る。

 風に吹かれたなびく黒い紙片はしかし、淡く輝いていた文字の光は瞬く間に強烈なものとなって一つの異能をこの世界へと呼び起こす。


「すごい……」


 思わず口を衝いた少女の声は目の前に広がる光景への素直な声。

 光は空に立ち上り、先ほどの雷槍ではなくいくつもの火球となって地表の『オオカミの穢れ』へと襲い掛かる。

 狙いをつけたわけではない無差別な爆撃ではあったが、直撃を免れようとも着弾時に広がる炎に巻き込まれて傷を負わせている。

 そして本来の標的である『木の穢れ』も例外ではなく、一際大きな火球が着弾して爆炎が起こる。その衝撃でさらに火が周囲へ飛び移り、辺りはちょっとした火の海だ。

 だがキロクゼの顔は険しいまま。開いていた『原型』も一度閉じ、現状の把握へ移行する。


「やはりへし折って燃やすのがよいと思ったのですが……」

「今のでもダメだなんて」


 キロクゼの略式契約による火球は直撃したが、火炎と土煙が晴れた後には枝の先に消えかけの火を灯した、ほぼ無傷の『木の穢れ』の姿。その火もすぐに消えてしまい、見た目以上の頑強さを見せつけられた。

 倒すとまで口にしたキロクゼはというと些か気まずそうな面持ちで再度本を開き、ページをパラパラとめくりながら考え込んでいるらしい。


「アハハ…単純な意味での火力が足りませんか。そうなると他に使えそうなものは――」

「っ、ハァ!! また新しい『穢れ』が…っ」 


 その時、新たに生み出されたと思しき『オオキミの穢れ』が襲い掛かって来たものの、それはエウリナの一閃によって消滅に至る。


「ああ、ありがとうございます。一閃で倒してしまうとは、素晴らしい成長速度…とても良い目をしているのですね」

「あの…褒めていただけるのは嬉しいんですけど、他に手がないなら一度逃げた方がいいんじゃ」

「そうしたいのは山々なのですが、今の攻撃で怒らせてしまったみたいで。どうやら逃がしてはくれなさそうです」

「……みたいですね」


 先ほどよりも広範囲、キロクゼの見せた攻撃範囲よりもさらに外側にまで『オオカミの穢れ』が配置されていた。これではどう逃げようとも数で追い詰められる。


「エウリナさん、体力はどうですか?」


 長時間の戦闘に差し掛かるエウリナは疲労がピークに達しつつある。単純な体力の消費というだけでなく、慣れない実戦、死を前にした精神的疲労はエウリナの想像以上に彼女の体力を削り取っているだろうことをキロクゼは見逃さなかった。


「正直、厳しいですけど……ううん、ここで弱音なんか吐いてちゃダメですからっ」

「その意志は素晴らしく、尊重したいとも思いますが、しかしこれ以上の戦闘は難しい。その指先の震えは収まりそうですか?」

「え? えー…と、あれ?」

「疲労によるものでしょう。なんにせよ、これ以上の戦闘継続は困難だ。つまり僕たちにできることは逃げること。そして命を守ることだ。あの『穢れ』についても報告をして正式に討滅局として討滅にあたればいい」

「……はい」

「そのためにももう一度、あのオオカミたちを一掃しなければなりませんね」

「さっきの火よりも強い攻撃方法はないんですか?」

「残念ながら、僕は器用貧乏といいますか。色々と出来るのですがその分一つ一つが弱く手ですね」

「分かりました。じゃあ灯日の方向へ一気に突破しましょう。それしか、なさそうですし」

 

 逃げたところで尽きることのない追跡者達からは、逃れることが出来ないということを理解できていないわけではない。

 むしろ『オオカミの穢れ』の速度を十分に把握しきっている彼女だからこそ、この数からは逃げきれないことを理解している。

 それでも諦めるわけにはいかない。命を護る圏士である彼女が最初に命を捨てる判断を取るなど在ってはならない。それは彼女にとって正しい行いではないのだから。


「じゃあ行きましょう。キロクゼさん……、キロクゼさん?」

「――――」


 だが、青年は彼女と同じ方向を見ているというのに動こうとはしない。いいや、見ている先は地上ではなく空だ。エウリナはもしかしたら、オオカミだけではなく空にも新たな『穢れ』が生み出されたのかと思い、黒い影を探すがそのようなモノは存在しない。


「あのキロクゼさん、何かあったんですか? このままじゃワタシたち…っ」

「いえ、もうその必要はなさそうだ」

「え? それって――」


 キロクゼの言葉の意味を考えた瞬間、それは『オオカミの穢れ』たちにとってはこれ以上のない好機だった。疲弊した獲物は完全に注意を逸らし、その無防備な首をさらしている。

 そして獲物を狩る瞬間の獣もまた、自身を狙う者へと意識を向けることは出来ない。

狩る者と駆られる者は常に変動し、今は彼らこそが狩られる側であった。

 ――雷が空より地表へと奔る。


「生きてるな?」

「あ……」


 自分が襲われていたこと、そして救われたことを同時に把握し、そして次に目の前に立つ一人の青年の顔を見て、エウリナは固まった。


「まったく、一人で出てくなんてビックリだよ。思い切りの良さというか…頑固なところはアイツと一緒だな」


 黒い隊服、黒い髪、略式契約の残滓なのか雷をわずかに纏った黒い刀。

その圏士はこれまでに何度も彼女を救い、そして今日もまた窮地から助け出してくれた。


「なんにせよ、生きててよかった。本当に」


 心底安堵したように笑うと、背後から襲い掛かって来た『オオカミの穢れ』を斬り捨てる。更にその余波で数体の『穢れ』が吹き飛ばされており、仕掛けようとしていた他のモノらも動きを止めざるを得なくなった。


「ロストさん、あの……ワタシ――」

「色々と言いたいこともあるだろうけど、まずは連中だ。そっちのアンタは……誰だ? 圏士じゃないだろ」

「ええとこの人は怪しい人じゃないというか、教戒の人らしくて――っ」


 キロクゼを警戒し軽く睨みつけるロストだったが、エウリナの態度を前に強く出ることはしない。その様子を少し眺めていたキロクゼだったが、落ち着いたのを見計らって一歩前へと出ると名乗りだした。


「初めまして。所属は教戒ですが、そちらに席を置いているアイリスの同胞と思っていただければ」

「なるほどな、とりあえず信じる。エウリナを助けてくれたみたいだし」

「よいのですか? 初対面ですし信じてはもらえないかと」

「そんなこと言ってる場合か? それに、おれは全員救うのが夢なんだ。アンタが悪人だったとしてもここでは助けてやるさ」

「――――その夢は」

「ん、なんだよ。荒唐無稽だとか何とか言ってくれんな」

「いえ、非常に奇遇だと思いまして」

「何が」

「実は僕もなんですよ」

「だから何が」

「無論、夢です。“総てのモノを救いたい”」

「……マジで言ってんのか?」

「おや、貴方も同じでしょう」

「そりゃあそうなんだけど……ああいや、何でもない」

  

 ロストは毒気が抜かれたように肩を落とすと、周囲を取り囲む『穢れ』の中で一際異彩を放つ“黒い木”に目をやる。


「アイツをやればいいのか?」

「ええ、あの『穢れ』を何とかしなければ、一生このオオカミたちと戯れなければならなくなりますね」

「なるほどな。じゃあやるか、手伝ってくれるんだろ」

「もちろん」

 

 邪魔にならない様に静かにしていたエウリナだったが、二人の会話を聞いているだけなら既に気の合った友人かの様に思えていた。

 二人にとっては探り探りなのかもしれないし、その上性格も反対に見える。だが、もっと根本的な部分では似た者同士なのではないかと思ったのだ。


「木にはおれが行く、援護は頼めるか?」

「そういう事でしたら助かります。先ほど攻撃など試みたのですが想像以上に攻撃が通らなくて困っていたところだったんですよ」

「笑って言うことかそれ。まあいいや、おれのことよりもだ。エウリナを頼みたい。おれはこの娘を助けに来た」

「無論です。陳腐な言葉に聞こえるかもしれませんが、命に代えても彼女を救って見せます」

「…………」

「何か?」

「いや、客観視ってやつをちょっと」

「アハハ、そう恥ずかしがることじゃありませんよ。立派な夢です」

「自分で言うか? …っていうとおれもだ。ぁー、なぁんかやりにくいな。……ロストだ、見ての通り圏士やってる」

「キロクゼです。先ほどもお伝えした通り教戒の所属です。以後お見知りおきを」

「ああよろしく、んじゃあ――」

「そうですね、では――」

「やるか」

「やりましょうか」


 二人は軽く声を合わせると『穢れ』に対峙する。

 その姿は、彼女がこれまで苦戦していた相手を前にしているとは思えないほどに力強く、安心できるものだった。


『本編について』

・キロクゼ合流

思ったより早く合流した男、能力的にはいろいろできる感じですがパワー的には器用貧乏といったところです。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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