正しさの証明
「よし…、今日は喧嘩しないでお姉ちゃんと話をしないと」
翌日、局内の廊下を歩く
昨日のロストさんとの話もあって、まずはお姉ちゃんと話し合ってワタシのことを改めて分かってもらわないとダメだっていうことが分かった。
それに、何も言わないで…というよりバレない様に隠れて圏士になったのは事実だから、そこは何一つ言い訳できないんだけど。
「じ…じゃあっ、いってきます。ガンバレ! …ふぅ」
一人で鏡に向かって奮起する。
できればみんなにも昨日のお礼をしてからお姉ちゃんに会いに行きたかったけど、残念ながら訓練の日程が合わなくって午前中はみんなと顔を合わせることも出来なかった。
と、いうことで午前の訓練も終わりお昼時。昨日と同じように待ち合わせはガラガラの食堂。あの食堂って人がいるところほとんど見たことないけど本当にやってるのかな?
「こ……こんにちはぁ~……」
恐る恐る扉をくぐり中を覗いたけど、そこにはまだ誰もいなかった。どうやらワタシのほうが先についてしまったみたい。
暇そうにお茶を飲んでいる職員さんに会釈をしつつ、昨日と同じ席に座って待つことにする。
「……ん~……」
やけに大きく時計の針が動く音が響き渡って、その音が待ち時間を余計に遅く感じさせる。その度に心臓の音が段々と大きくなっていくみたいでひどく落ち着かない。その上、お姉ちゃんもまだやってこなくって……。
「うぅぅ……、お姉ちゃんおそいよぉ……」
「悪かったわね、少し準備に手間取ったの」
「ひぃや!?」
「……」
背後から不意に掛けられた声に自分でも予想だにしない驚きが出ちゃって、油の切れた玩具の様にゆっくり振り返る。するとそこには予想するまでも無く、どこか不機嫌そうなお姉ちゃんの顔が待ち構えていた。
「ほら座って、話、するんでしょ」
「う、うん」
お姉ちゃんは淡々と喋りながら向かいの席に座る。
「…………」
「…………」
ただそのあとは……、二人で黙り込んでしまってまたしても時計の針の音が大きくなってきちゃった。どうしよう、やっぱりワタシから謝って……それで事情を話さないとダメだよね。
よ、よし、相談に乗ってくれようとしてたみんなや、背中を押してくれたロストさんのためにもがんばらないと。
「あ、あの——」
「私はやっぱり認められない」
「————」
開口一番、お姉ちゃんが口にしたのはワタシにとって一番聞きたくない言葉だった。
「……それは、どうして?」
恐る恐る、抑えようとしても震えてしまう声で問いかける。
こういう返答があることも予想はしていたけど、気持ちの準備が整う前に一言目で否定されてしまったことでワタシの心は既に平静を保つことで一杯一杯になりつつある。
「エウリナよく聞いて。私はアナタと違ってディロンの家にいる意味のない人間なの。でもアナタは違う、いますぐにでも戻るべきよ」
「それは――っ」
それは違うって、言いたかった。でもお姉ちゃんはそこで言葉を止めることなく話を進める。
「エウリナの、人を助けたいって気持ちが嘘だとか、その場の気の迷いだとか、そんなことは思ってない。アナタは子供の頃から気持ちいいくらい真っ直ぐで純真な子だった。そんな子がその場の気分だけで道を選んだわけじゃないと思ってる」
「……うん」
言いにくそうにしながら、けどハッキリと自分の考えを伝えてくるお姉ちゃんは、ワタシの知る昔から変わらない。強いお姉ちゃんのままだった。
「それでも、私は認めるわけにはいかない。アナタを危険な目に合わせるわけにはいかないの。そんなことのために私は家を出たわけじゃない」
「っ、お姉ちゃんが家を出たこととは関係ない! これは、ワタシが選んだ道なのっ! ちゃんと考えて、悩んで、怖かったけど……、これが一番正しいと思ったからここにいるのっ」
「なら、どうして私から隠れていたの」
「……っ」
その言葉はワタシにとって最も厳しい一言で、反論するには言い訳になってしまうような、正しさからは離れたもの。
「本当に心から正しいことだと思っていたのなら、堂々としていればよかったでしょう。ちゃんと連絡をしてくれていれば、今みたいにお互いに嫌な思いをしながら顔を合わせることも無かったかもしれない」
「それは……っ」
「覚悟を口にするのは簡単。だけど初めから先々起こりうる困難を直視せず、あわよくば逃げようとしていたアナタを、私は認められない。それは間違っていることだと思うから」
「…………」
「夢を語ることもは自由よ。だけど、それを嘘にせず生きることは難しい。目の前の問題一つすら直視できないのに正しさを語るだなんて烏滸がましいにもほどがある。そんな嘘付きな人間を、私は認められない」
「……」
言葉は、出てこなかった。好き放題に言われて怒りを覚えなかったわけじゃない。
だけどそれ以上に、お姉ちゃんの言葉はワタシの甘えを正面から貫いてきた。上手くいかなくってもみんなと協力すれば何とかなるだろうっていう、どうしようもないくらいに他人に甘えた精神性を真っ直ぐに。
「……帰りなさいエウリナ。アナタが命を掛ける必要はない。私なんか忘れてあの家で幸せになればいいでしょう。私からの話はこれで全部よ、アナタからの言葉はないの? 認めさせるための意思や誇りや戦果はないの? ないのなら、話はここでお終い」
「…………えと、…その……」
「……そう。分かったわ」
「ぁ――」
小さく息をつくと、止める間もなく立ち上がる。
言い返すこと一つ出来ないワタシを真っ直ぐにを見つめる瞳は揺るぎない、刃の様な鋭さを宿していて、その瞳の前ではちゃんと声を上げることすらできなくなっていた。
「不必要なことで心配させないで」
「――、っ……!」
最後に掛けられた言葉にカッとなって、溢れだしそうな涙を抑えながら振り返った時にはもう、お姉ちゃんの背中は遠くて、私は……。
「……あはは…、怒ることも怖くってできないなんて……情けないの」
もう、自分でも笑うしかなかった。
無防備な、むしろワタシが声を上げるのを待ってくれているお姉ちゃんの背中に、感情に任せてたった一言すら言い返すことも出来ないなんて。
ここを出て行くときに見せたお姉ちゃんの背中は……ひどく悲しそうで、お姉ちゃんは最後までワタシの言葉を待ってくれていたんだ。
正しく生きたいなんて言ってるクセに、その想いを踏みにじったんだって、今になって思い至ってしまった。
だからもう、どうすればいいか分からなくなってしまって。ワタシはしばらく座り込んだまま動くことができなかった。
□ □ □
「あれでよかったのか?」
「よかったのよ。私が嫌われるだけであの子が無茶を止めて帰るのならそれ以上は無いわ」
食堂から出てきたキリエが歩き去ろうとするところに声を掛ける。万が一にも何かあった時、止められるようにってことで朝一で家を訪ねてきたキリエに頼まれた。
経過も結果も見ていたわけだが、エウリナには辛い結果となってしまった。妹を護りたいってキリエの気持ちも分かりはするから否定するつもりは微塵もないけど、それでもエウリナの泣く姿を見ていたいわけじゃない。
(だからって、おれがでしゃばることでもない)
彼女にとって厳しいばかりの言葉だったが、それでも中身を理解できない子じゃない。辛くとも立ち上がる力を持っているはずだ。なら、一人で考える時間がいるだろう。
第三者が手を貸すのならその後だ。
「そうか。お前がそう決めたならおれからいうことはないけどさ」
「ええ、そうね」
キリエから返ってくる返事はそっけなくて、だけど気を張ったような硬さだけはどうしようもなく感じ取れた。平静を装って入るもののその拳は強く握られていて、コイツなりに無理をしているってことが伝わってくる。
「なあ」
「……なによ」
さっさとおれの前を通り過ぎたから目にうつるキリエの姿は後姿だけ。とはいえその背中はいつも以上に小さく見えて、声はいつもの気丈さを保っているが、その分放っておくには弱々しいにもほどがある。
「別の場所で飯食いに行かないか?」
「…………いつもみたいにアイリスと行けばいいでしょ」
「アイリスの別任務今日まででさ。おれは一人で寂しく飯ってわけだ。ってことで一緒に飯を食ってくれるヤツを募集してる。ほら、おごってやるから行こうぜ」
「あ、ちょっと」
ちょっと不機嫌さの増した声色だったが、そんなのにひるんでたらキリエとはやっていけないので、さっさと腕をつかむと引っ張っていく。
それに一人で味気ない飯を食うよりかは、機嫌の悪そうな相手でも二人で食う方がいいだろ。
「そんなに引っ張らないで頂戴。一人で歩けるわよ」
「そうか? 今にも足を止めそうに見えるけどな。そんなになるならもうちょっと優しい言葉で言ってやれよ。聞いてるだけで気の毒だ」
「し、しょうがないでしょ。あの子は天然っていうか、ほわほわしてるから強めに言っておかないと分からないのよ」
「そこまでとは思わねえけどな。まあそれは後で話すとして、何か食いたいのあるか?」
「……特にない、ぐす」
「なら適当なとこ入るか」
鼻をすする姿は目に入れず、大通りにでもでれば食いたいものも見つかるだろうとそのまま進む。
「もう、無理矢理すぎるでしょうっ。ああもう分かったから、自分の足で歩くから離しなさいってば」
「おおっと、今日のお相手はキリエか? 代わる代わるいい女ばかり侍らせて羨ましいねどうも」
「開口一番で誤解を生むようなこと言わないでくれ、サガ」
キリエを引っ張っていった先で声を掛けられたかと思ったら、そこにいたのはサガ。相も変わらず飄々と、口をつくのは軽口ばかりの男だった。
「……どうも、こんにちは」
「ああこんにちはだなキリエ。ハハハッ、二人の時間を邪魔されたからってそんなに嫌そうな顔するなよ」
「そんなんじゃありません」
心底不快そうにサガに当たるキリエの様子からして、多分任務でサガに一杯食わされたんだろうな。攻撃に巻き込まれたか、囮にされたかまでは知らないけど。
「なあに、これも物事の一面性ってやつだ。で、また二人きりってのも珍しいな。アイリスはどこ行った?」
「別の任務だよ。今日か、遅くても明日には終わるんじゃないか?」
「へぇ、また避けられてるのかと思ったがまあいいか。しっかし、妹が入隊するとは気が気じゃないだろう?」
「……っ、アナタには関係ないですから、放っておいてください」
「ま、確かにそうだ。妹想いの姉としては圏士になんてさせたくないだろうしな。オレもエウリナとは一度話す機会があったが、なにせ実力も戦果も全然で未来の展望も開けていないだろう」
「アナタに一々言われなくっても――!」
「よせキリエ、それにサガもからかわないでくれ。それは二人の問題だ」
「っと、ちょいと口が回っちまっただけだ。悪かったな」
「それで、わざわざ話しかけてきたっていうなら何か用でもあったんじゃないのか?」
用の有る無しはどうでもよかったが一度話題を変えないと、キリエの方が爆発しかねない。きっとこの二人の相性は最悪だ。この短時間の会話ですでに分かった。
「そうさな、無いわけでもなかったが……」
するとサガは少し考え込むそぶりを見せると、フっと笑って手を軽く振って見せる。
「やっぱヤメだ。ちょっとした“頼み事”があったんだが、他のヤツを探すことにするさ」
「頼み事? また変なこと考えてんじゃないだろうな」
「おいおいよせよ、オレがいつおかしなことをしでかしたってんだ?」
「いつもだろ。やったことが表に出てくるかどうかでしか判断されてないだけだ」
「クク、それもそうだな。それじゃあなお二人さん、つかの間のデートを楽しんでくれ」
すれ違いざまに肩を叩かれると、そのままサガは立ち去って行った。
相も変わらず何考えてんだか分からない。というか掴みかねるって言った方が正しいのかもしれない。
何はともあれ面倒なのは立ち去ったので、当初の目的に戻るとしよう。
「まったく、あの人なんな訳? 社会生活を行う上で不適合にもほどがある!」
「そこまで言うか……?」
新たに発生したキリエの怒り方面の不機嫌さ、それを何とかしないといけなくなってしまったが。それでも、一人よりはいいのかもしれない。多分。
□ □ □
「ぅぅ……、ぐす…」
泣いてばっかりじゃダメなことは分かってる。
だけどお姉ちゃんに言われた言葉に受けたショックからはまだ立ち直れそうになくてワタシは一人、屋上に移動して風に当たっていた。
屋上にはワタシ以外他に誰もいなくって助かったかもしれない。もしもこんな姿を見られたら、それこそここにはいられないなんて考えに奔っていたかもしれないから。
「ワタシ……向いてないのかな……」
手すりに身を預けながら風にかき消されそうな小さな声で弱音を吐く。
それでも、お姉ちゃんと別れてからのワタシはずっとそんなことしか考えられないでいる。
『嘘付きな人間を、私は認められない』
「どうして、嘘なんかじゃないって……言えなかったんだろ」
自分の弱さが嫌になる。それを何とかしたかったからこの場に立っていたはずなのに、面と言われた言葉はどうしようもないくらいにワタシの心を暗闇に落としてしまった。
でも、今のワタシには何もない。
ディロン家の娘というだけで誰もが優しく接してくれはしない。女だからという理由で前線から外されるわけでもなく、必要であれば命がけの戦いにも躊躇なく踏み込まなければならない。
けれどワタシは、何も理解できていなかったということなんだろうか。
「はぁ……、ぐす…」
そんなことを考えていたらまた涙が出てきた。
肌を撫でる風は暖かく、だけど無関心にワタシを通り過ぎていく。
「おっと、ここにいたのか。探したぜ、エウリナ・ディロン」
「え?」
聞き覚えあるような声の方を見ると、そっちには誰もいない。考え込みすぎてまさかの幻聴かも、と考えてもう一度手すりに身体を預けようと前を向き直して――。
「よお」
「きゃ!?」
「そこまで驚かなくてもいいだろ? オレ気にしちゃうぜ」
「え、えぇっと…あ、スミマセン。急だったもので……、ええと、貴方は」
そこにいたのは圏士の先輩で、男の人。
髪は色褪せるくらいの明るい茶色で、腰には『原型』である拳銃が収められたホルスターが巻かれていた。
「ああそうか、そういやオレは後から行ったから顔も見られてねえか」
「ええと……、ワタシに何か御用でしょうか。…その、すいません、名前が分からなくて」
「サガって呼んでくれりゃあいい。階級とかもどうでもいいしな。一応入隊式の日、アンタを襲ってたバカと戦ってた、って言えば分かりいいか」
「あの日に?」
「ロストがヘマしそうなところをちょいと手伝ってやったんだよ。だがまあ、今日はそんな終わったことはどうでもいい。アンタにちょいといい話を持ってきた」
「いい話、ですか……?」
サガさんは手すりに背中を預けると、空を仰ぎながら目だけでワタシの方を見つめている。まるで試しているかのような瞳からはあまり良い印象を持つことはできない。
「ハハ、そう警戒すんなよ。そう大した話じゃないし、圏士なら誰でもやってる仕事を一つ、回してやろうかと思ってさ」
「どうして、初対面のワタシにそんなことを……?」
「ふん、警戒は解けそうにねえみたいだから正直に言っちまうと、半分は興味で半分足らずは善意、残りちょっとは悪戯心ってやつさ」
「えぇと……よく分からないんですけど」
分かりにくい言い回しで結局何を言いたいのか良く分からない。
サガさんには悪いけど、今は一人になりたいから用件があるなら早く済ませてほしいと思ってしまう。
「ハハ、キリエの妹ってのは本当らしいな。分かりやすい性格だ」
するとその考えが顔に出ていたのか、サガさんはワタシの顔を見て笑う。お姉ちゃんに似ているって。
「……そんなこと、ありません。それで、仕事っていうのはどういったことなんですか?」
「ああなに、『穢れ』を一体。倒して来いって任務が回ってきてな。ロストにでも押し付けようかと思ったんだが、気が変わった。アンタに譲ろうかと思ってな」
「それは……どうしてですか?」
「ちょいと姉妹喧嘩を小耳に挟んだんだよ」
「……っ」
「おおっと、そう身構えんな。別に弱み握って仕事を押し付けようって腹じゃあねえ。キリエのヤツが意志も戦果もない癖に、なんて言ってたろう。覚悟もない癖に圏士になるなってな」
「そこのところ聞かれちゃってたんですね……。だったらワタシにそんな大事な仕事を任せるなんて――」
「だからこそ、ってな」
「え?」
サガさんが何を言っているのかを考えるのに少し時間がかかってしまって、動きが止まる。だからこそ、っていうのは一体どういうことなんだろう。
「とどのつまりキリエに圏士として認めないって言われたからどうすればいいか悩んでるわけだろう? なら簡単だ、力を示せば済む話だ。自分の意思で戦って、自分の力で戦果を挙げればキリエもとやかく言えなくなる」
それは、セリフだけを抜き取るならきっと間違いなく正しいこと。
足りないものがあると言われたのだから、その分を埋め合わせて自分には力があるのだって示すことができれば誰も文句は言えないのだから。
だけど、そう簡単に済むような話じゃないってことは今のワタシでも分かる。
「で、ですけどワタシはまだ略式契約も出来ないですし……、一人で『穢れ』の相手なんてまともに出来ないですよ」
訓練を初めて間もないワタシはザニア達と比べても成長が遅れてる。
これまで喧嘩も満足にやってきていないから、武器の振り方以前に基礎訓練がほとんどで、『穢れ』を倒すための異能、『代償契約』なんてまだ先の話だ。
心配されちゃうから誰にも見られない様に自主練はしているけど、それでもまだまだ足りない。実戦経験のないワタシが一人で戦いに言ったところで返り討ちにあって殺されてしまうのが関の山だと理性が告げていた。
「ああそうか、そういうことならしゃーねえな。なら、残念だがアンタはここまでかもな。このまま討滅局に席を置き続けるのも、反対派のキリエがいる以上難しいかもだし」
「……」
「言っとくが、オレの提案の半分は紛れもなく善意だってことは分かってくれよ。その上で決めればいいが、機会が与えられるってのは不条理なもんだ。いつどんな時に、どんな内容でやってくるかなんて誰にも分からない。だが、そのたった一度を逃せば次があるとは限らない」
「それが今だって、言いたいんですか……?」
「それも分からねえことだな。もしかしたら明日にはキリエのヤツも気が変わって、これからは姉妹仲良く力を合わせて頑張っていきましょう。って言ってくれるかもだぜ? っと、これは流石に現実的じゃねえか」
「……そうですね。お姉ちゃんは頑固ですから、一度言いだしたらやり遂げようとしますし」
「で、分かるだろ? オレの提案に匹敵する二度目の機会が与えられるのかなんて誰にもわかりゃあしねえ。だから、一度目を譲ってやる。アンタはそこで圏士としての力と適正を示せばアイツも口を出せなくなる」
「それは……、でも、ワタシの力じゃ……」
「ま、明日までに考えるこった。オレはこの時間、この場所にいる。気が向いたならここに来ればいい。任務について詳しい話をしてやるからよ」
「あっ、サガさ――、行っちゃった…」
言いたいことを言うと、彼は呼び止める間も無く立ち去ってしまった。
彼の提案は現実的じゃない。それは分かっている。けど、ワタシに取れる選択肢はそう多くないことも事実で、お姉ちゃんから討滅局に掛け合ったりするなら時間もあまりない。
「明日、まで」
意志は定まらなくって戦う力はない。
そのワタシに彼の気まぐれで与えられた機会は余りにも危険で……ひどく趣味が悪い。
「……」
だけど、そう、だけど。
このまま何もせずに終わって、残りの命を波風一つ立たない場所でのうのうと生きていくくらいなら、この命を正しく使える場所で終えたい。
後悔に満ちた最後でも、正しく生きていられたという納得が欲しい。
「ワタシは――」
これが覚悟と呼べるのかは知らない。
この選択が正しいと呼べるとは思っていない。
それでもこの命が未来で正しくあるために、ワタシは進まなければならないのかもしれない。例えそれが茨の道であるのだとしても。
「嘘付きでいるつもりなんてない。自分が、正しいと思う道を」
これは、ワタシの人生なんだから。
「昨日の話、詳しく教えてください」
「ハっ、決まったみたいだな、元気になったじゃねえか。そう怖い顔すんなよ、ああ、そう大した話じゃあねえ」
翌日、同じ場所、同じ時刻。
そこには真っ直ぐな瞳で自身の為すべきことを問いかける、一人の少女の姿があった。
□ □ □
あれから、仕事を終わらせるとキリエに無理矢理酒を飲みにつれていかれた。
おれは法律上では一応酒に手を出せない年齢だから止めておいたが、そこでは大小様々な愚痴を投げつけられ、たまに八つ当たりされ、これからのことを相談し、最後には机に突っ伏しながら謝られるという、酔っぱらっていてもいつも通りのキリエの姿があった。
で、その後はもう動く気力もないといったキリエを背負って家に送り、まだ寝ないと駄々をこねる酔っぱらいをベッドへ寝かせるのに苦労させられて、自分の家に帰るとそれなりに遅い時間。
トートの餌やりが遅れてしまったから小さな同居人からはそっぽを向かれた。今朝だって朝から耳を噛まれて起こされたんだからまだ機嫌は悪そうだ。
で、目覚めると同時に今日出すことになっている報告書の作成を忘れていたことを思い出して。寝ぼけ眼でペンを走らせることとなってしまった。
おかげで何とか間に合ったけど、傍からしたら調子良さそうには見えないだろうな。
少なくとも、隣を歩いている彼女からは開口一番心配する言葉が飛んできたんだから。
「おれが疲れてるって見えたなら、そんなこんなで色々あったとしか言えねえ」
「そうでしたか。彼女はキリエの妹だったのですね」
その次の日の朝、ようやっと別任務を済ませてきたアイリスと合流して一緒に討滅局へと向かう最中、『疲れているように見えます』とのことでいつもの質問を投げかけられた。
大雑把に大体の流れをかいつまんで話すと納得したように小さく頷いていた。
「らしい。キリエも言いたいこと言って少しは落ち着いたかと思ったんだけど、そっちでは何かあったか?」
「早朝、二日酔いのせいか気分を悪くされてはいましたが、水を飲んで少ししたら落ち着いたのか髪を梳かしながら日光浴をしていました。今日は非番ですし、酷く落ち込んでいるようには見えませんでしたので問題はなかったように思います」
「そっか、ならいいんだけどな」
あの調子で起きられるのか不安だったけど、さすがのキリエだ。おれとは違って基本的な生活態度が高水準と言わざるを得ない。
「なんにしても、アイツが無事なら心配なのはエウリナの方だな。キリエもあえて厳しく言ったんだろうけど、それで傷つけたんだったら可哀そうでもある」
「ロストは彼女が圏士として戦っていけると考えていますか?」
「んー、どうだろうな。おれはそこまで人を見る審美眼的なのはないと思ってるから、一目見てコイツは出来るヤツだ。なんてことまでは直感でしか言えないし、何の根拠もなく言うのは相手に対しても無責任じゃないか?」
なんて言ってるおれでも、相手に自信を持ってほしいときなんかは、それらしい言葉をつい口にしてしまってる時もあるような気がする。そのつもりが無くても伝わり方ひとつなのだから対話となると難しいもんだ。
「では、その直感ではどう思ったのですか?」
「え? やけに気にするんだな。そうだな――」
しかしアイリスはおれの直感とやらが気になるのか掘り下げてきた。いやそんな大したもんじゃないんだけどな、アイリスの質問には答えるという約束をした身としては考えざるを得ない。
「優しそうで、周りから大事にされてそうな感じの子だったし、一人で戦うってなると……まあ心配はするかな。ただ同期の三人組とは上手くやってるみたいだし、一緒にやってける分には大丈夫そうに思ったな」
おれの場合でもキリエとジャイロがいてくれて、それで何度も助けられてる。人を惹きつけるエウリナの素質があれば、彼女を助けてくれる人も集まるんじゃないか。
となると、あとは彼女がどこまでその期待に応えられるか。その一点に尽きる。
「ま、人のことはそうそう分からないんじゃないか。人間、自分自身のことだって全部理解できてるわけじゃないだろ」
「それはそうですが。……すいません、この質問は困らせるものでした。ただ少し疑問に思ってしまったものでして」
「いいけどさ、それくらいでアイリスの気が晴れるなら全然かまわないし。そういえば、アイリスって兄妹とかいるんだっけ?」
今度はこっちの方から気になる部分が口をつく。
思えばアイリスが日環にいたころの話ってそんなに聞いたことなかったような気がしてきた。せいぜい教戒で働きながら静かに暮らしていた、とかそんなくらいだった。
(アイリス自身のことって、考えてみればあんまり詳しくないんじゃないか?)
アイリスが来てからというもの、任務が別れたりしない限りはほぼ毎日一緒にいるのにそういう個人情報的な話はあんまりしてなかった。
(なんでだっけ?)
そう考えたのもつかの間、それらしい記憶にすぐさま思い当たった。
そうだ、入隊してすぐのころキリエとジャイロの三人で話していた時のこと。ジャイロは普通に答えていたからキリエにも何の気なしに聞いてみたら『誰彼構わず個人的な話を聞くものじゃないわ』なんて怒られたんだった。
それ以来、少し注意はするようになったわけで。
そういえばあの頃のキリエは今よりもずっとツンケンしてた。今みたいに馬鹿言い合ったりするまでには半年くらいかかった気がする。
「家のことで飛び出したらしいし、気が立ってたのかな」
「?」
「ああいや悪い、何でもない。で、アイリスって兄妹いるのか? 聞かれたくないことならそう言ってくれれば控えるけど」
数年おきの答えに、小声で一人納得しているとアイリスが怪訝そうに首をかしげていた。知りたがりの彼女を知っていれば可愛らしい反応だが、第三者のことで勝手な憶測で話をするのはアイツにも失礼だ。
ってことで話を戻してみると、アイリスは少し考え込んでから話し始めた。
「構いません。隠すようなことではありませんし、気分を害することもありませんから。ただ、それは血の繋がった兄妹という意味でしょうか?」
「え? それ以外での兄妹っていうと――」
「私は教戒に属する以前、孤児院で暮らしていました。そこではそれぞれ似た境遇の子供たちが協力し合って生活をしていたのです」
「つまりそこでのみんなが兄妹っていいたいのか?」
「はい、ですがロストの質問内容に血の繋がっているという前提条件が含まれていたなら、これは正しい返答とは言えないでしょう」
「なんだそういうことか」
やけに真剣な顔だと思ったら、アイリスなりに回答となるかどうかを吟味していたようだ。真面目なのと性分が合わさったのもあって会話が独特なリズムになるのはアイリスらしいけど。
「アイリスがそう思ってるならそれでいいよ。じゃあ血の繋がってる方の兄妹とかはいないわけだ」
「はい……いえ、そう、ですね」
またしても思考に入るアイリスだったが、それは単に返答の仕方に困っているというよりも、答え事態に困っているように見えた。
「ん? どうかしたのか?」
「そのですね。実際にいるかどうか、それが分からないのです。先ほどもお伝えした通りに私は孤児院で育ちました。そのため記憶には存在しないものの、血の繋がった兄妹もいたのかもしれません」
「そういうことか。じゃあ、もしかしたらどこかで今も生きてるかもな」
「……本当にそう思いますか?」
「ん? そりゃあ可能性がないわけでもないだろ。ま、アイリスが一人っ子だったなら話は別だけど、想像する分には自由だ。おれも一人っ子だったし、兄姉って言うとキリエとかジャイロとか。アイツらがそれっぽいかな」
血の繋がりって言うならおれも大概だな。
生みの親とやらはどこで何をしてるのか一切分からないし、もしかしたらそっちには兄妹がいたりするのかもしれない。
そう考えるとアイリスとおれはこの点において、拾われた先が孤児院かアイツか、それくらいの違いしかないと言えるかもしれない。
「あーでも、話し相手がいるっては羨ましいな。ガキの頃とかは近所に同世代もあんまりいなかったから、一緒に遊ぶとかもあんまりなくってさ。店の手伝いと称して色々やらされた」
「ふふ、そういうことでしたら、こちらもそう変わりませんよ。大人が管理しているとはいえ未熟な子供の集団生活となりますから。教えに従い規律を護らねば生活自体が瓦解しかねません」
「その割には楽しそうに話すんだな」
「ええ、そうかもしれません。灯日に住む多くの人からすれば、ただ生きるための生活をするというひどく退屈な毎日でしょうが、私にとっては穏やかで……、それでいて満たされていました」
口元を小さく綻ばせて笑うアイリスからは、過去のことで引き摺っているような印象は受けない。いつぞや教戒での話を聞いた時も素晴らしい場所だって言ってたし、落ち着ける場所がアイリスにとっては性に合ってるんだろう。
「そうなると、おれもアイリスも姉妹喧嘩ではいいアドバイスは難しいかもな。出来る限りのことはしたいけど、どこまで踏み込んでいいのやら見当がつかん」
「そうですね、私もキリエが苦しんでいる様子を見たくはありません。可能であればお互いに心から納得できる結末となることが最適なのですが」
「つっても昨日の今日で何とかはならないんだよなぁ。一旦エウリナと話しして様子を見てみるしかないか。少しは持ち直してるといいんだけど」
「はい。私も圏士になってからの彼女とは話せていないので、もう一度お会いしたいです」
圏士をやってて思ったことだが、同じ圏士、特定の人物には狙って会いに行かないと数か月単位で顔を合わせないなんて結構ザラだ。
任務が別だとマジで会わない。灯日内の見回りだとしても、連絡は式神経由で伝えられるから顔つき合わせて打合せとかもあんまりない。
更にエウリナ相手だと、新人相手の訓練期間だから外の任務に出ていると会うこと自体まず不可能だ。
そういやジャイロともしばらく会ってねえな。アイツのことだから任務もそつなくこなしてるんだろうけど。
「そういえばロスト、一つお聞きしようか悩んでいたことがあったのですが」
「ん、まだ何か聞かれるようなことあったな?」
「はい、その式神のことですが……」
「ああー、コイツか」
アイリスの言っているのはおれの胸元から頭を出している式神ネコのことだった。そうだよな、アイリスが知ってるわけない。
「今カルディアから本物の猫預かっててさ。そのことで何か問題あった時の連絡用。一応任務でも使えるから連れてきたんだけど」
専属とやらのことは置いといて、使えるものは使った方が便利だ。とはいえ観測室も余裕ができたわけじゃないだろうから万が一の保険みたいなものだけど。
「そう、ですか。分かりました。……そういう事でしたらまた、そのトートを見せてもらいに行ってもよろしいでしょうか」
「おとなしいヤツだし、すぐ懐くと思うから別にいいけど、……あー、掃除しときます」
「? はい、頑張ってください。では到着ですね。今日も持てる力を活用して任務に励みましょう」
男一人暮らしの家に上がることに対して一切の疑問を抱いていないのはいいことなのか心配するべきなのか。いやおれの言えた義理でもないけど。
それと、そうこうしているうちに討滅局に到着していた。
おれもアイリスも合流する前の仕事は済ませている。だから今日は報告書の提出ついでに、新しく任務を受けておかないとサボリになってしまう。
そう思って観測室からの情報や、局内部の資料を纏めてくれている圏士側の『管理室』に足を運んだ。
普段は資料の提出が遅れると注意されるが、今回は話を通してくれていたおかげでスムーズに話が進んでくれた。……いつもスムーズじゃないのはおれのせいだけど。
「それで、おれたち丁度任務が終わってて、手が空いてしまって――」
「そういう状況ね、ハイハイちょっと待っていて」
いつここに来ても眉根を寄せていて、見るからに気難しそうな受付の人に話を遮られると、手元の資料をいくつか見比べてその中から数枚取り出した。人手が空いている任務ということだろうか。
「えーと……」
その中から更に中身を読み進め、最終的に残ったのは二枚のみ。それらをおれたちの前に並べると指先でトントンと叩く。
「アナタ達ならこのどちらかで問題はないと思います」
差し出された資料にを二人で覗き込むと、中身はどちらも『穢れ』の討滅任務。調査は完全ではないとの記載はあるが、精々二級相当の相手であると判断されているらしく、経験的にもおれたち二人ですぐに向かって問題なさそうな『穢れ』ではありそうだ。
「えーっと、なら場所両方貰ってくか。後に回した方で被害が出たら笑えない」
「そうですね、出現位置も少し距離はありますが連続戦闘にも支障のない範囲かと」
「ありがとうございます。それじゃあ――、ん?」
「どうかしました? 実力に見合った選定をしたはずですが?」
おれの疑問に対して訝しむように目を細める受付さんからは、『自分の目利きに不満でもあるのか』と言いたげに、というか半分以上口に出して睨んできている。相変わらず怖い。
「あー、いや。こっちの方……なんですけど」
圧力にタジタジになりつつ、手に取った内の一枚を受付さんに見えるように置くと中身を確認する。
「この任務ってこの前おれが倒した『穢れ』とは別の個体ですか?」
「ふむ、この前とは?」
「ええと、入隊式の少し前くらいだから……」
「少し待っていなさい。――少しいいですか? 確認したいことが」
「あ、はい」
話し終える前に受付さんは資料を手に取ると、後ろで作業してる他の職員にいくつか質問と確認をしてくれている。
「終了した任務が混ざっていましたか?」
「んー、まったく一緒ってことはないかもしれないんだけど、見た感じ前に倒してきたヤツと出現場所も見た目の特徴とかも似てたんだよ。気のせいならおれの勘違いで良いんだけど」
任務の中身はこの前、灯日に繋がっている線路付近に現れた『穢れ』の討滅とよく似ていた。
この前本人から聞いたように、ちょうどエウリナが乗っていた列車だったらしく、戦ってる姿を見られてたらしいがそれほど苦戦はしなかった。
『穢れ』の脅威は二級以下と判断され、戦った時も一人で問題なく討滅できたからもう大丈夫だと思っていたんだが……。
それに線路が通っているとはいえ、そういうところは初めから『穢れ』が出現しないところを選んで作られている。辺りに草一本生えてないようなところとかだ。
つまり、そんなところに連続して現れるってことはまずない。人が通るから襲ってるんじゃないかとも思ったけど、列車が通るって言っても頻度は多くない。そこまで計画的に行動するかといわれると首をかしげる。
ただの珍しい偶然、もしくは勘違いならそれはそれ。わざわざ調べてもらってるのが申し訳ないけど、すでに倒し終えている相手なら無駄足を踏むこともない。
それで済むなら深く考えることもないんだけど――。
「……」
「…………」
「結構かかってるな」
「珍しいですね。いつもであればこういった処理も簡潔に済ませていらっしゃるのですが」
皆が受付さんと呼ぶ、気難しそうな初老の男性は局内全ての事務関係の情報が頭に入ってるんじゃないかと思うほど、質問に対して即返答が来る。
今回のようなことだって、資料を確認したり他の職員に聞いたりすること自体珍しいことだ。その上ここまで時間がかかってるとなると何か問題でも起きたのかもしれない。
なんて考えていると、さっきの資料を手に戻って来た。受付さんの様子を伺ってみるけど、表情一つ変わらないから問題あるのかないのか良く分からない。
「すいません、どうでしたか」
「結論から申し上げますと、以前ヘリオール二級が請け負った任務とは異なるものです。ただ、一部確認の取れていない箇所があります」
「というと?」
「任務内容自体、以前ヘリオール二級が請け負い、討滅した『穢れ』と同じものでした。つまり、同一位置に全く同じ姿の『穢れ』が出現したことになります」
「もしご存じであればお聞きしたいのですが、それはあり得ることなのでしょうか。全く同一の姿を持った別個体の『穢れ』が同じ場所に現れるなど」
「私はあくまで事務の受付です。現場については貴方がたの方が詳しいかと」
「少なくとも、おれは見たことも聞いたこともないな。同じ場所でも全く別の姿だったり、似てても全く同じなんてのはまずなかった」
「ですがこの任務は以前ロストが受けたものとは異なると断定されています」
「ええ、間違いありません。この任務が発注されたのはつい先日、式神による灯日周辺の警戒時に観測室が発見したため討滅が要請されています。少なくとも生存している『穢れ』がその場にいるということは間違いないでしょう」
「なら、おれが倒し損ねたか……? いや、手応えはあったし消滅するのも見届けたんだけどな」
倒した時のこと思い出してみても、倒し損ねたなんてことはまずないと言い切れる。とはいえ実際に現れたというのならおれの記憶なんて早々アテにもならないか。
「すいません受付さん、私からも一つよろしいでしょうか」
するとアイリスが小さく手を上げて質問の許可を得ようとする。
「分かることであれば」
「先ほど、一部確認の取れていない箇所とおっしゃっていましたが、あれはどういった意味でしょうか。『穢れ』が同一個体であるかどうかは観測室からの報告によって異なるという結論に至っているように思います」
「ええそうです。ですのでお二人にはこちらの方が問題となるかもしれませんね」
「それはどのような?」
「この任務は数日前、カロシ一級が受注しています。しかしその後一切の報告がないため完了しているかどうかは不明となっており、そのためにお二人が向かっても既に討滅されているという状況も考えられます」
「カロシ一級、ですか?」
「サガのことだ。あの銃使ってる…まえの事件の時に一緒に戦ってたヤツ」
「ああ…、サガ一級ですね。すみません、名前が出てきませんでした」
「ド忘れなんてアイリスにしては珍しいな。ああいやでも、そうなると……本当にアイツがこの任務を受けたのか? ……アイツにしては普通の任務すぎる気がするけど」
なんというか、ちょっと引っかかる。
アイツの基本行動は面白そうかどうか、って印象だ。だから指示を受けていくことになった任務では仲間を囮にしたり、興味のないのは初めからからサボったり。問題行動を起こしている。
そのアイツが自分から受けた上で放置してる任務なのに、あんまりにも普通過ぎるというか、裏があるんじゃないかって勘ぐってしまう。
「……」
「どうされます?」
考え込んでいるところで受付さんの変わらず冷静な声で現実に引き戻された。サガの実力は折り紙付きだし、自分で受けた以上始末はつけると思うんだけど……。
「あー、えっとじゃあ一応両方見てきます。現場には行くんで、もし終わってそうならおれ達から報告いれます」
「分かりました。ではこれで」
話が終わるとそれ以上は対応の必要無しと、おれ達が話しかける前に手掛けていた書類仕事に戻ってしまった。
「じゃあ行こう。すいませんお手数おかけしました」
「はい、そうしましょう。ありがとうございました、失礼します」
これ以上邪魔するのも悪いし、サガの関わってない方の『穢れ』討滅であれば、いないってこともないだろうから、まずはこっちを処理して――。
「やはり気になりますか?」
「……そう見える?」
「はい、いつもより顔が険しいので」
「なんか嫌な予感がするんだよな。ただの勘だけど」
「であれば、先にそちらの現場に向かいますか? どちらにせよ本日中で両方の『穢れ』を討滅できるかは分かりませんし、不安要素は先に片づけてしまった方がその後のためにもなるかと」
「そう、だな。じゃあ線路の方から行かせてもらっていいか?」
「もちろんです、私たちは仲間ではありませんか」
「ありがとうな」
「気になさらないでくださいロスト。ただ、街の外に出るとなると少し準備が必要ですね。一度取りに戻っても?」
「おれもこの式神使えるか確認しておきたいから、そうだな……、十五分後に駅前集合でいいか?」
「分かりました。それではまた後で」
「ああ」
灯日の外に出るとなると、外套や携帯食料とかの装備が必要になってくるし、連絡用の式神も観測室からつけてもらわないといけない。
最近は規則も厳しくなってきたせいで、緊急事態でもなければこの辺の手続きをちゃんと踏まないと任務一つにも行けやしない。
式神については胸元でだらけてるカルディアの式神ネコがいるが、アイツが操作してくれなきゃ機能しないからな。一旦、連絡とって余裕あるかどうか確認しとかないと。
「それにサガのヤツもどこにいるかだな。探したところで見つかるか怪しいし」
「あれ、何やってんだお前こんなとこで」
「……」
背後から掛けられたのは変わらずの軽口、浮くほどの軽さの中身に何が入っているのかは分からないが、話しかけてきた男の声色からは、あからさまに上機嫌であることが伝わってくる。
そして、コイツの機嫌がいいということは――。
「丁度良かった、聞きたいことがある。サガ」
「おっとっと、ずいぶん怖い顔じゃねえか? なぁ、ロストくん」
隠そうともせず歯を見せて笑うサガの姿を前にして、おれの心は静かに警戒を高めていった。
□ □ □
『私はもうこの家にいる必要はないはずでしょう! ここでの役割は無くなった以上好きにする! この名前が邪魔だって言うならここで捨てるわ、だからもう関わらないで!!』
あの時見た、父の悲しみに満ちた顔を覚えている。
あの時聞いた、母の泣き声を忘れたことはない。
その時きっと、あの子も見ていたし聞いていただろう。なのに、どうして――。
いつものように起きた後にアイリスを見送って、休みなのだから散歩にでも出ようかと思ったけど、どうしても気分がよくならなくてベッドに横になっている。
だけど横になっていても眠りに落ちることも出来なくて、二日酔いのせいなのかエウリナに厳しく当たってしまったせいなのか。いいえ両方ね、思い出したくもない昔のことばかりが何度も頭に浮かんでくる。
「…………はぁ、忘れられたらマシなのかしらね」
家を飛び出したあの日、それまで育ててくれた両親へ最後に投げかけた言葉としてはそれなりに最低の部類に入ると自負している。
決して悪い人たちじゃないし、あの人たちなりに家族の幸せを考えての言動だった。ただ、その幸せは私にとっては絶対に噛み合うことのない灰色の日々だったでしょうけど。
「……どうしてエウリナまで」
その中で一番考えているのはあの子のこと。
小さなころから綺麗な服を着て、ちゃんとした教育も受けていた生粋のお嬢様だっていうのに、男の子みたいに活発で高い服をいつも泥だらけにしてたからよく怒られてた。
いつもそんなあの子に付き合って遊んでたあげてたけど、どうしてそうしていたのかさえもよく思い出せなくなってきた。私は、あの家にいるべき人間じゃなくなっていたのに。
「…………、私は…あの子の姉なんかじゃないのに……」
小さくこぼした言葉に、まるで呼応するかのように扉がノックされた。
「……っ?!」
このボロボロの建物はどこを踏んでも床が軋む音が鳴り響く。いつもなら誰かが部屋に近づけばすぐ耳に届くけど、エウリナのことで考え込んでいたせいで気付かなかった。
押し売りが来たのかと思ったけど、一体だれがこんな辺鄙な場所まで来るものか。念のため音を立てない様に腕だけで身体を起こすと様子を伺う。
向こうも返事がない状況を前に、もう一度ノックをしてくる。今は進んで誰かと話したい気分でもないし、このまま居留守を使うのもいいかもしれない。
任務のことでの招集なら式神経由で連絡が来るでしょうし、その時は眠っていたとでも答えれば――。
「キリエ、お休みのところすみません。アイリスです。まだ部屋にいますか? 体調は大丈夫ですか?」
なんて思っていた矢先に聞こえてきた声は唯一の同居人であるアイリスだった。彼女の心配そうな声色を聞いてしまうと、居留守を使おうだなんて考えもどこかへ行ってしまう。
「あれ……アイリス? んんっ…え、っと、ちょっと待っていて」
自分でも気の抜けた声を出してしまって小さく咳ばらいをすると、立ち眩みでふらつく頭を片手で押さえながら玄関に向かう。
「お待たせ、どうかしたの? 忘れ物とか?」
「灯日の外へ『穢れ』の討滅に行くこととなりましたので少し荷物を取りに。キリエの様子も気になりましたので」
「ふふ、ありがと。少し気分は悪いけど大丈夫よ。むしろ横になりっぱなしの方がダメかも」
動きもしないで固まってるから嫌なことばかり頭をよぎってしまう。一旦眠れば回復するかもと思ってたけど、今のところ効果もないし散歩にでも行った方がいいかもしれない。
「そうでしたか。エウリナさんが妹であるとお聞きしました。……私ではお力にはなれないかもしれないですが、出来ることがあれば言ってください」
「もう、あのバカ。誰にでも広めてんじゃないでしょうね」
なんて口にはするけど、あの喧嘩を見た人が他にもいないこともないだろうし、まず名字が同じだ。噂なんてすぐ広まるもの、考え込むだけ意味のないことだった。
「アイリスは急ぎ?」
「十分後に駅前でロストと合流しますが、余裕がないわけではありません」
「そ、じゃあ私も一緒に行こうかな」
「今日は休んでいた方がよいのでは……」
「ごめんごめん、任務じゃなくて途中まで散歩の話し相手にでも、ってね。別れた後は適当に街でも歩くわ」
「分かりました。では私もすぐ準備いたしますので少々お待ちください」
「もし時間に遅れそうなら先に行ってくれてていいから――」
「お話中失礼します。その…、キリエ・ディロン二級」
「え?」
着替えようと部屋に戻ろうとした矢先、芯のある女の子の声に呼び止められた。だけど私を名指しする声は気まずそうというか、気を使っているような声色だ。
そっちの方を見てみると顔に見覚えのある一人の圏士が不安げに眉をひそめ、いい言葉を選ぼうと考えているみたいだった。
「えー、と……。確か……、ゴメンなさい顔を見た覚えはあるんだけど、どこでだったかな」
「此方もキリエさんとは直にお会いしたことはないので、恐らく顔写真を見たのではないでしょうか。アタシはザニア・シャルラインといいます。先日、エウリナさんと同時に入隊した者です」
「シャルライン?」
その家名には覚えがある。そうか、なら彼女が残された一人娘の――。
「……はい、キリエさんならやはりご存じですね」
「ああ……そのことは、今はよしましょう」
「お気遣いありがとうございます」
「……見覚えについては貴女の言う通り、顔写真で見たんでしょうね」
エウリナが圏士として討滅局に席を置く以上、整理用の資料が存在する。で、私は事実確認のために“機密”と書かれたその資料を漁って読んだ。呼び出されてはないから、私が忍び込んだことはまだバレてないらしい。
その時に他三人の資料にも目を通している。エウリナと彼女と男の子が二人。あの時はエウリナの存在を確認してたから頭がいっぱいで気にも止めてはいなかったけど、確かに目の前にいる子と同じ顔だった気がする。
「それで、どうしてここに? あの子のことなら私は知らないわよ。仲がいいとは聞いてるけど、私はエウリナが圏士でやっていけるとは思ってないから」
「急に伺ったことは申し訳ありません。キリエさんがエウリナさんの入隊に反対しているということも本人から聞いています。ただ、今日ここに来たのはそのことではありません」
「……彼女に何かあったのですか?」
それまで黙って聞いていたアイリスが怪訝そうに尋ねる。それはきっと予感と呼ばれるもので、私の胸にも広がりだしたコレはきっと、嫌な予感というやつだ。
「その様子だと、ここにも来ていないんです……よね」
「ちょっと待って、もったいぶらないでちょうだい。あの子もしかして、いなくなったの?」
ザニアの様子から言いたいことは読み取れた。けど、その本人から答えを得るまではまだ確定じゃない。だから、答えなんて聞くまでも無かったのにあえて聞き直したのは、私なりに焦っていたのかもしれない。
「はい……、朝から訓練にも顔を出さなくて連絡の一つもない。家にもいなかったので、もしかしたらキリエさんのところで話しているんじゃないかと……」
「来てないわ。アイリス以外、来てない……」
「キリエ、落ち着いてください。悪いことが起きたとは限りません。酷く落ち込んでいるとのことでしたし、ただ一人になりたかっただけということも十分可能性はあります」
「そう、かもしれないけど」
その様子はなかったのかと、ザニアの方を見てみる。だけど彼女自身もどちらともいえないから私のところまでエウリナを探しに来ているんだ。
それにエウリナの変に真面目な性格からして、訓練を休むというのは考えにくい。子供の頃からお転婆ながらに習い事は弱音を吐きつつも投げ出したりはしなかった。
少なくとも私が家を出る前まではその性格に変わりはなかったし、こっちで話したあの子の様子は昔のままだった。
だから私にはハッキリと分かる。エウリナが、何の理由もなしに姿を消すことはあり得ない。
「最後に会ったのはいつ?」
「昨日の夕方、訓練が終わった後に家まで見送ったところまでです。落ち込んではいましたが、明るく振舞っていたのであまり踏み込めずに……。他の二人も今街中を探しているので、もし見つかったらすぐ連絡が来ます」
「ありがとう。でもそう気負わないで、貴女たちのせいじゃないわ」
「すいません」
こうなったら疲れだとかなんだとか言ってられない。
一刻も早く見つけ出して、みんなをこんなにも心配させたことを叱らないと。圏士であることを反対はしているけど、そのために自分を心配してくれるような相手を苦しめるようなことは間違ってる。
「でもどこにも当てがないんだったら虱潰しに探すしか――」
そこまで言ったところで階段の方から、何か小さな生き物が勢いよく走ってくる音が聞こえてきた。その音は階段を上り切ると、その勢いのまま白い影となって廊下の角から飛び出してきた。
「あれは、カルディアさんの式神です。白ネコなので恐らく相手はロストかと。こちらアイリスです、どうされましたか?」
「みー」
向こうからの声がよく聞こえるようにしゃがみこみ、耳を傾けるアイリス。その向こう側からは言葉通りロストの声らしきものが漏れ出てきていて、風の音も紛れ込んでいるからどうやら急いで走っているみたいだった。
『アイリス聞こえるか。問題発生だ、合流せず急いで現地に向かってくれ』
「……、詳細を」
音をたてないようにと、念のため私とザニアに目配せをすると話すように促した。ロストはそのまま走りながら、アイツには珍しく怒りを隠し切れない口調で話し出す。
『サガの野郎やりやがった! さっき被ってるって言ってた任務、まだ解決してない。サガが受けたまま放置してたんだ!』
「ロスト、それがどの様に問題なのですか? 出現した『穢れ』は特別強力な個体というわけではなかったはずです」
『そうだ、だけど向かってるのがサガじゃない。あの野郎、よりにもよってエウリナに押しつけやがった!』
「なっ……」
「そんなっ」
ロストの吐き捨てるような言葉に対するアイリスとザニアの絶句。
「――――」
だけど、その言葉を聞いた瞬間に私の頭は真っ白になっていた。
あの子が一人で戦いに行った? まだ満足に訓練すら終えてない、代償契約すら満足に扱えないだろうあの子が? 一人で? ……死んでしまうかもしれない戦いに?
「うそ……、嘘よねロスト、それ自体がサガさんの質の悪い冗談でしょ……」
『……アイリス、一人じゃなかったのか。…、しまったな……』
「しまったじゃない! ロスト、どういうこと! なんであの子がそんな任務に出てるの!?」
「ふみ…ュッ……」
「お、落ち着いてくださいキリエさんっ、そんな力で握ったら式神が壊れてしまいます……!」
「……っ、ふぅ…、ごめん、なさい。どういうことなのか、ちゃんと説明して」
『…………』
つい式神ネコに伸ばした手に力が入ってしまって、ザニアに止められる。毛に薄く手形の残った式神ネコはアイリスが抱きかかえ、その向こうから話すべきか逡巡するロストの様子が伝わってきている。
「ロスト、私からもお願いします。エウリナさんが関わることならばキリエには知る権利があるはずです」
『……ああ、そうだな。サガ本人の言うことには、圏士としてやっていけるって力を示すために、丁度いい『穢れ』の討滅任務を譲ったって言いやがった。たった一人で、式神もつけず援護もない。その上、相手の『穢れ』は少し怪しいところもある。一人で行かせるなんて危険すぎる』
「…………そう、場所はアイリスが分かるわよね」
『まだ調子悪いだろお前、ここはおれとアイリスに任せて――』
「関係ない! ここで何もせず一人で待っているなんて出来るわけないでしょう?! あの子は私のたった一人の妹なの! その子が危険な目に遭ってるかもしれないのに待ってろっていうつもり? ……それは間違ってる、私はそんな生き方したくない」
『……っ、分かった。アイリス、任せていいか?』
「もちろんです。すぐ向かいます」
『なら頼む、そろそろ通信範囲から外れる。近づいてきたら連絡くれ』
「了解しました。では一度通信を切断します」
そう返答すると、すぐさま自室に戻り初めに取りに来ていた、小さなショルダーバッグを肩にかけて戻って来た。
私も急いで着替えないと、この格好で飛び出してしまいたいくらい時間は惜しいけど戦闘を考えれば隊服でなければ事故で大怪我を負いかねない。
ザニアの着ているそれとは些かくたびれた衣装、着慣れた隊服を取り出すと大急ぎで身に纏い、『原型』を手に取る。
「あの、アタシたちは――」
「『観測室』を通じて上に報告しておいて。私たちの名前を出して、瞳士のカルディアかハイネを通じてくれれば伝わりやすいはず。あと、もしかしたらエウリナが灯日からまだ出発してない可能性もあるから街中を探してくれてると助かるわ」
「分かりました、あの…っ、キリエさん」
「どうかした?」
「すいませんでした、アタシたちがちゃんと様子を見ていればこんなことには……」
「さっきも言ったでしょう。貴方たちのせいじゃない。これは私の責任、あの子に対して背を向けてしまっていた私の」
「キリエさん……」
「それじゃああとのことは任せるわ。くれぐれもよろしくね」
「はい、任せてください。先ほどのことは必ず」
「行きましょうキリエ。時間がありません」
「ええ。あのお転婆にお説教をしに行かなきゃね」
例え名と心の繋がりでも、たった一人の妹を何もせず失うなんて認められるわけがない。 何があろうとあの子には幸せになってもらわないとならない。
私の力はそのためにこそあるのだから。
『本編について』
・サガの暗躍
都市の外で動く連中がいれば、中で動く連中もいます。とはいえ誰がどこと繋がってるのか繋がっていないかはまだ言えないので結果は追々です。
・エウリナ、走る
あのキリエの妹なので一度決めたら突っ走るのは同じです。
とはいえまだまだ実力は……なので、キリエ的にも実践前に諦めさせたかったですが残念ながら出て行ってしまいました。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)
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