昔はよかった
「ミァ」
「んぁ…?」
こっちを呼ぶような声と、頬を何度も押される感触で目が覚めた。
目を開けた先には真っ黒な毛並みに青い目。カルディアの式神ネコがおれの顔をこねるように前足で踏みつけていて、その先には覗き込むようにこっちを見てるカルディアがいる。
「…よお、あれからどうなってる?」
「お疲れ様っす、先輩ならまだ寝てるっすよー」
「そっか、分かった。目覚めて一発で怒られなさそうでよかったよ。くあぁ……、薬って結構効くもんだな」
「ロストさんって当たって砕けろみたいなことしがちっすよねぇ。場当たり的というか」
「その時はそれが一番いいって思ってるからそれでいいんだよ。よいしょ、っと」
体を起こして辺りを見ると、おれは元居た部屋じゃなくってソファに寝かされていた。あの後誰かが運んでくれたみたいだ。
「とりあえずそろそろコイツ止めてくれ。ずっと踏んでくるんだけど」
体を起こしたことで顔じゃなくって腹辺りを飽きることなく踏んでくる式神ネコ。痛くもなんともないけどちょっとくすぐったい。
「ああすみませんうちの子が、人懐っこい子なんで一旦じゃれつくと止めないんすよ。もうすぐご飯の時間だし」
「ご飯の時間って、うわ……結構寝てたな。報告書作んないといけなかったのに」
窓から覗く空は日も沈みかけていて朱色よりも藍色が勝っている。
仕事の前にハイネの様子をちょっと見に来るつもりだったのにいつの間にやら午後が潰れてしまった。後で怒られるだろうな。
「あちゃーっすね。ご愁傷さまっす」
「まあしゃーないか、あんな調子じゃハイネにも話は聞けそうになかっただろうし。瞳士の人らに倒れられても困るし」
「いやぁみんな感謝してたっすよ。感謝しすぎて即睡眠に移ったもんだから一時的に観測室の機能が停止したくらいでした」
「それ本当だとしたら大分ヤバいだろ……」
「冗談っす」
「ならよかったよ」
「あはは。で、ロストさんに伝言っすけど、今回のことは主任から伝えてくれたみたいでお咎めなしっす。ただ次出す時には明日の分も合わせて報告書出すようにって」
「はぁー…、助かったぁ、ハイネが問題児でよかったぁ」
「それ、聞かれたら怒られるっすよ」
「聞かれてなきゃ何とかなる。んじゃおれも帰るか、ずっとここにいても邪魔だろうし」
「あ、それでなんすけどロストさん、ちょっと頼みたいことがあってっすね」
「ん?」
なにやら脇に置いてあった、抱えるくらいに大きい紙袋を取り出すとそのまま渡してくる。中を覗いてみると、そこにはちっちゃな籠とか毛のついた毛布、ブラシやらが顔をのぞかせていた。
「なんだこれ」
「その子なんすけど、何日か預かってほしいなぁ。なんて」
「預かるったって、式神をか? 仕事で使うだろ」
「その子式神じゃなくって本物っすよ」
「え、そうなのか?」
「ミァォ」
まるで返事をするようにピッタリなタイミングで足元から声を発する。
「飼ってるのか? まあネコならたまに野良も見るけどさ」
灯日の中で生活してると、食料用の家畜ならともかく野生動物なんて神域の森にでも行かなきゃまずお目にかかれない。ただ鳥とか猫くらいなら外縁部で群れでも作ってるのか、たまに見かけることもある。
「こっちに引っ越してきたころにアパートの前で子猫が倒れてて、それ切っ掛けっすね」
「ふーん、にしても全く気付かなかった。こんなとこに本物がいると思わなかったのもあるけど」
「いつも使ってる式神はこの子の外見に寄せて作ったんで無理ないっすよ。同じ動物からするとやっぱり偽物にしか見えないのか避けられちゃうっすけどね」
カルディアの式神がネコだから気付けなかった。抱き上げてみると確かに式神を持った時からは感じない生物特有の心臓の鼓動や血流が伝わってくる。
「名前はトートで、見ての通り人懐っこい上に大人しい子なんで迷惑はそんなにかけないと思いますんでぇ……、そのぉなんとかならないっすかねぇ?」
「絶対に無理とは言わないけどさ。おれも一日外だから一匹で家に残すことになるぞ? この、トートに何かあったらお前にも悪いし」
「んー、そうっすよね、いきなり言われても困るっすよね。ですんで流れを説明すると、あの事件のあと急に泊りがけになっちゃったんで、空いてた部屋を使わせてもらってたんっす——」
カルディアのいうことには、始めは数日で調査のケリもつくだろうと観測室全体が高をくくっていたものの成果は表れず、ハイネの行軍に巻き込まれ死屍累々。
初めは時間があればトートの面倒を見てくれていた人たちもその余裕を失い、カルディア自身も時間感覚を失ったことで餌の時間も定まらない。
おれがハイネを眠らせたことで、現在観測室内ではぐちゃぐちゃになったシフトを再編成しているらしく、それ次第ではトートを預けておける場所がなくなるらしい。
しかもこの唯一空いていた部屋も、今日中には仮設の資料室として使うのが決まったから観測室内でもトートを置いておける場所が無くなっちまったようで。
「ロストざぁぁーんっ! うちの子を助けてほしいっすぅぅ!! トイレはちゃんとできるし、朝夜の餌やりだけしてくれれば大丈夫っすからぁ!」
「大の大人が大声で泣きながら足に縋りついて来るんじゃないっ。分かった、分かったから一旦離れてくれっ」
「ミァァ……」
「お前もか……」
飼い主に似てるのか真似してるのか。
両足を掴まれたおれは逃げることも出来ず、片手にトート用の寝床やら餌やらが入った紙袋。肩には器用に首から上を上着から出しているトートが顔を覗かせていた。
ちょいちょい甘噛みしてくるのがくすぐったいやら痛いやら。
「あとこの子も連れてってください」
そう言って差し出してきたのは式神の方のネコだ。事件の時もそうだけど、コイツとの縁も増えてきたように感じる。
「なんかあった時、都合が……タイミングが良ければ…元気があればなんとか引き取りに……」
「無理ならいいから…。はぁ、じゃあ式神も借りてくからそっちもなんかあれば言えよ。こういうときくらいしか常時連絡取れる状況もないしさ」
式神ネコを受け取るとトートとは逆の肩へもぐりこみ、まったく同じように肩口から頭を覗かせる。二匹分ともなると重いし動きづらい。
「あぇへへへ……すんませんっす。でもロストさんって専属の式神とか持たないんすか?」
その様子を見て笑っていたカルディアだったが、ふと首をかしげると聞きなれない言葉で問いかけてきた。
「専属?」
「え、もしかして知らないんすか? えーとそうっすねぇ」
驚いた、なんてわざとらしく両手を上げたポーズを取ると、説明のための言葉を探し出す。
「いや知らないってことじゃなくてさ」
「ま、流石に知ってるっすよね。でも本当に持たないんすか? 連絡も届きやすくなるし便利だと思うんすけど」
「そうさなぁ」
カルディアのいう“専属式神”っていうのは言葉の通り、一人の圏士に対して一体の式神をあてがうことで効率的な作戦行動を行わせる、っていうものだ。
リッカさんであれば小鳥だし、ハイネはあのウサギ。とはいえハイネの場合は瞳士でもあるからちょっと特殊か。常に傍に式神が居てくれれば問題があってもすぐ連絡を取れるっていう便利さはある。
けど街中であれば式神はそこら中に配備されているし、外に出るときはその任務ごとに組んでくれる瞳士の人の操る式神が手助けしてくれる。
だからどうしても欲しいってわけでもない。専属で式神をつけるってことはその式神を操る瞳士の時間を奪うことにもなる。
それなら別にその時々で助けてもらえてる現状で十分だとも思うわけで。
「今はいいかなぁ。わざわざおれのために時間奪うのも申し訳ないし、自分からなりたいって人もそういないだろ。第一申請通るか怪しいぞ、外の任務だとちょくちょく式神壊しちゃってるし」
「ああ、略式契約の電気のせいで調子悪くなるんでしたっけ」
「え…、まさかその話って観測室で広まってるのか? ……その内小言でも言われそうだ」
そう、おれは灯日の外で戦闘を行うと、たびたび式神を壊してる。いや壊してはない、けど調子は悪くしてる。
電気がダメなのかな。略式契約使った後に通信が悪くなったり、式神の動きがカクついてたり、通信は出来るけど式神自体は動かなくなったり。
そんなこんなで、思えば瞳士の人から好印象を得るにはちょっと厳しい立場だったりするのではないのか、ということに今になって思い当たる。
「以後気を付けます……」
「あ、アタシに言っても仕方ないっすよぉ。それにロストさんが思ってるよりは問題になってないっす」
「そうなのか?」
「むしろロストさんの任務に当たりやすい人たちで、『どうすれば電気の影響を受けない式神を作れるか』ってたまーに打合せしてるっすよ」
「じゃあなんだ。むしろ研究の手助けになってたり――」
「煮詰まってきてると『あのガキ、式神に影響でない様に戦えよ!!』とか聞こえてくるっすけど」
「……今度謝っとく」
「そっすね。で、本当にいいんすか? 専属」
「あ? だから今はいいって。やけにしつこいな」
「ム」
「む?」
少し唇を尖らせると呆れたような怒ったような目でこっちを見てくる。
「なんで今の流れで一切気づけないんっすか」
「何をだよ」
「だから、アタシがやってあげるって言ってるんっす。瞳士側からの要請なら申請も通りやすいですし。そ、それに兄さんときたらロストさんのこと恋人だと思ったまま帰っちゃったんで、そ、そういうアピールにも、なりますしぃ?」
「ああそういうことか…ぁ。んー…でもなぁ、ファルムさんも帰っちまったならしばらくは手紙のやり取りくらいだろ? そう焦ることないと思うんだけど」
あのデカい『穢れ』との戦闘のあと、おれはファルムさんに別れの挨拶も出来ずに彼は灯日を去ってしまった。
今日までカルディアとも話せてなかったからどうなったのかと気になってはいたが、結局最後の最後までファルムさんの頭の中では、おれとカルディアは恋人扱いらしい。
「「…………」」
この問題が大きくならないことを祈るばかりだ。心から。
「そ、それに、戦闘にしてもネコの式神じゃ結局電気の影響受けちまうだろうし。近くにいなきゃダメなんだから」
沈黙から逃げるように話を軌道修正させる。式神だってトリとかなら戦闘中は飛んで離れれば距離は稼ぎやすいけど、ネコは地上を走って離れるか、今みたいに服の中に潜り込ませるしかない。
そうなったら電気の影響はより受けやすいんじゃないのか?
第一その距離を取りやすいトリ型の式神でダメだって言うなら、カルディアの式神だって悪影響からは逃れられなさそうに思うんだけど。
「ふっふっふぅ」
しかしカルディアは得意げに鼻を鳴らすと腕を組みながら胸を張る。
「なんとアタシ特性の式神は影響を受けないっす」
「影響受けないって、何人か集まって打合せしてくれてるくらいには問題なんだろ? そんな簡単に何とかできるのか?」
「んまぁ? アタシも期待の新人だったりするっすから? 実はそれなりに天才だったり? しちゃったりなんかしててぇ?」
「へぇ、そりゃすごいな。」
「……そこまで素直に褒められると調子狂うっす…」
「いやだって他の人らで解決できなかったのを一人でやったんなら本当にすごいことだろ。その人たちにも教えてやりゃいいのに」
「えっ、あ…まあそうなんすけど。……、…そんなことしたら他の人でも良くなっちゃうし」
後半に向かって段々と声が小さくなっていったせいで、最後の方は聞き取れなかったけど、コイツなりの理由があるってことか。開発コストがかかるとか?
「ま、おれの見解は現状不可、ってことで。猫預かってる間にコイツが役に立ってくれたら考えるかもだけど」
右肩で静かにしている式神ネコの額を指先で撫でると、左肩にいる本物に負けず劣らずの動きで指先を舐めてくる。しっかりと近くで見なきゃ見分けはまだつきそうにない。
「それならじゃあまあ、そういうことでいいっす…」
「ん、じゃあおれも行くよ。この部屋使うっていうのにこれ以上長話してたら怒られる。ハイネも起きちまうかもしれないし」
「ぅえっ、そ、そうっすよね。ロストさんだって報告書作るって言ってたし」
「そういうこった。あとカルディアも体には気を付けろよ。たまにあることだって言っても倒れるまで働いてるって分かったら心配する」
「は、はい」
「コイツの面倒は出来るだけ見てるようにするからさ。心配だろうけど、まずは自分のことだ」
「それ、ロストさんには言われたくないっす」
「そ、そうか? まぁ、言われても仕方ないか。そこについてはお互いさまってことで」
「そうっすね。じゃあお互いさまで仕事に戻るっす。その子たちのこと、よろしくお願いします」
「ああ」
ペコリと頭を下げ、ちゃんとお願いをされた以上はおれも面倒を見るようにしないといけない。
生き物なんて飼ったことがないから、念のため受け取った紙袋の中身を二人で確認して、一通りの注意事項は聞いておく。
問題のトートときたらカルディアと別れるまで、というかおれの家に着くまで一切起きることなく静かなもので。寝床になる籠と毛布を用意するまで、肩から降りることはしなかった。
夜中に報告書を作っている間も、部屋の中を走り回らないだろうかと心配もしたけど。飼い主とは別方向にマイペースすぎる猫だったのもあって、じゃれてくることはあっても基本は静かなもの。
もしかしたらカルディアよりも人間出来てるかもしれないってくらいには、空気を読むことのできる猫だった。
□ □ □
ロストがハイネと共に眠りについていた時刻。
別の場所において討滅局局長と観測室主任の二人が、とある老人の前に立っていた。
「失礼します」
「ああ」
その老人は豪華な装飾を施されたベッドで横になってはいるが、来訪者である二人に対して一切畏まることもなく尊大な態度で不敵に笑っていた。
手足はもはや満足に動かせないためかシーツの下で存在を小さく主張するのみで、窺い知ることのできる皺だらけの顔や身体には古傷を多く残している。
それだけで彼が歴戦の戦士であることを察することができ、事実それはまごう事無き真実であった。
「まぁったく、この死にかけの老いぼれにそこまで畏まることもねえだろうお嬢ちゃん。第一検査自体必要ねえと思うんだがなあ」
「そのようなことはありません、“ガレン様”」
長く伸ばした顎ひげを揺らしながら放たれるのはしわがれた声であるが、その声は本人が言うような死にかけの老いぼれとは思えないほど力強く、何十年にも渡って寝たきりの人間だとは思えない。
「それに、いくら健康体であったとしても定期的な検査は意味を持ちますから」
「かー、真面目だねえ。いまの討滅局ってのはこうも面白味がねえのか? なあ、孫よ」
口元をわずかに引き上げながら、鋭い眼光を現討滅局局長へと向ける。獣の様な瞳に射抜かれた若き局長は一切の動揺を見せることなく、普段部下と接する時のように柔らかな笑みを浮かべている。
「いえいえ全員がそういうわけではありませんよ“お爺様”。僕も彼女も立場がありますから。それに面白味という点で言うのならお爺様の率いていた時の討滅局に敵う時代はありませんよ」
「それは否定できねぇなあ。儂の頃はもっと単純だった、『穢れ』を殺す力があれば組織内外のことなぞどうにでもなった。ま、その時のツケを倅とその倅に押し付けたわけだが」
「はっはっは、いやあ負債が溜まりに溜まっているので色々と苦労してます」
「かかか、テメエも図々しくなったもんだ。トーカが生きてた頃はあのバカ息子に似ちまったもんだと思ったもんだがなぁ」
「僕もその方が楽でよかったんですが、そうもいかなくなってしまいまして」
“ガレン・ルアック”
それが老人の名であり討滅局局長リッカ・ルアックの祖父、そして三代前における局長の称号を持つ男だった。
「はんっ、その方がずっとマシだろうさ。そっちの方がくだらねえ人生でもずっとハリがあるってもんだ。で、今日は何の用で来た? テメエが足を運んでくるなんぞ、どうせいい知らせでもないだろう」
「いやですねお爺様、孫が様子を見に来ているだけでそう深読みする必要なんてないと思いますが」
「そうか? その笑い方は倅そっくりだが」
「血の繋がった親子ですから」
「……」
黙々と決められた検査を行う彼女にとって、この恒例行事は些か気の重いものだった。血の繋がった家族が会話しているだけだというのにこの部屋はやけに空気が重い。
主任という地位に収まり、医師としての知識も持っていることからガレンの検査を行ってはいるものの、一人の瞳士であり主としては研究者である彼女にとっては、やはり身の丈に合わないと感じる部分もある。
「はい、もう結構です。肉体は以前と変わりなく健康体です。お時間いただきすみません」
「ああいいってことよ。坊主と話すよかお嬢ちゃんに世話してもらってる方がずっといい」
肩が凝ったと首を回すと、ベッド脇に置かれたサイドテーブルに目をやる。
「あとお嬢ちゃん、その引き出しの中身を出してやくれねえか」
「……え、はい。少々お待ちください」
言われるがままに引き出しを開けると、そこにはマッチ箱と高級そうな葉巻が数本転がっていた。
「この手じゃあ一人で吸えねえもんでな。ちょいと吸わせてくれ」
「あの…私はガレン様の健康のためにここに来ておりまして……一応担当医という立場上、葉巻を認めるわけにはいきません……」
「ああ、マジかぁ? 参ったな、老いぼれにとってたまの楽しみだってのに」
「……え、ええと、リッカ局長…これはいいんでしょうか」
「んー、孫としてもお爺様には健康で長生きしてほしいですからね。これ以上僕の話も聞いてはくれないようですし、早く立ち去った方がいいかもしれません」
「ったく……、テメエもずいぶん拗らせて育ちやがったなぁ。しようがねえなあ、そら世間話をしにきたってなら勝手に話してろ。吸ってる間だけ、気が向いてたら聞いててやる」
「助かります」
「で、では火をつけるので動かないでください」
「ではそうですね、何から話しましょうか」
柔らかな笑みを浮かべたままにリッカは回帰事件、ひいては“雷環”が目覚めたこと。そのことで他の都市にも動きがみられることを、何のことでもない世間話のように話していく。
「ふぅー……、もういいぞお嬢ちゃん。悪かったな」
その話をガレンは煙を燻らせながら聞いているのか聞いていないのか良く分からない態度で聞いていたが、満足いくまで葉巻を堪能したのか起こしていた身体をベッドへと深く沈める。
「あの小僧、アイレンだったか…懐かしいな。たった一度だけ顔を合わせたことがあるが、今でもあの時のことは鮮明に思い出せる。面白い目をした小僧だったからな。儂も若けりゃどっちかがくたばるまでやり合いたかったが。この身体じゃあなあ」
灯日の行く末よりも過去の欲求を語り始めるが、老人にとってはすでに降りた舞台に戻るつもりなどさらさらないのだろう。
かつて局長であったとはいえ、彼の功績は政治的なものではないのだから。そういう分野ではリッカの父である二代前の局長が得意としていたところだ。
「儂になにをさせたいのかは知らねえが、見ての通りこの身体で、この様だ。テメエの期待しているようなことは一切できねえし、するつもりもねえ。トーカを殺した相手だからと、目覚めた小僧を叩きのめしたいわけでもないだろう」
「ええ」
「オメエは倅によく似てる。裏で動き回って何もかもを俯瞰することに命をかけるところなんざ呆れるくらいにな。トーカはクソ真面目なところを継いで、エイガは可愛そうなことに儂に似てバカだ。ククク…、まったくどうしうもねえ一族だな」
自虐なのだろうか、喉を鳴らして笑うガレンの姿からはしかし悲哀のようなものは一切なく、心から面白がっているようにさえ思える。
「別にお爺様に特別な行動をとってほしいというわけではありません。ただ、現状を知っておいてほしかったのです。これから先、僕達は大きな選択を迫られることでしょう。その時に、間違わない様に」
「儂の意見を聞いてくれるってか? かまやしねえ、放っておけこんな老いぼれ。今の局長は誰だ、テメエだ。行く道を選ぶのに誰の許しを得る必要がある。そもそも、テメエはとうに選び終わったあとだろうが」
「そうかもしれませんね。僕としてはまだまだ足りないと思っているのですが」
「ハっ、謙遜のつもりか? 質の悪い自虐にしか聞こえねえぞ」
そこまで言葉を交わすと、ガレンは目を閉じて意識をこちらから外してしまう。
「儂はもう寝る。どうせやること山積みだろう、他人に構ってねえでとっとと帰れ」
それだけいうと、もう会話する気が一切ないと見せつけるように眠ってしまう。もしかしたら起きているのかもしれないが、どちらにせよこれ以上ここにいても意味はなかったろうが。
□ □ □
「フィルカさん、いつものことながら忙しい中ありがとうございます」
「いえ、私にできることはこれくらいですし。それにガレン様も必要ないとは言いつつも検査自体は素直に受けてくれますし。別に苦ではないですから」
「それならよかった。僕はどうにもあまり可愛くない孫の様でして」
「ええと、それは、そのようなことはないのではないかと」
「あはは、すみません。気を使わせてしまいましたね。とはいえ検査の度にお時間取らせてしまっているのは申し訳ないです。例の偽物の『原型』や『穢れ』を呼び出した折り紙についてもお任せしてしまっているのに」
「お気になさらないでください、観測室はそのためにありますから。ただハイネさんが頑張りすぎていて、オーバーワークになってしまってはいますが」
「それは心配ですね。あまり酷ければ言ってください。観測室の機能停止が起こりでもしたら討滅局だけでなく灯日全体の問題です」
「でもここへ来る前に一人お願いをしておいたので、それが上手くいっていれば今頃はハイネさんも休憩を取っているかと」
「そうですか。そういうことであればお任せはします。局長という立場を乱用するというのはあまりよくないことだと思いますし、現場の皆さんにも皆さんのペースというものがあるでしょうから」
「そう言ってもらえると助かります」
「とはいえ、何か必要なことがあればすぐに連絡を。おっと、それではここで失礼します。良い結果をお聞きできることを楽しみにしていますよ」
「はい、それでは失礼します」
局長は時計に目をやると予定があったのか急ぎ気味に別れることとなった。
別れる寸前まで優し気で申し訳なさそうな顔を浮かべていたものの、ガレン様との会話を思い返すと、討滅局のために裏では色々と動いていることは分かる。
「けどなぁ」
一人、観測室への帰路へとつきながら独り言ちてしまう。
けれどあの若き局長には隠し事が多そうなことも事実だ。一応は観測室の長、主任である自分だけど普段の彼がどこにいるのかは分からない。
式神は控えさせているし、必要があればすぐさま連絡は取れる体制も構築している。それでも普段どこにいるかはどうにもあやふやで、個人的には討滅局でいま最も謎の多い人物でもある。
私としては本当にただの一研究者でしかないようなもので、組織を率いているという実感は正直言うとあまりない。
「半分以上はお飾りかな」
これは自虐とかではなくて本当にそう思っている。なにせ、瞳士にとって比較する対象は“彼女”なのだ。
真の天才を前にすれば努力の天才なんてものはあまりにも鈍い輝きでしかない。
今の自分よりも若かったはずなのに、私は彼女の足元にさえ到達している気分になれない。それが錯覚だとしても、思えるはずもない。
「……ナキ主任、どこ行っちゃったのかなあ」
ため息ともつかない吐息は過去への郷愁を帯びていて、新入りだった私にとっては何もかもが激動の毎日だったけど。
「ずっと楽しかったな……」
思いがけず出た言葉とともに、自分は観測室の目の前までたどり着いていることに気が付いてハッとする。
(あ、いけない)
廊下を見回して自分以外に誰もいないことを確認すると一息つく。今のセリフを誰かに聞かれてたら士気が下がってしまうし、信頼関係にもひびが入りかねない。
すると、足の上に何かが乗っかって来た。
「わっ?!」
周りには誰もいなかったし変な荷物も無かったはずなのに、一体何がぶつかって来たのかと驚きながら恐る恐る足元へと視線を下ろすと、そこには白くて丸い、赤い瞳の式神がこちらを見上げてきていた。
「あなた……、主任の」
「……」
かつてナキ主任が数えきれないほど作っていた式神ウサギ。今はハイネさんが使っているはずの式神はこちらをじっと見つめてきていた。
その場にしゃがみこむと、頭を撫でながらまた独り言を始めてしまう。
「あなたは主任に似てるわね。命令を受ける立場のはずなのに自由すぎるところなんてそっくり。それでいて人並み…式神並み以上の働きをするんだから。なんだか羨ましいわね」
私の言葉を理解しているのかは知らないけど、それでもジッとこっちを見ている。もしかしたらハイネさんが通話しているのかな、なんて思ったりもしたけどそういうわけでもなさそうだということも式神の様子で分かった。
「ハイネさんは休んでくれたかしら。ヘリオールくんに頼んでおいたのだけど」
「…………!」
小さな体を大きく動かして、何が起きたのかを説明してくれているみたいだけど、短い手足では理解するには至らない。
でも、何を伝えたいのかを知るのに言葉の一つも必要はなかった。
「そう、がんばってくれたのね。ありがとう」
「……!」
お礼とともにもう一度頭を撫でると式神は嬉しそうに胸を張り、観測室の扉の前まで走っていく。そしてまた私をじっと見つめてきた。
どうやら『帰って来たのに入らないのか』ということらしい。本当にそう思ってるかは分からないけど、きっとそうなんじゃないかって思う。
「すぐ行くからちょっと待ってね」
耳をそわそわと動かしながら式神が待ってくれている。なんておかしなことだって言うのは瞳士である自分が一番良く分かっているけど、こういう不思議なことも悪くはない。
「あら……?」
入口に近づくと中からはヤケクソ気味な活気に満ちた声が漏れ出てきている。
耳を澄ませてみると、『ラストスパートだから休まず突き進む派』と『ラストスパート掛ける前に休みたい派』の争いが勃発しているらしい。
このままでは決着をつけるために、またおかしな会議でも始めそうな雰囲気だ。確かこの議題は三十一回目だったような気がする。
「大変ね、お互い」
「……!」
面倒を見ているのか、見てもらっているのかはその時々で大きく変わることだけど、今は私の番らしい。
「よし…っ」
私はお飾りかもしれないけど、出来ることはやっておかないと。私にとっての憧れで反面教師のあの人に笑われてしまわないように。
「さてみんな、楽しそうなところ悪いけど。まずは私の話を聞いてちょうだいね——」
そのために、睡眠不足からしようのない争いを始めた彼らを諫めないといけないみたいだけど。
□ □ □
日も落ちて月が昇る。
多くの者が仕事や学業を終えて友人や家族との時間を過ごしたりする中、とある酒場では一人の圏士がトレードマークの金髪を振り乱しながら呻き声とも悲鳴ともつかない声を上げていた。
「ああああ……ぁぁあ……、どうしよぉぉおぉぉ…………」
幸い、都市の中心からは外れている寂れた酒場だったおかげで彼女の奇行を目の当たりにする市民はいなかったわけだが。
しかし年老いた店主は我関せずといった態度であり、彼女の友人は話しかけるタイミングを完全に逸していた。その間も彼女の、エウリナの悩みはとめどなく押し寄せているようだが。
「……どうした、なにがあった」
彼等が到着した時には既にああなっていたため、どうやって声を掛ければいいものかと男二人、身を寄せ合って小さな声で緊急会議が執り行われていた。
「分からん…、昼から様子がおかしいと思っていたが、到着するなりあの様子だ」
「女の問題だってなら、男の俺たちじゃなんとも入れねえぞ。……お前聞いて来いよ」
「今自分が言った言葉を十回ほど反芻してみろ。…しかし今はザニアもいない。参ったな」
「うぅぅぅ…っ」
「「…………」」
本当にどうしたものか。
この場にザニアが居てくれればと心から願う二人であったが、残念ながら彼女は仕事の関係で少し遅れてやってくるらしい。
背後から聞こえてくる声から逃れるように、チビチビと酒を舐めているがこのままでは一生やってそうにさえ思えてくる。
「「なあ」」
「なんだよ」
「お前こそ」
「はぁ……しゃーねえ、行こうぜ」
「奇遇だな、丁度そのつもりだった」
「あんな調子の女の子ほっとくなんて男が廃るしな」
「まあ、珍しいことだが今日は賛同しておこう」
「「よしっ」」
意を決して二人同時に立ち上がって拳を合わせる。
そうだ。彼等は性格の違いはあれど友を想い、友のために行動できる善性を秘めた者らなのだ。
ゆえに一時の状況を前に躊躇ってしまったとしても、すぐさま立ち直って立ち向かう力を発揮することにはためらいの一つもないのだ——!!
「どうしたのエウリナ、アタシが遅れてきたからって泣いているわけでもないでしょう?」
「うう……ザニアぁ……!」
「「……いつの間に…」」
「ちょっとアンタたち、エウリナが苦しんでたのになにをコソコソしてるの。男としてどうなのかしらね」
「「……返す言葉もございません」」
ただ、彼等の行動力を優に超えるのがあの幼馴染でもあった。おそらく一生、この関係性は続くのだろう。
視線だけ合わせた彼等は何を言うでもなく、いつもの四人で同じ席に着くこととなった。
□ □ □
「ははぁ…なるほど、それで姉ちゃんに酷いこと言っちまったと」
聞いてみれば驚きもしたが、それはエウリナの落ち込んだ原因よりも圏士の中に姉がいるということだった。
「良いとこのお嬢さんなのに。娘二人が命がけの仕事に就くなんて反対されたでしょうに」
「やっぱそうだよな。跡継ぎ問題とか厄介そうなイメージしかないんだけど」
「うん……、いろいろあって、何とか許してもらった……というか半分くらいは勝手に出てきたんだけど。お姉ちゃんにも内緒で来たから、何考えてるんだ、って怒られちゃって」
「しかし凄まじい行動力だ。姉妹揃ってわざわざ命がけの仕事に就くとは」
「お姉ちゃんからも危ないことやってないで今すぐ帰れって言われて……。お姉ちゃんが圏士になるって時も色々あったから、大分気にしてるみたいで…」
何があったかまでは説明することは出来ないと申し訳なさそうにするエウリナだったが、彼らも無理に聞くことではないと了承する。
(エウリナの憔悴した様子からしてよっぽど怒られたようだし、今はただ話を聞くに徹する方がいい)
デリンが言葉にはせずこれからの流れを組み立てていると、それを形にするよりも早くザニアが口を開いた。
「ま、それはそうよね。何も伝えず勝手にやってきて戦闘で死なれでもしたらお姉さんも悲しむでしょうし。大分身の程知らずかもしれない」
「おいザニア、もうちょっと言葉を選ばないか」
ザニアが自他ともに厳しい人物であることを知ってはいるが、時と場合を選ぶ必要はあるのだとデリンが注意する。
「……そうね、ごめんなさいエウリナ。デリンの言う通りだわ。他人に分かったような顔をされていい気分にはならないでしょう。それにアナタだって人一倍、ううんそれ以上に訓練に打ち込んでる。そう焦る必要はないと思うわ」
だが、その隣で当事者であるエウリナはうつむいたまま、ザニア達の声など聞こえないかのように小さく口を動かす。
「……本当に心配なのかな…」
「エウリナ…?」
「え…? ゴ、ゴメンなさい。ちょっと考えこんじゃってて、やっぱりまだ気持ちが落ち着いてないみたいだから、今日は一旦帰るね。せっかくの機会だったのにゴメンなさい」
「おい、ちょっと待——。行っちまった」
ガンダの制止も聞かずにエウリナはお金を置いて出て行ってしまった。
あの落ち込みようでは一人になりたいと思うのも仕方はないが、残された彼らからすればそれ以上に心配してしまう。
「思い詰めていなければいいが、もしもを考えてしまう」
「そこまではならないと思うけど、そうね。やっぱり心配だわ」
「んじゃ、行くか。三人いれば距離取ってても見失うこともねえだろ」
「よし、マスター、お金はここに置いていくわ。また今度来るから足りなければその時に言ってちょうだい!」
「はいはい」
気の抜けた返事を背に、すぐさま決定した方針に三人そろって頷き合うと、各々食事代をテーブルの上に置いていくとエウリナを見失わないうちに外へと出て行く。
いまの調子のエウリナを放っておくわけにはいかない。せめて家に帰るまでは見送ろう。
世間知らずのお嬢様はまだ分からないかもしれないが、夜というのは一体何が起こるのか分かったものではないのだから。
□ □ □
「ァイテテ…だから耳噛むなって」
「ミ」
「いや、ミじゃなくってさ」
返事なのか何なのか。
カルディアの言う通り既に人懐っこさを全面に押し出しながら、耳元で喉を鳴らしながら耳を噛もうとするトートの口を空いてる方の手でガードする。
それならそれで手の方をなめたり噛んだりしてくるんだから止められない。せめて両手が空いてればと思うけど、もう片方はトートの寝床やら飯やらの紙袋に塞がれている。
「おーい、同じネコなんだからとめてくれー」
左肩の式神ネコに対して期待もせず声を上げるが、案の定というかなんというか。カルディアも今頃絶賛忙しい最中なのもあって声一つ上げやがらない。
お試しの専属みたいな状態になってはいるけど、作戦行動中でもなければこういうこともあるか。
「あコラ、髪を噛むな」
気を抜いたらすぐさまじゃれついてくるトート。懐いてくれてる分には悪い気はしないものの、この調子じゃ家に帰っても落ち着くまで時間がかかるかもしれない。
「ったく、やっぱ飼い主に似たのか?」
「ミァ」
声に反応してるだけなのか、とはいえちゃんと返事らしき声は返してくるのは賢いのかもしれない。噛んでくるとはいえ決定的に痛いとまではいかない強さだし。
(もう少しで到着するし、そしたら飯の用意して——、ん……あれは)
指先でトートの首元をくすぐりながらこの後の段取りを考えていると、道の先からトボトボと歩いてくる女の子の姿を見つけた。
「エウリナ?」
月明りを受けて煌めく金の髪、目を引くその姿は一目でエウリナだと分かった。隊服じゃないし、歩いてきた方向からして仕事終らせてから飯にでも行ってたのかもしれない。
「え? ……あ、ロストさん」
名を呼ばれたことに反応して顔を上げてこっちを確認すると、気の抜けたように名前を呼ばれた。会う度に柔らかな雰囲気だと感じていたけど、今の彼女は空気の抜けた風船のようにしなびている。
姉妹揃って昼間の出来事がよっぽど堪えたらしい。
「大丈夫か、えーと…なんだか疲れてるみたいだ」
昼間はエウリナが飛び出していったところを見てはいるが、あっちからは気づかれていなさそうだったし、ちょっと様子を見よう。
詳しい事情を知ってるわけじゃない以上、分かったような口をきくのは相手にも失礼だ。
「それは…、えぇと、仕事で……、そう仕事でちょっと失敗してしまって。ちゃんと認めてもらえなかったっていいますか……はい」
「そっか、あのさ、いまからちょっと時間もらっていいか?」
「え? それは、どうしてでしょうか?」
「その様子の子を放っておくわけにもいかないだろ。無理強いはしないけど、せめて家の近くまでは送らせてくれ。心配だ」
「………えと、ちょ、ちょっと待ってください…っ」
「あ、ああ」
焦ったように考え込み始めるエウリナ、少しの間口元に手を当てながら小さな声で何やら自問自答らしき行動をとっている。
「………………」
数分経ってもまだ続きそうな様子にそろそろ声を掛けるべきかどうか悩むが、あんまり下手に刺激しない方がいいんじゃないかと、おれのキリエやハイネとの交流経験が警鐘を鳴らす。
だってなぁ、キリエの妹なんだもんなぁ。
さらに様子を見ていると、辺りを気にするようなそぶりを見せ始める。本当に大丈夫だろうか。一度話をした方がいいかもしれない。
「なあ、エウリ——「ミャオ」っと」
そう思って声を掛けようとした時、気のせいかもしれないが、トートがおれじゃなくエウリナの方に向かって鳴き声を上げた、ように感じた。
「ぅぇ? あの、いまの声って……」
「ああ、コイツだよ。瞳士の友達から何日か預かってほしいって頼まれてて」
「ミィ」
今度は間違いない。トートがエウリナに向かって声を上げた。その証拠にじゃれつくのをやめて真っ直ぐ彼女の方を見ている。
「ほら、抱いてみるか? 人懐っこいから危なくはない。軽く噛んだりはしてくるけど」
気の逸れた今が好機とばかりに有無を言わさずトートを肩から引っ張り出してエウリナの目の前へ。
「……」
最初は恐る恐るだったものの、断ることはせずにゆっくりと両手を伸ばしてトートの身体を抱きかかえるように受け取る。
「わぁ、本当に暴れたりしないんですね」
「おれはさっきから耳やら髪やらを甘噛みされまくってたけどな。でもまあ賢い子だと思うよ、噛む力も加減はしてるみたいだし」
それに、エウリナの注意を一発で自分に向けさせたしな。
「ほら行こう。まだ戦闘訓練も大してしてないだろうし、前みたいに酔っぱらいに絡まれでもしたら面倒だ」
「ミャオウ」
「え、あ、ちょっと待ってください。この子は……っ、ロストさーん」
返事も待たずにエウリナが進んでいた方向へと先に歩いていくと、トートを抱いたままの彼女としては放っておくわけにもいかず小走りで追い付いてきた。
エウリナが向かってくるのを確認しつつ速度を落とすと、間もなく並んで歩くことになった。様子を伺いながら、歩幅を合わせて彼女の住んでいるという居住区へ向かっていると、先に声を上げたのは彼女の方だった。
「あの時は、ありがとうございます。…いま思うと、やっぱり危なかったのかなって」
「あの時っていうと、入隊式の時に襲われてたやつか」
「それもそうなんですけど、その前に酔っぱらった人から助けてもらったじゃないですか」
「そうだった、自分で言ってるのにな。……ありゃあ、個人的には無かったことにしたいくらいだ…。おっさんには悪いことしたけど、許されることでもないし」
一応あの後に無かったことにするのは問題だろうということで、病院に運ばれていたおっさんには謝りに行ったのだ。色々と文句は言われたものの、おっさんも飲みすぎたという自覚はあったのかそれほど強くは言ってこなかった。
そんなことがあったなんてことをエウリナに伝えると、目を丸くして驚いているようだった。
「どうして、わざわざ謝りにいったんですか? ええと、確かに怪我させたのは悪いかもですけど、元を正せばあの人にも問題があるわけですし…」
「んー、そりゃあ誰が悪かろうが圏士の立場で市民怪我させちゃダメだしな。あの時は事件の犯人と勘違いしてたってのはあるけど」
「で、でも、間違ったことをしてるわけではないと思います。むしろ、正しいことで……、そういうことをしてる人が怒られるのは、違うんじゃないかなって……」
「怒られるってわけでもないけどさ。誤解で怪我させた以上は悪いのおれだし。エウリナはなんていうか、正しいことをしたいのか?」
言い淀んでいた正しいこと、というのは彼女にとって大事なことなのだろうか。
なんて言っても正しさの基準なんて人それぞれだし、他人からすればおれの夢なんて正しいかは怪しい。おっさんにも謝りはしたものの、それは怪我をさせたことに対してであって、それ以上でもそれ以下でもない。
酔っぱらったことでエウリナに絡んでいたことへの反省をしているようだったから、怒られても何も言い返さなかったが、そこを棚に上げていたら事態はもうちょっとややこしくなっていただろう。
「ワタシは、そう、ですね。正しく生きられたらって思ってます。えぇと、ロストさんはワタシのお姉ちゃんのことをご存じですか?」
「キリエのことだろ。初めて聞いた時はちょっと驚いたけど」
「アハハ……、そうですね。あんまり似てないですから」
「アイツもそんなこと言ってた。おれからすれば立派な姉妹にしか見えないけど」
「…ありがとうございます。あ、それでお姉ちゃんは……なんといえばいいのか、実家では色々あって、一人で全部決めて圏士になったんです。両親とはもちろん喧嘩してたけど、ワタシにはすごく正しい選択に見えたんです」
「それはどうして」
「それが、自分でも良く分からなくて。で、でも、ワタシもああなれたらいいなって、そう思って。ワタシにできることは何だろうって考えて……、ただその時にはハッキリとは分からなかったんです。けどその頃に偶然『原型』への適性があることが分かって。そしたらいてもたってもいられなくなって——」
「それで圏士になったわけだ」
「他の人からしたら、こんな適当な理由で圏士になったなんて怒られちゃいますかね…」
「別にそんなことないと思うけどな。おれなんて圏士になった理由大分ふわふわだぞ。マジでなれてなかった時のことなんて一切考えてなかったくらいにはテキトーだった。たまにキリエにもいじられる」
「お姉ちゃんがそんなことを? その理由って、聞かせてもらっても?」
「まあ一言で言えば全員救いたいから、なんだけど。単純に護るとかよりも全員にちゃんと生きてほしいっていうか……、まあそんなことをガキのころからずっと思っててさ。とはいえ今のおれの実力じゃ夢のまた夢だな」
「…………」
「ほら、おれの方がずっとテキトーだ。誰かを救うためには力が必要で、その力を持ってもないのにずっと口にしてる。でも、勝手に言ってる分には別に悪いことじゃないし、おれにとって大事ってだけだから…、ああ、これがおれなりの正しいことってことかもな」
自分でもまとまりのないことを口にしてるなあ、という自覚はあるものの。それでも自分なりの再発見もあった。
これがエウリナのいう正しさと同じものなのかは分からないけど、やっぱり正しさなんてものは人それぞれだ。結局はその中身がどちらに向いているかということだけ。
それならきっと、彼女の目指す方向はそう間違った方を向いてはないと思う。
キリエの妹って子が、誰かを苦しめるために戦うなんてのはまずありえないし、想像もできない。
「エウリナは正しく生きたいんだろ。そういうことなら、それを忘れないようにしとくくらいでいいんじゃないか? ずっと正しくいなきゃいけないなんて疲れるし」
「でも、…それで失敗したりしたら、誰かを傷つけちゃうかもしれない。その時にちゃんと出来るかどうかなんてわからないじゃないですか」
「……そうだな。おれももっと上手くできたんだろうってことばっかりで、上手くできないことばっかだ」
回帰事件の犯人、年老いた名も知らない少年を止める方法があったんじゃないか。ちゃんと話ができれば事情を聞いて、何か力になれたんじゃないのか。
全員を救いたいと口にしながら、その中で犠牲の中に許容する選択を取らなくてよかったんじゃないのか。
そうやってずっと考えているけど、過ぎてしまったことを考えても結果は出るはずもなくて、そんな答えの出ないことをふとした時に考えてしまう。
「その度に答えなんて出ないんだ。きっと、これはおれや君だけのことじゃなくって、皆がそうなんだろうな。全員何かしら悩んでて、その中で何とか答えを出したり出せなかったりして生きてるんだ、ってことが最近になって分かって来た」
討滅局の皆や、普通に生きてる人たちだって大なり小なり悩みを持ってる。口で言うのはともかく、実感として理解できて来た。
「だからさ、苦しいし悲しいかもしれないけど。立ち向かわなきゃいけないこともあるんだ。一人では無理なことがあっても、エウリナには仲のいい仲間もいるだろ。ああいうヤツらなら一言頼めば力になってくれる、なあ?」
「?」
最後の念押しとともに建物の影から何かが落ちる物音が響いた。おれも成長してるんでな、その程度の尾行はバレバレだ仲良し三人組。
「ロストさん、ワタシ…圏士としてやっていけるでしょうか」
「それは、まだ分からない。おれだって自分が圏士としてやってけてるなんて言えない。でも、圏士として正しく戦っていこうとは思ってる。だから、まずは出来ることから一つずつやってくのがいいんじゃないか?」
「一つずつ……」
「その中で自分なりに進む方向を見つければいいんだ。一人で見つけられないなら仲間を頼ってさ。頼ってくれるならおれも力になるし」
「ハイ……、確かに、いまは色々あって考えるのも難しいですけど、落ち着いたらちゃんと考えてみようと思います。実は今日もみんなとの食事から出てきちゃって、悪いことしちゃったな……」
「なら明日会った時にでも謝っとかないとな」
「そうですね、ちゃんと謝って、お礼も言って。また頑張ります」
「ああ、それとキリエとも話してやってくれないか」
「う…っ」
「難しいことだろうけど、アイツも大分落ち込んでたみたいだったからさ。あと、他人のおれが言うのは無責任かもしれないけど、エウリナは嫌われてなんかないよ。ほら、知ってるだろうけどキリエは意固地だからさ」
「ハイ…、じゃあその時はよろしくお願いするかもしれないです。お姉ちゃんに怒られるの怖いけど……ワタシもがんばってみます」
エウリナなりにやることを決めたのか、気持ちも落ち着いてきたらしい。とはいえキリエとの話がどう転ぶかみたいなところもあるか。
アイツ素直じゃないから思ってもないことをつい言っちまいそうだし、そのせいで引くに引けなくて更に悪化なんてのは想像に難くない。マジでやりかねん。
「うん、もしもアイツがおかしなこと言いだしたら呼んでくれれば間に立つから。おれがいたら怒りは全部こっち来るだろうし」
「ふふふ…っ、ロストさんったらそんなにいつもお姉ちゃんに怒られてるんですか?」
「あー……、そんな感じ。おれも言い返すから盛り上がっちまうのがダメなんだろうけど、まあでも、気兼ねなく言い合えるからそれなりに楽しい時もあるよ」
「そうなんですね、なら…ありがとうございますロストさん」
「え、なんでお礼言われたの」
「お姉ちゃんが元気でいられるの、きっとロストさんのおかげもあると思いますから」
「…そう、なのかなぁ?」
「ふふ、そうですよきっと。……あ」
「なにかあったか?」
「いえ、ワタシの住んでる所ここなんです。せっかくなのでもう少し話したかったですけど、今日はもう帰ろうと思います。フラフラしてたらみんなにも心配かけちゃうし」
歩きながら話していたらいつの間にか到着していたらしい。
エウリナの指し示す方を見ると、特に値の張りそうなアパートというわけでもなく普通のワンルームっぽい建物だった。
そのことをつい口に出してしまったが、エウリナ曰く『自分の稼いだお金で生活したかったんです』とのことらしい。これも彼女なりの正しさなのか。
「そうだな。じゃあおれの役目もとりあえずはここまでだ。ほらトート、オマエはこっちだ」
「ほらネコちゃん、ロストさんのところに帰らないと」
「ンミァ……」
声を掛けた時にトートを抱いた腕に力が入ったのか、眠っていたトートがあくびをしながら顔を洗うと、そこからエウリナの胸に前足をついて顔をなめ始めた。
「わっ、く、くすぐったいよネコちゃん」
「お別れでもしてるのか? ほら、行くぞ。男部屋はイヤかもしれないけど諦めろ」
「ンミ」
エウリナの腕の中から持ち上げると右肩のところに抱き上げる。するとトートも器用なもので、おれがなにもせずとも元いた上着の中へともぐりこんできた。
「あはは、可愛いですね。両肩にネコちゃん」
「結構重いけどな。でもこんなんで少しでも笑ってくれたならよかったよ。じゃあまたな、次会えるのがいつかは分からないけど。呼んでくれれば駆け付けるようにするから」
「そう言ってくれるとすごく心強いです。ほんとうにありがとうございます。えと、その時はよろしくお願いします」
「ああ、じゃな」
「ハイっ」
エウリナがちゃんと自室の中に入るのを確認するとおれも帰路につく。
来た道を戻る方向だったのもあって、途中で滅茶苦茶不自然に口笛を吹くガンダ達とすれ違った。ここではお互いに知らぬ存ぜぬの方がいいってことで挨拶だけに留めておいた。
ああいう仲間がいればエウリナも大丈夫だろう。なんて根拠のない確信が持てるくらいには愛されてるらしい。
「あ、報告書かかねえとダメなんだった」
とりあえずおれはおれで、目の前のことを一つ片づけないとならなさそうだが。
眠っちまうまでの間に終わるかどうかは……、どうだろう。




