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夢現の圏士  作者: くろよ よのすけ
3章:赤蝕雷銅
16/21

捜し人への対応

アイリス・マトラ様


 先日のお手紙、ありがとうございます。

そちらでの生活には慣れているようで送り出した僕も安心できます。

 討滅局に所属する以上は『穢れ』と戦い、命の危険にさらされる機会もあるのでしょう。

それでも貴女からの手紙を読むたび、灯日での出来事を楽しんでいるのだと伝わってきます。

 教戒に居た頃の貴女を知る身としては、上手くやっていけるだろうかと勝手な心配もしましたが杞憂だったようで嬉しい誤算です。

 圏士の皆さんが素晴らしい精神性を持っているということでしょうか。


 人々の生命を護るため戦う討滅局と比べ、この教戒という組織はそう大したものではないのでしょう。

 ああいえ、もちろん存在が必要ないというわけでも、変革を必要としているというわけでもありませんよ。僕としては今のままの教戒が好きですし、日環の人々の心のよりどころとしてあり続けられるのが僕達にとっても良い関係性なのだと思います。

 

 貴女の目覚ましい活躍とは反対に、こちらは変わりなく穏やかな時間が流れています。たまに『穢れ』が都市の近くに出現もしますが、此方に出現するものは弱いようですから。

 派遣いただいている圏士の方のおかげで撃退しつつ、少しずつ『原型』を扱える人間を増やそうと頑張っているところです。


 この手紙がいつ届くかは分かりませんが、僕達のことは気にせず貴女は貴女の人生を生きてください。

もしも再会できたならその時は友人の一人として、以前の様に話ができることを楽しみにしています。


キロクゼ・イェメク



  □ □ □



 一言で言うのなら、とてもいい朝だったというのが的確だと思う。

 昨夜は仕事を早めに切り上げたのが功を奏したようだ。窓から差し込む光は柔らかで、窓を開くと小鳥のさえずりと涼しげな潮風が部屋に朝を報せてくれる。

 最近は孤児院の子供たちのためとはいえ、読み聞かせ用の本を探すのに時間を割きすぎていたように思うし、灯日へ旅立ったアイリスへ手紙をしたためていた。

 子供たちに早寝早起きをしなければいけませんなんてもう言えないだろうかと、ベッドの脇に積まれた大小様々な本の山を見て苦笑してしまう。


「さて」


 とはいえ、一度目が覚めてしまえばこちらのもの。顔を洗い、歯を磨き、着替えると朝食を済ませる。

何やら身体が変に軽いような気がしたものの、これも好調であるがゆえか。そのまま日課である朝の礼拝の最中、忘れ物に気がついた。

 何のことも無い、いつも礼拝の時に読むための経典。

 物心ついた時から読み続けているため、すでに一字一句を暗記している。礼拝には問題なかったものの肌身離さず持っていないと落ち着かないものでもある。

 やけに身体が軽いと思ったら物理的なものだったとは。好調なのはよいものの、注意力は抜けてしまったようだ。


「おや、山の中に紛れ込ませてしまったでしょうか」


 あの本の山にでも紛れ込ませてしまったのだと見当をつけると、一度部屋へと戻るために朝来た道を逆戻りしていく。


「おお“キロクゼ”さんちょうどいいところに、いまよろしいでしょうか」

すると、教戒本棟の入り口付近で呼び止められた。

「はい大丈夫ですよ」


 話しかけてきたのは昔から事務や雑務を行ってくれている方だ。

僕が子供の頃からお世話になっていると言っても過言ではなく、庭の管理も彼がいなければままならない。誰に対しても物腰柔らかく、誰からも愛されている彼の姿は僕にとって一つの目標でもある。本人を前にして口にするのは気恥ずかしいから言葉にしたことはありませんが。


「ああそう急がないでください、カークさんは脚を痛めていたでしょう?」

「ははは、どうにも年には敵いませんもんで。キロクゼさんもいつか分かる時が来るかもしれませんね」


 とはいえ人は誰もが年を取る。立ち止まる度に左膝をさすっている姿は仕方のないこととは言え悲しくもあるのだ。

 

「はは、気になさらないでください」

「あ、いえ……すみません。失礼をしました」


 膝への視線に気づいたのか、問題ないという様に姿勢を正す。心からの心配ではあるが、ともすれば憐れみとも受け取られる行為だった。

 勝手な印象で決めつけられるということはすべきではないだろう。

 しかし、彼はまだ痛みを抱えているであろうに笑いながら許してくれる。


「老人とはこういうものですよ、若いあなたが気にすることじゃあない。そうそう、これを渡そうと思っていたんです」


 持ち上げられた右手には一つの封筒。送り主は奇しくも昨夜に返事をしたためていたアイリスからのもの。つまりは灯日から旅をしてきた手紙だった。


「手紙ですか、はい確かに受け取りました。いつもありがとうございます」

「いえいえ、こんなことしか出来ませんからね。それよりも送り主に見覚えがあるのでは?」

 

 笑顔を崩さない彼の視線を追いかけ、受け取った手紙の送り主に目を向けると、そこには昨夜手紙の返事を書いていた相手であるアイリスからのもの。

 彼女は定期的に報告と称してあちらでの生活や出来事を教えてくれる。その返事に僕がこちらでの出来事を返している。しかし、考え違いでなければ今回の手紙は普段届く間隔から外れている。配送の遅れによるばらつきはあるものの、早くなるということはそうそうないものだ。


(もしかしたら何かあったのでしょうか)


 規則正しい彼女のことを考えると、続けて2通送ってくることはそうないはず。

 念のため中身は早めに見ておくべきかもしれない。


「あの子も元気でやってるのかね」

「ええ、手紙から色々と楽しげな様子が伝わってきていますよ。圏士としての戦いもあるようですが、日々奮闘していると書かれていますよ」

「そうですか。あの子はいつも作業の手伝いをしてくれていたので、灯日に行くと聞いて心配していたんですよ」

「ええ存じています。アイリスは困っている人を放っておけない性格でしたから」

「ははは、こんな年寄りにも優しい子っていうのはどこでもやっていけるでしょうね。おっと、キロクゼさんを引き留めていてもお邪魔だったかな」

「いえ、そんなことはありません。僕も貴方の話してくれる植物の育成についてはとても興味深いものです。ですがこの後、大司教様にも呼ばれていまして……。今日のところは失礼させていただきます」

「おお、そうでしたか。それではますます年寄りが邪魔をしちゃあいけない。それでは」

「はい、手紙ありがとうございました」


 挨拶を済ませ、元の目的通り部屋に向かうため別棟に繋がる廊下へと進もうとした矢先、珍しい人が目に入った。


「あれは……“ベアトリス”様?」 

「あら…あらあら……? どこへ行かれてしまったのでしょうか……?」


 廊下の向こうから現れたのは“ベアトリス・キタム”。

 教戒において聖女と呼ばれている彼女が広間の方へと来るのは珍しい。聖女と呼ばれているからには人望がなくては務まらず、市民からの人気も高い。

 端的に言ってしまうと彼女が歩いているだけで人だかりができてしまう。

 身体も強くなく、怪我をさせてしまうわけにもいかないため、いつもは大聖堂で祈りを捧げているか読書にいそしんでいるというのに。


「ベアトリス様、どうかされたのですか?」

「キロクゼ、丁度いいところに来てくれました。ふぅ……、皆さん気を使ってくれているのか距離を置いてくれていて。話を聞いてくれる人を探していたの」

「ベアトリス様ほどの方でしたら仕方無いことかもしれませんね。それで、どうされたのです。誰かを探しているようでしたが」

「そうなの、エイガ様を見かけませんでしたか? 今日は会合があるから必ず参加していただくようにと伝えていたのだけれど……。どこに行かれてしまったのかしら?」

「エイガ殿ですか。申し訳ありませんが僕は見ていません」


 そうか、様子がおかしいと思ったらエイガ殿を探していたのか。

 彼は討滅局より貸与している『原型』、その橋渡し兼監視役として派遣されている。根は真面目で優秀な方ではあるものの些か気難しいところがある人というのが僕の印象だ。

 そして目の前にいるベアトリス様は聖女という立場もあり、エイガ殿と行動を共にすることも多い。主に護衛だろうか。

 彼が実戦を行う姿を見たことはないが、隻腕だというのに戦闘訓練で見せた動きは目を見張るものだった。


「あらそうなの……。物知りなキロクゼならもしかしたらと思ったのだけれど」

「仕事をサボるような方ではないと思うのですが……。彼は気配を消すのが上手ですし、もしかすれば探しているうちに入れ違ったのかもしれませんね」

「困ったわ……。今日は“ヴァルド”も来るから必ず出席してもらいたかったのに」


 言葉通りに全身から困った様子を醸し出している彼女だが、それも仕方ないかもしれない。

 “ヴァルド・キタム”、教戒の最高責任者であり大司教の地位に座す男。常に厳格で巌く、何事においても一切の手を抜くことをよしとしない。

 しかし他者へ対する慈しみや苦しみを理解しようとする姿勢からは、全幅の信頼を置くに足る人物であると誰もが思うことだろう。


「大司教様を呼び捨てにできるのは貴女くらいのものでしょうね。しかしそうなると困りましたね。連絡が伝わっているのなら良いですが」

「実の兄ですもの。それに私一人くらい名前で呼ばないと皆も大司教としか呼ばないでしょう?」


 優しく笑う彼女だが、そこには血の繋がった家族らしい信頼があるのだろう。彼女が皆に見せる慈愛に満ちた笑顔とはまた違う明るい笑顔。

 二人の様子を見ていると、孤児だった身としては羨ましく思える。


「しかし……、エイガ殿の居場所は見当もつきませんね。何も言わずにいなくなったのですか?」

「そうなの、男性はそういうところがあるのは兄を見ていて知っていたけれど、エイガ様も例には漏れないみたい」

「あはは、僕も気を付けないといけませんね」


 少しムッとした表情もまた、あまり皆に見せることはない。

 聖女と呼ばれる彼女は教戒の顔だ。大司教であるヴァルド様も無論そうではあるが、大衆を相手にする以上見目麗しい女性である方が都合いいのも事実なのだから。


「おお、キロクゼ様まだお戻りになられていなかったので――、おおベアトリス様…っ、これはお話の邪魔をしてしまいすみません」

「いえよいのです、お気になさらないでカーク。むしろ私がキロクゼを引き留めていたのですもの」

「私の様な老人の名を覚えていてくださるとは、ありがたいことです」


 自分の孫と同じくらいの年の女性にかしこまった老人の姿は、ともすればおかしく見えるかもしれない。だが、実際に目の当たりにすればそうは思わないだろう。

 それほどにベアトリス様は絵になる。そして聖女と呼ばれる理由はほかにもあるが、その理由を知る者はそう多くはない。


「そうだわカーク、エイガ様を見かけませんでしたか? いつも正門にいてくれている貴方なら姿を見かけていないかと思ったのですけれど」

「エイガ……ああ、ルアック様ですね。あの方でしたら昨日の夕方頃手紙を届けました。受け取った後に酷く機嫌が悪そうだったのでよく覚えていますよ」

「わざわざ手紙を届けに行ったのですか?」

「朝届いていた分は配ったつもりだったのですが一つ渡し忘れていたようでしてな。庭仕事を終えて部屋に戻った時に気付きまして。日も傾いていたため急いで渡しにいったのです」

「では、どこに向かったまでかはお分かりにならないのね」

「はい……ベアトリス様のお力になれず申し訳ございません」

「いいえ、良いのです。困っているのもこちらの問題ですから。ありがとうカーク、貴方の作ってくれた庭を歩くのは私にとっても楽しみですから、これからも身体を大事に」

「そのようなありがたいお言葉をいただけるとは…。これからも生きる気力がわいてきますよ。ベアトリス様も体にはお気を付けください。それでは、老人は今度こそ立ち去りましょう」


 照れたように笑うカークさんだったが、これ以上話すのは恐れ多いと立ち去ってしまう。ベアトリスは気にされないでしょうが、彼にも事情はある。


「とてもいい人、あのような人ばかりだと世も平和になるのでしょうね。ですが……どうしましょう、このまま見つからなければヴァルドの機嫌も悪くなってしまうかも」

「それはそれは、大変困ったものです」

「貴方も出席するのでしょうキロクゼ。ヴァルド自身はいいのですけど他の司教の方々が可哀そうで……。そういう貴方はずいぶんと気楽そうなのね」

「尊敬する相手を恐れることはおかしなことではありませんから。このまま見つからなかったならそれはそれで致し方ありません」


 なるようになると考えるほかない。そういった運命なのだと思えば大抵のことは受け入れられる。


 しかしベアトリスは僕の考えに少し呆れたように目を閉じると一呼吸。


「まったく、貴方のような人がいれば教戒もしばらくは安泰だと分かりました。ではエイガ様を見かけたら会合に参加するよう伝えてくださいね。……そ、それと私が探していたと」

「ええもちろんです。“ベアトリス様が”、必死に探していたと伝えておきます」

「そうね、そうしてくれると……あら? 間違ってはないけど少し強調しすぎじゃないかしら……?」

「いえいえ、こういったことはきちんと伝えることが大事ですから。それではベアトリス様、僕もここで失礼させていただきます。それと今は早朝なので問題ないですが、人だかりができる前に本棟に戻られるべきかと」

「分かりました……、ふぅ。ではよろしくお願いしますね」


 心なしか心配そうに何度もこちらを振り返りつつも元来た廊下の方へと立ち去っていく。もう少し信頼を置いてくれても良いと思いますが、まあエイガ殿のこととなると仕方ありませんか。

 10歳以上離れているはずですが……、ヴァルドとも歳が離れているせいでしょうか。


「おや、時間もそうなさそうですね」


 などと考えている場合ではない。懐中時計を覗き込むと、あまりゆっくりはしていられそうにない時間となっていた。

 一度話を始めるとその場から動かなくなるのは僕の悪い癖だ。

 自覚はあるがそう簡単に治らないからこその癖ですし、この問題への対処はおいおいということで。

 


  □ □ □



 忘れ物を取った後に向かった先は、午後からの会合に使われる予定であった大広間。

 中央には巨大な円卓が置かれ、囲う様に椅子も配置されているものの、ここにいるのは僕と彼だけだ。

 盗み聞きするようなものがいるとは思えないが、隠れている存在がいないことも既に調べ終えている。とはいえ、僕で気付けるものならヴァルドに気付けないものはあるまい。

 であるがゆえに、わざわざかしこまって話す必要もないだろう。


「それで、エイガの姿がないわけか」

「はい、ここまでの道中でも見かけた方がいないか聞いてみましたが、カークさんの口にした話と同様に、昨日に機嫌悪そうに歩いていたとの情報のみです」

「……そうか」


 長く息を吐き、眉根を寄せて目を閉じる。

 些か隠し切れていない苛立ちを抑え込みつつ巌しい視線をこちらに向けるのは、誰であろう教戒最高責任者、ヴァルド・キタム。

 日環で誰からも尊敬され、誰をも恐れさせる力を持ち得た教戒の象徴その人だった。


「あの男は自身の立場というものを理解しているのか、怪しく思う時がある」

「また意見が異なりでもしたのですか? 言葉に棘があるようですが」

「大したことでは無い。キロクゼ、そういう貴様はずいぶんと楽し気に話しているようだが」

「僕の方もそう大したことではありませんよ。ただ一つ、討滅局内部で問題が発生したようですが」

「……ほう、内容は」

「はは、僕が知っていることを貴方が知らないということも無いでしょう?」

「相違があった場合の確認だ。内容は」

「相も変わらず慎重な人だ。そうですね、一言で言うのなら『雷環』が目覚めたと」

「そうか、相違はなさそうだ」

「どうされるつもりです? 彼の力は誰もが知る通りの超常のもの、依り代の少年を利用するために表立って動き出す者らもいるでしょう」


 討滅局からの内密の報告によれば対象は二級圏士、ロスト・ヘリオール。彼の中に封じ込められていた『雷環』が目覚めたということ。

 そして『雷環』本人であれば不可能だったでしょうが、目覚めたとはいえ中途半端、封じ込められている状態に違いはない。

 なら、神にも匹敵する力を何とか利用できないかと考える者達が現れることも、そう不思議なことではなかった。


「アイリス・マトラからは何か報告は上がっているか?」

「ええ、圏士としての日常や人々との交流など、読んでいるだけで彼女が楽しそうにしている情景が分かる素晴らしい手紙が」

「ないようだな、そちらの期待はしていなかったが」

「ふふ、アイリスにはロスト・ヘリオールのことは一切伝えていませんでしたからね。正真正銘、大使のようなものでしたから。ですが、今日届いたものは些か問題が」

「問題か」

「ええ問題です。灯日で圏士を襲っていた犯人が出自不明の『原型』を所有していたそうです。そのため、こちらで預かっている『原型』の内から盗まれたものではないかと」

「調査は」

「ここに来る途中、関係者には伝えておきました。数もそう多くはありませんから結果はすぐに出るでしょう。もしも数に違いが無ければ犯人は恐らく――」

「洛央の『聖骸セイガイ』どもか、先代局長の手で壊滅したと思っていたが」

「しかし、まだ活動している」

「……ならば、我々も動かざるを得まい。それも信頼に足る者による確実な進行によってだ」

「ほう、そのような方が教戒に? 貴方からも、客観的にもご自身が最も信頼に足る人物だと思うのですが」

 

 僅かに視線を逸らすと、ヴァルドの座る正面の椅子には漆黒の杖が立てかけられ、その杖からはただならぬ空気が漏れ出している。


「討滅局より預かった『原型』、満足に扱えるだけでなく圏士をも圧倒できる力を持つ貴方こそが。誰よりも適任でしょう」

「本日本時刻より、全ての公務をお前に引き継いでいいというのなら考えてもいいだろうがな」

「おっと、それは困ります。孤児院の子供たちに絵本を読んであげる約束をしていますから」

「……」

「ふふ……」


 鋭く睨みつけられる視線からは、何者であっても膝をつきかねない圧力と意志の力強さが真っ直ぐ伝わってくる。このような目で見られた時には、司教の誰もが年甲斐もなく泣き出してしまうかもしれないなと気の弱い同僚たちの顔を思い出す。

 ヴァルドの真に怒りに満ちた目を誰も見たことが無いというのに、大げさな人たちだ。


「ふっ……相も変わらず冗談ばかりを口にする。閉じられたこの世界の開放のため。頼めるか、我が友よ」

「もちろんですとも。この世界のため、そしてヴァルドの期待と信頼には常日頃から応えたいと思っていますから」


 幾分か年の離れた一人の友人として。そして、“一つの約束”を交わした仲間として。階級の差はあれど、僕達二人にとっては関係の無いものだ。


「では灯日へと向かえ、討滅局にはこちらから連絡しておく。此方からの伝達係とでもいえば無碍にはすまい。それと、エイガに会ったら戻るよう伝えておけ。聞くとは思わんが」

「分かりました。ただ出かける前に一つ、時間をもらっても?」

「子供たちへの絵本か? まあいいだろう、こちらの準備もある。それが済むまでに終わらせておけ」

「感謝します」

「お前はダメだと言ったところで聞かんであろう。それとだ――」

「ええ」


 広間の扉、小さく光が差し込むその先にいる人物へとわずかに視線を向ける。そこにいる人は誰だかは想像するまでもない。


「入ってこないのか、ベアトリス」

「僕たちの話なら終わりましたので、お気になさらないで下さい」

「あらー……、気づかれていらしたのね」


 自分ではしっかり隠れていたつもりだったのか、少し恥ずかし気に広間へと入ってきたのはベアトリスだ。

 彼女は僕たちの話していることが気になるのか、こうして度々盗み聞きしようと努力している。今のところ結果は出ていないようですが。


「用があるのであれば気にせず入ってくればいい。優先すべき内容かどうかは聞いてから決めることくらい出来るのだから」

「ヴァルドはそういうけれど、私だって気を使うくらいはできます」

「ふふ、では今度は僕が席を外す番の様ですね。兄妹お二人の邪魔をするわけにもいきませんから。それでは大司教、聖女様。失礼いたします」

「あら…、私のことは気にしなくてもいいのよキロクゼ。二人で話しているのが見えたのが少し気になっただけなのだから」

「そういうわけにもいきません。事実そうであっても、僕がいては出来ない話も多いでしょうから。では大司教様、先ほどの件はよろしくお願いいたします」

「明日までには済ませておく。準備を怠るな、キロクゼ・イェメク司教」

「ええ、ご期待に応えられるよう努力いたします。ヴァルド・キタム大司教」

「え、ええと。良く分からないけれど頑張ってちょうだいね。ただあるがままに、我等の祈りが貴方に届きますよう」



  □ □ □



 友と別れると、そのまま孤児院へと向かう。せっかく退屈な会議にも出席する必要もなくなりましたしね。子供の想像力は豊かですから、彼らにもお別れを告げていかなければ死んだと思われかねない。


「あ、キロクゼおにーさんだっ、えっと、こんにちは」


 院に到着すると庭で遊んでいた子に早くも気付かれた。


「こんにちは、院長先生はいますか?」

「ええっとね、ええっとぉ…、あっち!」


 子供の指し示す方向にはまさに探していた人物であり、孤児院の責任者である院長。そして僕の育ての親でもある妙齢の女性がこちらに向かってきていた。


「あら。どうしたのキロクゼ、今日は来られないと言っていたのに」

「すみません院長先生。少し予定が変わりまして、しばらく日環を離れることになりました。ですので皆に挨拶をと」

「そうだったの……、みんなも寂しがるわ。そういうことならこっちに来て、みんなを集めるわ」

「すみません、お手数をおかけしまして」

「いいのよ。あなたはこの孤児院の誇りですもの。まさかあの本好きの子供がその若さで教戒の司教だなんて。今でも不思議な気分」

「あはは、色々と面倒をおかけしました」

「本当に。どれだけ本を集めても一週間も経たない内に読み切ってしまうんだもの。方々の本屋や図書館を歩き回って足が痛かったわ」

「……、面倒をおかけしました」

「でも、あなたからたくさんの物語を聞かせてもらうのは楽しかった。わたしも年を取って目が悪くなる一方だから」

「次に顔を出すときは、またおすすめを持ってきます」

「そうね、文字が大きければいうことはないわ」

「あはは、そうですね。探しておきます」

「さて……、みんな、聞いてちょうだい。キロクゼさんが来てくれたわ、話したいことがあるみたいだから集まって」


 孤児院の中に入ると手を軽くたたきながら張りのある声を上げる。

 ちょうどお祈りの時間だったのでしょう。この院にいる子供たちの半分以上が集まっている。院長先生の声に反応すると、皆もすぐに集まってくれた。


「どこいくの!?」

「もう来なくなっちゃうの?」

「勉強教えてくれるって言ったのに」

「ちゃんと聞きますから、順番に。それにもう戻ってこないわけではありませんから落ち着いて」


 しかしそれで子供たちは止まらない。

 周りを取り囲まれての質問攻めに苦労しながら今日一日、皆が眠りにつくまで付き合うことになってしまった。皆が寝静まったころにはすでに月は高く上り星々も瞬いている。いま海に行けば水面に反射した光でより美しい光景がみられることだろう。


「今日はありがとうキロクゼ、みんなも楽しんでいたわ」

「この程度で喜んでもらえるならいくらでも。それも一旦は今日までなわけですが」

「灯日に行くのよね。気を付けて、次にあなたの名を聞くのが死んだとき、なんていうのは冗談でもいやよ」

「もちろんです。それに戦いに行くわけでもありませんし、わざわざ戦場に向かうわけでもありませんからそう心配しないでください。それよりも院長先生の方が心配です。今日も物を取り損ねていたことが何度かあったでしょう?」

「見られていたのね。でもいいのよ、人は誰しも年には敵わないわ。ただあるがままに、生きている者は何時か死を迎えるの。その順番が近づいてきているだけなのよ」

「ええ……。分かってはいますが…」

「ふふふ…、あなたは昔から優しい子ね、本当にあなたは私の誇りよ。この孤児院から司教になったからじゃなくて、優しい心のままに大きく育ってくれたことが何よりも嬉しいの」

「貴女にそう言ってもらえることは、僕にとっても何より変えがたい支えです」

「そう言ってくれるとわたしも嬉しいわ。それじゃあお行きなさい。あまり老人にばかり時間を割いていてはいけないわ」

「それでは行ってきます。さようなら」

「元気でね。戻ったら顔を見せて頂戴」

「はい」

 

 そうして彼女と別れようと足を踏み出した時。


「あ…っ」

「っと、危なかった」

「あぁ…ありがとう。もう、目だけじゃなくて足の方もガタが来てるみたいねぇ」


 踵を返したところでバランスを崩した彼女が転びそうになった。なんとか間に合いはしたものの、こういった姿を目の当たりにすると心配になってしまう。


「こんな姿を見せたら心配しないでなんて言えないわね。でも仕方のないことよ」

「分かっています。いつかは僕にもその順番がやってくることも。……そうだ、一つおまじないがあるのですが」

「おまじない?」

「ええ、気休めにしかならないかもしれませんが、よりどころにはなるかもしれません」

「そうね、ならお願いしようかしら。大切な思い出にもなるわ」

「では目を閉じてください」

「ええ、こうかしら」


 僕の言う通りに目を閉じてくれた彼女の前で、一冊の本を開く。

 それは朝持っていくのを忘れた経典であり、中に書かれた文字も当然教義が記されている。だが、その見た目は普通の本とは異なっている。

 一目で分かる点であれば、その本の表紙だけでなく中身の頁も漆黒の素材で作られていたということか。

 見る者が見れば一目で看過するその本の正体は、まさしく『原型』。

 つまり彼もまた、アイリス・マトラやヴァルド・キタムと同様に教戒に身を置きながら『原型』を扱うに足る適性を持つ存在であった。


「――」


 小さく、彼女には聞こえないよう呟いて契約を紡ぐ。

 開かれた本は薄く光を宿すとすぐに光の粒子となって空へ昇って行った。

 その光を見送ると、目を閉じたままの彼女を残してそのまま立ち去る。別れの挨拶はもう交わしたのだから、これ以上僕がここに残る意味はないだろう。


「それではさようなら先生。貴女に育ててもらえたことは僕にとっても何にも代えがたい誇りです」


 それでも最後に言葉を送ってしまう自身の心の弱さを改めて自覚しつつ、今度こそ立ち去る。

明日にはまた、風に運ばれてくる潮の香りにも別れを告げねばならないと考えながら。



  □ □ □



「……あら、キロクゼ? どこに行ったのかしら…?」


 目を閉じていたものの返事がない。

 からかわれているのかとも思ったが彼がそのようなことをするとは思えず、目を開くとそこには誰もいなくなっていた。

 そして、ポケットに違和感を覚えるとそこには『行ってきます。身体に気を付けて』と書かれたメモが忍ばせてあった。


「もう…、普通に言ってくれればいいのに」


 仕方のない子だと笑みがこぼれる彼女だったが、また新たな違和感を覚えた。


 このような暗がりであるというのに、このメモの小さな字が読めるほど自分の目は良かっただろうかと。そして、これまで感じていた身体の重みもマシになっているようにさえ思える。


「……キロクゼったら、本当に効くおまじないをしてくれたのかしら」


 これが一時の思い込みなのかどうかは分からないものの、それでも彼女にとってはどちらでもよかった。

 例え気休めの嘘であったとしても、彼の祈りが奇跡を呼び起こしたのだとしても。彼女にとって大事なことはあの青年が無事に帰ってきてくれることだけだったのだから。


「さて、わたしも戻って明日の準備をしないと」


 いつの間にか彼女以外誰もいなくなった庭を後にする。

 その足取りはしっかりと、その目は星の瞬きを宿しながら。



  □ □ □


 

 今日はアイリスとは別行動、巡回要員に急遽人手が足りなくなったらしい。

一人で昼飯を食うのもなんだか久しぶりだな。なんて思いながら美味くもないが値段は安い局内に設置された食堂へやってきていた。

 天気は快晴、日光浴でもすれば気持ちよく昼寝ができること請け合いの昼下がり、しかしおれの目の前では曇天もかくやと言わんばかりの重たい空気が立ち込めている。


「それで、いい加減話を聞かせてもらえるわね?」

「え、えぇ~とぉ……」


 そこにいるのはキリエとエウリナ。

 怒りを露わにして詰め寄る同期と、正座をさせられてしどろもどろになっている後輩。


(なんでこんなことに巻き込まれてるんだ?)


 考えたところで現状が変わるわけでもないが考えずにはいられない。

 おれが怒られてるわけじゃないし現状相手されてないから離れても別にいいんだろうけどさ……。


「エウリナ!! ちゃんと答えるまでもう絶対に逃がさないからね!!」

(…………怖ぇ……)


 食器の擦れる音の一つでも立てようものなら矛先がこっちに向きかねない。いや向く。

 大体なんでこんなことになったんだったか。

 

 回帰事件からも一週間ほど経って落ち着いてきたころ。

少し時間ができたのもあって、しばらく様子を見ていないハイネでも訪ねようかと思っていた矢先のことだった。


(その前に飯食っとくか。つかまると長くなるかもしれないし)


 今日はアイリスと一緒じゃないし、いつもの喫茶店まで足を運ぶにはちょっと距離がある。面倒くさがった結果、食堂に足を運んだ。これがダメだったな。

 なんで閉鎖しないのか不思議なくらいに閑古鳥の鳴いている食堂。

なにやら様子のおかしなおばちゃんに注文を通して昼飯を受け取ると、テーブル席の辺りに見覚えのある後姿が一人。

  

「ん、よおキリエ、お前がいるなんて珍し――」


出来るときには自分で弁当を用意しているキリエにしては珍しいし、しかもこの食堂となると更に珍しい。

 事件ではガキになっちまってたし、あれから身体に変わりないか聞いておいた方がいい。そう思って話しかけたつもりだったんだが。


「ようやく見つけた!! なんとか隠れてたみたいだけどもう逃がさないからね、観念しなさい!!」

「おぉ……」


 おれの言葉はキリエの第一声によって掻き消され、ついでに打ち消された。


 一体何事かと思って身を低くして机の影から様子をうかがうと、そこにいたのは間違いなくキリエ。そして、正座をさせられた状態で怒鳴られていたのは――。


(エウリナ? なんでまたあの子が?)


 なんというか、意外な人物だった。大前提としてキリエがおれ以外に声を荒げるというのも珍しい気がするし、しかも相手はいい子を絵にかいたようなエウリナときてる。

 よっぽどキリエの琴線に触れるようなことでもしちまったのかと思ったが、それでもキリエが下の子に対して怒るイメージはつかない。

どうやらエウリナは一方的に怒られているようだし、キリエもちゃんと話せばわかってくれると思うから助けに入った方がいいとは思う。


(いや待て)


とはいえ、いつだかジャイロと話していたことが脳裏をよぎる。そうだ、確か今の状況にピッタリなことを助言だとかなんだとか言って――。


『ロスト、もしも女の子同士が喧嘩をしてる様だったら仲裁には入らない方がいいよ』

『なんでまた、それで怪我でもするってなら止めた方がいいじゃねえか』

『うーん……、それはそうなんだけど。女の子たちは……そう、男の僕たちには理解のできない深層で駆け引きしてるから下手に仲裁しようとした男一人が標的にされるんだよ』

『はぁ? なんだそりゃ』

『ま、そういうことだからさ。皆を助けるのはいいけど、時と場所は選んだ方がいいよっていう年上の助言だと思ってよ』

『んー、まあ分かった。なんとなくで覚えとく』

 

(これかぁ……)


 間違いなくこれだ。食堂のおっちゃん、様子がおかしいと思ったら委縮してたのか。

 ジャイロの言葉を信じるならここで関わらない方が身のためらしい。なら、隠れてこの場をやり過ごすのが一番、か?

 なんてことがあったせいで、おれは今こうして昼飯の乗った盆を手にしたまま動けずにいる。


「エウリナ、黙ってちゃ分からないでしょ! なんで一言の相談もなく――!」

「ええとね…だから、その……」


詳しいことは分からないがどうにも二人は前からの知り合いで、エウリナはキリエに何か隠してた。とかか。

 エウリナ側は何やら言い出し難そうにしているし、キリエは質問を飛ばしてはいるけど、あの様子じゃ聞く耳を持ってるのかどうか怪しい。


(……仕方ねえか)


 ジャイロ、お前の助言は一旦忘れることにする。次はいかせるように出来たら……おれには無理かも。


 ちょっと考えてしまったものの、おれが痛い目見るくらいなら別にいいという結論に達した。

 キリエにもこんだけ怒るくらいの理由はあるんだろうが、一旦落ち着きさえすれば真面に話し合いくらいは出来るはずだ。


「おいキリエ、あんまり――」


 おれの意を決しての仲裁の第一声。

 しかしその言葉はまたしても掻き消されて打ち消された。今度はエウリナの方に。


「お姉ちゃんのバカーーー!!」

「あっ、ちょどこ行くの!? 待ちなさいエウリナ!! ……もうっ」


 キリエの圧力に耐えきれなかったのか、勢い良く立ち上がり食堂の外へと駆け出して行ってしまった。

キリエも突然のことに気圧されたのか追いかけることはせず、呼び止めるのが関の山だったらしい。

 とりあえずの嵐が過ぎ去ったのち、おれの決意は無為に帰したわけだが。

 今はそんなことよりもよっぽど気になる、エウリナが残していった科白に気を取られていた。


「おねえちゃん?」

「だれ……! って、ロスト……、見てたの……?」

「あー……、ああ見てた、……悪い」

「「……」」


 互いに見られていたことと見てしまっていたことの気まずさが勝ってしまって、黙り込んでしまう。まさかこんな場面に出くわすことになるとは露にも思わなかった。

 キリエは目に見えて落ち込んでいた。

 どう声を掛ければいいものかと逡巡していると、大きなため息とともにキリエの方から話しかけてきた。


「…はぁ……いいわよ、私もこんなところで大声上げてたのが悪いんだし……。ここなら知り合いは誰も来ないと思ってたんだけどね」

「おれだってタイミング悪かったし、キリエだけが悪いわけじゃない。で……エウリナのことだけど」

「……お昼食べに来たんでしょ、あっちに座りましょ」

「ああ…」


 指し示したのは食堂の隅で壁際、日の光の当たらない影になっている。

 まず誰も来ない食堂の更に隅っことか、他に人が来てもおれたちに気付かないかもしれないくらいだな。ここで誘いを断る理由もないし二人のことも個人的に気になる。おれに力になれることがあるかは怪しいが話を聞かせてもらおう。


「まったく、どうしてアンタはいつも私を面倒ごとに巻き込んでくれるのかしらね」

「回帰事件のことなら十割おれのせいでいいけど、今回のは一応逆じゃねえかな」


 席に着くと肘をついた手に顎を乗せ、不貞腐れたように文句を垂れてくる。とはいっても半分以上正論だからそれほど強くは返せないが。


「……そうね、ゴメン。色々、ちょっと頭の中がごちゃごちゃしてて」

「みたいだな。で、エウリナってお前の妹でいいのか? さっきそう呼ばれてたけど」

「そうよ。似てないでしょ」

「いやそんなことは……、ちょいまち」


 二人の容姿を頭の中で比較してみる。

 髪の色は同じ金髪、キリエはストレートでエウリナはゆるくウェーブがかかってる。顔は……似てなくもないくらい。

 性格の違いが顔に表れてるのか、キリエは強気さが出てるのと、エウリナは人懐っこい感じの童顔だ。


「別に似てないって程じゃあなくないか?」

「ならアンタの目は節穴よ。だって……はぁ…、やっぱりやめとく……。間違ったことは言いたくないもの……。いまは自分でも何を言いたいのか良く分からない」


 凄まじい勢いで勢いの無くなっていくキリエの様子は、これまででも見たことないくらい疲れきってる。


「そっか、ならそれでいい」

「……怒んないわけ? 話すって言ったり止めるって言ったりで」

「おれから怒る理由がねえよ。それに今の姿見せられて無理に聞き出そうとも思えねえし」


 本人が話したくないっていうならそれでいい。キリエが話したくなったときに力になれるなら、それはその時だ。


「はぁぁぁ~~……、アンタに相談しようと思った私が馬鹿だった」

「ひでえな」


 疲れを隠そうとすることすらやめて、周りのことも気にしないで突っ伏すと金髪が机に大きく広がった。


「ほら、髪に飯つくぞ」


 おれの飯の方にまで広がって来た髪の毛を指先で首元まで持っていくと、少し顔を上げたキリエに下からジっと見つめられる。


「ホント怒んないのね…」

「だから、別に怒るような理由ないし。そうだ、キリエはもう飯食ったのか?」

「……まだ」

「なら一緒に食おうぜ。エウリナのことは話したくなったらまた話してくれればいい」

「馬鹿ね、お人よしだけど」

「そりゃどうも。で、何にする。ここじゃあんまり選ぶものも無いけどさ」

「いいわ、アンタのそれちょうだい。さっき、私の髪の毛入っちゃってたでしょ」

「別に気にしないけど。それにこれ食いかけだし」

「私が気にするの。ほら、代わりにこれ上げるから黙って受け取りなさい」

「なんだ、自分のあるならそれ食えよ」


 キリエが足元のカバンから取り出したのは紙で包んだパン、いつも持ってる弁当。少なくともこの食堂の飯より美味いものをおれの食いかけと交換するわけにもいかない。

 そう思って断ろうと続けて飯を食おうと思ったら、おれの手元にあったはずの飯はいつの間にかキリエの手元に置かれていた。


「おい、別にいいって」

「私の気が済まないの。いいからこれ食べなさい」

「はぁ、分かったから。押し付けてくるなって」

 差し出された包み紙を開いて中のパンを口に運ぶ。

「うまいな」

「気を使わなくていいから、私嘘嫌いだし。あと食べながらしゃべらないの」

「……、はい」

「よろしい」

「でも美味いのは本当だし」

「お世辞言わない」

「素直じゃないヤツだよ、ホント」


 素直に褒めたけど注意されてしまった。でも、呆れたように眉を寄せるキリエの様子は少しだけマシになったようにも見えたから、まだよかったかもしれないな。

 

 飯も食い終わると、話を続けることはせずそのまま別れることになった。まあお互い仕事に追われる身だしな。

「じゃあおれハイネのとこ行く予定あるから行くけど、なんかあったら言ってくれ」 

「ねえロスト」

「ん?」

「さっきのこと、今は話せないけど……その内話す。…と、思う。多分、いつかわかんないけど」

「そうかい」


 呼び止めたキリエは何やら気まずそうに指先を絡めて目線を逸らしている。言いにくいことなら無理して言わなくてもいいんだけどな。


「それで、お願いがあるんだけど」

「エウリナのことか?」

「……そ。あの子、私のこと避けてるけどアンタには懐いてるみたいだから、困ってそうだったら助けてあげて。そういうの好きでしょ」

「まあな、馬鹿でお人好しらしいし」

「ふふ、もう……。あの子がなんで圏士になったのかは分からないの。私には何一つ連絡も来てなかったしね。でも……、あの子にもあの子の考えがあるはずだから……」

「それはお前が聞いてやれよ。お姉ちゃんなんだろ」

「……そう、ね」

「あと、次エウリナに会ったら怒鳴ったこと謝っといた方がいいと思う」

「う、分かってるわよ…、あれは……私が悪いし」

「じゃあまたな、呼んでくれたらすぐ来るから」

「人のことよりも自分の仕事しなさいよ。もう、じゃあね」


 控えめに手を振ると、互いに反対の方向へと歩いていく。

 まさかキリエとエウリナが姉妹だったとは驚きだったが色々大変そうだな。おれには兄弟がいないから良く分からないけど、もしも妹がいたらアイリスみたいな感じなんだろうか。


「にしても、エウリナの方も大丈夫かな」


 泣きながら食堂を出て行った様子を思い出すと心配になってくる。

 彼女には同期の三人もいるし、一緒にいる姿を見た時は仲も良さそうだったから相談にのってくれてればいいんだけど。

 結局、観測室に向かう道中ではエウリナたちを見かけることはなく、何事もなく到着してしまった。


「ロスト・ヘリオール二級です。ハイネ・ルビア一級と話をしたいんですが」

『――、もしもしヘリオールくん? えーと……そこでちょっと待っていてちょうだい』

「え、あー、はい」


 入口の小さな門番である式神の向こうからは少し困ったような女性の声。

 対応出来ないとかじゃなくて、待っていてほしいってことは中では大分ごたついてるってことか。

 あの回帰事件の犯人が持ってた『原型』とか、『穢れ』を封じ込めていた折紙だとか。詳細不明でありながら見過ごすわけにはいかない脅威が立て続けに現れた。

 討滅局の頭脳である観測室としては、威信をかけての調査を進めてるってことか。


「待たせちゃってごめんなさい、バタバタしちゃってて」


 そんなことを考えていると入口の扉が開くと向こうから一人の女性、さっきの声の主らしい人が慌ただしく出てきた。

 礼儀正しそうな風貌で、他の瞳士と比べてもキチンと清潔な白衣を着ている。他の人たちの服装、大分適当に着てたり汚れてたり、酷いと私服だったりもするからな。

女性は肩まで伸ばした薄い茶髪を後ろでまとめ、手には何らかの資料を挟み込んだバインダー。疲れからか薄ら目の下に隈ができていた。


「おれの方こそ忙しいところに来てしまってすみません。単にハイネの様子を見に来ただけだったんですけど」

「いいのよ。ルビアさんも大分疲れてきてるから止めてくれる人を探してたところだったの」

「……止めてくれる人?」

「そうなの。回帰事件の時からほとんど睡眠もとらずに調査に当たってるから、一旦休んでほしいんだけど、問題ありませんの一点張りでね」

「あー……なるほど、ってことは今頃中は……」


 ハイネが根を詰め出したなら、アイツだけじゃなくって周りも振り回されてるのは軽く想像できる。しかも先頭走ってるハイネが倒れないもんだから後続の人たちは限界まで引き摺られて行くわけで。


「あなたの想像通りだと思う……、ちょっと私も体力的に限界が近づいてきていて。ちなみにカルディアちゃんは二日目から床で寝て……あれは気絶かも…」

「……お疲れ様です」

「ふふ、ありがとう。カルディアちゃんからよく話を聞いてるけど優しいわね。事件の時も恋人のフリしてたんですって?」

「アイツそんなことまで話してたんですか?」

 本当に言っちまってるなら口が軽いというか、事件のこと話したなら機密情報の漏洩ってやつじゃないのか。

「…………」

「ああ、もしもカルディアちゃんのことを気にしてるなら大丈夫。私が事件のことを知ってるのは正式な報告を受けたからだから」

「正式な、っていうと?」


 回帰事件自体、一応の終結を見せたことから詳細はぼかされているものの、『原型』や折紙の調査をする瞳士たちに一切の情報を与えないわけにもいかない。

 だから、当事者以外には詳細な部分は機密だったりそれらしい内容に改変されたりして伝えられている。

 だっていうのに“正式”となると、彼女は一体――。


「あ、そうよね。私とは初めましてですものね。自己紹介が遅れてごめんなさい。私は“フィルカ・マグニカ”、瞳士ひいては観測室の主任を務めています。長というには実力が伴っていないのが悩みですけど」

「え、そうなんですか。…なんというかすいません、知らなかったとはいえ態度が良くなかったです」

「気にしないで。私も主任とはいえそこまで敬われるほどの人間でもないから。やりたがる人が他にいなかったからとりあえず座ってるだけですもの。ゆくゆくはルビアさんに、とは思ってるんだけど……、あ、今のは本人には内緒でお願いね」

「は、はあ」


 瞳士についてはおれもハイネとカルディアくらいしか知らないけど、それでもあの連中を纏めてるっていうのは十分凄いことなんじゃないのか。

なんて思うけど、本人的には力不足って感じてるってことらしい。……例の先代が凄すぎたのか?


「あ、こんなところで話しててもヘリオールくんにも予定あるわよね。中に入ったら散らばってる資料とか倒れてる人とか、大分ゴタゴタしているけど気にせず進んで。ルビアさんは奥の個室の一つを牛耳ってるから近づけばわかると思う」

「……大変、そうですね」

「そうね、でも昔のことを思い出してなんだか楽しくなってしまう自分もいるんだけどね。なんて、私の話はこれ以上必要ないか。どうぞ入ってハイネさんを休ませてあげて。……他の皆のためにも」

「……はい」


 で、観測室に一歩立ち入った瞬間の有様といえば何といえばいいのか。


「確かにこれは……、ひどい」


 それ以外に感想が出てこない。いや本当酷い。まともに生命活動できてるのがいない。

なんであそこの人は持ってるカップに口もつけず微動だにもしないんだ。一口も飲んでなさそうだぞ……。あ、動いた。冷めてるからか捨てて、淹れなおして……また動かなくなってる……こわい。

 っていうか周り見てもそんなんばっかだ。おれには起きてるか倒れてるかの違いくらいしか分からねえ。


「す、すいませーん、しつれいしまーす…」


 倒れてる人たちを踏んでしまわないよう気を付けながら進んでいくと、紙束の山がいたるところに出来上がってる。

 その山をベッドにしてる人もいたりして、いろんな意味で問題なんじゃないのかと思うが……彼等に必要なのは注意よりも睡眠と医者じゃないのか。


「――ぅ…………」

「あ?」


 もう何が何だか分からなくなってきてるがどうしようもないので、恐る恐る進んでいくと、小さな…死にかけの呻き声のようなものが聞こえてきた。


「……、気のせい…か?」


 しかし耳を澄ませてももう聞こえてこない。その辺りからの音を聞き間違えたかと思いつつも見渡してみると、紙束の山が微かに動いた。


「…………」 


 山の上にはなんとなく見覚えのある式神ネコが一匹疲れたように伸びきっている。山の下からは人間の腕っぽいのが伸びてるんだけどこれは放っておいても大丈夫なのか? ってか本当に人間の腕か?


「って言ってる場合じゃねえ! おい大丈夫か」


 書いてある内容も良く分からない資料を掘り起こすと、そこには目を回したカルディアが力なく倒れていた。


「おい、カルディア。生きてるかー、生きてたら返事しろー」

「……ぅ、ぅぉぉ……、おも…オモイ……っ、あれ…重くないっす?」


 身体を揺らしつつ顔をペチペチと軽くたたくと、何とか意識を取り戻したのか目を覚ました。


「びっくりさせるなよ、下手したら死んでたぞ」

「あ、アレ? ロストさんじゃないっすか。なんでこんなところに?」

「おれはハイネに会いに来たんだよ。ていうかお前の方こそなんでこんなとこで埋もれてたんだ?」

「え? えーっとぉ……、確か三日前の実験結果の資料が必要になって、ただその時はこの山の中に放り投げちゃってたんで拾いに来て、思ったより奥に入り込んでたのを引っこ抜いたら……そっから先は覚えてないっすね」

「じゃあ原因それだろ。休むにしてももうちょっと何とかなんないのか。……まあここの人たち全員忙しそうだからあんま言えないけど」

「あはは、ロストさんは知らなくて当然っすけど、うちはたまに忙しくなってくるといっつもこんな感じっすよ。一度火が付いたら止まらないっていうか」


 ついさっきまで埋もれてたにしては元気な様子で、さっさと立ち上がると服に着いた埃を払っている。伸びていた式神ネコもカルディアが目覚めたからか同じように身体を掃除し始めた。


「なるほどな。じゃあ見た目よりかはそんなに心配しなくってもいいわけか? さっき主任さんからハイネを何とかしてほしいって言われたんだけど」

「あーフィルカ主任と話したんっすか。すっごい優しい人っすからねえ、みんなのこと心配してくれてるっす。でもまあいつも通りだからロストさんはそこまで気にしなくっても大丈夫っすよ?」

「なんだ、責任重大かと思ってたけどそこまでってわけでも――」

「せいぜい何人かが長期の意識不明になるくらいっすから」

「…………」

「あれ? ロストさーん?」

「ちょっとハイネのとこ行ってくるわ。ファルムさんのことはまた今度教えてくれ」

「ぅえ、ちょっとロストさーん、そんなに急がなくってもアタシからも話が……、はぁ、行っちゃったっす」


 カルディアは元気そうだったからとりあえず置いといて先に進む。

 事態はおれの想像以上に不味いんじゃないだろうか。

 というか主任さんもさらっとヤバいこと頼んできてたなこれ、なんで意識不明者続出するのがよくあることで済んでるんだ。しかも慣れっこだし。


「ええとハイネのいるのは……っ」


 奥の通路に並ぶ個室の中からハイネのいそうな部屋がどこかと目を配ると、資料やら実験器具らしいものが飛びぬけて大量にドアの前に放置されまくってる部屋が一つあった。間違いなくあそこだ。


「ん?」


すると、ドアがひとりでに開き始めた。ハイネが出てきたのかと思ったら、白い柱のようなものだけがフラフラと倒れそうになりながら、通路へと出てきている。


「なんだあれ……、あ、まてよ」


 白い柱のようなものは大量の紙の束が積み上げられたものだ。それがひとりでに動いているのかと思ったけど違う。

 その根元のところでは白い毛玉、式神ウサギが新しいゴミを外へと運び出すためにドアから出てきていたところだった。

 前足を器用に使って紙の束を抱える姿は可愛らしいが、気持ちふらついているところを見るとアイツも苦労してそう、というか背中からは哀愁が漂ってる。


「おい……、大丈夫か?」

「? …!」


 普段受けてる悪戯を思うと助けるか一瞬悩んでしまったけど、まあここまで来たんだからついでだと資料を代わりに持ち上げてやる。


「ここに置けばいいのか?」


 ドアの横に積まれたものに分類があるのかどうかは分からないから一応確認してみると、式神ウサギは身振り手振りで置く場所を指定してきた。

運ぶのはいいけどどれがどこにあるのかちゃんと把握できてるのか。ああでもカルディアだって三日前のーとか言ってたしな。


「ハイネは中にいるか?」


 答えてくれるかはさておいて一応質問だけしみてみると、前足で部屋を指差してくれる。どうやら中にはいるらしい。ただ、いつもの元気を感じないというか、見ると両耳もしなしなで、毛もぼさぼさのような気がしてきた。


「ほら、ちょっとこっちこい。いくら何でもぼさぼさだぞ」


 いつもならここで挑発とかしてきそうなものなんだが、今日は素直にとぼとぼと近づいてきた。どんだけ疲れてるんだ。


「あんま動くなよ、余計ぼさぼさにしかねんからな。……よし、とりあえずはマシになった」


 手櫛で粗方毛並みを整えると幾分かはマシになったように見えるし、後は自分でやってもらおう。

「じゃあお前もちょっと待ってろ。ハイネに休憩させてくるから」


 床にいると危ないし、適当に資料の山になってる頂上へと置いておく。ここなら蹴られたりもしないし、安定してるから崩れる心配もなさそうだ。


「……」


 式神ウサギも疲れ切っていたのか、両足を投げ出すとうつ伏せのまま眠ったように動きを止めた。

ただ、ドアノブに手を掛けるおれへと動かした耳が、まるで手を振っているように見えたのはアイツなりの礼だったのかもしれない。珍しいこともあるもんだ。


「うおっ、っとなんだよ。危ないだろ」


なんて思ってると、肩に式神ウサギが飛び移って来た。

またしても悪戯してくるのかと思ったら、鼻をひくひくと動かしているくらいで何もしてこない。ただ、おれの目の前に小さな箱を差し出してくる。


「んだこれ」


 箱を受け取ると式神ウサギはすぐに肩から降りて、今度こそさっき降ろした場所で眠りにつき始めた。

 一体何を渡してきたものかと箱を改めてみてみると、少し動きが止まってしまう。


「こんなもんどっから持って来たんだお前」


 呆れ半分関心半分で眠っている式神ウサギを見るけどもう何も動きはない。

 受け取ってしまった以上無視は出来ないけど、後のことを考えると怒られそうだから正直やりたくない。あ、だからおれに渡してきたのか。


「……やるしかねえんだろうなぁ」


 ハイネ相手に説得なんて出来ないのは初めから分かってる。仕方ない、腹をくくろう。


「…ハイネー、入るぞー」


 恐る恐るドアを開けると、そこには部屋を埋め尽くすほどの実験器具やら、『原型』っぽい黒い物質が破棄されていた。


「遅いぞ何をしていた。頼んでおいたサンプルをさっさと寄越さんか」


 件の女は部屋の奥に設置された机に向かっていて、その隣に置かれた透明な水槽みたいなものの中に沈んだ、黒い立方体の様子を確認しては手元の資料に何か書きなぐっているようだった。


「クソ、一体アレをどうやって作ったという…っ」

「……」


 見るからに機嫌が悪そうなところに遭遇してしまった。下手打ったらまた拳が飛んできたりしないだろうな。

 何とか刺激しない様にほどほどの声量と、まずまずの距離感を保ちつつまずは第一声。


「あー…機嫌悪そうなとこ悪いけどさ。一応言っとくと多分人違いだ」

「馬鹿なことを言っていないで頼まれた仕事を処理し――、ロスト、貴様こんなところで何をしている」

「ちょっと様子を見に来たんだよ。……部屋の外はひどい有様だったけど」

「観測室ではままあることだ。貴様が気にするほどのことじゃない。私なら問題ないから他に用がないのならさっさと帰って自分の仕事に励め」

「そういうわけにもいかんだろう。お前、鏡見てみろよ」

「あいにくここにはそんなものはない」

「あっそ。じゃあ言うけど、なかなかひどいぞ」


 ハイネの姿はまあ…ヒドイ。

 風呂に入ってないのか髪はぼさぼさ、目の周りは隈で覆われて、飯もちゃんと食ってないからか頬も若干こけてる気がする。指先もインクで真っ黒、その指を裾で拭ってるのか汚れた白衣の中でも裾の一部までも真っ黒に染まっていた。


「入口のところで主任さんに会ってさ、お前が頑張りすぎてるから休ませてやってもらえないかって頼まれた」

「主任が? ……だがまだ休むわけにはいかん。もう少しで何かわかりそうなところなんだ」


 そういってまた水槽の中の黒い立方体に向き合い始めようとするハイネ。このままじゃもうおれの話を聞くことすらしなくなってしまう。なんとかその前に。


「なあハイネ、飯は食わないのか?」

「食事なら済ませた。今日一日は持つ」

「お前の言ってる飯ってのがそこで朽ち果ててる残骸のこと言ってるなら、時間の感覚狂ってるぞ」


 入口のとこに置かれたゴミ箱に無造作に突っ込まれた飯の容器は、見るからに時間の経っているもので、ハイネの近くを見ても真新しい飯やその容器は見当たらない。

 つまりハイネは食事を済ませたと言いながら、最後に食ったのは何日か前だ。そりゃあ痩せる。


「む、そうだったか…? まあいい、残った実験を済ませたら食事にすればいいだけだ」

「それあとどれくらいで終わる?」

「そうだな…、半日もあれば目途はつく」

「……はぁ…、それって今のタイミングで目途には出来ないわけか?」

「そういう気分ではない」

「せめて気分転換に飯食いに行くとか」

「必要ないといった」


 ダメだ。ほっといたら一生やってるぞコイツ。

 多分半日経ったとしても、今と同じこと言ってまた半日ぶっ通しで動き続けようとするのが目に見える。……ならもう仕方ないか。


「分かった。どうせ言っても聞かないだろうからおれは出てくことにする」

「…? ああ、そうしろ。いまは他人に構ってる場合じゃないのでな」

「ただ、飯食わないならせめて水分はとれ。ほら、水筒持ってきたから」

「そうか分かった。そこに置いていけ、後で飲む」

「今飲め。一人にしたら絶対飲まないだろ。飲むとこ見届けるまで出てかないし、話しかけ続けるぞ」

「……チっ」


 それがおれにとっての妥協点だと言い切ると、ハイネはすこぶる機嫌を悪そうにして手元の資料へと視線を落とす。


「ハイネ」

「……分かった。邪魔されるよりはマシだ。さっさと寄越せ」

「良かった。ほら、さっき給湯室で入れたばっかでさ、熱いかもしれないから気を付けろ」


 同じく給湯室から持ってきていたコップに注ぐと片方をハイネに差し出すと、薄く湯気の立ち上るお茶を前にただ息を吹きかけている。


「猫舌とかだっけか? 一応言っとくけど、飲むまでは出てかないぞ」


 そんなハイネの様子を見ながら、自分用に注いだ茶に口をつける。……想像以上に普通の味だな。


「いや、そう言うわけではない。少し考え事をしていただけだ」


 おれの様子をうかがっているらしかったけど、一度口をつけ始めるとさっさと飲み干してしまう。それだけ身体は水分を欲してたってことかもしれない。

 飲み終わったハイネはコップの底を見せつけながら息をつくと、こっちに投げ渡してきた。


「これでいいだろう、さっさと出て行け。ただでさえ遅れが出始めている…、今からとりもどさなければ……、これは…、ロストきさま……」

「…悪いハイネ。絶対口で言っても休まないだろお前」

「めざめた時の覚悟を、して……おけ……」

「っと、…はぁ、逃げようかな」


 式神ウサギから渡されていた”睡眠薬“の効果で眠りに落ちたハイネを受け止める。ハイネもなんとなく警戒してたっぽいけど、おれが同じお茶を飲んでる姿で油断したらしい。

 とはいってもその警戒は無駄だ。別に薬が入ってないとかそういうわけじゃない。


「あー……確かに良く効くわコレ」


 だっておれも同じものを飲んでるからな。

 効き目の差は単純に肉体の疲労具合で、ハイネは自分の丈夫さを過信してたってことだ。

 恨み言を吐いて眠りについた以上、この場を他の瞳士に任せて逃げるのが一番いいんだろうけど、おれをも襲う睡魔はそれを許さない。


「……くああ…、後のことは後で諦めるか…」

 

 そんなことを一々気にしていても仕方ない。どうせ怒られるのおれだし、ハイネ相手なら慣れっこだからいいや。とりあえず怪我させてしまわないようにハイネをへ横にすると、おれも壁にもたれかかるようにして眠りにつく。

 睡眠薬なんて使ったことが無かったから、急速に重たくなっていく瞼の感覚にちょっとした楽しさを覚えつつ、起きた後のハイネを想像して背筋が寒くなる。

 そうして完全に目を閉じる寸前、最後に見たものは白い毛玉。

 少し元気になったらしい式神ウサギがおれの膝の上で丸くなる姿だった。

『本編について』

・日環の人達

前章ラストが洛央だったので、新章は日環からです。

こちらもこちらでちょくちょく出てくる面子になるので、またよろしくお願いします。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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