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夢現の圏士  作者: くろよ よのすけ
2章:回帰事件
12/15

弱者

 エウリナが姿を消すよりも少し、時は戻る。

 元々警備に当たっていたかのような振舞いも板につき始めたころ、会場の端で楽しそうに話す四人の若者が目についた。


(あれが今年の新入生か)


 どうやら既に仲良くなっているようで自分とは反対だな、なんて思ってしまう。思い返してみるとキリエには勘違いから喧嘩を売られ、後からやって来たジャイロとは色々あって訓練と称した殴り合いの喧嘩になった。


「ハイネは…どうだったっけか」


 あの喧嘩を仲裁してくれたのがハイネだった気がするんだが、ジャイロに負けたおれは気を失いかけてたから詳しくは覚えていない。

 ベッドの上で目が覚めた時、胸の上で式神ウサギが眠ってたのは覚えてる。どうにも苦しいと思ったんだ。

 

「じゃなくて」


 こんな思い出を振り返っている場合じゃなかった。

 だが、今のところは探していても仮面野郎は現れていない。恰好が違うからとか、素顔が分かっていないからとかは関係ない。

 一度やり合った以上、一目見ればピンとくる自信はあるんだがそれらしいヤツは見当たらない。まだ動いていないのか、先におれに気付いて死角に潜んでいるのか。


「みー、みー」

「どうした、何かあったか?」


 胸元に潜り込んでいたカルディアの式神が頭を出してくる。二回鳴くのは連絡がある時のはずだ。


『あーもしもし? ロストさん聞こえてます?』

「ああ、聞こえてる。何かあったか?」


 声は周りに聞こえないように小さいが、周囲をそれほど気にしていないようだから今は一人なのだろう。ファルムさんの目を盗んでるのか?


『犯人って見つかってますか?』

「まだだ、それらしいヤツもいない」

『あのっすね…ちょっと気になったんすけど。そっちに新入生ってみんないるっすか?』

「ん、ああ四人で楽しそうに話して——。いや、一人いなくなってる。白いドレスで金髪の女の子」


 考え事をしてる時か、女の子の姿が見えない。そろそろ入隊式も始まるから席を外すとしたら便所とかか。


「その子がどうかしたのか」


 わざわざ連絡してくるってことは彼女に何かあるっていうことか? つまりは仮面野郎の狙いだとか。


『そこまでは分かんないっす。でも、アタシの方から見てもいないんっすよ』

「おれからはお前がどこいるか分かんねえよ」

『ああそうっすね、それは当然でした。いまはドアのとこにいるんすけど、見えます?』

「ん、ああ見えた」


 式神ネコが動くと、いくつかある扉の内の一つをじっと見つめる。そっちの方に目をやってみると、確かに今日一緒に歩いていた小っこいお嬢様が小さく手を振っていた。

 アイツもビン家のお嬢様だから話しかけられるんだろうけど、そういうのが嫌で家を出たらしいし目立ちたくないんだろう。手を振る姿は焦っていてどこか余所余所しい。


「それで、カルディアの位置がどうかしたのか」

『アタシ、さっきまでトイレに…お手洗いに行ってたんすけど』

「言い直さなくてもう全部言っちまってる」

『そ、そういうのはいいんす。式神で話してるとどうにも普通の喋り方になっちゃって危ないんすよ。じゃなくて、そこで新入生の子がいたんす』

「それで」

『女性用はもちろん個室なんで、独り言が聞こえてきたのと、出てくときの後姿を見ただけなんすけど。その後、会場に戻るまで見てないんす』

「たしか、便所からここまで一本道だよな」


 図面と、自分の目で見まわった記憶を照らし合わせると、便所からこの会場までには特に部屋はない。隠し部屋が無いかも一応調べてみたけど、間取りと空間的にあり得なさそうだった。


「なら、上か?」


 部屋はないが、二階に上がるための階段はあったはず。

 通路にも人がいる以上、その真ん前で犯行に及ぶとは思えない。何らかの手を使っておびき寄せたのかもしれない。


「分かった、様子を見てくる。戻ってそうだったらまた言ってくれ」

『了解っす。気を付けてくださ——、ちょっと待ってください、ハイネ先輩から接続が……』

『ロスト、そこにエウリナ・ディロンはいるか?』


 それまで聞こえてきていたカルディアとは反対の、厳しい声色は間違いなくハイネ。式神同士の通話で割り込んできたらしい。


「そのエウリナって子は金髪の女の子で新入生だったりするか?」

『そうだ、そこにいるか?』

「ここにはいない。ちょうどカルディアとその話してたところだったけど、仮面野郎の狙いはやっぱりその子か?」

『恐らくだが、可能性が無いわけでもない。犯人の狙いが個人への復讐ではなく、討滅局全体へ影響を与えるためのものだとすれば、入隊式の参加者の中でこれ以上適した人物もいない』

「…そうか、大方の目当てもついてるからすぐに捜す。アイリスは外に?」

『そうだ、貴様がとり逃した時の保険だがな。そうならんように動け、状況は刻一刻と動いている』

「分かってる。狙いが絞れたならこっちもやりやすくもなるしな、ようやくあの野郎の顔を拝めそうだ」

『何があろうと逃がすな。最悪、手を汚すことも考えなければならんが…。念のため言っておくが、以前のように敵も味方も全員を救おうなどと思うな。人一人では不可能なこともある』

「……ああそうだな。その時は、その時だ」

『分かっているなら、いい』

「そうだ、仮面野郎のことなんだけどさ。ちょっと気になってたことがあって」

『なんだ』

「アイツ、なんか行動がチグハグだと思ってたんだけど——」


 仮面野郎に対するおれの所感を聞いたハイネは、少し黙っていたが息をつくとたしなめる様に話す。


『ロストがそう思いたいというだけだ。ということもできるが、可能性は否定せん。圏士の本分を忘れるな。守護のためならば、斬り捨てることは何も間違いではない』

「…ああ。それで、もっと多くの人が救われる」

『分かっているなら、それでいい』


 そういうとハイネの声は消えた。何度も念を押すアイツの声はどこか普段よりも気を使っているようだ。実際、少しは言葉を選んでくれている。


「助かるよ、本当に」


 もう返事が返ってくることはない。聞こえていたとしても無視されるか。

今頃はアイリスの方に連絡しているのかもしれないな。


(……救えるのなら)


 アイツにも犯行に及んだ理由っていうのもあるだろうが、罪を許してやるわけにはいかない。性根を叩き直せないのなら、その時は——。


「ええ、出来る部分は楽しくやっていきたいものだわ」


 急ぎ足で会場を出ようとして、途中に他の新入生たちがいるのに気が付いた。彼女等ならエウリナって子がどこに行ったのか知ってるかもしれない。


「ちょっといいか?」


 振り返る三人の内、リーダー格はどう見ても紅一点。話す姿からも気丈な雰囲気を醸し出している。タイプ的にはハイネ寄りのキリエみたいだ。


「新しく入隊する人たちでいいんだよな」

「はい、その通りです。一度別の場所に集まった方がいいですか?」

「いや違うんだ、それとは別件」

「んじゃあどういう用事だよ」

「…この馬鹿、先輩だぞ…っ」

「いいんだ、おれも敬語使われるほど大した人間じゃない。っと、そうだ。もう一人がどこ行ったか知らないか? 少し聞いておきたいことがあって」


 個性的な三人組だと思いながら、四人目について話を振ってみる。まだ確定でもない以上はあんまり話を大きくするわけにもいかない。


「エウリナなら、一度お手洗いに行くといってからまだ戻っていませんが」


 教えてくれた内容はカルディアの話と差異はない。姿が消えた以上、どうやら二階にいる可能性は高い。


「そっか、分かったありがとう。そっちの方探してみるよ」


 話もそこそこに会場を後にすると、背後では三人が式の待機のために案内されているようだった。


『い、急ぐっす、遅れるとまたどやされるっす…っ』

「ああ」


 時間が近づいてきたことで来客のほとんどが会場へと足を運び、通路には人の姿も消えている。

これならば、多少急ごうが気取られることはない。


「行くぞ」


 呟いた言葉は誰に当てたものでもなく、どこへ向けた言葉なのかもまた、自分では分かっていなかったのかもしれない。だがそれでも、為すべきことだけは見失っているつもりはない。


「ぶちのめしてでも、罪を償わせてやる」


 必要であれば手を汚すことも躊躇うわけにもいかないが、それでもやっぱり、他者が誰であろうと命を諦めることは出来ない。おれはまだ傲慢にも、仮面野郎をこの手で救える数に含めたいのだと、そう思っているらしい。


  □ □ □


『恐らくだが、奴の狙いは討滅局の瓦解だ。そのきっかけさえ得られればよしと考えているのかもしれんがな』

 

 ロストが二階へと向かう中、外では討滅局本館の屋上から監視するアイリスが待機していた。

 外套のフードには式神が丸まっており、そこからハイネの声が聞こえてきている。


「つまりその、エウリナさんという方が最も被害者として適しているということですね」

『そうだ。あの娘の家は以前から討滅局に支援をしている。跡継ぎのはずの娘が入隊するということ自体が騒動だろうが、その上で入隊式に暗殺されたとなれば一族の怒りは免れない。さらに親交のあった金持ち共も離れていくだろう。無能の烙印を貼ることだけは忘れずにな』

「討滅局は組織として、今よりもさらに窮地に立つこととなる」

『人を使うにも、用意するのにも金がかかる。ただでさえ市民からの嫌われ者となっている現状、出資者から切られるのは事実上のトドメに近い。上からも下からも切り離されればもはや組織として成り立たんからな』

「そして、裏で糸を引いている何者かがいる」

『まあ分かっていたことだが、一人でこのような準備は不可能だ。『原型』の入手だけは関係者が手を回していなければどうしようもないからな』

「……やはり私もロストの援護に向かうべきではないでしょうか。あの会場には標的であるエウリナさん以外にも多くの出資者が集まっています。閃光弾を所持していましたし、爆弾を仕掛けられている可能性は高いでしょう」

『だそうだが、それらしき物はあるか?』

『ないっすー。流石にそこまでは準備できなかったんじゃないっすかね』


 ハイネとは別の声はカルディアのもの。始めから式神での通話が繋がっていたのだろう。これで外と中での状況が常に共有できる。


「カルディアさん、お疲れ様です。ロストと一緒ではないのですか?」

『式神は一緒っすよ。それにアタシが行っても足手まといになるだけなんで。あ、それとさっきの爆弾云々っていうのなら、アタシ調べてみたっすけど何もないっすね。火災を起こすための仕掛け一つ無いっす』

『そうか、この後にでも見つければすぐに言え。それに、どうやらロストの予想もあながち外れてはいないらしいしな』

「予想、ですか」

『気にするほどのことじゃない。犯人のことは警備の圏士どもには既に伝えてある。極秘任務だか何だか知らないが、今更隠すようなことでもない。幸い、配備されているのは優秀な連中だ。能力もこの状況を狙いすましたかのように嵌っている。…一人例外はいるが、邪魔はせんだろう』

『それじゃあ…、あっ! 兄さんが来ちゃったんでいったん切りますね、では!? …え、あ、お、お兄さ——っ』


 慌ただしく会話を打ち切られる。

 家庭の事情というものにアイリスはあまり親しみがないものの、カルディアのように過保護なまでに心配されるということには憧れが無いわけでもなかった。

 けれど、今はそのようなことを考えている場合でもない。


『アイリス、手を貸したいのは山々だろうが緊急事態を考慮して待機だ。ヤツが逃げ出すか、それとも爆弾以外の奥の手があるか。対処するためにもこちら側のカードが欲しい』

「分かっています。それにロストであれば戦闘において敗北はないでしょう。彼の対人戦闘は私の知る限り群を抜いています」

『それほどまでに褒めるか。…しかし、一度模擬線をしているところを見たことがあるが…そうは見えなかったがな。下手くそな型の隙をつかれて惨敗していた』

「それは、そういう約束だそうですから」

『約束?』

「ええ、以前そのように話してくれたことがあります」

『ふん…、人それぞれの事情というやつか。勝つというのならそれでかまわん。此方から観測室と連携して監視網を増やしておく、アイリスは現状維持、いざとなれば任せるぞ』

「はい、お任せ下さい。私にとって、いえ今を生きる皆にとって重要な、この討滅局という場所を失わせることはさせません」

 

 闇夜の下、白き外套を揺らしながら彼女は明滅する二階の一室を注視する。

 皆を救いたいと願いながら、その皆の中から現れた一人の悪人を前にして。彼が己を強く持って戦えるよう祈りながら。


  □ □ □


「ふっ——!」

「が…っ…」


 正面からの打ち合いは意味をなさず、短い悲鳴と共に仮面野郎を弾き飛ばす。

 すでに『略式契約』を用いてはいるものの、単純な膂力のみでさえ打ち勝つことは容易であり端的に言えば勝負になっていない。


「…ガキの姿のままで力勝負になるわけないだろ。舐めてるのか、それとも元の姿に戻りたくない理由でもあるのか?」


 自分でも驚くほど、口から出てくる言葉には熱がない。


「う、るさい……。おまえのような、ガキ、が…っ、私を見下すなぁ!」

「そうかもな、おれはお前を捕まえられればそれでいい。…来い」

「なら、食らうがいい。私の、力を! 神技、具象『乙女へ回帰せし(エイコーン・)聖女神像(カナートス)』」

 

 紡がれた詠唱、『原型』に収束する神威。

 他者を、いいや自分自身でさえも若返らせる泉水の使役。

 放出された余剰の神威による勢いは嵐を発生させ、奴を中心に部屋の中はグチャグチャとなる。


「もう少しだったんだ…っ、お前が邪魔をしなければ…、終わらせることができたというのにい!」


 これまで閉じられていたカーテンも引き裂かれ、窓から差し込んだ月光によって少年のシルエットは次第に大きくなっていく。

 次第に変わる声色はおれも知る男のものへと回帰し、これまで見ることのできなかったその顔をおれの前へと現わした。


「思ってたよりも老け顔だ」

「どこまでも…どこまで舐めた口を叩く…!」


 怒りに歪んだ声と顔、差し込む月光によって曝された正体に感慨はない。やるべきことは何も変わらず、為すべきことを成さなければならないことにも変わりはない。

 だからこそ、この身はもはや止まることなど許されていなかった。


「ハァ!!」

「ぎ、あ——!?」


 対応させる暇のない速度による踏み込みはただの一歩でヤツの前へ、顔面を鷲掴みにすると勢いのままに叩きつける。受け身も満足に取れず、一身に受けた衝撃によって苦悶の声を漏らしながら瞳だけがこちらを睨みつけていた。

 そして、疑問の色が混じっているのは仮面野郎を叩きつけたのが丈夫でも何でもない、それ以前に壁ですらない。ガラス窓へと叩きつけられたからだ。

 厚くも無ければ、新しいわけでもなく。小石の一つでもぶつければ罅割れる窓へと押し付けられた衝撃はこの建物でさえも破壊しかねないというのに。


「こ、のォ!」

「シっ、つァ!!」

「が——」


 振り回された、泉水を纏うナイフの攻撃に身を引いて回避しながら横っ腹を蹴り飛ばす。

 漏れた呼気のみを残して部屋の壁へと真っ直ぐに衝突する。またしても受け身は間に合っておらず、そして衝突された側である壁もまた無傷のまま。


「……」


 ただ、おれの頬にはナイフが掠め、薄く血が流れていた。

 迷っているのか。自分でもこの男をどうするべきなのか、心のどこかで躊躇う自分がいることに頭を振る。

 エウリナを狙うことで討滅局の存在を地に堕とすことが目的なのであれば、ヤツにとっては階下の来客に自身の存在を知られることでも多少は目的を達成することは出来たかもしれない。


「悪いがそうはいかない。お前はここから逃がさないし、お前の力ではこの壁を突破することもできないぞ」


 突入する前には既に下にいる圏士に連絡をしておいた。

 多くの人間を動かすことで襲撃を受けたことを来客に知られるわけにはいかない。外へ連れ出す方法も考えたが、あちらから伝えられたのは室内での戦闘だった。


「下にいる人たちのことなら気にしなくていいぞ。この部屋は外から丈夫にされてる。どんなに暴れてもまず壊れないからな」


 会場で問題が発生することを見越し、空間を強化することのできる能力を持つ圏士が待機させていたらしい。そのおかげで、室内から出入りは出来ず援護も期待は出来ないが、代わりにお互い逃げることも叶わなくなっている。


「おれに彼女の殺害を止められた時点で、チャンスは無くなったんだ。ここに閉じ込められた時点でお前に逃げ出す方法はない」


 以前も感じたことだが、仮面野郎の戦闘能力はそう大したものじゃない。本来、例外なく起こるはずの、『具象契約』の使用で発生する身体機能の上昇も全く行われていない。

 『略式契約』を用いての戦闘を行ってはいるものの、ナイフにさえ気を付けていれば『代償契約』自体の発動は必要ないかもしれないほどに仮面野郎は弱かった。

 そして、武器の扱いや身のこなしもまた洗練されているとは言えない。その理由もなんとなくだが予想がついた。


「お前の代償、なんとなく分かったよ。だからっていうわけでもないけど、あんまり傷つけたくないとも思ってる。もうよせ、これ以上戦っても苦しむだけだぞ」

「……っ、私の…何を分かったっていうつもりだ…っ」

「お前、見た目ほど歳食ってないだろ」

「………な」

「若返らせることができるからっていっても、別に年齢を好きに変えられるわけじゃないはずだ。でもお前の姿は…」

「うるさい! お前なんかに関係ない!!」

「……」


 その声は、今まで聞いてきた怒りの声ともまた違う。まるで癇癪を起こした子供のように真っ直ぐで、ゆえに正面から切り捨てることも出来なかった。

 芝居がかった口調も、練度を隠すための奇襲戦法も。おれの予想が当たっていれば当然のことだったのかもしれない。


「お、お前に何が分かるっていうんだ! 僕がどんな気持ちでここまで頑張って来たかなんてわかりもしないくせに、人殺しの集団のくせに!」

「本当はいくつだ、お前」


 きっと、コイツの実年齢はそう大したものじゃない。本当はおれよりもいくつか下で、もしかしたらエウリナと話をしていた時の姿が本来の者なのかもしれない。

 力を使う度に“肉体は年を取っていく”のだろう。能力を解いた今の姿は、『代償』による老化の進行。

『代償』によって、既に目の前の少年は四十歳前後に見えた。

 少年であった心はそのままに、成長を超えて老化し始める肉体。これまでの芝居がかった口調は本当の年齢を隠すためか、自身はあくまで成長したのだと、思いたかったのかもしれない。

『代償』として選ばれた以上、彼にとって望む成長が行われるはずがないのだから。


「関係ないって言ってるだろ! …なんで、なんでここまで来て失敗するんだ! 今日までなんとか上手くいってたのに、お前が邪魔するから!」

「仲間が傷つけられるのを分かってて、何もしないわけない。それに…上手くいってたのも……」


 言葉が詰まる。

 その先を口にしてしまっていいのか。これ以上は仮面野郎だけでなく、おれの内にも無視できない何かを生み出させてしまうのではないのか。


「何黙ってるんだ…! 仲間を守るなんて、嘘ばっかりだ。お前たち圏士は何も護ったりしない…っ、口ばっかりで僕たちのことも護ってなんてくれなかった。…だから、母さんは——!」

「…そうか。間に合わなかったのか」


 元を正せば、何も為せなかったおれたちへの仇討ちだったというわけか。

 名も知らぬ少年がどうやって『原型』を手に入れ、この作戦を思いついたかなど、いまはどうでもいい。裏から手を回したやつがいるのは明白だが、聞いたところで正直に教えてくれるわけもない。


「すまなかった。謝って済むことじゃないけど、何もできなかったのは事実だ」


 少年の家族がどうなったのか、詳しくは分からない。だが『穢れ』と渡り合うことのできる存在が圏士しかいないこの世界において、残された者たちの怒りが向けられるのは当然なのだろう。

 この謝罪もまた、彼の怒りを助長させる意味しか持たないのかもしれないが、それでも戦わずに済むのならその方がいいと思わずにはいられない。


「……ふざけるなよ…っ、僕が相手にならないからって馬鹿にしてるのか!」

「このまま反抗するなら、おれは君を斬らなくちゃいけなくなる。もしも君が諦めて、その『原型』の入手手段を教えてくれるなら、問われる罪も軽くなるかもしれない。これ以上、限りある時間を使うのは止めろ」


 何度の能力使用によって三十歳以上の老化が起こったのかは分からない。だが、これ以上の使用は命にも関わりかねない。

 止めるべきだ。でなければこの少年を救うことなどできるはずもないのだから。


「確かに圏士に対しての襲撃は罪になるけど殺してはいない。能力を解いてここで退け、そうすれば牢屋には入るけど——」

「いまさら、そんなこと考えちゃいない! どうでもいいんだ、…家族も、友達も、みんなが、いなくなった世界なんて! それなら僕はみんなの仇を取ってから死んでやる!」


 泣いているかのように声を荒げ、打ち付けられた身体は痛みによって膝は震え、立ち上がることさえ苦しみの上に成り立っている。


「最後の手だから、使いたくなかった。けどもういい。ここにいる全員、皆殺しにしてやる!」

「よせ…ッ」

「ぐ…ぅぅ」


 何かを懐から取り出すが、二の轍を踏むつもりはない。

 接近と同時に足を払うと、フラフラの身体では耐えることすらできずに倒れ込む。

 取り出したモノを持っている右手を踏みつけると、そこには『原型』と、真っ黒の紙で作られた折り紙が握られていた。


「なんだ、これ…」


 そしてその折り紙からは微弱だが、『穢れ』と似た気配が漂ってくる。今までこんなもの見たことも聞いたこともない。『穢れ』も生命である以上、特有の気配を持ってはいるが、それが無機物の紙から発しているなどあり得ないことだった。


「このっ、はなせ…! お前のせいで、お前たちのせいで!!」

「……悪いな。…カルディア、犯人を捕らえた。他の人を呼んでくれ。あと、変なものを持ってたんだが、そっちで分かるか」


 もぞもぞと肩の辺りから式神ネコが顔を出す。


『…ちょっと待ってくださいね…。式神経由だとハッキリとは言えないっすけど、そんなモノ見たことないっす。…ハイネ先輩にも確認取るからできれば実物持ってきてください』

「ああ、分かった」


 一度通信が切られる。このままコイツを拘束して他の圏士に引き渡せば終わりだ。


「お終いだ。お前の復讐とやらも、戦いも」

「…………」


 踏みつけた体から力が抜けていくのを感じる。

 黙り込み、顔をそむけ、抵抗する気力を失っているようにも見えた。

 すると、式神に向こうから連絡が入る。


『よぉロスト、犯人捕まえたんだって?』

「…なんだアンタか、カルディアから聞いたのか」


 聞こえてきた声はカルディアではなくサガからだった。すでに階下の圏士には伝わってるってことか。


『ああ、兄貴の目を盗みつつバタバタ動き回ってたからな。ちょいと捕まえて教えてもらったのさ。すぐ行くから待ってろ』

「分かった」


 話も早々に打ち切ると足元で動きを止めた少年に再度声を掛ける。


「仲間がすぐに来る。今のうちに言っておきたいことはあるか?」

「…………、…ぅ」

「なんだ」


 ボソボソと呟ような声に耳を傾ける。

 だがその声を聞き取るよりも早く、神威の発露を感じ取る。そしてその発生源はおれでなく、足元。

 具象契約の発動、最後の抵抗は少年の意地か怨恨か。


「———」


 無意識のまま刃を振るう。

 最短で最速に至る切っ先は少年の動きをはるかに凌駕し、その動きを奪うために奔走する。

 為すべきことだけは見失っているつもりはない。それは必要があればこの少年の命さえ奪うことを許容するということで、おれがおれ自身の夢を——。


(……なんだ)


 違和感だ。

 これまで気にしてもいなかった何かに突然気づいてしまった。それは何か大きな変化ではなくて、もっと小さくそして……。


(おれの、夢は……なにも変わっていない。だけど——)


夢が、揺らいで——。


「……ッ!?」


 刹那外れた意識が戻った時、おれの振るった刃は”黒い折り紙“を握った少年の右腕を切断する前に、床へと刀身を沈めていた。


「このぉ!」

「しま…っ」


 肉体と精神の隙をついた完全な無意識での行動に間抜けな声を上げてしまっている。

 更にはおれ自身の油断をついて踏みつけていた右手が力任せに暴れ、少年は一瞬だが自由となってしまう。


(なんて馬鹿なことをしてやがるっ、最悪腕を飛ばしても治療できる人たちだっているのに…!)


 謎の折り紙は危険だ。得体のしれないものである上に『穢れ』の気配をにじませている。子細不明でも一手目で潰さなきゃならない不確定要素。

 直感がそう告げているのだから止めねばならないことに違いはなく、躊躇いなくそうしなければならないこの状況で、おれは事件を起こした犯人の身を優先してしまっていた。


「これで終わりにしてやる!」

 

 『折り紙』を握りしめた手を前へと突き出すと、そのまま両手に力を籠める。


「……っ! ォらァ!」


 完全に静止した『原型』を床から引き抜くには間に合わない。

 踏みつけていた右手に振り払われた足を着地と共に軸として、思い切り『折り紙』を握る手を蹴っとばした。


「あ——」


 痛みなど感じてすらいない。気の抜けた、呆然とした声が少年の口から洩れた。

 力強く握っていたはずの『折り紙』はそれでもなお蹴り飛ばされてしまう。

 少年にとっての切り札である『折り紙』という希望を前にしながら、手の届くことのない目の前でひらひらと。まるで泳ぐように宙を舞っていた。

 そして、空気が弾けるような音が部屋の外からしたかと思うと、『折り紙』だったものは散り散りに弾け飛ぶ。


「あ、あぁ……っ」


 目の前で失われた『折り紙』は、さらに数度に渡って宙空でその身を粉々にされていく。

 ただそれを呆然と見つめる少年の瞳からは力は失われ、寸前まで伸ばされていた腕も音を立てて床へ投げ出される。

 微かに漏れ出していた『穢れ』の気配は弾け飛ぶ度に消え去り、紙吹雪のように地面へと落ちていった。


「……これは」


 攻撃方法には覚えがあった。そしてその人物がここにいることもすでに知っている。


「よぉロスト。あんま油断してんじゃねえよ」


 廊下から差し込む光のせいで影になっていて顔はよく見えないが、そいつは隙だらけな姿をさらすことになるにも関わらず、ドアの枠に背を預けていた。

 一度聞けば覚えるには十分な軽薄な声、廊下から入り込む光に透ける脱色された髪。


「……サガ、今まで見てたのか?」


 入口に立っていたサガの手にはヤツの『原型』である“拳銃”が握られていた。


「まあな、お前一人で十分そうだったから高みの見物と行きたかったんだが、お前ときたら甘いのなんの」


 銃口から薄く煙を引きつれながら、くつくつと笑いながら朝の散歩でもしているかのような軽い足取りで近づく。

 銃は手遊びでもするように弄っていたが、傍に来る頃にはいつの間にか腰に巻かれたホルスターへと納められていた。


「そら、落しもんだぜ? 大事にしてやれよ」

「ああ、悪い」


 床に突き刺さっていた『原型』を引き抜くと、わざとらしく大げさな手ぶりで差し出してきた。

 しかし受け取ろうと手を伸ばすと、ひょいと持ち上げられてしまって取り上げられたままとなってしまった。


「しっかしアレか? 人間相手じゃ斬れねえってか? コイツが本当はガキだってのも聞いちゃいたが、別にどうでもいいことだと思うけどね、オレは」

「アンタの言うことは、間違ってない。おれも、そのつもりだった……」

「けど出来ちゃいないからなぁ。サボって見てるだけのつもりが働いちまった。犯人もまとめて助けるってのは好きにやってくれていいが、毎回誰かに助けてもらうつもりか?」

「それは——」


 今日はサガに、以前はキリエに助けられている。エイオスとの戦いだって、おれ一人じゃ何も為せずに殺されていただろう。

 サガの言う様に、皆を救いたいと大口を叩きながらも毎回誰かに助けられているおれは、無様な姿をさらしてしまっている。


「………」


 不甲斐なさの謝罪か、助けてもらったことへの感謝か、今の状況をどう言葉にすればいいのか逡巡していると頭を小突かれる。


「なんてな。…んだその顔、ずいぶん笑えるな。とりあえずオレ相手にそんな考え込む必要ねえ。今助けたのも気が向いたからだしな、別に面白くならなさそうだったら放ってたさ」

「アンタ、マジで言ってるのか」

「ああ、だってそうだろ。オレの人生を面白くしてもくれない相手をどうして助けてやらなきゃいけねえんだ? このガキだってそうだろ、さっきの黒いのには興味あるが、コイツ自身には面白味の欠片もねえと来てる。っておい逃げようとすんな、って」

「ッ!?」


 再びの響く轟音は二度目の射撃であり、それは一切の躊躇いなく心臓を狙うもので、凄まじい速度だった。目の前で行われた行動だというのにサガの動きを目で追うことで精いっぱいだ。


「…ぅ」

「……なにしてやがる」

「言ったろ? 面白味の欠片もないソイツを生かしとく理由はねえ。だってのに、庇う必要はあんのか?」

「コイツはもう戦えない、…殺す理由はないだろ。それに事件のことも色々聞かなきゃならないんだ」


 サガの動きをとらえきることは出来なかった。

 それでも身体が動き、ほぼ無意識に振るった切っ先が弾丸を掠め、少年への直撃を免れていた。


「サガ。次に同じことをしたら、その時はおれが相手になる。…おれの目の前で、誰が相手でも馬鹿な真似はするな」

「へっ、まあいいけどよ。お前も夢物語みたいなこと続けるつもりなら、現実のことも考えとくこった。あんましょうもないことばっか続けるってなら、背中に気をつけとくんだな。ほら行こうぜ、下の連中に馬鹿を献上しねえとな」


 興味を失ったのか、銃を指先でクルクルと回しながらさっさと先へ進もうとする。


(速かった……)


 手に残った僅かな痺れ。

 振るった刀から伝わり、残された感触はおれとサガの力の差を示しているようなものだ。おれはあの時、ただ無心で振るったのが偶然、弾丸に掠ったに過ぎない。

 それでも、足元の少年を無視していたわけじゃあない。

 サガの問題行動に対して、いつ動き出しても動けるつもりではいたが、アイツの速度はそれを優に上回っている。

 銃声とともに床に開けられた穴は、動き出そうとした少年の毛先を掠めるギリギリの位置。そしていつ銃が抜かれたのかも完全には目視できなかった。

 気が付いた時には既に銃はホルスターを飛び出し、いつ引き金を引いたのかは思い返しても分からない。例えおれが標的であったとして、銃弾を防ぎきれたかどうかは分からない。むしろ反応さえできずに始末されていたかもしれないほどの速度だった。


「ったく、テメエのせいで楽な仕事が面倒な仕事に早変わりだ。わざわざこんな行事のある日に騒ぎ起こすんじゃあねえってな。そら、運ぶの手伝えロスト、それくらいは簡単だろ?」


 まるで子供を相手にするような、からかう口調で指示を出しながら指先で回していたおれの『原型』を今度こそちゃんと差し出した。


「分かってるよ。……事情は知らないが、これでお前の起こした騒ぎもお終いだ。おとなしく運ばれてもらう」


 サガにおれの行動を揶揄われている気まずさから少しぶっきらぼうに受け取ると、その辺に落ちていた布を縄代わりにして少年を縛り上げる。


「…………」


 うつむいたまま返事はない。この状況で抵抗することは流石に不可能だと認識しているものの、その手は血が流れるほど強く握りしめられていた。


「ハイハイ、これで終いっと。ああそうだ、カルディアに感謝しとくんだな」

「アイツに?」

「くく…、ずいぶん慌てて話しかけてきたと思ったら、お前が一人じゃ心配だから助けに行ってほしいってよ。泣かせるじゃねえの。やけに急かすもんだからオレも来ざるを得なかったってわけよ」

「そうか、分かった。…サガ」

「あん?」

「助かった」

「ふっ、そうかい」


 鼻で笑いながら部屋を出ていくサガを追いかける。

 おれの肩には乱暴に担がれた少年が力なくうなだれていて、後は他の圏士に引き渡せばこの任務も終わりを迎えるだろう。


(そうだ、外のアイリスに連絡しとかないと)


 今も外では緊急事態に対処するためにアイリスが見張ってくれているはずだし、ハイネだって待機してくれている。

 犯人は確保し、切り札だったらしい謎の『折り紙』はサガが壊した。

 アレが何だったのかは気になるけれど、目の前で見ても良く分からなかった以上はどちらにせよ意味がなかったかもしれない。

 もはやバラバラの破片となってしまっているから、どういった道具だったのかの調査は他の圏士や瞳士に任せるしかない。

 持ってきてほしいと言っていたカルディアには怒られるかもしれないけど。


「ふ……ふ…ふ……」

「あんだ、気でも狂ったか?」

「ちょっと黙ってろ。なんだ、どうして笑ってる」


 のぞき込もうとするサガを手で止め、少年に問いかけるが返事はない。

 担がれたまま力なく笑い出した少年の声だったが、その声は諦めからではなくどこか確信めいたものが感じられた。


「失敗だ、お前たち…。特にそこの馬鹿のおかげで……」

「誰が馬鹿だって?」

「一々反応するなって、何を失敗したっていうんだ」

「はは…ハ、お終いだ。ぼくも、お前たちも、皆全員まとめて死んでしまえばいいんだ」


 だがおれ達の問いかけに応えるつもりは一切なく、乾いた声で笑う少年の言葉からは、勝利の確信というよりも自暴自棄になってしまったかのように見えた。


「あー…ロストくんや。ちょっとちょっと」

「ちょっと待てって、一旦コイツと話をちゃんと——」

「そういうヒマがねえんだなこれが。しっかしアレだな、マジメにヤバいかもしれねえなコレ」

「だから何、が——、な」


 苦笑いを浮かべながら元いた部屋を指差すサガに従って振り向いた先、そこには夜の闇に溶け込むようにしながら黒い球体が浮かんでいた。

 気配はない。

 いいや、集中しなければ感じ取れないほどに微かにではあるがそれはまさしく『穢れ』のもの。

 球体は人の頭ほどの大きさであったが、心臓のような脈動の度に僅かに大きくなっていき、同時に『穢れ』としての気配も間違いないものとなっていく。


「コイツ、さっきの『折り紙』、か……?」


 考えられるものならばそれしかない。

 だが、あの『穢れ』の気配をにじませていた『黒い折り紙』は、少年が使用する前にサガが撃ち抜き粉砕した。


「あれ…は、最終手段だった…。どうしようもなくなったら、破って使えって……」

「なら」

「なるほどなあ。やっぱやっちまったかもなぁ。『原型』でぶっ放したからセーフかと思ってたんだが」

「どっちにしてもコイツが破ってたから、元を正せばおれのせいだよ。いまはそんなことよりも——」

「ああ、くっちゃべってる場合じゃなかったな!」

 

 担いでいた少年を横へと降ろし、球体を斬り捨てるために低い姿勢のまま一歩を踏み込む。隣ではそれよりも速く、サガの腰から抜き放たれた拳銃から、神威によって精製された弾丸が標的へ向かって寸分違わず放たれた。

 あの黒い球体が『穢れ』が現れる前兆だというのなら、完全に現れる前に始末するしかない。

 神域の森に出現したエイオスも元は黒い球体として発見されていた。大きさとしては小さなものでも、ここから現れる『穢れ』がエイオスを超える存在だという可能性だってある。


(灯日の中心で、もしもそんなやつが現われでもしたら——!)


 灯日という都市の機構は『穢れ』が存在することによる急激な環境汚染によって生命の住むことのできなくなる環境へと一気に陥ってしまいかねない。

 だからこそ、灯日内に『穢れ』を侵入させないように討滅局が絶え間なく戦い続けているのだ。

 ここで、そんな危険な存在を産み落とさせるわけにはいかない。

 どこの誰がこんな代物を創り出したのかも、少年の復讐心に付け込んで利用したのかは分からない。

 だが、ソイツは恐らく人が生きることを否定したがっているとしか思えない。

 そんな、そのような連中を、許せるはずがないだろう!

 

「クソ…ッ!」

「チィ!」


 球体への着弾と切断は同時、部屋に置かれた家具のことを欠片も気にしない速度での振り下ろしも手応えはなく、突っ込んだ衝撃はただ部屋を荒らしただけだ。


「——このっ」


 突っ込んだ勢いを殺し切り、球体を視界の正面に収めるとそこには銃弾によって穴が空き、中央から真っ二つになった球体であったモノがゆっくりと、端から崩壊しながら床へ向かって落ちていく。

 切り捨てた球体の中は空洞となっていて、半球のまま揺らぐ様子はまるでシャボン玉かサカナの卵の様だった。

 そして、おれ達が討滅すべき『穢れ』の姿は球体の内にはなく、見上げた先に“ソイツ”はいた。


「サカナ…、か?」

「なんつーか、弱そうなのが出てきてより不穏ときてやがるな」


 ゆらゆらと、空中でありながらまるで本当に水中を泳いでいるかのような動きで宙を泳ぐ真っ黒なサカナ。廊下から差し込む僅かな光が夜の闇をより濃く彩る中で、ソイツのいる空間のみがさらに黒く切り取られているかのようだ。

 すでに『穢れ』は産み落とされていた。

 大きさは実際のサカナと相違ないが、それでもコイツは『穢れ』に違いない。一刻も早く討滅しなければならない存在だった。その姿を前にして――。


「……カルディア、聞こえるか」

『ハ、ハイっす。いま大丈夫っす…! どうっすか、犯人捕まえたって聞いたっすけど、問題発生っすか…?』

「…今すぐ下の連中逃がして他の圏士呼んでくれ、あとアイリスとハイネにも連絡してくれ。『穢れ』が出た」

『……ハイ?』

「頼むぞ」

『え、ちょ、ちょっとロストさ——!』


 通話を打ち切ると、肩口から顔を出す式神ネコを服の下に隠す。

 これで他の圏士にも端的だが状況も伝わる。

 最悪の事態を前にしているが、諦めるつもりは毛頭ない。ここで折れる様を見せるなど、夢を語りながらあまりに情けなさすぎる。

 水面の木の葉のように揺れる『穢れ』を前に、肩なの柄を握り直すとこの状況を前にしながらもやけに楽しそうな男に声を掛ける。


「手伝ってくれ、速攻で決めないと取り返しがつかなくなる」

「っとと、確かにそうだった。呑気に見てる場合じゃあねえわな!!」

「——、ああッ!」


 二人の圏士によって放たれる弾丸、振り下ろされる刃。

 それらは双方の持つ戦闘経験において、眼前に現れた『穢れ』を討滅するのに十分な速度と威力を宿しており、球体という隠れ蓑が消滅した以上外すことも考えられない。

 だが——。


「チィ、器用によけやがんなこのクソサカナ!」


 すべての攻撃は寸でのところで回避される。

 水中の葉を掴もうにも自ら生み出した水流によってすり抜けるように、『穢れ』もまた攻撃によって発生するわずかな空気の揺らぎに乗って、宙を流され泳いでいた。

 続いて逃げ場を潰すように攻撃を重ねるが、それでも指一本分の隙間さえあれば攻撃範囲から逃れられてしまう。


「ならこれでどうよ!」

「っ…!」


 手に伝わる痺れはさっきも体感した、銃弾を刀で弾く感触。弾かれた銃弾の軌道は強制的に切り替えられ、攻撃を回避し続ける『穢れ』のがら空きとなっている側面を狙いすましたかのように突き進んだ。

 だがその神がかった奇襲もまた命中する寸前でくらりと躱される。


「だァクソ、いい狙いしてたのによ」

「一言言ってからやれ!」

「当たらなかったけど攻撃は成功してんだからいいだろー。一々大声出すなよロストくん、ハハハ」

「こいつ…っ」


 この状況で、この男が問題児であることを思い出させられるとは思わなかった。

 まさか、振り回している刀に向かって放った弾丸を跳弾させることで攻撃しようなどと誰が思うものか。第一、仲間にも当たるかもしれないというのに、サガは外すという可能性を考慮していない上、当たったところで一切気にしない。

 だが、出来てしまう実力を持っていることもまた事実、それが問題を起こしながらも圏士として戦い続けることを許されている理由でもあった。

 このまま二人で攻撃を続けながら増援が来るまでただ待つか。

 膠着状態がいつ崩れるか分からない現状、無茶なことでも出来ることはやらない理由はない。そして、全ての攻撃を回避する『穢れ』を前にして命中させる方法を一つ思いついた。


「サガ、この部屋を強化してる圏士って下にいるのか?」

「んだオメエ、そんなこと聞いてどうするって——、はっは~ん? ロストくん、なかなか頭おかしいこと考えてねえか」

「分かってるなら離れてろ」

「あいよ」

「略式契約…!」


 さっさと逃げ出すサガを見やると、部屋の唯一の出入り口を背に構え、『原型』に力を籠める。黒い刃は白く染まり、空気を裂く音を鳴り響かせながら白雷を迸らせる。

 あの『穢れ』一体分、それだけの隙間があれば避けられるというのならその隙間ごとまとめて攻撃すればいいだけのことだ。

 この部屋が代償契約の力によって内外から完全に守られているのなら、おれの攻撃さえ外に漏れ出すことはない、はずだ。

 能力を使っている圏士の実力にもよるが、それは信じるしかない。それほどに今の状況はひっ迫している。


「消し飛びやがれっ!」


 『原型』に押し込めたありったけの神威の重みを感じながら思い切り振り切ると、部屋全体を埋め尽くす真白な、破壊の光が埋め尽くす。

 逃げ場などどこにもない神威の奔流に、部屋の方が耐えきれないかと不安がよぎるが耐えてくれると信じて神威を流し込み続ける。


「っ…ァ! これで、どうだ!」


 攻撃は十秒程度、息をつくように中断する。

 真白に染まっていた視界もすぐさま元の感覚を取り戻しながら、部屋の中の状況を映し出す。

 部屋の原型を保ちながらも、そこに置かれていた様々な家具や衣服は焼き払われ真っ黒な炭となっていた。だがそんなものよりも『穢れ』の存在を、神経を総動員して探す。

 そして、その答えはすぐさま提示された。


「形が変わってる…」


 おれの攻撃は耐えられていた。

 宙に浮かんだまま静止した『穢れ』は表面から薄く煙を上げながらも目立った損傷はなく、姿自体もサカナからまるでとぐろを巻いた蛇のような——。

 『穢れ』の生存確認と同時に鳴り響く轟音。


「おいおい、気ぃ抜くなっていってんだろうが」

「悪い!」


 一度に発射された複数の弾丸が『穢れ』に向かうが、今度は回避されることなく着弾する。だが結果に喜ぶ間もなく、全ての弾丸が甲高い音とともに弾かれてあらぬ方向へ飛ばされてしまった。


「ちっ、これだから『穢れ』ってやつは」


 苦笑を浮かべながらも射撃を止めることはせず、弱点を探すよう四方八方から撃ち込み続ける。だが、それら全ての弾丸もまた、無常にも傷を付けることは出来ずに四方八方へ飛び去ってしまう。

 これが、圏士に拳銃を使う人間が少ない理由の一つだった。

 取り回しが容易であり、離れた相手にも攻撃が可能な銃であっても、威力は『原型』に込められた弾丸、使用者の神威に左右される。

 また、自身の肉体を強化しようとも直接攻撃力には結びつかず、弾丸となる神威を籠めることのできる限界もそう大きくはない。今回のように強固な装甲を持つに至った『穢れ』相手では無力になってしまう。ゆえに銃使いはサガくらいのものであり、変わり者として見られる立場にある。

 つまり、この戦いにおいてサガは事実上の戦力外となってしまった。そしておれもまた。


「斬れるかー?」

「…ッ、無理だった」


 略式契約を用いての一閃は表面に薄く傷をつけるのみにとどまり、その傷も二撃目を与えるより前に修復されている。

 一撃で決めるつもりの攻撃、威力に打算はなくあの瞬間で可能な全力を打ち込んでやったというのに、それでは真面にダメージが通らないときている。


「クソ…どうなってる」


 回避ばかりを続けていた先ほどとは真逆の性質、いくら『穢れ』であってもこれほどの速度で成長、変化をするのは見たことがない。

 もしもこの姿がおれたちの攻撃に適応するためだというのなら、下手にちょっかいを出すこと自体がこちらの首を絞めることになってしまう。


「さぁてどうしたもんかねぇ」

「のわりに、この状況でずいぶん余裕あるように見えるけどな」

「いやいやロストくん、オレだって色々考えてんだけどよ、いかんせん攻撃通らねえからさ」

「なら応援でも呼んできてくれよ」

「お前一人にする方が不安だわ」

「……っ」


 この短時間で何度も助けられている以上反論は出来ず、一刻も早くどうにかしたいのに、静止したまま一切の動きを見せない『穢れ』とおれたちとで膠着状態が発生してしまう。


「んー、よし。ちょっと待ってろ、ソイツから目離すなよ」

「おい、どこ行くんだよ」

「事情聴取」

「殺すなよ!」

「へいへい」


 さっさと歩きだすと倒れたまま放置していた犯人、名も知らぬ少年の前でしゃがみこむ。

 気まぐれに撃ち殺しかねない男である以上は一緒に話をしたいが、おれ一人に『穢れ』の相手を任せた形である以上、ここを離れるわけにはいかない。

 それに、確かに『穢れ』を閉じ込めていたような『折り紙』を持っていた彼ならば何か知っているかもしれないが…。


「なんだ……ぼ、ぼくは、アレのことは何も知らない…。使い方を、聞いただけだ」


 返って来た内容は嘘か本当化はさておいて予想していた答えに変わりはない。


「んだよ役立たねえ。ま、いいやお前のことなんてどうでもいいしな。殺しちまえば『穢れ』も消えるとかならさっさとやっちまうんだがなぁ」


 本当に一応聞いてきただけらしく、ため息をつきながら部屋に戻ってくると横に並ぶ。


「応援も全く来ねえときてやがる。人手不足とかで済む問題じゃねえぜコレ」

「ああ、カルディアの方から伝わってるはずなんだけどな」

「もっかい言ってみろよ」

「ん、ああ。…聞こえるかカルディア、返事してくれ」

『…………』


 服の中で丸まっている式神ネコは丸まるばかりで動きはない。どうやらカルディアともアイリスとも会話は不可能らしい。

 サガに目配せすると、軽く笑って銃を構えながらさっきまでと一切変わらない軽口を叩き始める。


「つまりどういうことか分かるかロスト」

「…おれたちでやるしかない」

「その通り。んで、出た被害については役立たずの上に取らせとけばいい。死人が出たならその時だろ」

「アンタ、いっつもそんな考えで戦ってるのか?」

「まさか、もっと適当だよ」

「そうかよ」


 信用しきれないが、信頼できないわけじゃない。外の状況がどうなってるか分からない以上、やらなきゃならないことにも変わりはない。

 互いに武器を構え、動きを見せないままの『穢れ』と対峙する。

 

「—————————…」 

「来るぜ」

「ああ」


 まるでおれたちの準備が終わるのを待っていたかのように、これまでとぐろを巻いたまま微動だにしなかった『穢れ』の表皮がピシピシと音を立てながらひび割れていく。

 それはまさに蛇の脱皮であり、中から更に変化した『穢れ』が現われるのは明白だった。

 甲高い、ガラスの割れるような音を発し、穴の開いた体表の内側からはさらに大きくなった『穢れ』の姿。ではなく、黒い靄のようなものが立ち上る。

 その密度は靄などと呼べるものではなく、天井へと達する頃には明確な形状を持ち始め、この部屋一つで収まるわけもない大きさへと変貌を遂げようとしている。


「おいおい…、こりゃあオレにゃあ何ともならんぜ」

「おれたちでやるしかないんだけどな」

「そりゃあそうだ。あーあ、カッコつけたようなこと言うんじゃなかった」


 早くも諦めたような言葉だったが、サガからは一切諦めたような気配は見えない。いくらでも手はあるとでもいう様に『穢れ』に対しても余裕を見せつけている。

 隙を見せることはなく、一切合切対処しきると言外に語る姿は、…味方としてならばこれ以上頼もしいこともなかった。


「で、どうするよ?」

「譲ってやる」

「ならお言葉に甘えて」


 そうして、互いに準備は整った。

 黒い靄は巨大な渦を巻き先頭から大樹のような太さの肢体へと形を成していく。

 徐々に模られる細部の形状はのたうつ巨大な蛇を超え、物語に現われる龍そのものだ。肢体を覆う鱗は逆立ち、一枚一枚が刃のような鋭さを秘めている。

 身体と比較すると小さな両手で床に爪を立て、大きく開かれた瞳も顎も己が外敵である圏士に向けられていた。


「——————」


 声を上げることはしない。呼吸一つ、行うこともしない。

 だが、視線を感じる。

 互いが互いにこの場で殺さねばならない相手であることを理解し、そのための間合いを本能的に把握しようとしている。

 場所は人の営みの中心、人類の安息の地。

 求められるは最速の討滅、既に敵は成体と呼べるのは違いなく、全力を優に超えねば勝利は無いことは一目で分かる。


「そら、おっぱじめようぜぇ!」

「略式契約ッ!」

「———!!!!!」


 開戦の号砲は思ったよりも小さく、『穢れ』の音無き咆哮によってかき消されながら。衝撃ごと切り裂く一閃によって開幕を告げた。


『本編について』

・回帰事件の犯人

 彼は本来10代前半の子供なのですが、具象契約の代償によって”老化”してしまっています。一応自身への年齢操作を行えば一時的に元の姿に戻ることはできますが、それも能力を解除すればより年老いた自分の姿を見ることになるので、本来普通の少年である彼には苦しいものでしょう。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。(https://x.com/kuroyonosuke)

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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