実力行使
一人の圏士が警戒を続ける最中、同じ広間の中では緊張により壁際で深呼吸を繰り返す少女がいた。
「すぅー、ふぅ、大丈夫、試験には受かっているしこれから頑張ればいいんだもの」
誰にも内緒で試験を受け、幸いなことに『代行者』からは認めてもらうことができた。
同じように試験を通ることのできた若者たちは談笑しており、自身も混ざりたいという気持ちもあるのだが、それ以上に未来の不安に負けそうになっていた。
(あの人みたいに誰かを助けられるかな……)
思い返すのはつい先日、迷い込んだ路地で酔っぱらいに絡まれていた彼女を助けた一人の青年のこと。
凶悪犯?との勘違いによって手酷い目にあっていたものの、助けてもらうことができたのは幸運だった。また、彼女の記憶違いでなければあの青年は…。
「ディロンさん、だっけ? 一人でいないで一緒に話さねえか?」
「ふぇ?! あ、す、すいませんっ!」
考えに耽っていると急に話しかけられてしまった。
大柄で腕は太く、筋肉の鎧を着ているかのような青年。彼は驚いた様子を前にして頭をバリバリと掻きながら困ったように口を開く。
「え、そんな謝るようなことじゃねえんだがなあ。えーとどうしたもんか…、イッテ!?」
「間抜けめ、相手はディロン嬢だぞ。もっと礼節をもって接することは出来ないのかこの大馬鹿者」
するともう一人、初めに話しかけてきた青年とは真逆に、線の細い理知的な青年が現れた。開口一番辛辣な言葉をぶつけてはいるものの、言葉遣いからしてどうやら旧知の中であろうということは分かったのだが。
「なんだとぉ、そういうテメェは頭でっかちじゃあねえか! いつもオレのやることにチマチマ口出ししやがって!」
「なにおぅ!」
「んだよ!」
「えと、えと…」
いきなり話しかけられたかと思ったらいきなり喧嘩を始めだした二人組。
この二人には見覚えがある。
今年度、入隊試験を突破した新たな圏士、つまり彼女の同期だ。これまでは話す機会が無かったから分からなかったが、思い返せば確かに試験当日にも何か揉めていたような気がする。
「やるってか本の虫野郎!」
「受けてたとう筋肉ダルマ!」
「あの、周りの人たちにも迷惑だし喧嘩は——」
「いいや嬢ちゃん、コイツは一度締めてやった方がいいんだ!」
「ほぼ初対面の相手に対して嬢ちゃんなどと、恥を知らんか!」
「ああもう話を聞いてってば~」
どうやら彼女の話を聞く耳は持たないらしく、これでは注意している青年の方も同じようなものだ。
間に入って止めようにも既に一触即発、周りに助けを求めようにも若気の至りだろうと余裕を持って微笑むものと険しい目を向ける二組に分かれていて、止めようと言い出す者はいない。
しかしこのまま喧嘩を始めさせるわけにはいかない。彼女らの評判などよりも、怪我でもすれば取り返しのつかないことになる可能性だってあるのだ。
「アナタたち、それ以上のバカな真似はよしなさい!」
「う」
「ぐ」
どう止めればいいものかと慌てていると、鋭い声が剣のように奔った。
声の主は広間のドアで腕を組んでおり、気丈な気配を纏い鋭い視線を向ける一人の女性だった。
(確かあの人が今年最後の……)
二人の青年は母親に叱られたようにそれまでの勢いを失うと苦い顔を浮かべている。
「まったく」
ツカツカと綺麗な姿勢で歩を進めると、集まっていた三人の内、喧嘩を始めていた二人の青年の前へ。
「今日はどちらが仕掛けたの」
「…コイツ」
「なっ待ちたまえ“ザニア”それは誤解だ。“ガンダ”、貴様がディロンさんに失礼な物言いをするからだろうに!」
「先に手ェ出してきたのはテメエの方だろうが!」
「叩きでもしなければ気づきもせんだろうに!」
「んだとぉ!?」
「分かったわ、“ガンダ”も”デリン“も他に言いたいことはないわね」
「いや…、そのだねザニア」
「オレにも言い分というものがあってだな…」
「他に? 言い分?」
「「あ、いいえ、何でもないです」」
「そう、ならよかったわ。アタシはこの会場で恥をさらすつもりもないから、詳しい話は終わってからにしましょう」
「「はい…」」
肩をガックリと下ろしうなだれる二人の青年。その様子を確認すると、注意を向けていた周囲も先ほどまでのように談笑に華が咲く。
今年の圏士は元気がいい、などと思われているかもしれないと思うとディロンと呼ばれた少女はほんの少し、恥ずかし気に頬を赤らめていた。
しかしそれ以上に彼女の興味を引くものがある。
「うわぁ…っ」
強い人なのだと憧れに近い視線を向けていると、件の彼女と目が合った。
「ディロンさんよね。ごめんなさい、うちの馬鹿共が迷惑をかけたみたいで」
対面してようやく気付いたが、彼等と比べれば幾分小柄な女性だ。迫力でもっと大きく見えていたらしい。だというのに、言葉一つで事態を収束に導いたのはすさまじいの一言だ。
「い、いいえっ、お二人もワタシのことを思って声を掛けてくれたので。怒ったりするようなことありませんっ」
「そう、優しいのね。でもあんまり甘やかさないで頂戴、すぐ周りが見えなくなって喧嘩をはじめるの」
「そういえば。入隊試験の時はちゃんと話す時間もなかったですもんね。ワタシもすぐ灯日を離れちゃってたので」
「そうだったわね。挨拶をしようと思ったらもう帰った、って聞いて三人で驚いてたわ」
「アハハ…、ちょっと事情がありまして…。そういうお三方は元からお友達なんですか? なんだかすごく仲良しに見えるもの」
「お友達、ってよりかは腐れ縁だよ。特にこの頭でっかちとはな」
「その通り。この筋肉の塊とはな」
「……やるかこの野郎」
「…売るというなら買うぞ?」
「「ぐぬぬ…!」」
「何を始めるつもりかしらね、そこの二人は」
「「……ぐ、ぬぬぬ…」」
勢いを増していった唸り声は、彼女の一言によってそのまま鎮火していく。この三人の主導権を握っているのは間違いなく彼女であるようだった。
「そうだ、同期だっていうのに自己紹介がまだだったわね。アタシの名前は“ザニア・シャルライン”。で、そっちの二人が」
「待て、それくらい自分たちでやるって。ふぅ、んでオレが“ガンダ・ルバ”だ」
「“デリン・マクラン”といいます。これからよろしくお願いします」
「はいっ、よろしくお願いします。あ、そうだ、ワタシもちゃんと名前言っておかないと。ワタシの名前は“エウリナ・ディロン”ですっ」
「知ってる。なにせ有名人だもの」
「ハハハ、嬢ちゃんはオレ達とは比べ物にならないくらいのお嬢様だからな」
「それが分かっていながらその態度を取れるのはもはや蛮勇だぞ……」
慌てながら力一杯に頭を下げたかと思うと、次の瞬間には花開くような笑みを浮かべながら名を名乗る。その姿は彼女自身のお転婆さを隠し切れてはいないものの、それでも指先の運びや表情の作り方からは高名な家の下に生を受けたのだろうと誰もが直感するだろう。
事実、彼女の生まれた一族はかねてより商才に溢れた当主が受け継いできた、由緒正しい家柄だった。
「それによ、やけに金持ちが来てるのも嬢ちゃん目当てだって聞いてるぜ」
「アナタそれを大きな声で口にしていたら生きて帰れなかったかもしれないわね」
「脅かすなよザニア、オレだって流石にラインは見極めてるつもりだって」
「どうだかね。あまり気にしないで、この男は特に何も考えていないだけだから」
「あはは……」
それまでの快活な口調を抑えたガンダからの言葉もまた、事実なのだろう。
生命の守護者としての役割を背負いながら、嫌われ物として名をはせる圏士の入隊式。例年であれば、今日のように貴族階級と呼べるような者らが足を運ぶことはなかった。
風のうわさでは現在の討滅局局長が各地を飛び回って根回しをしているのだ、と聞いたものもいるだろうが、それでもこの数は多いと言える。
彼等の目当ては、今日この日より圏士としての戦いに足を踏み入れる若者4人の内、最も若く可憐さに溢れた少女だった。
「しかし、ディロン嬢も常に注目されていては大変でしょう。このような場でも気が休まらないのでは」
「元々知り合いの人との挨拶はもう済ませたよ。子供の頃からだから流石に慣れちゃった。でも、ワタシが頑張れば圏士の先輩たちにも貢献できるかもしれないですし、悪いことばっかりじゃないと思うな」
「はぁ~、ポジティブだなぁ。オレが嬢ちゃんの立場だったら追い返しちまいそうだぜ」
「そんなことしたら本人よりも家の方に影響が出てくるかもしれないけどね。ま、少なくともガンダには無理な立場なのは間違いないわ」
「おう、オレは庶民以外じゃ逆に生きてけねえなっ」
「自信満々に言うことかそれは」
「本当に仲いいんですね。腐れ縁? って言っていたけど、そんな風には全然見えないくらい」
「長く付き合ってると気安くもなるものよ。この二人がお馬鹿なのは一向に変わらないけれどね」
「「コイツと一緒にするな! …真似をするな!」」
「ほらね」
「本当、やっぱり仲良しにしか見えないっ」
「「……」」
女性二人の笑みを前にしては馬鹿であろうが秀才であろうが、上げた拳は収めねばならない。その点で言うのなら、彼等は落ちこぼれとはならなかった。
□ □ □
和気藹々とした若者らの会話、自らの益のため、その中にどうにか入りこめないかと考える気の早い有力者たち。
彼等の温度差が明確となるよりも早く、壇上から声を上げる者がいた。
「皆様、今日はお足元の悪い中、表裏境界圏討滅局の入隊式に足を運んでいただき誠に感謝申し上げます。これからの予定について連絡を申し上げさせていただきます」
よく通る男の声、服装からして圏士であろう。
柔和な笑みから生まれた目元の皺による年齢を感じさせながらも佇まいに隙は無く、落ち着いた雰囲気は会場の空気を落ち着かせるのに十分な力を持っていた。
「皆様につきましてはお待たせしており大変申し訳ありませんが、準備が整うまでにあと十分ほど掛かります。準備が整い次第再度お声掛けさせていただきますので、その際には此方にお集まりください」
「……っ」
あと十分、その時間の後に少女は圏士としての一歩を踏み出すこととなる。分かっていたことではあるが、本番が近づくとなると緊張してしまう。
それは、これまで参加してきたどのようなパーティよりも強く彼女の心を打ち鳴らしていた。
「それでは皆様、お邪魔してしまい申し訳ありませんでした。次の連絡までご歓談をお楽しみください」
壇上の圏士は一切乱れのない綺麗な礼を行うと、準備のためか本人も会場を後にした。残された者らは、先ほどまでよりも落ち着きを取り戻した空気の中、各々に行動をとり始めていた。
「うぅ、やっぱり緊張しちゃうなぁ…」
「つってもオレたちは名前呼ばれたら檀上に上がって挨拶するくらいだろ? 別に大したことじゃねえって」
「お偉いさんたちもいる前でそう言えるのは貴方の良いところでもあるんでしょうね。表に出さないまでも少しくらいは慎みを持つべきだと思うけど」
「慎みねえ、そういやデリンどこ行った?」
「お手洗いだって。ガンダさんとは反対にデリンさんは緊張しっぱなしみたい」
「さん付けなんてよしてくれ。呼び捨てでいいよ、呼び捨てで。年だってそう変わらんだろ」
「それとたまに敬語を使ったりしてるけど、アタシ達相手なら普通に話してほしいわ。ですます口調が素なら構わないけど」
「そ、そう? じゃあこれからは、普通に? 話すようにするね。ふふっ、なんだか変な感じ」
「なら決まりね、デリンは頭が固いから少しの間はちゃんと喋ろうとするだろうけど、無視してくれればそのうち折れるわ。貴女らしく振舞って」
「ありがとうザニア」
エウリナの境遇からすれば、少女らしい口調で話す相手はそう多くないことは想像がつく。自身の令嬢という立場と周囲の人間関係からして、砕けた口調で話すような機会があったかどうかも怪しい。
「でも、その割には貴女の素はそっちの方みたいね」
「えへへ、実は堅苦しいのって苦手なんだ。ワタシとしては本を読むよりも身体を動かしたりする方が好きなの。…あ、今の他の人には言わないでね…っ、あまりイメージを崩すようなこと言うな、って子供の頃から怒られちゃってて」
「ふふ、そうね。仕方がないから内緒にしてあげるわ。友達のお願いだもの」
「と、友達…!?」
「あら、ワタシじゃ身の丈に合わなかったかしら」
「そんなことないよっ! うん、ワタシもとっても嬉しい! おっとと…」
「ん、どうかしたか?」
「あはは…。ほっとしたらなんだか気が抜けちゃって…、ワタシもお手洗いに行ってくるね。時間までにはちゃんと戻るから」
「言い寄る相手は無視しなさいね。何かあれば呼んで」
「うん、ありがとー、アテっ」
少し恥ずかしそうにしながら会場を立ち去る後姿は気品溢れるお嬢様なのだが、どこか抜けているようで軽く躓く姿を見せる。彼女の自然体な姿は周囲の笑いを誘い、当の本人は顔を赤くして照れていた。
その姿を見送る二人は誰にも聞かれないような声で、呟くように言葉を紡ぐ。
「ああいうところが好かれるお嬢様、なのかしらね」
「ザニアだって嫌われちゃあいなかったろうよ」
「残ってくれたのは貴方達みたいな変わり者だけだったけど」
「ハハハ、そりゃあ喧嘩売ってたりするのか?」
「もしもそうなら買っていただけるかしら?」
「よせよ、オレもデリンも一度だってザニアに勝てた試しがねえ」
「ム、何の話だ?」
「あらお帰りなさい。なんでもないわ、ただもうしばらくは貴方達二人を尻に敷いていられそうってことが分かったくらいよ」
「一体、…何の話を?」
「んまぁ、ザニアの言ってることに間違いはねえ…」
それぞれの過去と事情を胸に秘め、誰もがこの場に立っている。
願わくば決別なんて悲しいことが二度と起きてしまわないよう、頭の隅で考えながら。
「ふぅ…でもやっぱり緊張しちゃうなぁ……」
手洗いを済まし、時計を見るとそろそろ式が始まる時間だった。すぐに元の会場へ戻れば間に合うが、彼女はどうにも人に見られることは苦手としていた。
ザニアのように堂々とできればよかったのだが、胃の辺りに重たいものを感じずにはいられない。
しかしこれも試練だと気合を入れると、通り過ぎる人々と簡単な挨拶を交わしつつ足早に会場へと戻っていく。
「ぐす…」
「あれ?」
すると、通路の隅で泣いているらしい子供の姿があった。
速度を落としつつ様子をうかがってみると、年端もいかない男の子が袖で涙をぬぐっていた。
(時間は……)
もう一度懐中時計を確認すると時間が無いわけではないものの、余裕があるわけでもなく、今日の主役でもある自分が遅れるのは問題だという自覚もある。
「うぅ…、でも…」
けれど、周りの人々は男の子のことをあまり気にしていないようで、そろそろ時間だと足を揃えて会場へ向かっていく。
放っておいても見回りの圏士が対応してくれるだろう。そう思えば彼女もまた、それほど気にせず足を向けることができたのだが。
「……うん、やっぱり見逃しちゃダメだよね」
それでも、見逃すことは出来なかった。それは単に子供が泣いているからということもあったが、自身の幼いころを想起したからかもしれない。
「キミ、大丈夫? ママとはぐれちゃったのかな?」
「…え? お姉さんだれ?」
「ワタシはエウリナっていうの。キミが困ってるみたいだったからつい、どうして泣いてたの? お姉さんに助けられることなら力になりたいな」
「えっ…と、ママがここで待っててって、でももどってこない」
「そうだったんだ、どこに行ったのかは分かる?」
「よく分かんない…。あ…でも、あっちの階段を上ってったの。誰か知らない男の人といっしょだった」
「そっか、一人で待っててえらかったね。お姉さんがちょっと探してくるから、もう少しだけ我慢できるかな」
「…うん」
「えらいっ、じゃあ上を探して来たらすぐ戻ってくるからね。あれ?」
男の子のためにも速めに済ませようとしたが、ドレスの袖をつままれていた。
「あの…その…」
「…ふふ、一緒に行く?」
「うん…、いいの?」
「もちろんいいよ、ワタシこそ一人にしようとしてゴメンね。それじゃしゅっぱーつ」
男の子がこけてしまわないよう、足並みを揃えて階段を上がっていく。
(ちょっと遅刻しちゃうかもだけど、あとで謝ればなんとかなる…かな?)
急げば時間もギリギリ間に合うかもしれない。
自分が少し損をするくらいならば困っている人を助けられる方がいい。それは彼女にとって尊敬する一人の教えであったが、どちらかといえば彼女自身の性格が大きいものだ。
そうして二人は皆とは真逆の道へと足を向ける。耳に届く談笑が遠くなり、灯りも薄暗くなっていく。
それはまるで光と影の関係のように。
□ □ □
「遅いわね。流石に戻ってもいい頃だと思うのだけど」
「女だし時間かかるもんなんじゃねえのか?」
「それも踏まえて言っているのよ」
「それにしてもデリカシーが無さすぎる。とはいえエウリナは有名人だ、他の招待客との話が長引いているのではないか?」
「それならそれでいいんだけどね」
そろそろ入隊式が始まる時間だというのに、先ほど別れたエウリナが戻らない。
理由もなく遅刻をする性格には見えなかった以上、二人の言う可能性が高いが、同時に抜けた性格でもあるのでやはり心配にもなる。
「少し探しに行ってこようかしら」
「それは流石に心配しすぎだろう。なに、彼女も自分の立場をわきまえている。子供というわけでもないし、時間がくればちゃんと戻るさ」
「…そうね。ちょっと気にしすぎか」
「そんなにも気に入ったのか。オレもいい子だとは思うが」
「年齢的にも、なんだか妹のように思えてね。そう思われるのは不服かもしれないけれど」
「そうか…。ま、これから仲良くやっていけたらいいけどな」
「ええ、出来る部分は楽しくやっていきたいものだわ」
会場となっているこの館もそれほど巨大、というわけでもない。人の目もあるため消えてしまうなんてことはないだろう。
「ちょっといいか?」
「え? ええ、もちろん構いません」
気持ちに整理をつけた矢先、一人の圏士が話しかけてきた。檀上で話をしていた男性ではなく、もっと若い青年。口調や見た目からして彼女らと同世代のように見えた。
「新しく入隊する人たちでいいんだよな」
「はい、その通りです。一度別の場所に集まった方がいいですか?」
「いや違うんだ、それとは別件」
式が始まる時間が近づいている。一度集まって待機するのかと思っての発言だったが、それはあっさりと否定された。
「んじゃあどういう用事だよ」
「…この馬鹿、先輩だぞ…っ」
「いいんだ、おれも敬語使われるほど大した人間じゃないし。っと、そうだ。もう一人がどこ行ったか知らないか? 少し聞いておきたいことがあって」
「エウリナなら、一度お手洗いに行くといってからまだ戻っていませんが」
「そっか、分かったありがとう。そっちの方探してみるよ」
若い圏士は踵を返すと会場を後にしようとする。
『い、急ぐっす、遅れるとまたどやされるっす…っ』
「ああ」
その胸元からはネコが一匹頭を出しており、何やら会話をしているように見えた。
「式神だな。あそこまで近くで見たのは初めてかもしれん」
「ホント、知ってねえと本物と区別つかねえな」
「やっぱりアタシも様子を見に——」
「そこの皆さん、よろしいですか? そろそろ式の準備も完了するので、こちらにお集まりくださいとのことで」
次いで話しかけてきたのは、明るい茶髪が目を引く飄々とした掴みどころのない圏士。
「え、ええ。…分かりました」
「あの、実はもう一人戻っていないのですが」
「そう、ですか。なら少し様子を見て、戻らないようでしたら呼び出しをします。とりあえず皆々様はこちらにどうぞ」
恭しく頭を下げると、壇上の裏手に隠れていた部屋に案内される。
「それじゃあ次に呼ばれるまでここで待っててくださいな。もう一人も、戻ってきてる様だったらすぐ連れてくるんで。それじゃあ失礼」
言い終わるやいなや、部屋を出て行ってしまった。どうにも圏士という人種は時間に追われるものらしいと思い知らされたような気分になる。
「オレたちもああなるのかねぇ」
「あそこまで軽くなろうとは思わんが」
「……」
「どうしたんだよさっきから。心配するにしてもしすぎじゃねえか?」
「何かしらね、ちょっと胸騒ぎがするの。単なる思い過ごしならいいんだけど」
確信があるわけではないが、小さな胸騒ぎが沸々と湧きあがっている。
試験と今日の二日だけ、それもちゃんと話したのは今日だけだというのに、これほどまでに気になってしまうとは。
「はぁーあ、早く終わって落ち着きたいものだわ。身体の方が緊張しているもの」
珍しい行事に参加しているからか、自分では何のこともないと思っていたが、意識外で緊張しているのだろう。だからこそ、これほどまでに気になってしまうのだ。
「そうだと、いいんだけどね」
それが願望であることもまた、自覚しながら。
□ □ □
「すいませーん、誰かいませんかー?」
エウリナが男の子を引き連れて階段を上がると三つほど部屋が並んでおり、手前から確認していくが使われていない物置が並ぶばかりで人の姿はない。
「次で最後だね。もしもここにいなかったら気づかない内に下に戻っちゃったのかも」
「うん…」
「落ち込まないで。きっとママもキミとはぐれて心配してるよ、ほらここで最後っ」
落ち込ませないよう元気に振舞いながら、最後の部屋である突き当りの扉に手を掛けるとそのまま力を籠める。
「すいませーん」
それまでの二部屋と同様に鍵などは掛けられておらず、抵抗なく開いた先は電気のついていない。階下で広がる楽し気な響きはここまでは届かずに不気味さを覚えるほどに静まり返っていた。
「……うーん、やっぱり誰もいなさそうだね。一度下に戻ろうか、圏士の人たちに聞けば助けてくれるよ」
「圏士…」
「うん、街の人たちを護ってくれてる立派な人たちだよ。あんまり評判はよくなかったりするけどね。アハハ…」
打って変わって空元気の笑みを浮かべつつ、念のために部屋の中へと足を踏み入れた。シンと静まった室内は月明りさえカーテンによってさえぎられ、灯りのスイッチを探すのも一苦労だ。
「えーと、これ、かな? よいしょっと」
扉付近の壁を手探りで探していると指先にそれらしい感触があった。しかし、スイッチを押してはみたものの手ごたえはなく、何度オンオフを繰り返しても部屋に変化はない。
彼女も古い建物だとは思っていたが、普段使われていない部屋については点検もあまり行われていないのかもしれない。
「ねえお姉さん」
「うん、どうしたのかな。やっぱりママいないみたいだから下に戻ろう——」
「——ぅ……」
「…っ、キミ、ちょっと待っててくれる? 危ないから動いちゃダメだよ」
「…………、分かった」
部屋の中からだろうか。
もはや使われていない家具やドレッサーが埃避けの布を掛けられている中で、どこからか人の声が彼女の耳に届いた。
それは小さく、そして呻き声のように聞こえたのだ。
「すみませんっ、誰かいるんですか! もしいるのなら声を上げてください!」
もしかしたらあの少年の母親かもしれない。この部屋に荷物を取りに来て気を失ったり、崩れた荷物に圧し潰されたのかもしれない。
「聞こえますか、何か合図を送れないですか!」
もう一度部屋全体に広がる声を上げると、どのような音も聞き逃すまいと耳をすませる。これが勘違いであればそれでもかまわないというように堂々とした姿からは、彼女自身の誠実さが表れていた。
「…ぅ、ぅ……、だれ…か……」
「っ! 待ってて、すぐに行きますから!」
間違いなく聞こえた声は弱々しく、しかしはっきりとエウリナへと助けを求めている。
足元に気を付けつつも急いで向かった声の大元、そこには入り口からは影になっていて見えなかったものの、身の丈以上の大きさを誇る重厚感のある棚が倒れているようだった。
「大丈夫ですか?!」
「ぁぁ…いたい…」
駆け寄った先には三十代に見える女性が倒れた棚と床に挟まれており、身動きが取れずに弱々しく手を伸ばしていた。
「聞こえますか! もう大丈夫ですからね、すぐに人も呼んできますからもう少しだけ頑張って!」
その手を取りながら励ますために耳元で声を上げると、女性は強くないもののエウリナの手を握りかえす。
(よかった、意識はちゃんとある。急いで下の人たちを呼んでこないと…っ)
倒れている棚は大きく、エウリナ一人で持ち上げることは出来ない。自身の無力さに歯噛みしながらも、一人で出来ないのなら他の誰かに手を借りる判断は出来た。
「キミ、ワタシは人を呼んでくるからママの傍にいてあげてっ、…あれ?」
振り返った部屋の入口、そこに待たせていたはずの少年の姿が消えており、唯一の出入り口である扉は閉じられていた。
灯りの無い暗闇の中、緊急事態を前にして自分から人を呼びに行ったのかもしれないと考えもしたが、次の瞬間には思考自体が凍り付いた。
「動かないで、必要以上に傷を増やしたいわけじゃない」
「……どういうこと、悪ふざけならお姉さん怒るよ…」
首元に触れる冷たい感触は鋭いナイフのもの。
慌てていたとはいえ、一切の気配無く背後に立っていた謎の人物はしかし、芝居がかった声であるものの、先ほど手を繋いで歩いていた少年であることは明白だった。
「アナタ、一体誰なの…この人はママじゃないの…?」
「ええ、彼女は仕事の最中に歩いていたところを不運にも巻き込まれた給仕係です。私が圏士の関係者として接したらあっけなく信じてくれまして、お人よしも場合によっては悲劇を生むのですね」
「じゃあ、この棚を倒したのは…っ」
「もちろん私ですとも、エウリナ・ディロンさん。いい獲物を呼び寄せるには餌が必要でしょう」
「そんなことで…っ!」
彼女を呼び寄せるために、関係のないはずの女性が傷つけられたことに怒りを覚える。
そんなことをせずともいいはずだ。
確かに女性の声に引き寄せられこの部屋の奥へと向かいはしたものの、それ以前にも機会は多くあったはずであり、油断しきっていたエウリナを害することは容易であったはずだというのに。
「この人が傷つけられたことには何の意味もないはずでしょうっ、ワタシに用があるなら正面から襲って見せなさい…っ」
「ふふ、そう震えた声で威勢のいい言葉をぶつけられると、不謹慎ながら昂ぶってしまいますね。それと正面からというのは難しい、私のような下賤な者はアナタのような高貴な人物を前にすると緊張してしまいますから」
「……、どうして、こんなことをするの…お父様やお母様に恨みがあるの?」
ディロン家は古くからは地域の領主であった。
その名残で地元の人々とは交流も多く、地勢を治める役割を引き受ける代わりに今の地位を支えている。エウリナの父と母は彼女の知る限り温厚で人徳を持つ人物であるが、それは決して他者の恨みを買わない理由にはならない。
地域住民のためと検討した事柄が特定の人物への負債となってのしかかるということもある。
ナイフを握るこの少年もまた、無力さを前に怨嗟に飲まれた一人なのかもしれない。エウリナの父と母を悲しませるために、娘を狙ったのだと予想はついた。
「いいえ、別に貴女の家は何の関係もありませんよ。恨みを持つというのならまた別の相手でしてね」
「……じゃあどうしてワタシを狙うの。アナタみたいな人に狙われるようなことをした覚えはないのだけど」
「それは当然でしょう、今日が初対面ですから。貴女を狙ったのは、単に一番都合がよかったからですよ」
「都合がいい…?」
少年の口調は先ほどまでとは大きく異なり、自信に満ちた大人のものと同様。演技だったのは間違いないものの、少年の年齢から放たれる口調ではない。
「アナタ一体……っ」
「んー、見目麗しいお嬢さん相手でも詳しく言うことは出来ませんね。私怨もありますが依頼でもあるので。残念ですが、仕事は済ませましょう。貴女への恨みはここに来るまでに手間を取らされた腹いせ、ということにでもしましょうか」
ナイフに力が籠められる。
ただ刃を引くだけで少女の首は鮮血に染まり、死を迎えるのは間違いない。あまりに唐突すぎて現実味もない。ましてや命を奪われる相手は『穢れ』ではなく、一人の人間。
(まだなにも、出来てないのに……)
一筋、頬を伝う汗がひどく冷たい。
何かを為すために圏士の道を選び取ろうとしたというのに、始まりの一歩を踏み出す場で命を落とすことになるだなどと、想像し得なかった現実に直面している。
どうすることも出来ず、ただ迫る痛みを前にして強く瞼を閉じる中、これまでの短い人生を思い返し、ただ一つ思い浮かんだこと。
(ゴメンなさい…お姉ちゃん……っ)
触れた刃が皮膚を裂き、喉元を切り裂く中、少年は歓喜の声を上げた。
「これで、討滅局も——、っ?!」
「…………ぇ?」
声は途切れ、喉に触れていた冷たい感触は一筋の血を残して消え去っていた。
「なに…が」
ゆっくりと、瞼を開くと灯りはない暗闇のままの室内。しかし、背後にいたはずの少年の気配は今度こそ消え、凶刃もまた無くなっていた。
そして顔を上げた先、閉じられてたはずの扉は開け放たれていた。そして、そこには乱暴に扉を蹴破ったであろう一人の男の影。
その人物はしっかりとした力強い、しかし不機嫌さを隠そうともしない足取りで部屋の中に入ってくる。
「あぁ……」
きっと偶然に違いない。
恋に夢見る少女といえども、運命を安易に信じるにはこの世界は厳しすぎる。だがそれでも、偶然が重なったことを運命と呼ぶことくらいは許されてもいいのかもしれない。
「無事か? 助けに来た」
その姿はまさしく彼女を何度も救ってきた一人の圏士。そして、彼女の目には幼児向けの絵物語に登場する王子さまにさえ映ったのだ。
□ □ □
到着した時には最悪ギリギリで。
あと少し、ただ数秒で彼女は命を落としていたかもしれなかった。
「こ、の…っ、また貴様か…、小僧!」
「前も言ったからもう一度言ってやる。今の今までくっちゃべって何やってたんだ? 余裕見せる前に実力見せろよ」
これまでの余裕を一瞬のうちにはぎとられ、暗闇の中で怒りによって顔を歪ませているようだ。
「あ…」
どうやら扉を蹴り破ったと同時に少年が消えたのは鞘を投げつけたかららしい。まるで反応できなかった速度に、もしも自分にあたっていたらと一瞬頭をよぎる。
圏士はわざと足音を立てながら、彼女の前に立つとゆっくりとすでに抜き放たれた刀、『原型』を突き付ける。
「そういや前は聞けなかったんだった。住所氏名年齢、犯行の動機、言うつもりないならそれでもいい。行動不能にした後にとっ捕まえて終いだ」
黒い刃と纏う隊服、灯りの消えた室内では見えないはずだというのに。彼の内から滲み出る神威、それは暗闇の中でさえ白雷の如く周囲を明滅させる。
「馬鹿に付き合うのもこれで最後だ。それで、おれの質問に答える気は?」
視線は犯人へと向けられたまま、切っ先を棚と床の隙間に差し込むと、エウリナがどれほど力を籠めてもビクともしなかった重量を手首の動きだけで軽々と持ち上げる。
そのまま手首を返すと棚は反対方向へ大きな音を立ててひっくり返ると、傍で座り込んでいた彼女へ向かって喋りかける。
「大丈夫か」
「は、はい……。あ、いえっ、ありがとうございます!」
まるで夢のような状況変化に意識が追いつかず呆然としてしまっていたものの、すぐさま意識を取り戻すと隣の女性へ向かう。
「大丈夫ですか。まだ意識はありますか…っ」
「…う…ぅ、はい……」
「よかったっ、スミマセン先輩、助けてくれてありがとうございます…!」
「その人を連れて下に逃げろ。仲間が助けてくれる」
「はいっ。…持ち上げますね、痛むだろうけど頑張って…!」
ゆっくりと、しかし急ぎながら。可能な限り傷を悪化させないように身体を起こして、支えながら部屋の外へと出て行く。
「この…逃がすか、——!?」
「お前の相手はこっちだろう。ああ、鞘返してくれたのか」
「き、さま……!」
何かを投げつけられたらしいが、圏士である彼が受け止めてくれたようだ。
彼女の背後では獲物を追い詰めていたはずの男と、獲物を追い詰めている男が視線を交え、火花を散らす。
扉の向こうから漏れる光に少女が溶けて消えた。
見送るしかなかった犯人は能力を解いたのか、幼子であった姿をゆっくりと元に戻しながら笑いを漏らす。
「く、くく…はははっ、大口を叩くなよ! 貴様ら圏士に、この私が敗北するなどあり得ない!」
「そうか、やるぞ」
怒りに燃え声を荒げる犯人と、使命を燃やし意識を鎮める圏士。
始まるまでにこそ時間を要したこの戦いも、ついに本番を迎えようとしていた。
『本編について』
・新人4人組
討滅局への新入なわけですが、圏士としての入隊は毎年数名程度です。
これは『原型』、『代行者』との契約を結べる素質があるかどうかが大前提の入隊試験のため、多くても2桁に届くのは稀です。
『定期連絡』
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・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




