第九章 7話
「時柾様の気持ちを確かめる?」
城の中を探し回って、ようやく見つけ出した彰は、律花の出した答えに驚いたように聞き返した。律花はきっぱりと頷いた。
「だってあの時、時柾様は連れ去られたじゃないですか。彰さんも朝熙様も、まるで裏切る事が決定のような言い方してますけど、ちゃんと本人に聞いてみたいんです」
その言葉に、彰は呆れたように息を吐いたが、ふと思い至った。
―――そういえば、律は、夕姫と時柾様が一緒にいる所を見た事がないんだ。
自分たち以外の他人は誰であろうと拒絶するような、あの空気を味わっていないからそんな事を考えられるのだ。二人はお互いを第一に考え、お互い以外の事はまるでどうでも良い事のように醒めた目をしていた。だが、お互いの事となると何よりも優先する。中でも思い出深いのは、夕が安曇に輿入れする事が決まった時だった。八尋はそれまで絶対に近寄りもしなかった父親の部屋まで乗り込んで行って抗議をしたのだ。それを拒否され激昂した時の八尋の様子は、後にも先にも見た事が無いほどの激しいものだった。結局、数人の臣下に八尋は取り押さえられ、父親の命で厳罰に処される筈だった所を夕が涙を流して懇願したので、安曇に大人しく輿入れする事を条件に許して貰ったのだが。
彰は側でその出来すぎた光景を見ていて、呆れさえしたものだ。二人は、まるでただの姉と弟にはとても見えなかった。そう、まるで恋人同士のような、いやもしかしたらもっとずっと深い何かかもしれない。
彰は目の前の律花に視線を移す。穢れを知らない少女。沢山の事で傷つき、悩んで、それでもその気丈さを失わないでいる目の前のこの少女に直接その二人を見せたらどうなるのだろう?
やはり、傷つくのだろうか。それとも、意外に気にもしないでぶち壊してくれるかもしれない。夕程ではないとはいえ、律花が八尋に気に入られていた事も、また事実なのだから。
―――やれやれ、俺も、大分悪趣味だな。
内心で自らを苦笑してそう思う。だけど、それが自らの性だと悟りきってそれを楽しんでいるのも事実だ。あの二人の間に律花が入って、何か彰の思いがけない事が起こる事もあり得るかもしれない。それは、とても……。
―――面白いかもしれない。
彰は目の前の真剣な表情ににっこり笑って微笑みかける。
「うん、いいよ。付き合ってあげよう。……時柾様に邪魔するなって命令されたわけでもないし、時柾様の命令が無い今、律に協力してあげる事も楽しいかもしれないしね」
その言葉に、律花の顔がパッと明るくなるのを、彰は微笑んだ表情を崩さないまま見守った。
彰はそのまま用意をしに行く、というので律花はその足で朝熙に部屋へと向かった。久々に通る廊下。自然と緊張が漲る。
障子の前から声を掛けると、中から不快そうな声と共に、朝熙の小姓が障子を開けた。律花も覚えのある少年だ。少年の方は律花が時柾に取り立てられて異例の出世をしたように思い、面白くなく思っているらしいという事を風の噂で聞いたが、その通りなのだろう、不機嫌そうな瞳で律花を睨みつける。だが、今は律花の方が少年よりも立場が上だ。少年は少々乱暴に、だが大人しく朝熙の部屋の中庭に案内する。
律花が行くと、そこには朝熙と北見が庭の植物を前に何事か話し合っていた。律花が来たので朝熙は手招きをして呼び寄せる。
「どうするか決まったの?」
朝熙の問いかける言葉に、律花は直接は答えずに逆に問い返した。
「朝熙様は、蘭子様をどうするつもりなんですか?」
その言葉に、朝熙は不審な顔をする。
「何で突然お前がそんな事を言うのかしら? 蘭子は安曇の人質だった女よ? 見つけ次第殺すように手配してあるわ」
―――やっぱり。
朝熙は元から蘭子の事を疎んじているきらいがあった。そう言われてもおかしくはないと思っていた。
律花は1つごくりとつばを飲み込むと、思い切って続けた。
「朝熙様、お願いがあるんです」
「何?」
「蘭子様を殺さないでください」
朝熙の眉根に皺が寄るのを見ながら、律花は更に続けた。
「私は、安曇に時柾様を探しに行きます。……蘭子様は、安曇の城には詳しいんですよね?」
その言葉に、朝熙は一瞬意外そうな顔をしてから、律花をねめつけた。
「お前、蘭子をかくまっているわね」
律花はその質問には返答せずに、ただ、朝熙を見据えるのみ。
朝熙はその様子を不快そうに見て言う。
「ならば、蘭子に城の間取りだけ書かせて、それからさっさと殺せばいいわ」
「駄目です」
律花は即座に答える。
朝熙はしばらく、威嚇するように律花をねめつけていた。律花も視線を逸らす事なく朝熙を見返す。
しばらくの後、大きく息を吐いたのは朝熙の方だった。
「お前はどんどん図々しくなって行くわね。いいわ。あの女をつれてさっさと安曇に放り出して来ちゃって頂戴。上手く使えば、それなりに役に立つかもしれないのだから。……ただし、その代わり、時柾はかならず連れて帰って来るのよ? あの子は、篠田には必要なのだから」
その言葉に、律花は一度、朝熙に驚きの目を向け、それから笑みを広げていく。
朝熙はそんな律花を忌々しそうに見遣ってから、手をひらひらと振って律花に退がるように言いつけた。
彰に朝熙との会話の事を話すと、彰は驚いたような顔をした。
「律も、なんだか大物になってきたよね。あの朝熙様を説得しちゃうなんて」
そう言って、苦笑して律花の頭を撫でる。
「良くやったね。確かに、蘭子様は安曇の城で生まれ育ったから居てくれれば心強いかもしれない。……でも、まだ人手が足りないな」
彰の言葉に、律花が怪訝そうにすると、彰は続ける。
「時柾様奪還の為に桂が兵を出してくれるとも思えないし、この事が知れたら桂は絶対に妨害しようとするに決まっているから、なるたけ隠密裏に行動を進めたいんだけど、なにせ時柾様の臣ってはっきりと言えばいないからね。周囲が警戒して持たせてくれなかったのもあるし、本人も特に作ろうとしなかったし。だから、人手が足りないんだよね。流石に」
彰は苦笑して続ける。
「いくら、正面突破するつもりはないとはいえ、戦える者が俺しか居ないのはとても不安だ。せめて、あと2人くらいはいないと……」
考え込むようなその言葉に、律花も悩む。
その様子を見て、彰は苦笑して言った。
「ここで二人して悩んでいても埒がないから、蘭子様にお伝えしておいで」
その言葉に、律花は頷いてその場を去った。
自らの部屋へ戻る途中、渡り廊下の向こう側に通りかかる見覚えのある人物を見かけて、律花は思わず声を掛けていた。
「北見さん」
その言葉に、朝熙の所からの帰りであろう北見がこちらを振り向く。足を止めて待っているような風なので、律花は慌てて駆け寄った。
「安曇行きの準備は順調か?」
律花が側に行くと、再び歩き出しながら北見は言った。
その言葉に、律花はふと思い至る。
「北見さんは、一緒に行ってくれませんよね?」
北見が怪訝そうな顔をするので、律花は続けた。
「人が足りないんです。私と彰さんと蘭子様じゃ戦える人がいなさすぎるって彰さんに言われちゃって」
その言葉に、北見は納得した様な顔をしたが、首を横に振った。
「残念ながら、私は行けない。朝熙様に止められてしまうだろうしな。……だが、後で部屋に来ると良い。役に立ちそうな薬を少し分けてやろう」
そう言って、しばし逡巡したようにしたが、北見は続けた。
「私からも頼もう。時柾様を、是非連れて帰って来てくれ」
そうして北見が取った次の行動に、律花は唖然とした。
北見は深々と頭を下げたのだった。
部屋に戻って蘭子に伝えると、蘭子は少々複雑そうな顔をしながらも了承した。その直後、思いがけない事に蘭子の部屋の前で控えていた弥一も一緒に行く、と言い出した。
以前彼に言われた事を考えれば少々困ったが、「せっかく蘭子様をここまで護衛したのだから」などと言われれば、断る言葉も見付からない。質の悪い事に、弥一は以前律花に言った事などなかったように振舞うので、律花としても今更それを蒸し返して言うのは、なんだか自意識過剰な気がして気が引ける。それに、人手が必要なのは確かなのだ。
そう言う訳で、弥一が加わった事を彰に伝えに行く途中、律花はある場所へと急いだ。先ほど、北見と会った時にふと思い至ったのだ。
急な石の階段を下りて、ようやくそこに着く。門番は律花の事を覚えていたようで、とやかく言われなかった事が幸いだった。相変らず薄暗く、気分が悪くなりそうなそこは以前朝熙に連れてこられ、また彰に言って連れてきてもらった牢だった。
律花は迷わずに進む。目指す場所に相変らずの無残な姿でいたその男は律花の姿を見止めると、表情を少し和らげた。
「ああ、君か」
男、北見の父親であるその人は、言ってすぐに律花が緊迫した表情をしているのに気が付いて訝しげな顔をする。
「どうかしたのか?」
その言葉に促されて、律花は頷いて言う。
「お願いがあるんです」
「こんな状態の私にでも出来る事ならば叶えてあげたいと思うが」
そう言う男との距離を阻む格子にずいと体を近づけて律花は言う。
「時柾様が安曇に捕まったんです」
男は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに納得したような顔をする。
「捕まったのではないだろう。安曇には夕姫がいる、自らの御意思だと思うぞ?」
労わるような口調だったのは、律花の気持ちを思いやっての事だろう。
律花は首を振って続ける。
「もしかしたら、安曇に居たいと、そう思ってるかもしれないですけど、兵に取り囲まれて連れ去られたのは事実なんです」
だから、と律花は続ける。
「私は時柾様の意志を確認しに、安曇に行きたいんです。でも、それをするにはあまりにも戦力が足りないって彰さんに言われて」
そこまでで、男は律花の言いたい事が理解できたのだろう。首を振って言う。
「私は囚人だ。ここを出る事を許されていない」
「彰さんに頼めば、もしかしたら出してくれるかも……」
言いかける律花に、男は更に首を振って制した。
「それに、私には時柾様に合わせる顔がない」
律花はその言葉に、盛大に顔をしかめた。
「あわせる顔、とか、そういうのはよく分からないですけど、これ以上八尋に害を為しに行く訳じゃないんだから、いいんじゃないですか? もしかしたら、八尋は今助けを欲しているかもしれなくて、それをするのを躊躇する理由がそんなのは、ちょっとおかしいと思うんです」
「だが」
律花の説得にも尚、男は渋る様子を見せる。律花は更に熱心に詰め寄った。
「お願いです。私に考えられるのはあなたくらいしかいないんです。八尋に合わせる顔が無いって言うなら、顔を合わせない様に何か考えますから。それに、八尋に許してくれるように私も一緒にお願いします」
男はしばし律花の事を考え込むように見つめていたが、それから大きく息を吐く。
「そこまで言うのなら、もし彰が許すのならばご同行しよう。だが、思い違いはしないで頂きたい。そなたは私が時柾様に許していただきたいと思っていると考えているようだが、それは違う。私は、時柾様に許していただこうなどと思ってはいない。確かに後悔はしているかもしれないが、それでももう一度やり直せるとすれば、私はやはりあの時、時柾様を殺そうとする道を選んでいた筈だ」
喜びも束の間、驚き目を見開く律花に男は続ける。
「どちらかを選べと言われれば、私はやはり義任様を選んでしまう」
それをよく承知しておいてくれ、と男はきっぱりと言い放った。
牢から戻る道で、律花は考え込んでいた。
―――なんで、1つを選び取らなければいけないのだろう。
男は八尋よりもその父親が大事で。
八尋は他の何よりも自らの姉が大事で。
そして、三太は朱子よりも自らの家族を選び取った。
状況が、それしか許さなかったのは分かっているが、それでもそれは悲しく辛い事だと思う。そうして、それが誰かの心に傷をつけている。
でも、律花にもそれは少し分かるのだ。それを、否定する事はできない。
律花は八尋の側にいたいと思いながら、やはり出来る事ならば家族の元に返る事を切望しているのだから。
男の事を彰に頼むと彰は驚いたように、それから面白そうに笑った。
「本当に、律は何を言い出すかわからないよね。うん、でも、今は時柾様はいないし、あの男は相当な刀の使い手だから朝熙様に相談して検討してみるよ」
そう約束してくれたので、蘭子の事と弥一の事も報告をして律花は一旦部屋に下がった。
彰が再び律花の前に現れたのはその日の夜で、彰は男が一緒に行く事になった事、出発は数日後に決まった事などを教えてくれた。




