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第五章 4話

 雨が止んでくれたのは助かった。雨が降っていれば道もぬかるんで馬の体力の消耗が激しくなるし、律花自身、濡れれば辛い。交換した着物は、確かに肌触りがごわごわとしていて痛くさえ感じる事もあるが、濡れていない事は助かった。

 ごほ、ごほ、と先ほどから馬に乗りながら咳をしている。どうも、集落で暴行を受けた時に腹を蹴られるかしたようで、時々ずきずきと痛んだ。体中の痣や傷が痛んで、始めは馬の振動が辛かったが、しばらくすればそれも麻痺してきた。

 どれくらい走っただろう。ひたすら山の中を進んでいるので感覚が鈍る。気が付けば太陽が昇っていた事が、更に律花を焦らせた。一応、道らしきものを発見したのは救いだった。一度、道がなくなって木々の間を縫う様に走った時は思った以上に大変だったので。

 馬が、大分疲れている事が分かる。スピードも落ちているし、息が荒い。律花が内心で申し訳なく思いながらも叱咤して馬を打つと、一時は速度を速めるのだが、どんどんその感覚が狭まってきている。律花自身も、疲れと疲労とで、時々ふと意識が遠くなりそうになり、その度に馬の振動や怪我の痛みに目を覚ます、というような事を繰り返していた。

 その様な状態で、また、日が暮れ日が登り。その間に、どうにか山は抜けた。それでもまだ、終わったわけではない。

 朦朧とした意識の中、走り続け、時々集落で足を止めて手近な人に聞いて方向の確認をする。前のように良い身なりでなかったせいか、満身創痍の状態だったせいか、快く答えてくれる人が多かった。中には、心配して少し休んでいくように言ってくれる人もいたが丁重に断った。簡単な食事と水は馬にくくりつけておいたままだったので、奪われずに済んだのは幸いだった。律花が馬から下りるのは食事を摂る時と、馬が疲れてどうしても動いてくれなくなった時だけだった。


 二つ目の山に入って、しばらく馬を走らせていた時、律花は異変を感じて項垂れる様にしていた顔を上げた。

 ―――人の気配。

 そう気が付いた時は既に遅く、周囲の木々の隙間から集団の男達が見え隠れしているのがありありと分かった。咄嗟に手綱を引いて方向転換しようとするが、すぐに諦めた。囲まれてしまっている。人数は十数人。以前、八尋と山を歩いた時に見たのと同じような風貌をしている。

 ―――山賊。

 背筋に、冷や汗が流れる。

 ―――どうしてこう、次から次へと災難が。

 あの時は、八尋が守ってくれたが、今は自分一人だ。どうすれば良い?

 律花は大きく息を吸い込むと、なるたけ落ち着いた声を出そうと努力する。

 「すいません、そこ、どいてくれませんか?急いでるんですけど」

 微かに声が震えた事を悟られなければ良いが、と思う。本当は震えている全身も悟られないように注意する。

 男達の中から一人、頭らしき男が口を開いた。

 「有るモン全部、置いてきな」

 「何にも持ってません。お金はどっかの集落で奪われちゃいました。今は無一文です」

 律花の言葉に、男が近づいてきて馬の頭をぽんぽん、と叩いた。

 「コイツを置いてきな。こりゃあ良い馬だ。良い金になるからな。お前は ……とても使えそうにないから、見逃してやるよ。もっとも見逃した所で野垂れ死ぬのがせいぜいだと思うが」

 そう言って、男は笑う。律花は顔が青褪めるのを感じた。

 ―――馬をとられたら、どうやって京まで行けば良いの?

 反論しようとした律花を牽制するように、男が腰に刺した、これまた奪ったであろう刀を抜いた。見渡してみれば、集団の男達がみんなこちらを注視している。とても、逆らって逃れられる人数ではない。

 律花は項垂れる。

 「……わかりました」

 「物分りが良いな」

 馬から下りると男達はさっさとそれを引き連れて行ってしまう。律花はしばらくそれをじっと見つめていた。そして、完全に男達が視界から消える寸前になって、そっと、なるたけ気配を消し、足音を立てない様にしながら男達の後を追い始めたのだ。


 男達が着いたのは、山の中に出来た洞穴のような場所だった。そこに、見張りを1人立てて、あとは中に入っていく。

 ―――予想通り。

 男達を見渡した時に目に入った男がいた。中では一番若いであろう、まだ律花と年の頃がそう変わらないであろう青年。体格もそれほど良くなく、きっと下っ端なのだろう、武器も短刀一本。

 ―――あの人になら、勝てるかも。

 咄嗟に、そう思ったのだ。

 その青年が、今、見張りとして一人でいる。

 ―――やらなきゃ、八尋が助からないんだから。

 震える体を叱咤して、律花はそちらへ近づいて行く。死角を選んで行ったせいか、かなり近くまではそれで行けた。だが、あまり近づきすぎて相手に警戒心を抱かせては元も子もない。

 「あの……」

 ある程度の距離を置いたところで律花は弱弱しい声を発した。びくり、と青年の体が反応し、誰かを呼ぼうとしてか洞窟の中を振り返った。律花は慌てて言う。

 「すいません、ちょっと待って、私です……さっきの」

 その言葉に青年は、律花を振り返って、そして口をつぐんだ。律花の様子に、毒気を抜かれてしまったのだろう。律花はどう見ても警戒するに及ばない見たくれをしていた。小柄でひょろひょろとしていて、着る物も粗末でみすぼらしい上にぼろぼろだ。更に、あちこちに殴られた痕や傷があって、顔は痣や傷のせいで見られたものじゃない。普通なら売り払われても良さそうな律花が馬だけをとられて帰されたのも売り物にならないと判断されたからだ。

 「ちょっと、聞いて欲しい事があるんです。取引しませんか?」

 そう言って、律花は自分の頭を指差す。

 不審気な顔の青年にもっと近くに寄るように手招きして言う。

 「私の髪を結ってるこの紐、結構良い物なんだそうです。これをあなたにあげます。その代わり、ちょっと聞いて欲しい事があるんです」

 青年は、疑わしそうに、それでも一歩踏み出した。律花は側に寄って、髪をほどいてそれをちらつかせる。青年の目にそれが映った瞬間、青年の顔が驚きに変わり、それに向けて手を伸ばした。律花はサッとそれを引っ込める。

 「そんな所でいたら、中の人達に見つかっちゃうでしょう? 私は取引がしたいんだから、もうちょっとだけ人目のつかない場所に行きませんか?」

 一瞬不快そうな顔をした青年だが、一瞬、警戒するように洞窟の中を振り返り、中の注意がこちらに向いていない事を確認すると、ついて来い、と言う合図をして歩き出した。


 「お前、何もんだ?なんでそんな良い品を持ってる?」

 洞窟が見えない所に来た途端、威嚇するように青年は言った。

 「関係ないでしょう? 今関係あるのはこの紐で取引してくれるかって事だけです」

 青年は律花を睨みつけ、律花がそれにまったく屈しないと悟ると、渋い口調で言う。

 「なかなか度胸のあるガキだな……それで、お前の条件は?」

 「京の方角を教えて欲しいんです」

 「京? 行くのか?」

 「はい。どうしても行かなきゃならないんです」

 その言葉に青年は呆れた顔をした。

 「馬もとられちまってどう……」

 青年はそこで言葉を止めた。

 青年の目の前にある、まだあどけなさが残る目は真剣。そして、喉元に当たる冷たい感触はおそらく短刀かなにかだろう。

 「だから、馬を取り返したいんです。協力してください」

 「お前っ」

 抗議しようと口を開きかけたその時、足払いをかけられて地面に転がった、起き上がる間もなく、腕をねじ上げられ、地面に這い蹲る。

 「ほんとは私、こんな事したくないんです。でも、早くしないと八尋が死んじゃうから。……馬を取り返すのに協力してくれるって言ってくれなくちゃ、腕を折ります。このまま力を入れれば折れるって教えてもらってますから」

 青年の顔が青褪める。このみすぼらしいガキのどこにこんな力があると?

 だが、現実に締め上げられた腕は痛い。跳ね除けようにも体勢のせいなのか、力が入らなかった。

 「……わかった、協力する」

 青年の言葉に、律花はホッと腕の力を緩めた。

 そこが、律花の甘いところだ。

 瞬間、強い力で跳ね除けられる。油断していたのだろう、そのまま地面に強く体を打ちつけられて律花は激しく咳き込む。青年は、律花の短刀を奪って逆に律花に突きつけてきた。

 「信じるか? 普通」

 冷たい瞳と馬鹿にしたような口調に律花は呆然と青年を見上げる。

 「嘘……ついたの?」

 「おめでたいヤツだな。あんなの、信じないだろう」

 呆れたように言って律花の手の紐に手を伸ばしてくる。律花は咄嗟に大声を上げた。

 離れたといっても洞窟からそう遠くはない距離。充分に声は聞こえる。

 その事は青年も気が付いたのだろう。青年が動揺したのを見計らって、律花はとりあえず短刀を取り返すと、素早く側の山林の中に逃げ込んだ。

 青年は、それを追おうか洞窟に戻ろうか迷っている。その隙にさっさと身をくらませてしまった。

 山賊達が見張りがいない事に気が付いて異変を感じたのか、周囲を捜索し始める。

 殆どの山賊が洞窟から出て行ってしまったのを見計らって、戻ってきて木の陰から見ていた律花は、そっと姿を現した。洞窟の中を覗くと、案外広く、いくつか部屋があるのが分かった。間違えば、誰かと遭遇してしまうかもしれない。

 律花は耳を澄ます。先ほどの騒ぎで、馬だって驚いた筈だ。案の定、微かに馬の嘶きが聞こえた。

 ごくり、と喉を鳴らす。恐くないわけがない。完全に人がいなくなったという保障はないのだから。だけど、行かなくては……。

 足音を立てないように、だが、早足で歩き出す。

 奥の方まで来て、ようやくその部屋を見つけた。中には何頭か馬が居て、ちゃんと飼葉などを与えられている。律花の馬はそこで疲れたようにへたり込んでた。

 ―――少し、休ませてあげた方が良いのかも。

 幸い、ここには何頭か馬は居るのだ。どれが良い馬かなんてわからないから、一番大きい馬を選んで律花は繋いである縄をほどき、自分の馬に結び付けていた食料をその馬に結びかえると、それを引いて急ぎ足で元来た道を歩く。馬はごねずについてきてくれたので助かった。

 だが、馬の蹄の音というのはそれなりに響く物だ。音の反響する洞窟の中なら尚更。

 「誰だ」

 そんな声が洞窟内で反響するのを聞いて、律花は馬に飛び乗った。高さが心配だったが、律花の体格ならば姿勢を低くすれば天井につっかかる事はなかった。律花は馬を思い切りけしかけて走らせる。

 馬の蹄は洞窟内に更に大きい音で響き渡る。律花が先ほど馬を盗み出した厩舎にも、ちゃんと届いている。律花がついでに全ての馬を繋いである縄を切ってしまった厩舎に。

 洞窟の外では、山賊の集団が戻ってくる所だった。突然中から現れた馬に驚くものの、咄嗟に反応など出来ようはずもない。出来るのは、馬に蹴飛ばされないように避ける事くらいだ。

 慌てたように散り散りに避ける山賊を横目で見て、律花は更に馬を走らせる。先ほど、青年と争った場所まで来た時に、思いがけないものを見た。

青年が全身を傷や痣だらけにして、木に縛り付けられていたのだ。山賊達の制裁を受けたのであろう事は一目瞭然だった。青年は律花の姿を見ると、一瞬腫れて重そうな瞼を驚いたように持ち上げたが、すぐに睨みつけてきた。

 ―――私のせいだよね、やっぱ。

 後ろを振り返れば、まだ、山賊には追いつかれそうにない。律花は素早く馬から滑り降りると短刀を取り出した。青年が一瞬、息を呑むのが分かった。

 「トドメを刺しとこうって? 最低だな」

 悪態をつきながら、睨みつける青年を気にせず、律花は縄に短刀を押し当て、切りつける。

 青年が驚いたように押し黙った。

 何度かそうやって縄に短刀を当てるうちに、ようやく縄が切れた。

 律花は急いで短刀をしまうと、馬に飛び乗る。馬が驚いたように嘶いた。

 「お前、待て、何で……」

 今にもその場を去ろうとする律花にそう呼びかけると、律花は半身だけ軽く振り返って言う。

 「それ、私のせいでしょ? ごめん……逃げるなら、多分、馬があるよ」

 律花はそう言って後方を指差す。見れば、何故か洞窟の中に繋がれていた馬が飛び出していて、周囲の山賊達が必死になって捕らえようとしている。

青年が振り返ってそれを見て、視線を戻した時には律花はもう、離れた場所に行ってしまっていた。

 青年は呆然と落ちた縄と自分の手足、そして馬に目をやる。

 「あいつ、確か京に行きたいって?」

 呟いた言葉は掠れていた。

 あんな風に、無条件で当たり前の様に助けてくれるなんて。そんな事、いままでされた事がなかった。自分にだって、追っ手が迫っていたあの状況で。

 もう一度、律花が走り去った方向を見る。

 ―――馬を奪って追いかけたら、今ならまだ間に合う。

 勿論、山賊なんかに未練はない。加わったのだって、貧しさ故の事だったし、下っ端の自分の扱いはいつも酷かった。人間以下の扱いと言って良い。

 「恩返し、してやんなきゃなあ」

 呟いて、馬を捕らえに、集団の中へ駆けた。

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