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第五章 5話

 背後から馬の蹄の音が聞こえて、律花は警戒した。まさか、もう山賊に追いつかれたのだろうか、と慌てて馬をさらに加速させようとした所に「待てよ」という声が背後から聞こえる。その声には、聞き覚えがあった。軽く振り返ってみれば、先ほどの青年が馬に乗って追いかけてくる。律花は咄嗟に警戒して、短刀に手をやる。だが、追いついてきた青年の瞳に先ほどのような怒りや恨みの表情はなかった。

 「京に行くんだよな? 案内してやるから待て」

 その言葉に、驚いて目を見開く。

 「なんで?」

 先ほど、この青年が暴行を受ける事になったのは律花のせいだ。それなのに何故協力してくれる気になったのだろう?

 「なんで、って言われてもな。俺、もうあそこには居づらいし、だったらお前についていってやっても良いかと思っただけだ。京なら頭が盗品売り払うのについてった事があるから、道はわかる。……その代わり、さっきの飾り紐をくれよな」

 ―――まさか、何かの罠じゃないの?

 律花は疑わしげに青年を見るが、見た限りで他意がある様には思えなかった。

 ―――信じてみても大丈夫かな?

 いまだ、不安は残るが京までの道が分かるのは有難い。もう、先ほどのように不意打ちはできないから、もし騙されて殺されそうになったら、返り討ち、なんて事はとても無理そうだけど。

 「じゃあ、お願い」

 警戒の残る口調を気にもせずに、青年は頷くと「じゃあ、着いて来い。近道がある」と言って馬を加速させた。


 青年と二人で、ひたすら馬を走らせた。何度か青年は休もうと言ったが律花は聞かず、ひたすら馬を走らせている。

 「おい、お前、なんでそんなに急いでるんだ?」

 先に立って馬を走らせている青年が尋ねるが、返事はない。振り返って見てみれば、律花の意識は朦朧としているようで、馬にしがみ付いているのがやっとの状態だった。それでも、馬を止めて休もうと言えば激しく拒む。見ている限り、顔が腫れてきており、発熱もしているようなのだが聞きそうにない。これは、何よりも急いで京に着いてしまうしかない、と青年は幾度かの説得の失敗の後、諦めた。

 ―――なんのために、ここまでするんだ?

 青年には不思議でならない。一見、そうは見えないが取っ組み合った時に女だと言う事は気が付いた。普通、おなごは皆、顔などに傷などがつくのを「嫁に行けなくなる」などと言って酷く厭う。それが、顔をこんなに、元の顔が分からなくなるまで腫らせて、全身に傷を負ってまで成し遂げようとする事は何なのだろう?

 自分が同行を申し出た時だって、警戒している事が一目で分かった。微かに震えてさえいたのだ。それなのに、危険を承知で同行を許可する程大切な用事とは?

 ―――なんだかわからんが、このガキ、とんでもないな。

 今にも気を失いそうになっている律花をちらりと振り返り、舌を巻く思いでそう思いながら、青年はさらに馬の速度を上げた。


 「あそこに見えるのが京だ」

 夜に休む事も叶わず、ひたすら駆け通しで疲れて声を出すのも億劫だったが、青年はなんとかそう、声をかける。背後を走る律花はハッと顔を上げて 前方に現れた町並みを見た。

 ―――やっと、ついた。

 残された力を振り絞るようにして意識を取り戻すと、町に入る。馬に乗ったまま街の中を歩くのはならない、と言われたので馬を手で引いて、紹介状と共に渡された所在番地を広げ、青年に見せる。

 「ここ、わかる?」

 差し出された文字に青年は首を振る。

 「いや、俺、文字は読めねえ。……住んでる奴に聞いてみたほうが早いな、なんて人だ?」

 「まなせさん、って言ってた。お医者様」

 住んでいる奴、と言っても、街の中は閑散としていて、寂れた印象を受ける。戦の被害を受けたと思われる焼け落ちた家や路上に捨てられた骸などがあちらこちらで目に付いた。

 「お前、食料まだ余ってるか?」

 青年が尋ねるので、律花は頷いて馬に縛り付けておいた包みを示す。青年はそれを受け取ると、路傍で横になっている物乞いに近づいていった。しばらく何かを話していたが、話がまとまったのか、手にあった食料を物乞いに手渡して戻ってきた。

 「行くぞ」

 それだけ言って歩き始めるので、律花も後に続く。

 しばらく歩いて、ようやく辿り着いたそこは、風情のある屋敷だった。

 律花が戸口に立って呼びかけようとした時だった。戸が開いて、中から旅支度をした中年の男性が若い男を伴って出てきた。

 タイミングを外し、門の前に棒立ちになっていた律花は、男が目を上げて訝しげな表情をしたためにハッと我に返った。

 「あの、まなせ先生ですか?」

 律花の言葉に相手は不審気な様子を見せながらも頷く。当然だろう、律花の姿は、あまりにも汚れすぎていて、その辺りにいる物乞いなどとあまり変わりがないような有様だ。

 律花は懐から紹介状を取り出し、差し出す。

 「篠田にお仕えする律と申します。この度、我が主の篠田時柾様がご病気で、どうにかいらして頂けないかと……」

 彰に教わった口上を必死に思い出しながら言っているその言葉を遮って、医者は「断る」と冷たく言った。

 「え?」

 呆然とした律花に、医者は至って真面目な顔で続ける。

 「残念ながら、先約がある。ちょうど今、出立しようとしていた所だ」

 「ですが、あの、八尋の病気は流行り病で、急がないと……」

 律花が必死になって食い下がっても、差し出された書状さえ無視して歩き出しながら言う。

 「状況は同じ。だとしたら、先にいらした方に行くのが当然だ」

 「あの、でも、それでは見殺しにするんですか?」

 律花の言葉に、一端歩き出した相手の足が止まった。振り返って厳しい瞳で律花を見据えて言う。

 「ならば、そなたは私にこちらの患者を見殺しにしろと言うのか? 私がそちらに行けば、こちらの患者はどうなる?」

 その言葉はもっともだ。律花は反論の余地さえなく、黙り込む。

 ―――でも、そうしたら八尋は助からないんだ…。

 正しい事をしているとは思わない。自分は酷く自分勝手なのかもしれない。他の人の命を見捨てて八尋を助けたい、という事は。……でも。

 溜息をついて医者がまた歩き出そうとした瞬間、律花は男の目の前で道を塞ぐように平伏した。

 「それでも、お願いします。来てください。八尋は、今まで散々辛い目に遭ってるんです。それでこのままだなんて、あまりにも酷いから。お願いします。もうきっと、時間がないんです。このままじゃ、八尋は死んでしまう」

 くらくらと、眩暈がする。もう、疲労も限界に来ているのだろう。体中が痛みにぎしぎしと言っていて、吐き気までしてきている。

 ここでこうして気を失わないで居られるのは気力のみの力と言って良い。

 医者はしばらく黙ってその様子を見ていた。品定めをするような視線が律花の体に突き刺さる。

 やがて医者は小さく溜息をつくと、平伏する時に落ちた書状を拾い、目を通し、それから側に居た若い男に声を掛ける。

 「篠田とは、確かさえさんが以前仕えていた所かな?」

 「はい」

 若い男が頷くと深く溜息をつき、続ける。

 「正琳、お前はすぐにあちらへ赴け。書状を読む限り、篠田の時柾様の方が重症だ」

 その言葉に、若い男は慌てたように言う。

 「しかし、私はまだ……」

 「私もすぐに後から追う。とりあえず先に行って、教えた調合で薬を飲ませていろ」

 「わかりました。やってみます」

 いまだ不安そうに、それでも頷いたのを見て、医者は、次に律花の方を向く。

 「お前の熱意に免じて特別に篠田に赴こう。……時柾様も、良い臣に恵まれたものだ」

 律花の顔が安堵で緩むのを確認して、医者は頷く。

 「もう良いから目を閉じろ。お前の疲れは限界をとっくに超えているだろう」

 ありがとうございます、と言おうとする口調のまま、律花はどさりと地面に突っ伏した。

 男は肩を竦めると屋敷を振り返って人を呼ぶ。それから、側で不安そうに眺めていた青年に頷く。

 「心配なら付き添っていてやると良い。この子はしばらくうちで療養する必要がありそうだからな」

 青年の返答も聞かず、医者は屋敷から出てきた人に指示を出し、さっさと去ってしまう。

 なすがままに、律花と共に屋敷に招き入れられながら、青年は先ほどの光景を反芻していた。

 ―――あの女があそこまで必死になったのは、やっぱり自分ではない誰かのため。

 みんなが、自分が生きるのに必死なこのご時世。そんなものありえないと思ったのに。

 ―――なんなんだ? あの女。

 全く不可解でありながらも、そこかで惹かれている事も、自覚せずには居られなかった。



 律花はふわふわと宙に浮いていた。一瞬、どこに居るのか分からずに周囲を見渡したが、見慣れた光景にそこが学校の教室だと言う事が分かった。

 ―――私、戻ってきたの?

 そうは思ったが、どうも勝手が違う。何しろ、自分は浮いているのだ。しかも、周囲の人に自分の姿は見えていない。

 ふと、気になって自分の席はどうなっているのか、と見やって絶句した。

 ―――私がいる。

 席について、なにやら本のようなものを眺めている。

 唐突に、その律花が振り返り、律花の姿に目を留めた。他の人達とは違い、はっきりと律花に気が付いたようで、こちらに向かって歩いてくる。

 律花は恐くて知らず後退りするが、逃れようもなかった。廊下の角で追い詰められ、怯えて自分ではない自分自身を見つめる。相手はにっこりと律花に笑いかけた。

 「あなた、大変な事を仕出かしたわ」

 「え?」

 意味が分からず問い返す律花にかまわず、相手は続ける。

 「まぁ、私はどちらでも良いんだけど」

 何を、と聞き返そうにも急に頭がくらくらとして気が遠くなる。朦朧とした中、声だけがはっきりと聞こえる。

 「どちらにしろ、貴方は私の大切な切り札なんだから」

 その言葉の意味を問う事はもはやできなかった。

 律花はそのまま、沈み込むように意識を手放してしまったのだから。

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