第四章 3話
律花はその日たまたま朝熙の部屋の整理を手伝わされていた。
律花一人で小姓の仕事を勤められるわけではないから律花の他にもう一人小姓がいて、大概朝熙の身近な事はその人がやっていたのだが、生憎その小姓が風邪を引いてしまったらしい。それで、律花がかり出されたのだ。
もう一人の小姓は見目麗しい美少年ではあったが、いつも律花に対してつんけんした態度を取っており、事有るごとに律花につっかかって来る。おまけに律花に対する嫌がらせも激しかったので彼が病に臥せっていてくれるのは、朝熙は不快そうであったが、律花にとっては実は有難かった。
朝熙の部屋には高価な物がたくさんある。特にきらびやかと言うわけではないのだが、趣味がよく、高級な物をさらりと置いておく感じは朝熙の服の趣味とも繋がり、この人はとてもセンスが良い人なんだろうと言う事が良く分かる。おまけに舶来の品にも興味があるらしく、時柾の所では見かけない物も結構あった。朝熙のところには貿易商人が度々入りびたっている、という話を以前聞いた事があったので、その人から買ったのだろう。この当時では珍しいのであろうガラス細工の置物などが時々目に付く。そんな物を触ったり移動させたりするのは正直、恐ろしかった。
細心の注意を払いながら、朝熙の指示に従ってそれをしている時だった。ふいに、誰の気配もなかったはずの部屋の障子の向こうから声が掛かった。
「どうしたの?」
朝熙の問いかけに障子の向こうの人物、柏が答える。
「蘭子様が取り乱されてこちらへ向かっておいでです」
その言葉を聞いた途端。サッと、朝熙の顔色が変わった。
「なんですって」
叫ぶように言うと、勢い良く律花を振り返る。律花は焦って思わず持っていたガラス細工の置物を落しそうになり、慌てて掴みなおして側にあった台の上に乗せた。だが、ほっと息をつく間もなかった。
「お前、今すぐその着物を脱ぎなさい」
朝熙は掴みかかるような勢いでそんな突拍子もない事を言う。
「はい?」
当惑する律花の前で、朝熙はばさばさと着ていた着物を脱ぎ出すと、襦袢と袴の姿になり、脱ぎ去った衣を指し示す。
「それで、これを身に付けなさい。……これから女が来るんだけど、余計な口を開いたらただじゃおかないから」
それだけ強い口調で言うと、自分は奥へ引っ込んでしまう。
律花は唖然として脱ぎ散らかされた上品な衣を眺めた。こんな立派な着物、自分一人では着れるとも思えないし、着れたとしてもどうすれば良いのだろう。
悩んでいたら、音もなく障子が開いて柏が入ってくる。
「とりあえず、上に着ている物を脱いでいただければ後は私が着せます」
言われて事情がつかめないまま、渋々上の衣を脱ぐ。襦袢と袴だけの姿になると、手早く柏が律花に指示したり、自分で着せたりとして、瞬く間に律花は朝熙の着物を着ていた。朝熙の着る大人っぽく上品な色は律花に不釣合いだとは思ったが、この際仕方がない。高く結んでいた髪をほどいて、なんとか少しでも先ほどの朝熙に近い姿にされた。
柏は律花にその場に叩頭して座っているよう、それから絶対に口を開かないように指示して自分もその場に座した。
しばらくするとバタバタと言う数人分の足音とともに、数人の男の慌てたような声と女の激しい声が聞こえてきた。叩頭している律花には何が起きているか全く見当がつかなかったが、障子が開く気配がして、人が入ってくるのが分かる。
視界に朱色に金の刺繍が入った着物が踊ったと思った瞬間、律花は思い切り髪の毛を掴まれて顔を上げさせられていた。
目の前で美しい女が、瞳に激しい感情を溢れかえらせて律花を凝視している。掴まれた髪が痛くて、律花は思わず悲鳴を上げたが、女は気にする様子はなかった。美しい、と言っても千鶴とはまた違い、艶っぽい美しさだ。しかも今は、更にそれが怒りに彩られて美しさを増しているように見える。
律花が呆然とする中、女は噛み付くように言う。
「お前は、朝熙様の何?」
突然の事に律花がわけもわからず目を白黒させていると、横から落ち着いた声が聞こえた。
「お手をお放しください、蘭子様」
柏のその言葉に、蘭子と呼ばれた女性は乱暴に律花の髪を掴んでいた手を放して柏の方を向く。反動で律花は畳に激しく顔を打ち付ける事になった。
蘭子と呼ばれた女は、今度は激しく柏に詰め寄って怒鳴るように言う。
「ここしばらく侍女にこの部屋を見晴らせていたのですけど、もう我慢が出来ませんわ。正妻のわたくしを差し置いて他の女を連れ込むなど、侮辱も良いところです」
―――正妻?
律花はその言葉に驚いて女性を見る。朝熙は女嫌いではなかったのだろうか? だけど、目の前の女性はどう見ても女だ。
「ご説明しますので、落ち着かれますよう」
蘭子に胸倉を掴まれたままでも、柏はやはり静かな口調で言う。
その様子に多少毒気を抜かれたのか、蘭子は大人しくその場に座る。それでも、怒りに満ちた瞳で柏を睨みつける事を忘れない。
「いいわ。説明して頂戴」
柏は頷いて、律花を指す。
「この娘は、ある家から主人が預かっている娘でございます。蘭子様のご心配なさるような者ではございません。前からご説明申し上げています通り、現在主人は仏門の修行の身故、女人に手を触れる事は叶いません故」
―――ええええ?
律花は内心、何を言うのかと驚きながら柏の言葉に耳をそばだてる。
「それは聞いておりますけど、わたくし達は夫婦。たまにはわたくしの元へ訪れてもよろしいのではないですの?」
「何度も申し上げています通り、主人の修行が終わりますまで、今しばらくお待ちください」
あくまでも冷静な態度を崩さず、折れる気配も見せない柏にもう二、三言愚痴を言って、とうとう蘭子は諦めたようだった。
乱暴に着物を翻して立ち上がる。立ち去るのかと思った瞬間、蘭子は律花の手を思い切り引っ張った。急な事でつんのめる律花を尚も乱暴に引っ張り、強い口調で言う。
「今回は引き下がりますけど、朝熙様の側に女が居るのは許せませんわ。……この娘は、わたくしの所で預からせて頂きます」
柏は全く動揺する仕草も見せずに、頭を下げる。
「そうして頂けるのなら、主人も喜びましょう。男ばかりのこちらでは、少々もてあましていたのです。必要なものは後で運ばせます」
呆然とする律花を引きずるようにして、女性は歩き出す。
―――なんで、こんな。
八尋の所から、こちらに貰われてきて、今度はなりゆきで蘭子に引き取られて。
目まぐるしく変わる自分の周囲に呆れてしまう。それと同時に、もやもやとしたものが胸の中に膨れた。
―――まるで、なにかモノの様にやりとりするんだ。
蘭子の律花に対する扱いは客人、という扱いで朝熙の所よりも良かったが、周囲の冷たい対応は変わらない。その上、女と言う事になっているから動きにくい着物を着せられて、部屋に閉じ込められているのは苦痛でしかなかった。退屈さと窮屈さと孤独。手慰みに与えられた刺繍を指を何度も刺しながらやるくらいしか、やる事はない毎日。辟易するがどうしようもない現状を、律花は鬱憤を募らせながら諾々と受け入れるしかなかった。




