第二章 9話
八尋が帰ってきてから翌日、屋敷の中がやけに騒がしくて目が覚めた。
律花は疑問に思いながらも着物を着て部屋を出る。何回も着ているうちに、着物を着るのも上手くなったように思う。
そんなことを考えながら下男の仕事場に向かおうとすると背後から聞き慣れた声で呼びかけられた。
「律?どこへ行くの?」
「彰さん」
振り向いて律花は驚いた。彰はなんだか普段よりもかなり上等な着物を着ている。
「どうしたんですか?その格好」
「驚いた?」
悪戯っぽく微笑んで彰は手に持っていた包みを律花に差し出す。
「律の分だ。今日は引越しだから下男の仕事は手伝わなくて良いから、早く着替えておいで」
「引越し?」
首をかしげながら包みを開いてみると、薄桃色のおそらく上等であろう着物が入っていた。
「これは、ちゃんと女の子用だよ」
彰の揶揄するような声の調子に律花は驚く。
「知ってたんですか?」
はは、と笑って彰は頷く。
「時柾様に聞いていたからね」
なんで、朝熙の一下男が八尋からそんなことを?
律花の疑問は表情に出ていたのだろう。彰は面白そうに笑って律花の背を押す。
「事情は後で話すから。さっさと着替えてくること」
律花は渋々その言葉に従って部屋に戻り、着物を広げる。
「すごーい」
そこまで豪奢なわけではないが、今まで律花が着ていた物に比べれば格段に良い品物だと言う事がひと目で分かった。可愛らしい小花模様の刺繍まで入っている。
だが、苦労して着てみて律花はその動きにくさに辟易した。この格好では走ることも殆ど出来ないし、裾や襟元に気を使って疲れる。
―――男装の方が、性に合ってるな。
そう思いながら部屋を出る。
待っていてくれた彰が目を細めて笑った。
「うん。可愛い。やっぱり俺の見立ては正しかったね」
「彰さんの見立て?」
そう、と彰は頷きながら言う。
「時柾様に律に着物を見立ててやれ、と言われたんだ」
そう言いながら、彰は、ついてこい、という仕草をして歩き出す。律花はついて歩きながら問いかける。
「彰さん、時柾様の何なんですか?」
「それを聞きたいのはこっちだって言う気もするけどね。あの時柾様がこんなに気に掛けてらっしゃる君は何者なんだ、って」
にこやかに言いながら彰は律花を覗き込む。
「でもまぁ、質問にはお答えしましょう。俺は、時柾様の忍だよ」
さらりと、何でもないことのように言う。
律花は一瞬聞き流しそうになり、それから驚いて聞き返す。
「忍?」
うん、と笑って彰は説明する。
「篠田の家の子供には1人につき1人、かならず忍がついてるんだ。朝熙様の忍は柏だし」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が見えない……」
混乱する律花に彰は言う。
「そうか。律はまだ何も知らないのか」
丁度、その時、二人は玄関まで来ていた。
いつもより一層慌しく働く下男たちを横目に歩きながら、彰は戸を開ける。
庭を挟んで向こう側には門があり、その向こうには大勢の旅装束の者達が行列している。屋敷中の者、皆ここに集まっているのではないのだろうかと思われるほど。
庭を通り過ぎた時、ジンが気が付いて律花の後に続いた。
彰は何の躊躇もなしに、一点を目指して歩いて行く。
その先に居るのは、立派な馬に乗った八尋だ。
「詳しいことは、直接ご本人に聞けばいい」
彰はそう言って笑うと、八尋の方に律花を押し出す。
「や……時柾様?」
律花の声に振り向いた八尋は、周囲に人が居る時はいつも見せる鋭い顔だった。
「律、馬は乗れるか?」
八尋の言葉に律花は首を横に振る。世話をしてみた事はあっても乗ったことはない。
「ならば駕籠で行くのと俺の馬に乗るの、どちらが良い?」
八尋の馬に乗る、ということは、一緒に乗せてくれると言うことだろうか。
―――色々、聞きたいこともあるし。
「乗せてくれるの?」
律花が言うと、八尋は頷く。
「乗りたいのなら早く乗れ」
―――と、言われても、どうやって乗ったら良いのやら。
律花が迷って馬を見上げていると、不意に体がふわりと浮いた。
「え?わ、何……?」
驚いて律花が首をひねると彰が悪戯っぽく笑いながら律花の腰を持って持ち上げ、そのまま馬に乗せてくれている所だった。
「ジンはこちらで預かっておくよ。流石に馬にヤマイヌは乗せられないからね」
そう言ってジンを抱えようと手を伸ばした。ガツ、と音がしてジンの歯が宙を噛む。
彰は慌てて引っ込めた手をひらひらとさせて「やれやれ、やっぱり律じゃなきゃだめか」と言いながら側に居た下男に何かを言いつける。すぐに下男が大きな竹籠のような物を持ってきた。
「ちょっと、ごめんね」
言うが早いか、彰の手がス、と素早く動く。それが、ジンの首の辺りを一瞬だけ強く強打した。ジンがくたり、とその場で突っ伏す。
「ジンっ?」
思わず声を上げた律花に彰はにこりと笑う。
「大丈夫。気絶させただけだよ」
そして、ジンの体を竹籠に入れて蓋をする。
「心配ご無用。城についたらちゃんとお返しするよ」
そう言ってすたすたとそのまま歩いて行ってしまった。
「彰さん、どこへ行ったの?」
律花はすぐ背後で手綱を握っている八尋に問いかける。
「アレは忍だから、こういう行列に混じって行くよりも裏道などを1人で行ってしまう。行き先は同じだ」
「……行き先は、どこ?」
その時、屋敷の中から華やかな女性が出てきた。相変わらず趣味の良い、上品な着物を着ている。
朝熙は、迷いもせずに門の目の前に着けてあった駕籠に乗り込んだ。それと同時に、行列が出発し始める。
八尋も手綱を緩めて馬をゆるゆると歩かせる。
「行き先は、城だ。俺たちはこれから篠田の城に行く」
「なんで?」
八尋はそっけなく言う。
「篠田の領主が死んだからだ。……俺が、殺した」
―――時柾はね、実の父親を討ちに行ったのよ。
朝熙の言葉が蘇る。
「なんで?」
律花の口から乾いた声が漏れる。
「俺が殺されそうになったからだ。何度となく、な」
律花の体が微かに震える。八尋は敏感にそれを感じ取ったようだった。
「律、俺が怖いか?」
―――怖い?
律花は自分に問いかける。
八尋は確かに、人を殺す。山で会った賊も、篠田の領主も。
でも、その一方で実は優しいのだ。律花が泣き止むまで、ずっと黙って胸を貸してくれたり、ジンの心配をしてくれたり。
―――怖くない。
「怖くはないよ。でも」
でも、ならばこの震えは何だろう。胸の奥がぎゅっと冷える様な、この気持ちは何だろう。
「……なんだか、悲しい気がする」
「悲しい?」
反芻で問い返されて、律花は微かに頷く。
どう言い表していいか分からないけれど。八尋が父親を殺したというのは悲しい。
八尋は首をかしげたが、それ以上言及することもなく話題を移す。
「ともかく、そのようなわけでヤツの子である俺と朝熙は城へ戻るんだ」
その言葉に、律花は今まで感じていた胸のもやもやも思わず忘れて、驚いて言う。
「朝熙様は、八尋のお姉さんなの?」
八尋は眉を顰めて「何を言ってるんだ?」と言う。
「朝熙は俺の兄だ。もしや律、あいつが女だと思ってたのか?」
「へ?」
更に重なる驚き。その律花の表情を見て、八尋はため息をつく。
「律花はアイツの戦で活躍した、と彰から報告されたんだがな。普通、女ならば戦の将などやれるはずもなかろう」などと呆れたように言ってから説明する。
「アイツは女嫌いだが、あの通り顔が良いからな。男のなりをしていると、嫌でも女がたかってくる。それでああして女のふりをしている。最も、それ以前に、ヤツは母方の家の風習で幼少時代、女の格好で育てられていたらしいからそれのクセが残っているのかもしれないが……」
そんな説明も、右から左へと通り過ぎるような気がするほど、律花は驚愕していた。
なんて艶やかな、美しい女性だろう、と思っていた。どこからどう見ても、完璧な女の人としか見えなかったし、律花よりもよっぽど女らしかった。
それが、男だなんて。
「信じられない」
呆然と言う律花に、八尋は呆れたように肩を竦めるのだった。
2人を乗せた馬を含む行列は、一路篠田の城を目指す。




