第三章 1話
「はあ」
律花は頬杖を付きながら溜息をついた。目下のところ、暇で暇で、縁側に出て庭に植えてある植物でも眺めているしかない。
篠田の城に来てから数日が経っていた。
「はあー」
もう一度溜息をついた時、背後から明朗な声が掛かった。
「どうしたの?律。元気ないなぁ」
「彰さん。……仕事、終わりました?」
振り返りざまにそう言う律花に彰は笑って首をかしげる。
「本当は、もっとやろうと思ってたんだけど、律があまりにも暇そうだから相手してやれ、って時柾様に命令されちゃって」
「ええ?」
申し訳ない気がして、少し気まずそうにする律花に彰はそれより、と言う。
「どうしたの?溜息なんてついて。悩み事?」
言いながら、律花の隣に腰掛けて干菓子を律花に差し出す。律花は礼を言って受け取って口に含みながら、答えた。
「悩みというか、私、一応時柾様の臣なのに何もしてないの、いいのかなーって思って」
城に来てからというもの、律花の扱いはまるで客扱いだった。
専用の部屋が用意され、何も手伝わせられなく、ただ、細々とした事をする為に八尋の側に居れば良かった。
「私がしてるのって言ったら、食事を一緒にして、身支度を整えるのをちょっと手伝うだけじゃないですか?なのにこんな至れり尽くせりで。私、時柾様に何もしてないのに」
その上、八尋の側に居られる時間も少ない。
城に来るまでの道中では、初日以外は律花は駕籠に乗ったり、下男の誰かに下で手綱をとってもらいながら馬に乗る練習をしたりしていたのでそこまでずっと八尋の側にいたわけではないが、それでも、やはり八尋の側にいる時間は長かった。その間に大まかな事情を聞いたりもした。
律花と別れてから八尋はこの城に、家臣の1人の付き人として潜入してずっと父親である篠田義任の首を狙っていたらしい。
見事首を取ってすぐ、八尋は朝熙のいた屋敷に戻って来て、朝熙とこうして城に戻ってきたわけだが、だからと言って領主の首を取った八尋や、その兄の朝熙がこの城の主になったと言うわけでなないらしい。どうやら2人の上にもう1人兄がいて、とりあえずその人が今は領主の座を継ぐ事になったそうだ。
どちらにしろ、その兄と言う人も朝熙や八尋を追い出すつもりはないらしいので、城に戻る事になったらしい。
「律は、わかってないなぁ」
彰のあっけらかんとした言葉に律花は首をかしげる。
「何をですか?」
「自分が時柾様にとって、どういう存在であるかってこと」
「臣、でしょう?」
律花が当たり前だとでも言うように言うので、彰は苦笑して頷く。
「そうだね。でもね、今までは時柾様が安心して身の周りに置ける者なんていなかったんだよ?この城の者は皆時柾様のお父上の家臣だったから、皆、時柾様の敵だ。そんな中でいつも警戒しながら育ったから、時柾様はご自分の周りにほとんど人を置こうとしない。それなのに、律はお側にいられるんだ。これは、すごいことなんだよ」
―――身の周りの者は皆、敵。
「時柾様の周りは今も敵だらけなんですか?」
そんな律花の質問には謎めいた笑みが返ってきた。
「まだ、わからないな。もしかしたらいずれそうなるかも。とりあえず今は、先代の義任様が討たれた事で、城の中の臣はどうすれば良いか迷っている最中だから」
「もし、時柾様の周りが敵だらけだとしたら……」
律花は考え込むように言う。
「私は、一緒にいるだけで何も出来ないんですけど、それでも良いんですか?私は、イザという時に八尋を守る事もできない」
真剣にそう言う律花を眺めながら、彰は内心で苦笑した。
律花がこれまで何度か自分でも気づかずに『八尋』と呼んでいるのは気が付いていた。始めは、驚いたものだ。その名前で彼の事を呼べる者は昔からごく僅か、限られた者だけだったから。
「律、『時柾様』でしょ?」
考え込むように黙り込んでしまった律花に横から水を差すように言うと、律花はハッとした顔をして、それから自らの失敗に対して軽く舌を出す。
「俺の前では良いけど、決してその名前を他の人の前で呼んじゃ駄目だよ?」
「はい」
彰の注意に素直に頷いて、そしてまた、しばらく考え込んでから「決めた」と律花は言った。
「彰さん、やっぱり私、こういう風なのは性に合わないみたいです」
「こういう風って?」
「こういう風に、時柾様の身支度だけして、後は部屋でのんびりしたり、遊んだり」
彰にこうして気を使って貰ったり、わざわざ下女をつけて貰って遊びを教えてもらったり。
ここ数日、至れり尽くせりのこの待遇に正直、居心地の悪さを感じていた。
「私にもう一度、弓を教えてください。少しでもや……時柾様の役に立てるように。それに、お仕事もします。下男のお仕事でも良いですから。部屋でこうしてのんびりしてたら体がなまるし、なんだか養ってもらってるだけって居心地が悪いです」
この服も、と律花は自分の着ている着物を見下ろす。
確かに、以前着ていたものよりも肌触りが良いし、刺繍などが入っていて見た目も美しい。だけど、動きにくいし気を使う。
「私はまた男装をしたいです。着物は綺麗だけど、気を使うし動き難いから」
「そう?可愛いのに」
彰は残念そうな口調で言うが、目は面白そうに笑っている。
「でも、そう言う方が律らしいかもしれないね。……うん、いいよ。分かった。仕事は俺が探してあげよう。服のこともすぐに手配する。ジンの餌も、前みたいに自分で捕って来る?それよりも、そろそろ狩を教える時期かな?」
ジンの餌は、この城に来てからまた以前のように買って貰っていた。
「そうします」
律花が頷くと、彰は「わかった」と立ち上がる。
「そうと決まったらこうしてはいられないね。すぐに色々と手配するからこれで失礼するよ」
そう言い置いて、彰は晴れやかな顔で部屋を出て行った。
彰が男物の着物を手に律花の部屋を訪ねたのはその日の夜だった。
「下男は無理だったけど、律に丁度良い仕事を貰ってきたよ」
彰は言ってにこにこと着物を取り出す。男物の衣装ではあるが、下男の衣装よりも格段に質は良い。この城に来てから普段彰が着ているのもこんな服だった。
「何の仕事ですか?」
律花は着物を眺めた後に彰に問う。
「律花には、嬉しいと思うよ?時柾様の小姓もどき」
「もどき?」
妙な言葉に律花が問い返すと、彰は苦笑しながら頷いて言う。
「小姓と言うにはちょっと足りないけど、小姓のような仕事をして貰おうと思って。本当はそんな役職、ないんだけどね。まぁ、やる事はやっぱり身の周りの細々した事だけど、もうちょっと幅広いし、それに時柾様の良く先々にご一緒する事も出来るよ?お仕事中も一緒にいられる」
うきうきと着物を広げ始めた彰に律花は不思議そうに言う。
「なんだか彰さん、嬉しそうですね」
その言葉に彰はにこりと律花に笑いかける。
「そうだね。律がやっと自分で動いてくれたのが嬉しいのかもしれない。城に来てからここ数日、律は他の姫様と同じように部屋で大人しくしてたから、元気の良い律らしくないなぁって思ってたんだ」
「他のお姫様?」
聞きとがめた律花に彰は笑って頷く。
「お仕事をしだせば、そのうちお会いできるんじゃないかな?楽しみにしておいでよ」
「まずね、このお食事を持って時柾様のお部屋に行くんだ。びっくりするよ?」
笑いを含んだ声の彰の指導で律花が食事の膳を持って行くと、彰の予想通り、八尋は目を丸くした。
「律、何をやっている?しかもなんだ、その格好は」
どうやら彰は八尋に何も話さないで話を決めてきてしまったらしい。律花の後ろでクスクスと忍び笑いをしている。
律花は教えられたとおりの方法で八尋の前に膳を置くと晴れ晴れとした顔で言った。
「もう、部屋で大人しくしてるのも飽きたの。そう言ったら彰さんがこの仕事をくれたから」
「彰」
八尋が咎める様な声で言っても彰は涼しい顔で部屋の中へ進み出る。
「時柾様、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。丁度良かったじゃないですか。時柾様にはいまだに小姓がいないんですから」
にこにこと笑いながら睨みつける八尋を受け流す様は流石だと思う。
城では多くの者が八尋を恐れている気配があった。それもそうだろう、と律花も思う。八尋は城に居る時は四六時中鋭い気配を放っており、迂闊に近づけば斬られそうとさえ思えてくるほどだ。その上、言葉遣いもあの通りで無愛想なものだから、殆どの者が八尋の顔色を伺うようにしながらそそくさと逃げ腰で用事を済ませるのだ。腫れ物に触るような扱い、とはこのことだろう。
「彰、お前はまた勝手に……」
八尋の文句を「まあまあ」と遮り、彰は言う。
「時柾様は律を見くびっておいでですよ?言ったでしょう、律は朝熙様の、勝てるはずの無いあの戦で大活躍したんです。ただのおなごだと思って部屋に閉じ込めておくのも愚かなことですよ」
「だが」
言いかける八尋の言葉をまた、遮って言う。
「時柾様と一緒に居る事で、律の命が狙われる事を心配してるんだったら大丈夫ですよ。護身術は教えておきますし、それに時柾様の護衛には俺が付いてるんだから、律とあなた2人分くらいの命、余裕で守れます」
彰はにっこりと笑う。
八尋がその言葉にしばし黙ったのを見て、律花は横から口を出す。
「八尋、私は臣なんでしょ?だったらちゃんとお仕事させてよ。このままお客様扱いじゃこっちも居心地が悪いよ」
2人に詰め寄られても八尋の眉間には深い皺が寄ったままだ。
だが、それでもしばらくの後、不機嫌な声のまま「勝手にしろ」と言った。
律花は思わず彰と顔を見合わせて微笑んだのだった。




