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二章 大門スタッフサービス



二章 大門スタッフサービス




 スタッフサービス、と聞いて、人は何を連想するだろう。馬頭の頭の中では、一昔前の、人材派遣会社のCMが蘇る。チャイコフスキーの弦楽セレーナーデが流れる奴だ。確か、従業員に対する給与の未払いが膨らみ過ぎ、親会社もろとも潰れたはずである。




 馬頭達は商売敵である大門スタッフサービスへの聞き取り調査を始めた。本社への直接の電話での突撃取材を一度試してみたが、話し中という事で繋がらなかった。


「なかなか盛況の様だね。それか電話番がサボっているか。いやそれは無いか、留守番電話に回されたんだろう?」


 スマホの通話ボタンを切った馬頭の横で、江ノ島がそんな指摘を口にする。


「そもそも、電話が通じた所で、何を話すつもりなの? まさか、馬鹿正直に、ウチの事務所の顧客を横取りしてるのかって、訊くつもり?」


 今度は物部である。確かにその通りだ。まださしたる確証すら掴めていない状態である。今日、明日で喰い詰める訳でもあるまいし、ダイモンの件は頭の片隅に置いて、通常業務のついでに訊いて回る位で丁度良いだろうと馬頭も判断した。




 今、馬頭の事務所はざっと100人の顧客を抱えていた。そのうち、7割ほどが大手からの依頼、つまりは代理配送である。例のヤク中女、薬師寺などはこちらに含まれた。


 残りの三割、30人ほどが、ととてけと直接取引のある顧客という事になる。ととてけが自力で開拓した顧客としての意味合いは、どちらかといえば、こちらの方が大きかった。


 ととてけの営業方針、モンスターコンシュマー相手の商売だと重々分かっていて配送を依頼する、モノ好きな連中である。最初は代理配達であったのを、ととてけの事が気に入り、専属契約に移行した例がほとんどだ。単なる代理配送であれば、利用者は大手の料金で利用できるのに対し、直接取引だと、ととてけ独自の料金設定が適応され、どうしても賃金が少し割高になってしまう。それを踏まえた上で、所謂“お得意様”方はととてけを指名してくれている訳である。




 本日、馬頭達が配達に向かう相手は、そんな金を払ってまで、ととてけを指名したい、というモノ好き達であった。助手席には物部が乗り込んでいる。旧式の73式トラックは市川に入り、江戸川に並走して河川敷に出る。電車や高速の騒音が遠く聞こえる、千葉のエアスポットにその屋敷、ダンボール御殿は立っていた。




「やあやあ、馬頭さん、いらっしゃい。物部さんも一緒かい」


 そういって物腰柔らかな男性が馬頭達を出迎えてくれた。都心から流れてくる江戸川の下流、その河川敷に居を構えている、このモノ好きの名前は白田幸次といった。何処か飄々とした印象を与える男だった。年齢は決して若くない。馬頭が初めて訪れる際に、リストを参照した時に見た年齢は五十をゆうに超えていたはずである。それなのに、馬頭はこの男の所作に、およそ重力というものを感じたことはなかった。すらりとした手足が体躯から伸びている。髪にグリスを使っているのか、河川敷に時折吹く空っ風にも乱れることは無かった。甘いルックスは、いつ見ても微笑を湛えていて、その真意は底知れない。




「あんたが馬頭一徹さんかい? ー噂は訊いてるよ」


 馬頭が初めてこの河川敷を訪れた時も白田はそんな感じだった。大手の代理で初めてその住所を見た時、流石の馬頭も面食らった。半信半疑でジープで乗り付けると、確かに河川敷の高架下、そこに豪邸が聳え立っている。白田のモンスターコンシュマーとしての区分は黄色だった、時折、河に掛かっている橋の欄干目掛けて、河川敷からゴルフボールを通行人に打ち込むらしい。




「いや、そんな馬鹿な。そんな無闇やたらに打つ訳無いでしょうが。冗談じゃねえ。」


 何度か代理配送をしている内に親しくなり、一緒に河川敷からのゴルフの打ちっぱなしに付き合うようになった。その中で白田は、自身の補足説明について馬頭に釈明してみせた。曰く、夜中に襲いかかってきた暴走族だか愚連隊の頭をアイアンでかち割ったのに尾ひれが着いただけという事だった。元官僚、という肩書を持つ男、ゴルフの腕はめっきり立つ。スイングをする際、全身が鞭のようにしなり、ヘッドが鋭い風切り音を生み出す。あれをまともに受ければ昏倒程度では済まないだろう。三々五々に散っていく襲撃犯達の様子を面白おかしく白田は馬頭に聞かせてくれた。今日日、ホームレスを狙った襲撃事件など特に珍しくもない。白昼堂々と職にあぶれた若者が、憂さ晴らしついでに徒党を組んでやってくる。白田を只のホームレスだと侮ったのは連中の誤算だった訳である。そんな白田がととてけに直接仕事を依頼してくるようになり、ととてけの“御得意先”になるまで、それほど時間は掛からなかった。


「うーん、大門スタッフサービスねぇ、そういや名前は聞いたことあるなぁ。確か、最近、東京の方で出てきた人材派遣の会社じゃなかったかね—」


 案の定、白田はダイモンの事を知っていた。あのリストの人間、モンスターコンシュマー達の間では最近評判が上がってきているらしい。


「君の所と同じだよ、例えば、僕みたいなのに配達が掛かっても、嫌な顔一つ見せやしないんだってさ。有難い話だよね、まったく」


 楽しそうに肩を揺らす白田に対して、馬頭は何と返したものかわからず、とりあえず苦笑してみせる他なかった。




「だったらどうする?あんたも乗り換えるか?」


「まさか、ゴルフ仲間が減るのも敵わん」


 白田はそう言って全身をしならせる。空雑巾を絞りきるみたいに体幹がうねり、中心の軸だけは全くぶれない。ゴルフボールは勢いよく打ち出され、向こう岸の川辺に土ぼこりを上げて突き刺さった。推定で180ヤードは出ている。


「ナイスショット。アイアンで良くやるもんだ」


「どうも。ー物部君はほったらかして置いていいのか?」


 馬頭はダンボール御殿の前に居るはずの物部を見遣った。七輪の前で、真剣な表情で当たり目が焼きあがるタイミングを測っている。今日、こちらに来た時に白田が焼きかけていた奴だ。馬頭達にも、一緒にどうだ、と進めてきたものだから、七輪に興味を持った物部の玩具になっていた。物部はそもそも、七輪を見た事自体が初めてだという。




「僕の方でも追加でも何かわかったら、連絡を入れさせて貰うよ。知り合いのツテで探りを入れる事が出来るかもしれない」


「わかった、今日はどうも有難う。配達ついでに世話になっちまった」


 荷物の中身は案の定、得体が知れなかった。新品の、堅いダンボールで覆われた梱包の中には、赤い判が押された書類がぎっしりと詰まっているに違いなかった。送り主には霞が関とある。辞してなお、白田の影響は主に厚労省方面で未だに根強かった。




 馬頭は次の配達もあるのでとダンボール御殿を後にする事にした。物部はというと手にタレがついて気持ち悪いとかで、河まで手を洗いに行っている。


「ーちなみに馬頭君、気を付けなよ。結構、荒っぽい連中みたいだから。もしかしたら、君の元同業者かも知れない」


 白田が別れ際にそんな事を言っていた。ダンボール御殿がジープのバックミラーに遠ざかってゆく。横で物部が苦しそうにシートにもたれ掛かって、唸っていた。明らかに当たり目の食い過ぎだ。




「あら、馬頭ちゃん。いらっしゃい、良く来たわね」


 馬頭が扉を開けると、カランカランという音がして、それから鷹揚のある女の声が耳に響いた。声の持ち主はこの店の女主人だ。


「あぁ、ママ、久しぶり。荷物あったから届けに来たよ」


 閑散とした店内にはジャズが掛かっていた。奥のジュークボックスから流れる音楽は店主の趣味だという。店内には観葉植物とテーブルとイスが数セット、天井では攪拌機がゆったりと回っている。バーともスナックとも喫茶店ともつかない、奇妙な居心地になる。


 カウンターに荷物を置くと、店の主人が馬頭に礼を言って寄越した。ボリュームのあるこげ茶色の髪は軽くウェーブしている。肌の色は浅黒く、女だてらに身長は馬頭と同じくらいあった。堀の深い顔立ちに、笑うとくっきり皺が入る。そして、それが嫌味にならないほどの愛嬌と色気が彼女にはあった。




 馬頭が村谷御幸の元を訪れた時、彼女の店の前には黒塗りのベンツが複数台止まっていた。錦糸町のど真ん中にその店はあった。一等地だというのに、周りの店がまるで、そのBAR御幸、と書かれた看板を避けるようにして距離を空けている。おかげで駐車スペースには事欠かなかった。


 馬頭がどうしたものか店の前で思案していると、店内から散発的に銃声が聞こえた。しばらくして人相の悪い男たちがぞろぞろと店内から吐き出されてくる。その内、何人かが肩に人間大のドサ袋を抱えている。ジープのミラー越しにしっかり睨みを利かすと、ベンツの集団は去っていった。




「いらっしゃい。お客さん、初めて見る顔ね。何かお飲みになるかしら?」


 馬頭が荷物片手に、左手を腰に回しながら店内に入っていくと、カウンターで大柄な女が煙草を吹かしていた。彼女は何事も無かったように馬頭に声を掛けてきた。村谷のモンスターコンシュマーとしての区分は、ブラックである。リストの補足説明には、反社会的集団、有大抵に言えば広域指定暴力団との繋がりアリ、とだけ明記されていた。礼儀のなっていない大手の配達員がその店内に入ったきり、行方不明になるという事態が頻発していた。


「ーそんな、怖い顔しなくたっていいじゃないか。何も、取って喰いやしないよ、坊や。だから、その後ろのガバメントから手を離すこったね」


 坊や、と言われたのは馬頭にとって初めての経験だった。思わずガバメントのグリップから手を離してしまった。大柄な体躯の女主人は、目線を下に向けたまま肩を揺らしている。馬頭が店に入ってきてから、村谷は馬頭の方も見る素振りも見せず、ずっとグラスを拭いていたはずだった。




「ーダイモンだって? あんた、あんな所とトラブってんのかい?」


 村谷は馬頭が事情を話すと、声を上げて笑った。笑うと彼女の大柄な体躯がリズムよく上下に揺れる。手に持った煙草の灰が落ちそうになる。銘柄はジプシー・ブロンド、もうこの国では手に入らないその銘柄を、村谷がどのようにして手にしているのかは謎だった。


「いや、トラブルって訳じゃないんだが、ちょっとね。うちの顧客が吸われてんじゃないかってだけの話さ。」


 馬頭は荷物を渡し終えてからカウンターに座り、出されたウィスキーを一杯引っ掛けていた。あくまで、帰りの運転に支障を来さないようにと水割りである。初めて会った時から、そんな調子である。この辺りが村谷の優しさなのかもしれない、と馬頭は思っていた。


 村谷は不義理をしない客に対しては寛容である。むしろ、甘いと言っても良い。


 一度、喰い詰めの客が店の床で土下座している風景に出くわしたことがあった。馬頭が何度目かの配達にやってきた時の事だ。もうその頃には村谷はととてけの御得意様となっていた。


 一瞬、その男の眉間にナイフが突き刺さる光景が過ぎった。彼女の手には果物ナイフにしては少し大きいそれが握られている。村谷はその果物ナイフを実に上手に扱い、必要とあらば、青魚からヒト科の霊長類まで綺麗に捌いてみせた。そうでなくとも、このバーのカウンターの裏には、色とりどりの銃火器が並んでいるはずだった。馬頭も一度だけ見せて貰った事がある。軽機関銃から自動小銃、自衛隊払い下げのRPGに旧ソ連産の対戦車ライフル、果ては火炎放射器とその顔触れはレパートリー豊かだった。なんなら今すぐ一個大隊相手におっ始められるだろう。早い話が、ここは暴力団の武器保管庫、あるいは一時預かり所という訳だ。




 そんな鉄火場を一人で切り盛りする村谷の事だ、当然、無銭飲食の乞食相手にも容赦ないだろうと馬頭は踏んでいた。だが意外にも村谷は、名前を聞く事も無しにその乞食を帰した。


「何つっ立ってんだい。見世物じゃないよ、うちは冷やかしはお断りだ。」


 村谷は無銭飲食の客に出した食器を下げて洗っていた。馬頭は荷物をカウンターに置いて、カウンターに備え付けの椅子には座らず、傍らで立ったままでいた。




「ーなんで、突っ返したんだ。あんたの事だから、指の一本でも詰めてやりそうなもんだろうに」


 一瞬、二人の視線が交錯する。馬頭の目が茶化したものではないと判断した村谷は、事もなげに、食器、とだけ呟いた。


「食器、見てみなよ。ピラフだったんだけどね、あの爺さん、一粒も残さなかった。そんな大層なもんでもないだろうにね。旨そうに平らげてやんの、金を取る気も失せるわ」


 村谷はそういってジプシーに火を着けた。馬頭が今しがた届けたばかりのダンボールの中から桐の箱を取り出す。中には綿を詰めた匕首が二本入っていた。それを鞘から軽く引いて、刀身を照明で照らして確かめる。


「・・・また、調子に乗ってタカりに来るんじゃないか。あの爺さんじゃなくても、そんな噂を聞きつけた連中が」


 馬頭は割としつこく食い下がった。カウンターの椅子にゆっくりと腰かける。彼女が握っている匕首の射程圏内に身を置いての質問だった。馬頭は見た目ほど暴力団に親近感を持っている訳でもない、もちろん乞食連中にも。だからこそ彼女の真意を聞いてみたい気がしたのだ。わざわざ席に座ったのは、せめてもの馬頭なりの仁義の切り方であった。


「なに、あの手の輩は、あんまりそんな事しないよ。まぁ、仮に舐めた真似してくれたとしてもー」


「ーしても?」


 カチッ、匕首が鞘に収まる音がして、村谷が馬頭の方を向いた。


「あたしがコレで成敗してやるだけさ」


 思わずゾクッとした。その時の村谷の笑顔を馬頭は今でも忘れられずにいた。年や顔の造りなんて関係ない。妖艶という言葉は彼女のためにあるのだと馬頭はその時思った。




「ー一応、ウチに出入りしている連中なんかにも当たってみるけどね。確か、知り合いの親分さんから、そんな名前を名指しの回状が送られて来てたんだ、一回。抗争って雰囲気でも無さそうだったけど。まぁ、気を付けるに越した事はないね」


 馬頭は村谷にも調査の約束を取り付けた。どうやら相手もまともな集団ではないようだ。今まで出てきた情報を乱暴に繋げると、元自衛官が暴力団を兼任して人材派遣業を営んでいるという事になる。


 水割りが空になると、馬頭は礼を言って席を立った。まだ、もう一軒、正確には一台に配達予定がある。


「ちょっと待ちなよ、これ。—あのジャージの子に」


 村谷が差し出してきたのは胃薬である。イカのスルメを喰い過ぎて、ジープで寝込んでいる物部にという事だろう。物部の今の状態は店に入ってきた時に説明してあった。


「たまにはまともな服着て、ちゃんと化粧しなって、あんたからも言ってあげな。素材は悪くないんだから」


 馬頭は村谷に再度礼を言ってからBAR御幸を後にした。




「ふーっ、大分楽になった。感謝、感謝。」


 物部はそういってジープのシートからようやく身を起こした。ついさっき馬頭から手渡された胃薬が効いてきたらしい。


「・・・今度会ったら御幸のママによく礼を言っておくんだな。—ったく、いくらなんでも食い過ぎだろうが、えぇ?」


 隣で馬頭が悪態を付いている。馬頭が運転するジープは錦糸町を出た後、高速に乗って房総半島を再度南下していた。物部がバックミラー越しに後部座席を見た。本日最後の荷物がそこには転がっている。正直、胃散を飲んだからと言って完全に回復した訳では無い。指先が当たり目のタレでべたべたする。おかげで自慢のラップトップも開けない有様であった。はっきり言って、とっとと事務所に帰って寝転がりたい。




「ーあぁ、俺だ。そうだ、馬頭だ。ーんな、大声出さなくてもわかる。ー今から良いか?」


 馬頭は自前のスマートフォンで誰かと連絡を取っていた。“おお!一徹か!” 助手席にいる物部の耳にまで、そんな電話相手の声が漏れ聞こえてくる。これから最後に配達する相手は“お得意様”の中でも比較的面倒な部類に入った。なにしろ、相手の現住所が常に移動しているので、こうして前もって連絡でも取らなければ配達する事すら間々ならないのである。




「おぉ!同志達よ! 良く来たな!狭い車内だが、ゆっくりしていけ!」


 だみ声の主は馬頭達を熱烈に歓迎してくれた。恐らく一キロ離れていても、この声量なら聞こえるだろうと物部は思った。京葉道路を南下し、事務所のはるか上を通り過ぎ、二回高速を乗り換えると松尾横芝ICに出る。はにわ道という俗称で有名な地域だ。国道126と成田空港を眼と鼻の先に望める。馬頭達はいま、そのICに駐車された一台の大型トラック、俗に言うデコトラの中に居た。このデコトラの持主である玄田牛一という男に荷物を配達しに来たのである。




 肩まで伸びた長髪を、迷彩柄のバンダナを額で巻いて、顔に掛かからないようにしている。頬骨と顎の張った顔、なにより、その何かを絶えず訴えかけるような、大きく見開かれた双眸が、サングラス越しにも一度会った相手に強烈な印象を残した。


 還暦間近だというのに、老いるという事を忘れたような老人だった。その声量の大きなだみ声を初めて聞いた時、馬頭はそれが猿叫か何かかと思った。




「おうっ、貴様が馬頭一徹か! 例のブツは持ってきてくれたのか!」


 馬頭が初めて玄田に会った時、掛けてきた言葉がそれだった。同じように高速のICでジープを止め、駐車スペースを彷徨っていた所、呼び止められたのだ。駐車スペースの端から端まで木霊すだみ声である。


 近づいてゆくと、迷彩バンダナに工員服の男が仁王立ちで立っていた。立ち話もなんだから、中に入れと玄田は言った。威圧的というよりも、この世のしがらみに捕らわれないがための朴念仁が滲み出ているような気がして、馬頭はデコトラの中に入っていった。それが去年の夏の事である。玄田のモンスターコンシュマーとしてのカテゴリは赤色、補足説明には猫がマスコットの大手運送会社を襲撃した、とあった。


 “資本家の手先共へ天誅を”、そのバンダナ男は白昼堂々、トラックに取り付けた拡声器からそんな事を叫びながら、運送会社の本社玄関目掛けて、デコトラごと突っ込んだのである。




 11tトラックはもはやその原型を留めてはいない。全身に淡い緑を基調とした塗装が施され、側面には天に昇る金色の龍が見事に描き出されていた。トラックの天井にはスピーカーが前面と後方にそれぞれ二基ずつ設置されおり、デコトラというよりは、大きめの街宣車と呼称した方が良いのかもしれない。




「ダイモンだって?知ってるも何も。連中、国家権力の手先だよ。俺の所にも来たことがある。危うくオルグされる所だった。」


 馬頭達がダイモンに探りを入れている事を知ると、玄田は鼻息荒く捲し立てた。どうやら、大門スタッフサービスの人間と面識があるらしかった。


「なんだ、玄田さん、あんた面識があるのか?」


「面識も何も、連中、何と、この俺の力が必要だなんだって、リクルートを掛けようとしたんだな。これが。冗談じゃない、誰が官警なんぞの手先に成り下がるかってんだ。叩き返してやったよ」


 玄田はそういって豪快に笑いだした。この調子では玄田の線から大門スタッフサービスを辿っていくのは難しそうだ。玄田の“叩きだす”は本当の意味での“叩きだす”である場合が多い。この分では恐らく、相手は玄田との接触を相当警戒しているはずである。


学生運動が沈下してからというもの、もはや半世紀が経とうとしているのに、この猿顔の老人の頭の中の屋台骨はゲバヘルと鉄パイプで構成されている。


 普段はインディーズのパンクロックの歌手として生計を立てていた。ちなみに、玄田牛一というのはその源氏名であり、只の通名である。漢字を四つ、潰して読めば“畜生”になる仕掛けだ。本名は玄田自身忘れてしまったらしい。








「ーまずいな、どうやら囲まれているようだ。」


「ーなんだって?」


 馬頭が初めて玄田のデコトラに招かれた時の出来事だった。トラックの中は至る所に学生運動の、それも極右系の旭日旗やら全世界同時革命を掲げた横断幕で一杯だった。奥には申し訳程度のライブステージとそのセットが覗いている。そんな室内の、トラックの側面の下に整然と並べられた木箱の中身は馬頭にも大体の想像が付いた。




 そういえば、あの猿顔の爺さん、何処かで見た事がある。馬頭が何となくそんな事を思案していると玄田が突然耳打ちしてきた。


「カミナリ族の連中だ。ざっと60人はいるだろう。馬頭さんよ、見た所、アンタ、軍卒だろう。それもかなりの練度だ。ちょっと手を貸してくれないか」


 玄田が努めて冷静な声でそんな事を言う。そういえば、先程から何やら外が騒がしかった。馬頭が車体の窓から外の窺うと、そこには金属バットや特殊警棒で武装したバイクの集団がデコトラを囲むようにして群がっている。ジープはその人垣を超えた所にあった。ここから出たとしても、およそ無関係ではいられないだろう。馬頭は思わずため息をついた。


「ーどうして俺が自衛官だってわかるんだ?」


「そんなもの、臭いで分かるよ。特別国家公務員さん。後は物腰だな、階段のステップの上り下りから、立ち位置の取り方まで。大方、空挺部隊にでも居たはずだ」


 当たりだった。特に自分の古巣を言い当てられた事に対する、特別な感情は湧いてこなかった。それこそ、三階から着の身着のままで地面に飛び降りて、そのまま行動開始する訓練だとか、餓死寸前の状態で生きた鶏を追い掛け回した、とかいう苦々しい記憶ばかりである。極めつけに、馬頭は依願退職とは名ばかりの不名誉除隊処分を受けていた。


 他国の特殊作戦群に従事するような軍人の、誇りだとか名誉を、馬頭一徹はこれっぽっちも持ち合わせてはいなかった。だが、少しばかし不愉快になったのは確かだったので、馬頭は少々反撃に出てみる事にした。


「ーそういうあんたこそ、交番のポスターに、顔写真付きで紹介されてなかったか?」


 馬頭と玄田はスチール机越しに数秒間睨み合った。馬頭はさっき感じたデジャブの正体を見つけていた。人間、人相は変わっても耳の形までそう変形するものではない。学生運動の折、暴行のプロとして名を馳せた男の成れの姿がそこにはあった。




「ーじゃあ、どうする。俺を官警にでも引き渡すか?」


 言っている玄田の口が緩んでいのが馬頭には分かる。


「ーまさか。武器はあるのか?」


 玄田も馬頭が獰猛な笑みを浮かべるのが分かったはずだ。血が騒いでいるのがわかる。もはや、二人の間に言葉は必要なかった。おうとも、と玄田がバールでこじ開けた木箱の中から、手りゅう弾がしこたま転がり出てくる。その日、成田方面のバイパス道路は火の海となった。








「まぁ、同志馬頭よ。せいぜい、気を付けるこった。いざとなりゃ、連絡を入れろ。電話が繋がらなきゃ、直接ライブハウスの方に出向いてくれたっていい。何時でも助太刀させてもらうぜ」


 玄田はそういって、トラックに備え付けの衛星電話を掲げて見せた。構造上、世界中何処に居ても連絡が付くはずである。馬頭が玄田とバイパス道路で共闘した際に、その子機を渡された。ジープの後部座席の隅で転がっているそれは、玄田が馬頭を“同志”と認めた証でもある。


「じゃあな、同志。物部女史も。—ほら、そんなパソコンばっかり弄ってないで、ちっとは体を動かしなさい。人間、最後にいう事を聞いてくれるのは己の肉体だけだぞ?」


「えぇ〜、やだ。絶対無理。」


 玄田は馬頭達をジープまで見送りに来てくれた。デコトラの中には小一時間居た計算になる。喉の奥がイガイガする、玄田は酒をやらない。工員服とバンダナにも見て取れるが、プロレタリアの、意地と誇りと伊達と酔狂という奴がそうさせるらしい。客人をもてなす際は、決まって自家製の栄養ドリンクを他人に振る舞う。


「玄田さん、有難う。おかげで興味深い話が聞けた」


「何のお安い御用だ。何時でも連絡してくれ。」


 馬頭達は玄田の見送りを受け、ICを後にした。玄田は指名手配を受けているので、基本的に一か所に定住するという事はしない。だから、配達方法も自ずと限られてくる。高速料金等の別途料金は全て顧客持ちである。玄田が直接払う訳では無く、何処かの総会の支部に請求が行くようになっていた。全世界同時革命を掲げられて幾星霜、革命の灯は未だ水面下でくすぶり続けている。








「ーそれじゃあ、今まで情報を整理するぞ」


 馬頭達は事務所に帰ってくるなり作戦会議を開いた。


「どうやら、連中に顧客を引っ張られているのは本当のようだね。」


 自室で寛いでいた江ノ島も一階に顔を出す。ここ二、三日の聞き込みにより、大門スタッフサービスがモンスターコンシュマー達の間で静かなブームに為りつつある事は、どうやら事実のようだった。


「それで?どうするの、これから?」


物部が口を開いた。どうやら食い過ぎによる腹痛からは完全に回復したようである。


「問題は、連中がどういう意図でそんな商売をやってるかって事だ。」


 馬頭は二人を見渡して言った。偶々ととてけと仕事が被っただけなのか。それとも、狙ってととてけの顧客を引き抜きに掛かっているのか。その見極めが重要であると馬頭は言った。


「玄田さんの所には来たんでしょ?じゃあ、クロなんじゃないの?」


物部がそういって馬頭に同意を求めた。


「いや、あの人は其の筋の連中には極端に顔が広い。おまけにあの歳で、まだ暴行のイロハを覚えてやがる。何処かを襲撃するって段取りなったら、それこそ全国から応援を頼まれる位だ。そっちの筋で近づいただけなのかもしれない」


 人間を殺害に至らしめずに、痛めつけるというのは案外難しい。そのやり方をあの過激派崩れのパンクロッカーは熟知していた。おかげで全国の消費者金融や暴力団事務所から“指導”の依頼が、未だに玄田の元に舞い込んでくる。裏では銀行の営業研修やマル暴の新人研修まで請け負っているというから驚きだ。玄田が逮捕されない理由もそんな所にあるのかも知れなかった。




「じゃあ、この大門スタッフサービスっていうのは、筋者の集まりという事になるのか?まぁ、人材派遣会社なんかにしちゃあ、良くある話なんだろうがね。」


 今度は江ノ島が口を開いた。


「その可能性は高い。少なくとも、玄田に連絡を取ろうとした時点で、血なまぐさい事が必要な会社だというのは確かだ。おまけに御幸のママの所に出入りしている組員達に名前が知れ渡っているっていうのもある」


 ダイモンがどのような会社で、どんな目的があってモンスターコンシュマー達に関わっているのか、それがまだはっきりしない。仮にブラックリストの連中に、顧客としての引き抜きを掛けていたとして、それに対して馬頭達が口出し出来るかといえば微妙な所である。


 直接、営業妨害でも掛けられたとなれば話は別である。だが、今の所、向こうから馬頭達の元へ直接のアプローチは無い。


「ともかく、このままじゃあ白田の爺さんや御幸のママ、そうでなきゃ、他のお得意様方々からの連絡待ちだ。それも、ダイモンの方がサービスが良くて、向こうの方が気に入ったってなったら、乗り換えられる事もありうる。事実、先月の頭から依頼してこなくなったお客さんも何人かは居る訳だ」


 馬頭達はここ数か月の仕事の依頼を纏めて分析してみた。やはり、ポツポツと依頼の数が減少している。配達の完了は基本的にデジタル端末で処理するので、その時に吐き出される紙の領収書は、その辺にほったらかしにしてあった。それでも振り込みは自動で行われるので、馬頭はおろか、物部と江ノ島も、杜撰な管理を気にする者は居なかった。おかげで、三人がかりで依頼内容を纏めるのに丸一日を費やした。これからは仕事関連の書類位、きちんと纏めるようという事が話し合いで決まった。




「そもそも彼らの業務内容とは、具体的にどんなものなのかね。京君、君のパソコンからダイモンのホームページで確認できないのか?」


「そこなのよ、先生。この会社の配達業務、なんか完全に契約制みたいでね。仕事を依頼したい時は、向こうの審査にパスしなきゃなんないみたい。料金設定とか詳しい業務内容についてもわかんない。一見さんお断りみたいだね」


 物部がチュッパチャプスをカラカラ言わせながら江ノ島の質問に答えた。いよいよもってきな臭い。馬頭達三人は、大門スタッフサービスという会社の実態を全然掴めずにいた。ととてけのお得意様連中から聞きだした話の中にも、まだ気になる点は残っている。




 河川敷の白田が言っていた、連中が馬頭にとっての元同業者かもしれない、という噂話。錦糸町の村谷が言っていた、暴力団との繋がり。デコトラの中で玄田から聞いた、官警、つまりは警官に気を付けろという警告。


 まだ共通項は、ダイモンが荒事に長けていそうだという事位しか見えてこない。そこから先は単なる推測にしか過ぎなかった。如何せん情報がまだ足りないのだ。




 隣で、物部と江ノ島が、あーでもないこーでもないと議論を交わしている。


「ハッキング、だったか。あれをダイモン目掛けて、仕掛けてやればいいんじゃないかねね?君なら得意そうだ」


「無茶言わないでよ、先生。私、こう見えてバリバリの文系だよ? ただ、ちょっと広告が打てて、財務諸表なんかが読めるだけ。PCに強いのは、ー割と良くある話でしょ?」


 物部は関西にあるマンモス私大を出た後、就職と同時に上京してきた、と馬頭は彼女から前に話を聞いた事がある。専門分野でない彼女に、そこまでを期待するというのは酷な話である。


 仮に物部がクラッキングの技術を持っていたとしても、ダイモンの会社へ侵入できるかどうかは怪しかった。PCどうこうという話は、恐らく文系の方が一般的な流行に過敏でハードウェアを使いこなす傾向が強いだとか、そんな話だろう。




「よし、二人とも。どうする、腹は決まったか?」


 馬頭は柏手を打って二人の注目を集めた。すでに自分の腹は決まっていた。


「・・・どうするって、ねぇ?」


「・・ふふっ、いやまあ、何というか。」


 物部と江ノ島は、馬頭の顔を見るなり苦笑した。普段は仏頂面な馬面のこの男も、何か楽しい事を見つけると、微妙に顔つきが変化する。口元が僅かに開き、全身に獰猛な雰囲気が漂い出している。一年以上付き合いのある二人にはそれが分かった。


「いや、私としては一向に構わないよ?一度、その会社を見てみたいのもあるし」


 江ノ島がまず口を開いた。次に物部。


「私も、行くなら連れてってよ。一人で留守番なんかしてても、つまんないしね」


 二人の表情も、心なしかこの状況を楽しんでいるように見えた。恐らく基本的に、やる事が無くて暇という事もあるのだろう。馬頭はその返事をもって同意と見なした。


「ーよし、じゃあ、まどろっこしいのは無しだ。明日、ダイモンとやらに直接乗り込む」


 元々回りくどい事が嫌いな三人である。話し合いは満場の一致を見た。相手の本丸に乗り込んでしまおう、それがととてけ運送が出した結論であった。








「ねぇ、江ノ島さん。席、代わってよ。座布団じゃ無理があるって」


「いや、ダメだ。そんな所に座ろうものなら、私の腰がイカレてしまう。京君は若いんだから、我慢しなさい」


 馬頭一行は高速道路を乗り継ぎ、東京は新宿にまで来ていた。ジープのフロントガラス越しに都庁が見える。一体、何処からこんなに人間と車が湧いて出てくるのか、馬頭には不思議だった。


 隣では物部と江ノ島が休憩ごとに助手席にどちらが座るのかで争いを繰り広げていた。旧式のジープの後部座席は基本的に貨物置き場であり、座席は設置していない。おまけにサスペンションにガタがきており、車体の振動が後部シート搭乗者の体に直接響くのだ。現在は江ノ島が助手席に陣取っていた。物部はというとブー足れながら後部シートで寝転がっている。


「二人とも、頼むから静かにしていてくれ。もうすぐ着くんだ。」


 馬頭はそういって頭の中で新宿界隈の地図を広げてみた。一度地図を見ただけで、等高線まで頭の中に叩きこめる特技は、自衛官時代の経験が生んだ数少ない賜物の一つである。おかげで、モンスターコンシュマーへの配達でも迷った事は無い。




 ジープは靖国通りを通り過ぎ、新宿一丁目のアーケード正面を抜けてゆく。一度、区画整理されて綺麗になったはずなのに、いまやその面影の見る影も無かった。不夜城、とはよく言ったものだ。大陸の言語で書かれた看板が軒を連ねている。江ノ島はフロントガラスから流れる景色を見てそんな感想を抱いた。


 国営カジノが東京湾に建立されてからこの方、いや、それ以前から訪日外国人の数は増え続けている。彼らの多くが、東京で根城にしているのもこの街だ。2025年現在、この国の人口はきっかり1億人ぐらいだと類推されている。為替は240円程度で推移しており、外国人への資本流出、また海外からの資本流入は止まるところを知らない。もはや、アングラまで含めると、総人口の4割近くが在日外国人ではないかとするデータまである位だ。それが果たして良い事なのか、悪い事なのか、果たして江ノ島には判断できなかった。まぁ、民族の多様性は、経験則的に文化の多様性に直結するので、悪いという事はないだろう。問題は、血で血を洗う抗争が絶えないという状態は余り、個人的には好きではなかった。散弾銃はあくまで護身用、というのが江ノ島の流儀である。


ー右翼も左翼もまっぴらだ、何にもせずにただ傍観していただけのこの国の連中も!




 確か自分が受け持った最終の講義でそんな事を吠えたのを、江ノ島は果たして覚えていた。学者として正しい発言だったのかはわからない。


 ただ、この国の貨幣価値が完全に円安に振れた時、それを支えるだけのタンス預金も、もちろん人的資本なんていう奴も、この国には一欠片たりとも残ってはいなかった事だけは事実だろう。外国人は今までこの国に、敷居が高くて、来たくても来れなかった訳では無い。来る価値がなかったから来なかっただけの話である。地価が暴落した今だからこそ、こうして食いついてきているのだ。




「ーどうした、江ノ島先生、本当に体調でも悪いのか。何処かで止まった方が良いか?」


 横でハンドルを握っていた馬面の運転手がそんな声を掛けてきた。仏頂面で前だけ見ているのに、何時こちらの様子を窺ったのだろう。少なくとも江ノ島自身、表情に出したつもりはなかった。


「ーいや、この辺りも随分変わったものだと思ってね。感慨深いものがあるよ」


「あぁ、前に聞かせて貰った海外資本の流入がどうのって話かい。あれは面白かった」


 馬頭は事もなげにそういった。視線は尚も前方を向いたままである。江ノ島がこの男を気に入っている理由もこんな所にあった。何気なく話しただけの事を、こうやって覚えていて、当意即妙で返してくる。こんな時、やはり人間最後は学歴などでは無いと痛感させられる。江ノ島にとってみれば、大学のいけ好かない同僚や教務員、それに学生連中と話しているより、この元自衛官と話している時の方が余程心地よかった。




「さて着いたぞ、二人とも。どうする? まさか、いきなり殴りこむ訳にもいかねえだろ?」


 場所は新宿都庁の真ん前、新宿駅西部の高層ビルが立ち並ぶ一角だ。馬頭がジープのサイドブレーキを入れ、車体はアイドリングの状態のまま路肩に停止した。目と鼻の先に、ダイモンがテナントに入っているはずのオフィスビルが聳え立っている。




 口では穏便に済まそうなんて言っているが、馬頭の表情はそうは見えない。目元は険しいくせに、口元だけ妙に緩んでいる。いよいよ面倒になって、いざとなれば突入も辞さない時の顔だ。物部はこの馬面の男の頭のバッテリーが跳んでしまう前に代替案を出した。普段自分達がイライラさせている分、この辺りで帳尻を合わせておかないと後々面倒なのだ。


「先に、電話して、アポイントメントを取り付けようよ。それからでも遅くないでしょ?」


 ダイモンの営業時間はホームページで確認してあった。物部は運転座席と助手席の間から顔を出す。手には衛星電話を手にしていた。まさか宇宙の電波状態が悪いなんて事はないだろう。




 馬頭は面倒くさげにダイヤルを押していく。江ノ島が助手席のダッシュボードからプリントアウトした書類を取り出してダイモンの番号を伝えようとしたが、その必要は無かった。馬頭は一度覚えた電話番号は嫌でも空で唱える事が出来る、これまた自衛官時代に培った特技だった。




 トゥルトゥルトゥル、と二、三度コールがした後、電話は繋がった。


「はい、こちら大門スタッフサービスです。ーもしもし、お客様?」


「おい、繋がったぞ。女だ、どうする。」


 衛星電話から聞こえてきた声は馬頭が予想したものとは違った。綺麗なソプラノが馬頭の鼓膜を振るわせる。厳ついダミ声でも聞かされるのかと思っていた馬頭は面喰ってしまった。


「どうするも何も、ってこっちに渡さないでよ!私、何喋るの! あっ、どうも突然のご連絡することになってしまい恐縮です。私、ととてけ運送会社の物部と申しまして、ええ、はいー」


 やはり女は偉大だと馬頭は勝手に思った。そうして、自分がどれだけ場数を踏んでも、土壇場の器量や度量では絶対に敵わないだろうと、はた迷惑なイメージを押し付ける。


 物部は、普段のグータラ振りからは考えられないほど丁寧な言葉遣いで電話相手に対応していた。昔、証券会社に勤めていたと、何かの拍子に聞いた事があるのを馬頭は思い出した。電話の切れ目に、物部の恨めしそうな顔がこちらを向いている。


「いえ、そんなお気遣い頂いてー、はい、どうも。では失礼させて頂きます。・・・はぁ、疲っれた〜」


 しどろもどろになりながらも、物部はなんとかアポイントを取れたようだ。電話を切った後、一気に疲れた表情になった物部は馬頭達に待ち合わせの日時を伝える。場所は大門スタッフサービスのオフィス、時間はこの後すぐだった。同業者のよしみという事で、一応は挨拶回りという名目で約束を取り付けたので、くれぐれも粗相の無いようにと、物部はここぞという時に頼りない男性陣に釘を刺した。








「・・・デカい。」


「・・なに、こんなの見てくれだけ差さ。」


「いや、近づいてみると、なかなか立派なものだね・・・」


 ダイモンが入っているオフィスビルに馬頭達が乗り込んでいく際、三人はその大きさに圧倒されつつあった。これだけ高層ビルに囲まれているので、最初は気付かなかったが、いざ入り口周辺まで近づいてみると、超高層ビルが頭上から覆いかぶさってくる。




 金回りが良いのだろうと馬頭は思った。一階のフロントで案内を受けた時も、受付嬢の対応は千葉のそれとは考えられない位愛想が良かった。三人は左右それぞれ、4基ずつ、計8基あるエレベータシャフトに通される。ととてけ事務所の二階の部屋より広いであろうエレベータに乗り込むと、エレベータは音も無く動き出した。




「・・・馬頭さん、ずっと気になってたんだけど、その紙袋なんなの?手りゅう弾?止めてよね。折角、苦労してアポ取ったんだから」


 三人はそれぞれ紙袋を下げていた。ジープの車内で、前の座席の裏に置かれていた時には物部も気にも留めなかったそれも、ここまで持って来るとなると話は別だ。


「手土産だよ、まさか手ぶらで来る訳にもいかねえだろ。イカだ、イカ。お前さんが昨日、喰い過ぎで腹痛起こしていた奴。白田の旦那に分けて貰ったんだよ。」


 物部は急に胃が持たれる気がした。匂いが漏れ出さないのは発泡スチロールにガムテープできっちり梱包しているからだという。


「ちなみに私の手土産は雉の燻製だ。前に事務所の裏山で獲った奴がまだあってな」


 江ノ島が自慢げに紙袋を持ち上げて見せる。江ノ島は時たま猟銃を持ったまま、二、三日事務所から忽然と姿を消す事があった。その燻製は、その時の徘徊の副産物である。ビニールで二重に包んであるので独特の匂いは漏れていない。


「ーそういうお前さんはどうなんだよ。紙袋、下げてるじゃねえか」


「中身はウィスキー、ほら、株主優待で送られてくる奴。余ってたから。美味しいよ?」


 三人はそれぞれ、各自持ち寄った贈答品に幻滅しながらもエレベータが止まるのを待った。しばらくして僅かに体が浮き上がる感じがして、到着を知らせる電子音が鳴った。階数表示はダイモンが入っている階を指している。三人は商売敵の元へ足を踏み出した。






「やあやあ、御三方。遠い所はるばるよお来てくれはった。何もないですけど、ゆっくりして行って下さい」


 がっしりとした体躯を揺らしながら、その男は馬頭達を出迎えてくれた。まるで80年代のバブル全盛期からそのまま抜け出してきたような風体である。白いスーツに、金のネックレス、おまけに左手にはロレックスと来た。それが日焼けした肌に良く映える。町金のやり手経営者と言われた方がはるかに説得力はあるかもしれない。それでいて、笑うと何処かゴリラのような愛嬌があった。ゴリラのようなその男は大門啓蔵と名乗り、そして自分がこの大門スタッフサービスの経営者であると言った。




「先程、お電話の方を対応させて頂きました、秘書の海老原です。以後、お見知りおきを」


 海老原有価(ゆか)と名乗った女の方も印象的だった。大門とは対照的に、スラッとしたスタイルに、黒のトリプルのスーツを纏っている。髪を後ろで高く纏め、所謂正統派のゴージャス系美人といった顔立ちだ。眼鏡のフレームの端を片手の指先で持ち上げる気障な仕草も、彼女がやると嫌味にならない。




「いきなりお邪魔してしまってすみません。いや、偶々近くを通りかかったものですから、同業者のよしみで挨拶をと思いまして—」


 突然の訪問に対する言い訳としては流石に苦しいものがあった。看板を出している訳でもないオフィスビルのテナントにいきなり訪ねてきたのである。事前に下調べをしてあると思われて当然だろう。神経の図太い、あるいは神経のヒューズが何処かで切れている馬頭達であっても、流石に恐縮を覚えた。それも大門たちの対応があまりに好意的だったからである。




「いやー、御噂の方はかねがね、房総のととてけさんて言やぁ、この業界じゃあ伝説みたいなもんだ。一度、こちらからお伺い立てようかと思っていた所なんですがね? ーなにせ、ウチも貧乏暇なしでして。おう、有価ちゃん、貰い物の日本酒で、良い奴があったろ、アレ持って来てくれんかな」


「畏まりました、社長。少々お待ちを」


 大門達の反応は馬頭達が思っていたものとはかなり違っていた。てっきり、抜身の日本刀や拳銃を持った男たちに囲まれるものかと馬頭は予想していた。だが、いざ蓋を開けてみれば、愛嬌のあるゴリラのような経営者と美人の秘書の致せり尽くせりのお出迎えである。


 エレベータを降りた後、三人は大門スタッフサービスと書かれてあるテナントのドアを潜った。受付には渋柿を干したような表情の老婆が一人座っていた。この時、馬頭の警戒心はその時はまだ残っていた。受付の婆さんの佇まいが普通では無かったからである。カウンターの下からは、蛇が出るか蛇が出るかわかったものではなかった。だがそんな警戒心も、受付でアポイントメントを確認し、奥の応接室に通されてしばらくするうちに薄れて行った。端的に言ってしまえば、それだけ大門と海老原が魅力的な人物であったという事になる。




「ーあぁ、これ。つまらないもんですが、どうかお納めください」


 馬頭はそういって手元にあったイカのタレ漬けを差し出した。物部と江ノ島も、それぞれ手土産を差し出す。この応接室に通されて、話もそこそこに弾んだ頃合いだった。大門は丁重に礼を言い、それを海老原に渡した。手土産は一旦引っ込んだ後、日本酒と一緒になって馬頭達の前に並べられた。




「ーさぁ、もう一杯如何ですか、馬頭さん。ぐいっと」


「いや、もう、車で来ているんで。これ以上はご勘弁を」


「そんなもん、若いもんに送っていかせますやいな。どんどん飲んだっておくんなさい」


 大門はそう言って馬頭達に執拗に酒を進めてきた。単純に、こちらを酔い潰してしまおうという魂胆には見えなかった。なにせ大門自身、大分出来上がってしまっている。すでに出された大吟醸数本と、物部が持参したウィスキーの何本かが空になって机の上に転がっていた。


 専ら盃を開けていたのは馬頭と大門の二人である。馬頭がいざ本題に入ろうとすると、大門はのらりくらりと話の矛先を代えてしまう。代わりに、馬頭の口に糊でも塗ろうかという具合に、馬頭の杯目掛けて酌を注ぐのだ。


 大門は自分が他人に注いだ分は、必ず同量、自分も飲むようにしているらしい。その点、正々堂々していると言えた。馬頭自身、相手にだけ手酌をさせる訳にもゆかず、オフィスビルの一角の応接間は、さながら二人の経営者の我慢比べの様相を呈していた。即ち、馬頭が潰れるのが先か、大門が業務内容について思わず本音を溢すのが先か、である。




 足元を見ると、江ノ島が応接室に隙間なく敷き詰められた豪華なカーペットの上に寝転がっている。一番先に潰れたのが、その元大学教授である。おかげで普段は饒舌なその口も、今日はあまり火を噴く事はなかった。


 気持ちよさそうにまどろんでいるので、健康面の心配はないであろう。だが馬頭は内心、江ノ島が肩から掛けているショルダーバックの中身、江ノ島愛用の猟銃が、彼が寝返りを打つたびに暴発しないか気が気ではなかった。江ノ島が身動ぎをする度に、バッグの中の銃口を予測して、その射線上には身を置かないようにする。




 馬頭の隣では物部が、頬を赤く染めながらもダイモンお抱えの美人秘書に食って掛かっていた。


「だからぁ、私は、貴社のぉ、その審査ですか?を通過するにはどうすれば良いんだって聞いてんですよ〜、何、面接官でも寄越すんですか〜?」


 物部もかなりへべれけな状態である。決して酒には弱くないこの女も、この二人、特に海老原相手には分が悪かった。


「えぇ、ですから、もし仮に物部さんが我が社の配達サービスのご利用をご希望なされるのであれば、こちらから審査員の方を直接派遣いたしますので、お電話でも、電子メールでも、ご都合のつく日時をご連絡頂ければ—」


 海老原は涼しい顔をして物部と喋っているが、軽く角瓶一本の量の酒は空けているはずだ。それでも、顔色一つ変えずに、物部の質問、それもかなり呂律が怪しくなったそれに対して慇懃な受け答えを続けている。


 馬頭は内心、心の中で物部に感謝した。こちらで大門の対応をしている内に、本来の目的である商売敵の情報収集を一応は行っていてくれたからである。海老原の方は大門とは違い、聞かれた事については、はぐらかさずに答えてくれているようであった。あくまで聞かれた事に関してだけであるが。




「すいません、そろそろお暇しませんと、明日の配達に差し障りが出るんで」


 これ以上は流石に不味い、馬頭はそう思った。テーブルの上に置いたグラスを取ろうとする手が、思った以上に奥に行く。あと何杯か飲んでから、首都高速でジープを100キロオーバーで走らせる自信は流石の馬頭にも無かった。




「えぇ、そんな馬頭さん、もっとゆっくりして行って下さったら宜しいのに。—けど、まぁ、私の方もかなり回ってますし、明日もお仕事がありはるって言うんなら、御引き止めする訳にも参りませんね、おーい、海老原ちゃん、誰か店の若いもん呼んで、車手配したって」


 ダミ声がきつい、関西弁で大門がそう言うのがわかった。隣で酔いつぶれている物部が日頃喋っている、独特の訛りの残ったイントネーションを聞いてなかったら、意味を理解できたか微妙なラインである。流石にこれだけお互いにグラスを空けたので、地が出てきたのであろう。とはいえ、最後に大門が、店の、と言った表現が馬頭の頭に引っかかった。果たして、鞍替えした元自衛官や、暴力団組員、あるいは現職の警察官が、自分の部下を呼ぶ時にそんな言葉を使うであろうか。




「いえ、そこまでご厄介になる訳には参りません。手前の運転で帰らして頂きます」


 どうやら大門の理性はまだ完全には飛んでいないようである。馬頭自身、まだ運転するだけの余裕があるのだから、相手にも取り繕うだけの余力があったとしてもおかしくはない。遂に、立ち去るその時まで、馬頭は相手の正体を掴めなかった。わかったのは精々、大門達が酒を一緒に飲んでいて楽しい相手だという事位である。




「あんたら、ホンマに大丈夫ですか?なんならタクシー呼んで、このジープ、若いもんに送らせますよ」


「御三方とも、帰り道には十分お気をつけて」


 馬頭は酔い潰れていた物部と江ノ島を引きずって大門スタッフサービスのオフィスを後にした。大門と海老原が表まで見送りに来てくれる。馬頭は二人をジープに放り込むと、挨拶もそこそこにキーを回した。頭の方は、帰りしなに海老原がわざわざ熱いブラックコーヒーを入れてくれたので、反対車線に飛び出る心配はない位には冴えていた。


 本気で心配をしてくれている大門たちに再度礼を言い、馬頭はジープを発進させた。バックミラーには二人の手を振ってくれている姿が、交差点を曲がるまで映っていた。




 彼らは突然の商売敵の来訪に嫌な顔一つせずに出迎えてくれた。あまつさえ、去り際に、馬頭達に向かって、何時でも遊びに来てくれ、と言って寄越した。おかげで、馬頭達の毒下はすっかり抜かれてしまっていた。馬頭は思った以上に回るハンドルを何とか操縦し、一行はととてけ事務所への帰路に着いた。








「うええっ、飲み過ぎた、気持ち悪い」


 帰宅後、すぐさま作戦を練り直す訳にもいかなかった。物部は居間の長テーブルに突っ伏してから、そのままソファに倒れ込む。江ノ島はというと、千鳥足で自室へと引き上げて行ってしまった。馬頭自身、素面という訳では無い。この事務所に辿り着くまでに、都合4回、対向車と正面衝突しそうになったのを覚えている。


 馬頭も事務所の電気を消して、自室に引き上げていった。物部に訊きたいこともあったが、それは明日に持ち越すつもりだった。




 ふいに、夜中に目が覚めた。馬頭は碌な調度品も無い六畳半の自室で覚醒した。どう考えても飲み過ぎである。慌てて備え付けのバスタブに駆け込んだ。シャワーと便座、それから洗面台一つの質素なものである。


 風に当たりたくなって、事務所の階段を下りて行った。薄暗闇の階下が僅かに明るい、暗闇の中で何かが蠢いている。物部だった。


 彼女は真っ暗な事務所の一階で、部屋の唯一の光源である電気スタンドをテーブルに放り出して、呆けていた。


「・・・あれ? カエデじゃん。ほら、楓だ。なに、つっ立ってんの。こっち来なよ」


 茫然自失、といった方が良いのかもしれない。馬頭には物部が、心ここに非ず、という風に見えた。その焦点の定まっていない表情が、馬頭に気付くなり、途端に緩む。キャッキャ、と子供のように笑った。馬頭を誰かと間違えているのは明白だった。


「・・・・・」


 馬頭は何も言わずに長テーブルに近づいてゆく。酒臭い。テーブルの上には、彼女御用達のウィスキーが置いてあった。先程大門の所から帰ってきて酔いつぶれた後、懲りずに迎え酒でもやっていたのだろう。馬頭はへべれけ状態の物部がいる正面のソファに腰掛けた。




「ーいや、あんたが死んだっていうからさー、人事の連中も、冗談にしちゃつまんない事言いやがるなーって思ってた訳よ。うんうん、あんたが飛び降り何てするはず無いっしょ、ヘッヘッヘ、常識的に考えて。あんたで持ってるみたいな会社なんだからさー」


 物部はそこまで言って、急に黙り込んだ。頭を振って、下を向いたまま、しばらく動かなくなる。馬頭はそれまで黙って物部の話を聞いていた。たまにある事だった。夜中に一階に下りていくと、物部、あるいは江ノ島が、心ここに非ずという雰囲気でソファに座っている。傍らにはアルコールが置かれている場合が多い。絡み酒とは、また違う、何か別の夢遊病のようなものだと馬頭は思っていた。自分自身、似たような経験が腐るほどあるのだから、まず間違いないだろう。




「・・・あれ? 馬頭さん?」


 物部はそういって体を起こした。今度は目の焦点が馬頭のいる辺りで止まっている。


「あれ?何だっけ?そうそう今日、楽しかったよね〜海老原さんだっけ?それから大門さん、悪い人じゃ無かったじゃん。ヘッヘッヘ」


 ザンバラ頭のジャージ女はそういって笑った。何が可笑しいのか、腹を抱えての笑い出す。朱の射した顔で、時折手をパタパタと振った。


「ああそうだ、御免ね。あの秘書さんに色々聞いたんだ。あの会社の、仕事内容とかなんとか、イテテテ」


「別に、今そんな状態で無理に喋るこたぁない。また明日頼むよ」


 馬頭がメモを取り出そうと身を捩らせる物部を制しようすると、不意に彼女の動きがまた止まった。その目から、再び生気が消え失せる。それから呟くように言った。


「ーもしかして私、また余計な事喋ってなかった?」


「いや、そんなこと無えさ」


 嘘だった。馬頭が物部の身の上話を聞かされるのは、これで何度目かである。内容は大体、彼女の死んだ親友の話である。途切れ途切れにでも、こう何度も聞かされれば大まかな筋書き位は分かる。


 物部京は昔、証券会社で働いていた。関西のマンモス私大を出た後、上京。こちらの方が人間関係のしがらみが少ないなんて聞いて出てきたのが、とんだ勘違いだと気付いたのは就職した後だった。即ち、人間関係の良い面は希薄だが、悪い面には粘着質だという事実である。東京砂漠とはよく言ったものだ、と思ったそうだ。




 言葉の壁や文化の違いもあり、物部は会社に馴染めなかった。そんな物部にも唯一、気の置けない相手がいた。同期入社の同僚で、馬頭も、姓までは聞いていない、楓という同い年の女だ。ベタベタする訳でもなく、たまに飲みに行っては業界の愚痴を言いあうような仲だったらしい。


「面白い子でね、ー私が箱根からこっちの日本鉄道は、未だに国鉄なのかって文句を言ったら、ようこそ、東京へ! なーんて言いやんの。コロコロ笑う娘でさ、笑うと笑窪が出来んだ」


 そんな物部の親友はマンションの屋上から身を投げた。楓は専門学校出のプログラマーで、契約社員としてそれこそ昼も夜もなく働かされた末の飛び降りだった。プログラマーだった彼女は正社員への一縷の望みを託し、それこそ馬車馬のように働いた。まるで現代版女工哀史である。楓のプログラマーとしての腕はド素人の物部からしても大したものだったという。


 最終的に翌年度のネット株式取引に採用される程のプログラムコードを彼女は書き上げた。世の常として、そのコードはそのまま正社員の手柄として召し上げられた。元々、看板で商売をしているような会社である、楓には何の報酬も出なかった。そしてその年限りでの契約打ち切りの通知を受け取った翌日、彼女は自宅のマンションから飛び降りた。その訃報を聞いた物部の神経が、何処かでプツリと切れた。




「そもそも、不特定多数の人間が一堂に集まって何かをやらかすって事自体、もう不祥事でしょう。違う!?」


 一度物部が酔っ払った時にそんな事を言っていたのを馬頭は思い出す。とにかく、彼女は世間一般で使われるような、企業での仕事、とやら全般に辟易していたらしい。学生自分からその価値観は終ぞ変わらなかった。楓の飛び降りが決定打となった。彼女からの着信が、飛び降りる直前に物部のガラケーに入っていた。物部は吐き気のする正社員で構成される忘年会に嫌々出席していたがためにその着信に気付かなかった。


 どうして、電話に出てやることが出来なかったのか。


 どうして会社の連中の私利私欲のために楓が死なければならないのか。


 物部は、止せば良いのに、自分自身を呪った。それから、ずっと楓からの着信を待つようになった。メールボックスも絶えず確認するため、ずっとネットに繋がっているようになった。未だに物部が意固地に、旧式のガラケーをお守りのように使い続けるのにもそんな訳がある。




 物部は退職届の代わりに、自分が勤めていた会社に些細な“嫌がらせ”を行う事に決めた。元々、ペーパーカンパニーをでっち上げ、低所得者層からなけなしの財産を巻き上げたり、平気でヘッジファンドと組んで空売りを仕掛けるような業界全体が嫌いだったのである。もはや、なんの未練も迷いも無かった。


 物部は顧客データと機密情報を手土産に会社を辞めた。顧客データの中からは、悪質な上客の個人情報を抽出してから売りさばいた。機密データの中には談合や仕手戦の数々、今後数か月分の出来レース、つまりは株式市場の動向が眠っていた。物部は意趣返しに、散々甘い汁を吸い上げた挙句、頃合いを見てそのデータをネット上にばら撒いてみせた。新手の内部告発、あるいは企業テロである。あっけなく物部が元いた証券会社は潰れた。




 それからというもの、税務署の役人と元の会社が雇った興信所の追跡を撒くために、物部は住居を転々とする日々を始めた。残念ながら、この世には社会正義なんてものは存在しなかったのである。


 機密データを売りさばいて儲けた資金があったので、生活費には事欠かなかった。物部はその金で馬鹿でかい墓を長野に立てた。楓の遺骨は引き取れなかったので、名前だけでもぶち込んで供養してもらった。秋になると、山間に一面楓の紅葉が色づく。悪くない場所に思えた。


 会社が潰れたおかげで、幾ばくか親友の復讐は出来た気がする。ただ、物部自体、その頃にはもう引き返しが出来ないほど精神が不安定になっていた。身なりにも頓着しなくなった。ゴミ袋が溜まろうが、どうせすぐに引き払うのだからと気にも留めなくなった。転居を繰り返しても先々ですぐにトラブルを起こし、追い出されてしまう。


 馬頭が物部の元に配達に訪れたのは、彼女が丁度そんな当て所ない流浪の旅をしていた頃だった。








「じゃ、おやすみ。馬頭さん、私もちゃんと部屋で寝るわ」


「あぁ、おやすみ、足元に気を付けてな」


 物部が体を引きずるようにして階段を這ってゆく。馬頭は一服してから自身も部屋に引き上げるつもりだった。しばらくすると、静かになった事務所のリビングの片隅に、またみょうちくりんなウサギの幻影が見え隠れし始めた。何かあると、すぐにこれだ。年がら年中、頭の中に誰かがやってきて、悪さをしていく。堪ったものではない。馬頭は相手にするのも面倒になって、物部が残していった電気スタンドの明かりを消して、自身も部屋に引き上げて行った。








 あくる日、馬頭達は事務所の一階のリビングに集まっていた。もう昼過ぎになろうとしているのに、どの顔も酒が完全に抜けておらず、冴えないものだった。


「えー、一応昨日、あの海老原っていう秘書さんから聞いた話だけでも、掻い摘んでさせてもらうね」


 物部がそういって気だるげに話し始めた。馬頭達も冴えない頭で話に耳を傾ける。三人は、何も手ぶらで帰ってきたわけでは無かった。少なくとも、インターネットのホームページ上では不透明だったサービス内容について訊きだす事位は出来たのである。


 サービス内容自体は、ととてけ運送とたいして変わらない、所謂訳ありの顧客相手の配達業のようである。違いと言えば、ダイモンは委託では無く、完全に直接取引しかしていないという事位である。




 そもそも、何故ととてけが顧客を奪われるような事態になったのか。


 その最大の原因は目下として判明しなかった。散々議論を重ねた挙句、わからない、という結論に、馬頭達は最終的に行き着く。提供しているサービスの運賃にせよ、値段設定にせよ、料金面でととてけが後塵を拝しているようにはどうしても思えなかった。




 現行、通常の配達に掛かる運賃、法人も民間も今となっては一緒であるが、一キロかそこらの最短距離に掛かる払いが700〜800円。そこから運行距離、荷物の大きさ、幅に比例して料金が上がるシステムになっている。何処の運送会社も似たり寄ったりで、料金体系に大きな差は無かった。


 仮に、最大でも、北海道から沖縄まで冷蔵庫を送り付けるような場合でも、例えば民間用の冷蔵庫であれば、せいぜい5000円を少し超えるかといった金額に収まる。




 大手の運送会社が、コスト削減を重ね、運転手にブレーキを踏むタイミングまで注意し、物流の無駄を削ぎ、可変費用を可能な限り詰めた結果でそれである。個人の運送会社ではそれに準じた料金体系とサービスの質が提供できるとは到底思えない。というより、そもそも、どう頑張ったって、ダンボール一箱あたり、250円以下の手数料では利益が出ないのがこの国の物流業界の実情である。それが、大帝国、amazonnという黒船が襲来以前の、物流業界の常識であった。アマゾンにその常識が通用しないのは、潤沢な資金力を背景とした、確かなマーケティング戦略と、この国の役人の日和見主義が原因であった。


 駆け出しの頃のととてけ運送が、独自のやり方で何とか罷り通っていたのも、どのような形であれ、大企業の傘下、下請けという形であったからである。親会社は馬頭に対して、ある種のクレーマーに対するクッション、汚れ役としての危険手当込での報酬を積んでいたのだ。


 大手自動車メーカーが、看板を守るために多少割高な前払いのリコール対策費用を上積みするようなものだ。だからこそ、本来なら利益も出ないようなモンスターコンシュマーへの配達が成り立つのである。馬頭自身、ととてけが今でも特殊な地盤の上に居ることを理解していた。




 これに対してダイモンのサービスは料金体系自体、ととてけと比べても更に一回り割高である。物部が手元の落書き帳に殴り書きしたメモによると、ダイモンは配送網自体、独自のものを敷いているようである。関東一円を網羅している事を考えると、むしろ、その料金体系でも驚異的に思えた。


 


 物部がザンバラ頭を掻きあげながら口を開く。


「どうする?とりあえず、その審査っていうのを受けてみるしかないんじゃない?」


 ともあれ、ととてけ側が料金面での比較で劣っているとも考えられない。では、やはり、サービス内容に違いがあるはずである、という結論に馬頭達は行き着いた。


 大門スタッフサービスの生の仕事ぶりを観察してみる他ない。そのためには海老原が言っていた、審査とやらにパスし、ダイモンの顧客となって配達でも集荷でも依頼するしか手は無さそうだ。




「営業所の所在地がはっきりしない以上、彼らの仕事ぶりを観察する手立ては他にないだろうしね。まさか、鞍替えした顧客の人達の所に出向いて行って、利用している所を見せてくれって頼む訳にもいくまい」


 江ノ島が眼鏡の弦を弄りながら言った。ととてけに依頼が来なくなった顧客のほとんどが、お得意様とまではいかない大手からの代理配達のモンスターコンシュマー達であった。


 確かに、ととてけへの代理配達の依頼が来なくなったモンスターコンシュマーの面々を当たっていけば、ダイモンのサービス内容は判明するかもしれない。だが、それではあまりに無神経で、尚且つ不義理である。


「よし。じゃあ、その審査員様とやらにご登場して頂くとするか」


 馬頭は無精ひげを摩る手を止め、ひとまず作戦会議を終わらせた。善は急げと、三人は昨日世話になったダイモンのオフィスに電話を掛ける。大門スタッフサービスの顧客となるためだった。




 電話に出た声は昨日の美人秘書とは違った。どうやら受付の皺くちゃな婆さんのようだ。


 ひとまず予約だけでもと思ったが、事務所の住所を伝えると、今日中でも構わないのだという。馬頭は面倒になって、じゃあそれでと本日中の約束を取り付けてしまった。それから、電話越しのしゃがれ声に礼を言い、自分のスマホの通話ボタンを切る。


「・・・事務所の名前を出して良かったのかね?一徹君個人の依頼にするか、何なら私の名義でも使った方が良かったんじゃあー」


 隣で様子を窺っていた江ノ島が心配そうにこちらを窺っている。馬頭は電話を切ってからその事に思い至った。何も、商売敵が直接、自分の所に仕事の依頼をしてくるなんて、悪意と取られたって仕方がない。


「・・・いや、大丈夫だろう。多分。そんな事、気にしてる感じじゃなかった」


 馬頭は何でも無いという風に頭を振った。電話越しの婆さんはととてけの名前を聞いても何の反応も示さなかった。昨日の二人、大門と海老原にしても、そんな事を気にする器量には見えない。そもそも、モンスターコンシュマーへの配送業務へ携わっている以上、並大抵の神経では到底持たないのだ。




 事務所に入ってくる西日が徐々に傾きかけた頃、ダイモンの審査員はやってきた。事務所の前にスバルのレガシィが横付けされるのを馬頭は窓越しに見た。レガシィのルーフは妙にデコボコしていた。排気音がやけに大きく、途端に辺りが騒々しくなる。運転手がエンジンを切ると、ようやく廃工場は元の静けさを取り戻した。




「お初にお目にかかります。大門スタッフサービスから派遣されて参りました。本日はよろしくお願いします」


 男は一人だった。てっきり何人かで押し寄せてくると周囲を見張っていた馬頭の心配はまたも杞憂に終わった。


 がっしりとした体つきの、一昔前の銀行マンに良く見られたような風体の男である。昨日訪れたダイモンの経営者に、どことなく雰囲気が似ている。


 そもそも審査とはどういう事を指すのか。2025年現在、もはや個人情報何てモノに価値があるとは誰も思っていないだろう。馬頭達からすれば、鼻からインチキ臭かった。そんな馬頭達の疑念は次の瞬間、一層深いものになった。


 今、あなた達が何に困っているのか。その審査員は開口一番、そんな事を言い放ったのである。てっきり、収入の審査や親類縁者の有無でも確認されるのかと予想していた馬頭達は、思わず肩透かしを食らった気分になる。


 馬頭達は仕方なく当初の目的である、大門スタッフサービスの秘密を知りたいと包み隠さずそのまま伝えた。一蹴されるかと思った申し出も、持ち帰って大門に訊いてみる、という答えが返ってきた。








「なんだ、じゃあ君は、御宅らの秘密を知りたいって、そのまま相手に伝えたのか?」


「仕方ねぇだろう、他に何言ったもんでも無し」


 馬頭は再び河川敷の白田を訪ねていた。何時までも通常業務をほったらかしにする訳にもいかない。ここ二、三日で溜まっていた仕事を一気に片づけていた。


「あっ、白田さん。この前はイカ、ご馳走様でした」


「お粗末様でした。・・・ところで、物部君、あれだけ食べて大丈夫だったかね?」


 本日の助手席には物部が座っている。ついでに馬頭もこの前、ダイモンに持っていった手土産の事で礼を言った。白田は、あんなモノを手土産として持って行ったのかと笑った。


「ところで、馬頭君、これ。もし良かったら」


 白田は100球ほど河川敷からボールを打ちっぱなした後、一束の書類を馬頭に寄越した。どうやら、今日の配達で届けた荷物の中に入っていたらしかった。馬頭は白田から借りているグラブを片手にそれを受け取った。パラパラと捲る馬頭の仏頂面が、少しだけ険しくなる。


「ご覧の通り、大門啓蔵とその取り巻きのプロフィールだ。昔の知り合いで、今警察庁に天下りやがった奴がいて、そのツテをちょっとね」


 馬頭が何と言ってよいのかわからず、あぁ、とか、いや、だとか要領の得ない返事しか出てこない。


「まぁ、君の事だから、その分なら大体掴めているんだろう? 相手の正体って奴を」


 どうだろう、と馬頭は思った。確かに、大門達の経歴がどんなものなのかという位は目星が付いている。あの体格に、改造乗用車である。警官だと見破ってくれと言っているのと同じだ。餃子耳じゃ内だけマシだった。柔道家の師範でも無い限り、投げられっぱなしの雑魚か、威圧感という言葉の意味を勘違いした嫌な奴である。


 柔道で、畳の上に耳を擦ってばかりいると、軟骨が腐って腫れあがり、丁度あんな感じとなる。一昔前の警官は、これ見よがしに病院の形成外科にも行かず、そのギョーザ耳を放置しておく事が多い。所謂、“男の勲章”という奴だ。


 馬鹿みたいに大排気量に改造を施したレガシィは、非常時に犯人を追いかける事にでもなった際に力負けしないための覆面パトカーだろう。もちろん、搭乗者や誰かの趣味という事もあるかもしれない。




「あぁ、だが、まだよくわからない事も残ってるよ」


 馬頭は白田から受け取った調査資料の束を捲りながら呟く。紙片には大門啓蔵のプロフィールが事細かに書かれていた。表紙には警察庁、人事ファイル、極秘扱い、という赤い版が幾つも押されている。どうやら人事データをそっくりそのまま抜き出して越させたらしい。


「それより、大丈夫か?こんな無茶させて、ばれたら、あんたの連れ、大目玉なんじゃねえのかい?」


 馬頭は流石に心配になって白田の方を見た。


「構わんさ、アイツには前貸しが山ほどある。それに、バレて本格的に不味いのは、その大門さんが現職警官だったら、の話だ。辞めた奴の事まで知ったこっちゃねぇんだろう」


 白田はカラカラと笑った。馬頭が資料に目を落とすと、確かに5年ほど前に退職、とある。例の過剰人員削減の際、無能な公務員の大半が一斉解雇になった時期だ。雇用契約に大幅な後付け法案がねじ込まれ、それまでの雇用体系は一気に形骸化した。おかげで公務員の雇用もコンビニのアルバイト並みの福利厚生と肩を並べた。


「僕もちょうどあの時に辞めたんだ。いい加減、厚労省の官僚連中の下種どもにはうんざりしてね。良い頃合いだと思ったよ。それからしばらく実家の田んぼを弄って、それにも飽きて、ここへやって来たって訳だ」


 白田はそういうとアイアンを片手に、再び川岸の方へと歩き出した。どうやらまだ打ちっぱなしを続けるつもりらしい。




 馬頭は手元の調査書をきちんと通読した。大門啓蔵は元々、本庁の刑事だった。叩き上げで捜査一課に配属された、バリバリの武闘派でもある。解決まで導いた難事件は数知れず、犯人を検挙した手柄も群を抜いていた。そこらの交番勤務や、頭でっかちのキャリアでもない、所謂、本物の刑事だ。


 それが何故か、5年前の一斉解雇の際に依願退職している。本人自身は本庁から慰留を求められた、と白田の資料にはあった。




 どうにも解せない。と馬頭は思った。この国の犯罪検挙率は未だに低飛行を続けている。精々、20%を超えれば御の字という具合だ。それも、被害届を極力、被害者に書かせないように誘導し、軽犯罪の現行犯での摘発に力を入れた結果がそれだ。殺人、放火等の量刑が重い犯罪の検挙率は、もはや三割を切っているのではないか、ともっぱらの噂である。21世紀初頭まで、50%を超えていたのが夢のようであった。今や比較検討することも敵わない。警察庁が、予算削減という理由で統計データを開示する事すら止めたからである。




 こんな状勢である。その気になれば、“犯人”何て、何処にでもいるのだ。それこそ、石を投げれば当たるだろう。そんな中で大門のような男が警察を辞めるだろうか。むしろ、検挙数や手柄を立てて、キャリア組を追い抜くチャンスなのではなかろうか。




 疑問はまだ残った。海老原有価の存在である。彼女からは警察関係者独特の雰囲気を感じなかったからだ。もちろん、契約社員という事で臨時に雇われている可能性もある。だが、大門と海老原が話している時の雰囲気からは、ある程度以上の深い関係であるように思われた。人材派遣と銘打っているからには、何も警察関係者だけとも限らないであろう。海老原のような社員がダイモンとどう関わっているかが気になる。


 結果を残した警察官の職を投げ打ってまで、モンスターコンシュマーへの配送業務を始めるような男である。馬頭が言うのもなんだが、相当な変人だ。そんな大門に雇われている人間が、単に金で雇っているだけの人材だとは思えなかった。




「おーい、馬頭君。後もうちょっとだけ付き合ってくれや」


 川岸から白田が呼んでいる。馬頭はあれこれ考えるのを止めた。あの審査とやらを元に、どんな返事をしてくるのか興味深かったが、何れにしても、今はダイモンからのアプローチを待つ他ない。下手の考え休むに似たりだと、馬頭はダイモンの事を頭の隅に追いやった。


「ねぇ、白田さん。いつも気になってんだけど、このゴルフボール、一杯あるけどどうしてんの?買ってんの?」


 物部が砂利にしゃがみ込んで、白田のスイングを隣から眺めている。特に面白くもないけれど、見ていてつまらなくもないという顔だ。


「んー、まぁスポーツ用品店で購入する事もあるがね。そんな事しなくても、この河川敷には色んなものが流れ着く。特に買う必要もなかったりするんだ」


 そういって近くに落ちていたゴルフボールを無造作に拾い上げて見せる。白田は面白そうに笑った。


「なんだ、じゃあ、これみんな不法投棄の産物って訳かい?」


 馬頭も、この河川敷から無尽蔵に湧き出でるゴルフボールの正体が前から気になっていた。そういえば、前、江ノ島に、マヨネーズの瓶の話し、というのをして貰った事がある。人生を、一瓶の、空のマヨネーズの瓶に見立てた時、優先的に入れるべきは何か、という話しだ。


「あぁ、誰も気にや留めないんだ。一球でも、結構するのにね。其処かしこに打ち捨てられてる。川から流れてきたのか、橋から捨てたのか分からんがね。それより、馬頭君、ちょっと手伝ってくれないか? ハエどもを追っ払いたいんだ」


 白田はそういってアイアンのヘッドを欄干に向けた。見ると中高生位の若者が屯している。誰かが指を差してこちらを笑うのが分かった。連中の誰かが投げた空き缶が河川敷のはるか向こうで落ちる音がした。


 マヨネーズの瓶に入れるモノは、順に、ゴルフボール、小石、それから、砂、大きくて、それを象徴する、大事なモノから入れるのが鉄則である。そうでなければ、瓶の中が、つまらないモノで溢れて、大事なモノが入らなくなってしまう、という教訓が多分にその話しには含まれているように感じた。ゴルフボールとは、信念や、正義感、あるいは家族といった一番大事なモノ。小石が、友人や、才能、資質、知性といった二番目に大事なモノ。砂が、学歴や交友関係、或いは、知識といった、其の次に大事なモノである。それらが、絶妙なバランスで、隙間無く、人生という瓶の中に詰め込まれた後、取るに足らない、土くれやら、埃が、その間を埋めて行くのだそうだ。それは、乗っている車の値段なのかもしれないし、カルバン・クラインが泣いて喜ぶような、フリルの付いた高級下着なのかもしれない。まぁ、この辺は、はっきり言って馬頭の主義主張である。江ノ島が言いたかったのは、些末な物欲に支配されてはいけないという事だろう。




「ほっとくと図に乗り出すからな、加勢してくれ」


「あいよ」


 馬頭が頷いた次の瞬間、橋げたの欄干の一部が爆発した。ガキン、という耳障りな金属音が二人の位置まで響く。先程のゴロツキ連中のすぐ真横だ。白田の一撃だった。宙に投げたゴルフボールをあの欄干目掛けて打ち込んだのである。それも300メーターはあろうかという距離を、4番のアイアンで、だ。


 相手は腰が抜けているようであった。余りの出来事に理解が追いついていないのかもしれない。いずれにせよ馬頭達にとっては良い的だった。


「まったく、どうしてあんな連中が湧くのかね、ここいらの治安もあんまり良いって聞かねえし。あんたもそろそろ転居考えた方が良いんじゃないか?引っ越すなら手伝うぜ、大門の調査書の一件で借りもあるし、よっ!」


 今度は橋げたの鉄塔部分に着弾した。馬頭が打ち込んだボールだ。流石に白田程上手くはゆかない。




 果たして、この河川敷には、いくつ、ゴルフボールが漂着しているのだろう。この国の国民達にとって、それは、余程、要らないモノとみえた。それこそ、生活排水並みに。


 江ノ島は最後に、珈琲を一杯注いでくれて、その話しをこう締めくくった。どれだけ、人生に、隙間が無いように見えても、一杯の珈琲を互いに飲みやって、つまらない、ダニや埃が入ってこないようにする事は出来る。そして、お神酒が如く、自分が飲みさしの珈琲をその瓶に注いでみせた。要は、そんな、お互いに尊敬出来る、友人を持つ事が大事なのだろう。まぁ、今、自分が追い払おうとしている連中には、一生、縁の無い話なのかもしれない。先の寓話に参照してみれば、ダニか、埃の部類に該当するのだろう。そんなのに遠慮容赦する事は、はっきり言って、ない。


「いや、構わんよ。これで結構、ここでの暮らしが気に入ってるんだ。こうして憂さも、晴らせるしっ、ねっ!」


 白田のショットは完ぺきだった。どうやらゴロツキ連中の一人に当たったようである。情けない悲鳴が河川敷に木霊す。そうしてようやく連中は塵尻に逃げ出した。馬頭達はそんな連中の背中に向かって、しばらくの間追撃弾を加え続けた。








 馬頭が白田からダイモンの調査資料を受け取ってから数日が経ったある日、ダイモンからととてけ宛てに連絡が届いた。馬頭と江ノ島が配送から戻ると、物部が事務所のメールボックスを開いて見せてくれた。


 メールには、審査は合格である事、それから追記として、仕事内容について訊きたい事があれば、何時でもオフィスビルを訪ねてきてくれて構わない、という旨が書かれていた。




「・・・・」


「・・・・」


「・・・ちょっと二人とも、何か反応してよ」


 馬頭達はそれぞれ顔を見合わせた。ダイモンの真意が分からなかったからである。


 誰だって痛くもない腹を探られたくはないはずだ。まして、痛い腹ならなおさらだ。それとも、今度こそ訪ねていけばハチの巣にされるのだろうか。




 そんな事を考えつつも、馬頭達はそのサービスを利用してみる事にした。


 試しに、日頃お世話になっているモンスターコンシュマーの面々に贈答品でも送ってみる事にする。中身は物部の株式優待と江ノ島のお手製の燻製である。仮に何が起こったとしても、一番に火の粉を被るのはダイモンの会社の人間だ。それに、接客態度に厳しい彼等の反応を見て、サービスの質を検証する事も出来ると思っての試みだった。




 いざ集荷を依頼してみると、始めに事務所にやってきた角刈りの銀行員風の男と似たような風体の配達員がやってきた。スーツを着ており、一見して運送会社の現場の人間には見えない。かといって、その受け答えに問題が有る訳でもなかった。むしろ、治安やモラルが吹き飛んだ2025年現在の基準からすれば破格と言って良い位だ。送り付けた顧客の面々の反応を見ても、評判は上々のようである。初見のモンスターコンシュマー相手にトラブルを起こさなかったという事は、かなり真面な商売をしていると判断するしかなかった。




「どうする、いよいよ手詰まりだ。お二人さん。ダイモンがどうやってウチの顧客を引き抜いてんのか、わからねえ」


 馬頭は乱雑に後ろに撫で付けられたオールバックをポリポリと掻いた。事務所のリビングに三人で集まり、ダイモンの事で作戦会議を開くのはこれで3度目だ。馬頭達がダイモンのオフィスに出向いてから一週間が経とうとしていた。


「そうだね。特にサービス内容で、ととてけが大きく劣っているとは考え辛い。料金設定からすればそう考える他ない。従業員の質も、この前見た限りじゃ、顧客を脅して、無理やり鞍替えさせているって訳ではなさそうだ。そもそも、大門啓蔵は優秀な警察官だったんだろう?そんなに阿漕な真似はしないように思えるがね」


 江ノ島が顎を摩りながら小難しい顔をしている。反対の手にはコーヒーのマグカップが握られていた。


「じゃあ、どうする?いっその事、投げ出しちゃう?お客さん、なんで減ったかわかんないし、これからだって減り続けるかもしれないけど」


 物部が馬頭達とは反対側のソファに腰掛け、チュッパチャプスをカラカラやっていた。


 そうだ、当面の生活費だ、と三人は同時に同じ事に思い至った。物部と江ノ島の二人は従来通り公共料金を垂れ流すだろう。物部は一日中インターネットに繋がっていないと気が済まないし、江ノ島は事務所の一階の浴場で、二、三日に一度は湯を出しっぱなしにして小一時間は楽しむ湯浴みを止めやしない。馬頭も馬頭で、旧式のジープ並に燃費の悪い、喫煙習慣のせいで出費が嵩んでいた。確かにこの調子で行けば、事務所のネットバンクの預金はいつまでも安泰であるとは言えなかった。支出を削減できない以上、収入を元に戻すしかない。


「・・・馬頭さん、私、やっぱり、おせち食べたいなぁ・・・」


「・・・私も、年甲斐無く雑煮が喰いたいよ。・・・なぁ一徹君」


 このままでは年が越せない、という物部と馬頭の顔が、馬頭の方に向けられる。恐らく自分も似たような顔をしているのだろう、馬頭はそんな事を思った。それから、膝を叩いて立ち上がる。


「ーよし、わかった。任せろ。明日、ダイモンの所へもう一度行くぞ。それで白黒つけようじゃねえか」




 ダイモンが何か裏で糸を引いているのであれば、話を付けて仕事を取り返す。逆に何ら後ろめたい事をしていないのであれば、ととてけも観念して新規事業の開拓にでも勤しむしかあるまい。馬頭はそう決意を固めた。





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