↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/15

第八話 もう一度

 目を覚ましたとき、隣に、白銀の頭があった。


 まだ眠っている。長い睫毛が、頬に影を落としている。胸が、規則的に上下している。


 カリルは、その頬に手を伸ばした。


 温かかった。


「……博士、何時ですか」

「……朝だよ。まだ、寝ていいよ」

「博士、目、赤いです」

「……夢、見ちゃってさ」

「悪い夢、でしたか」

「うん。すごく、悪い夢」


 寝起きの掠れた声で、フィルウが、こちらの頬に手を伸ばしてきた。


「大丈夫ですよ」

「……うん」

「僕、ここにいます」


 カリルは、その体を抱き寄せた。

 強く、強く、抱きしめた。


「博士、苦しいです」

「ごめん」

「今朝、本当に変ですよ」

「うん。変なの、ごめん」


 窓の外で、朝の光が、ゆっくり強くなっていった。


 その回、彼は、フィルウを一度も外に出さなかった。


 行脚の三件は、すべてカリルが一人で回った。心臓の専門医を呼び、治療を最優先にし、徹夜を許さず、食事の時間を決めた。政府との接触も、全部引き受けた。


「博士、何か知ってますよね」

「……知らないよ」

「博士、嘘、下手ですよね」

「……ごめん」

「いいです。話したくなったら、話してください」


 フィルウの顔色は、よくなっていった。不整脈の頻度が減った。笑うことが増えた。


 四ヶ月後の、あの火曜の夜が、何事もなく過ぎた。


 その夜、カリルは、彼を抱きしめて眠った。


 勝った、と思った。


 半年後、フィルウは、地下の作業部屋で倒れた。


 救急車は、間に合わなかった。


「博士……ごめんなさい……」

「謝らないで、お願いだから」

「今朝、コーヒー、淹れて、おいた、ので……」

「……うん」

「冷めちゃい、ますね……また……」


 治療が間に合わなかったわけではない。治療は効いていた。

 ただ、彼の心臓は、カリルが思っていたよりも、ずっと限界に近かった。二十年以上の蓄積を、四ヶ月でひっくり返すのは、無理だった。


 彼は、撃たれずに死んだ。

 左胸に銃弾を受けることは、なかった。代わりに、その左胸の心臓が、自分で止まった。


 カリルは、地下に降りた。


 今度は、迷わなかった。



 次は、治療をもっと早く始めた。


 九年前の、あの冬の朝の直後から。「五十年、持ちません」と告げられた、その翌週から、強引に医者を呼んだ。


「博士、なんで、僕の心臓のこと、最初から知ってるんですか」

「勘だよ」


 九年かけて、彼の心臓は、初めて健康になった。九十歳まで生きられる、と医者は言った。


 その回、フィルウは、別の理由で死んだ。


 行脚の途中、面会先のビルの階段で、足を滑らせた。頭を打った。二日後に死んだ。



 次は、階段のある建物での面会を、すべて断った。


 その回は、宿泊先のホテルで火災が起きた。



 次は、ホテルを変えた。


 その回は、移動中の列車が事故を起こした。



 次は、列車をやめて車にした。


 その回は、対向車が来た。



 カリルは、少しずつ、わかってきた。


 潰した原因の隣に、必ず、別の原因が現れる。心臓が駄目なら、頭が。頭が駄目なら、肺が。肺が駄目なら、誰かが外から。


 フィルウ・ブランシャールという人間は、もう、生きる軌道から外れている。


 何度観測しなおしても、その軌道は、必ず同じ場所に戻ってくる。



 二十一回目に、彼は、フィルウを研究から引退させた。


 銀嵐の研究を全部引き受けて、彼を南の海辺の家に連れていった。毎日、海を見せて、ご飯を食べさせて、眠らせた。


 最初の三ヶ月、フィルウは、本当に嬉しそうだった。


「博士、こんなにのんびりするの、初めてです」

「うん」

「こんな贅沢、いいんでしょうか」

「うん。ずっと、こうしよう」


 半年後、彼は、ベランダで言った。


「博士。僕、計算がしたいです」

「……」

「博士の隣で、計算が、したいです」

「フィルウ」

「わかってますよね。僕、計算しないと、死んでしまうんです」

「……」

「観測しない僕は、もう、僕じゃないんです」


 その夜、彼は、海を見ながら、カリルの隣で息を引き取った。


 医者は、心不全と書いた。

 カリルは、違う診断を持っていた。


 僕が、殺した。

 僕の優しさが、殺した。



 三十四回目に、彼は、好きなだけ計算をさせた。


 対外的なことは全部引き受けて、彼を地下に置いた。フィルウは、毎日、幸せそうに計算をしていた。


 その回、火事が起きた。


 原因は、彼の机の上のコーヒーカップだった。飲みかけのまま置いていく、あの癖。カップが傾いて、こぼれて、電気スタンドのコンセントがショートした。


 フィルウは、カリルに応急処置をしているあいだに、煙を吸いすぎた。

 二日後に、病院で死んだ。


 なんで、君の癖まで、君を殺すんだ。



 四十回を超えたあたりから、記憶が混ざるようになった。


 三回目の彼の最後の言葉と、十七回目の彼の最後の言葉が、頭の中で混ざる。二十一回目のベランダと、四十回目の研究室が、混ざる。


 どの回に何が起きたのか、順番が、わからなくなってきた。


 ただ、ひとつだけ、混ざらないものがあった。


 どのループでも、彼の最後の言葉は、同じだった。


「博士、愛しています」

「博士の隣で、目覚める朝が、僕の、人生で、一番──」


 その先は、いつも、言い終わらないまま、行ってしまう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。