第9話 チケット争奪戦
翌朝、スラムの入り口は前代未聞の異常な熱気に包まれていた。
普段なら王都の一般市民が絶対に近づかない、生ゴミと泥水の臭いが立ち込める路地裏。そこに、大通りまで続く何百人もの長蛇の列ができていたのだ。
「おい、押すな!列を乱す奴には売らねぇぞ!」
「早くしろ!俺は昨日の夜から並んでるんだ!」
「銀貨ならここにある!だから頼む、あのユリウスがリングに上がる試合のチケットをくれ!」
ガルドの部下たちが汗だくになりながら、殺気立つ群衆を押し留めている。
広場でのゲリラ上映——リリが放った『煽りV』という精神魔法の効果は、俺の予想を遥かに超えていた。鬱憤を溜め込んでいた市民にとって、「一級冒険者がスラムの泥仕合に引きずり下ろされる」という下克上の構図は、何にも代えがたい極上のエンターテインメントとして機能したのだ。
◆◆◆
「……どうなってやがる、ショウ」
アジトの奥、ガルドの執務室。
スラムのドンであるはずの巨大な男は、葉巻に火をつけることすら忘れ、アンティークのデスクの上に積み上げられた『山』を呆然と見つめていた。
銀貨、銀貨、そして眩い光を放つ金貨の山である。
「王都の広場でちょっとした『プロモーション』を打った結果さ。言っただろ、チケットの値段を予定の三倍に吊り上げろって」
俺はソファに深く腰掛けながら、肩をすくめた。
「三倍だぞ!?銀貨三枚なんて、平民の半月分の生活費だぞ!それが飛ぶように売れていく。おまけに……」
ガルドが震える指で、ひときわ大きな金貨の山を指差した。
「今日の昼前、王都の貴族の使いと名乗る連中まで来やがった。『主人が安全に見物できる特等席を用意しろ』だと。お前の指示通り、金貨十枚をふっかけたが、奴ら顔色一つ変えずに払い上がったぞ」
「当然だ。金持ちってのは『自分だけが安全な高みから、下民が血みどろになって這い蹲る姿を見下ろす』ってシチュエーションが大好物だからな」
俺はニヤリと笑う。
「闘技場の二階に、スラムの悪臭も血飛沫も届かないガラス張りのVIP席を作れ。ふかふかの椅子と極上のワインを用意するんだ。あいつらは『特権』を見せつけるためなら、いくらでも金を払う」
「……お前、本当に恐ろしい男だな」
ガルドが深い深呼吸をして、ようやく葉巻に火をつけた。
「デスマッチの興行を半年続けても、これほどの利益は出ねぇ。しかもまだ、一滴の血も流れていない。試合をやる前に、こんな山のような金貨が手に入るなんて……」
「これが『期待感』を売るビジネスさ。客は試合そのものじゃなく、『もしかしたら歴史的な瞬間……今回だと、ユリウスの敗北が見られるかもしれない』という興奮に対して金を前払いしてるんだよ」
俺は立ち上がり、執務室の窓から外を見下ろした。
地下闘技場へと続く通路には、入場を待ちきれない観客たちの熱気が陽炎のように立ち上っている。
その熱気は、出場する選手たちにも確実に伝染していた。
地下の控室。簡易的な仕切りで区切られた空間で、荒くれ者たちの様子は昨日までの「死んだような目」とは打って変わっていた。
「ヒャハ……おいおい、マジかよ。外の連中、全員オイラたちの喧嘩を見るために並んでるのか?」
ゴブリンのジジが、小さな隙間から外の様子を覗き込んで、武者震いとも恐怖ともつかない震えを漏らしている。
「あぁ。お前らはもう、ただの薄汚いチンピラじゃない。数千人の観客の視線を独り占めする『スター』だ」
俺が控室に入っていくと、全員の視線がこちらに集まった。
「いいか?ゴングが鳴る前、リングに向かって歩く時から勝負は始まってる。胸を張れ。観客のヤジには睨み返してやれ。お前らがこれから見せる1分間は、金貨の山よりも価値があるんだ」
ひな壇の頂点に座っていたレオンが、黙って立ち上がった。
手には、ボロボロだった剣ではなく、分厚いバンテージが巻かれた己の『拳』が握られている。その瞳には、かつての虚無感は消え去り、静かで、しかし確かな闘志が宿っていた。
「……ショウと言ったな」
レオンが低く通る声で俺を呼んだ。
「あのユリウスは、俺がやる。他の誰にも譲らん。あいつの顔面を殴り砕き、もう一度俺が……」
「ダメだ」
俺はレオンの言葉を冷酷に遮った。
「な、なぜだ!?」
「あんたは『元・王属騎士団』という最高のブランドだ。メインイベントのメインディッシュに決まってる。だが、一番最初にあいつの前に立つのは、あんたじゃない」
俺は控室の隅にいた、ある男を指差した。
「……おい。昨日、一番最初にブチギレて乱闘を起こした、火傷ヅラのあんただ」
「お、俺か?」
「そうだ。第一試合、ユリウスに挑む一番槍はお前だ。1分間、死ぬ気で特攻してこい」
レオンのような強者を最初からぶつけては、物語がすぐに終わってしまう。
まずは「無名のスラムのゴミ」が絶対王者に挑み、そして残酷に散る姿を見せる。それが、メインイベントの熱狂をさらに何倍にも跳ね上げるための『計算された生贄』の役割だ。
完璧な布陣。金も集まった。客も限界まで仕上がっている。
あとは第一回大会のゴングを鳴らすだけ──。
ドンッ!!
その時、執務室の扉が乱暴に蹴り開けられた。
飛び込んできたのは、ガルドの部下の一人だ。顔面を蒼白にさせ、肩で激しく息をしている。
「ボ、ボス!ショウさん!大変です!」
「どうした、チケットを巡って客同士の暴動でも起きたか?」
俺が冷静に尋ねると、部下は首を横に激しく振った。
「違います!王都から……『聖騎士団』の連中が、完全武装でこっちに向かってきてます!王都の治安を乱す不法な集会だとして、興行を強行突破で中止させる気です!」
執務室の空気が、一瞬にして凍りついた。
聖騎士団。冒険者ギルドとは比較にならない、国家の公的な『暴力装置』の介入。
ガルドが舌打ちをし、壁に立てかけてあった巨大な戦斧を手に取る。
「チッ……上級貴族に手を回して黙らせていたはずだが、上が動きやがったか。ショウ、興行は延期だ。奴らと真正面からやり合えば、スラムごと火の海になる」
「いや、延期はしない」
俺はガルドの巨大な腕を制止した。
「客から前金をもらっておいて『お上が来たから逃げます』なんて、プロデューサーの風上にも置けない三流のやることだ」
「正気か!?相手は国が認めた騎士団だぞ!魔法も結界も関係ねぇ、ただの数の暴力で蹂躙される!」
「問題ない。エンタメの力で、国家権力ごと黙らせてやる」
俺は首をポキリと鳴らし、一人で執務室を出た。
待ち構えるのは、剣と魔法の世界における絶対的なルール。
だが、盤面を支配するのは、いつだって『狂気じみた熱狂』を生み出せる側の人間だ。











