第10話 騎士団の介入
地下闘技場へと続く大通りは、一触即発の空気に包まれていた。
「通せ!」
「金なら払ったんだぞ!」
怒号を上げる数千の群衆。その大波を堰き止めているのは、白銀の全身鎧に身を包み、大盾と長槍を構えた数十名の部隊──王都の治安維持を担う『聖騎士団』だった。
「静まれ、愚民ども!!」
部隊の先頭に立つ、一際立派なマントを羽織った初老の騎士──騎士団長が、魔力で拡張した声を響かせた。
「この先で行われようとしている見世物は、王国の認可を得ていない違法な闇興行である!さらに、一級冒険者に対する名誉毀損および、スラムの暴動を煽動した罪により、主催者を拘束する!これ以上騒ぐ者は、国家への反逆とみなし容赦はせん!!」
騎士たちが一斉に槍の穂先を群衆に向ける。
チャキッ、という冷たい金属音が響き、最前列にいた市民たちが恐怖で顔を引き攣らせて一歩後ずさった。
圧倒的な国家権力。スラムのチンピラや一般市民が逆らえる相手ではない。群衆の熱気が、急速に恐怖と落胆へと変わりかけたその時だった。
「……ずいぶんと物騒な『客引き』だな。騎士団長殿」
俺は群衆をかき分け、最前線へと歩み出た。
武器は持っていない。魔法のオーラもない。ただの薄着の男が、完全武装の騎士団長の目の前に立ち塞がる。
「貴様が主催者か」
騎士団長が俺を鋭く睨みつけ、その首筋にスッと長剣の切っ先を突きつけた。
「随分と若いな。貴様がどうやってガルドをそそのかしたのかは知らんが、お遊びはここまでだ。大人しく縛につけ」
首筋に触れる冷たい鋼の感触。少しでも動けば頸動脈が裂ける。
だが、俺は両手をポケットに突っ込んだまま、首を傾げて薄く笑った。
「お遊び?冗談キツイぜ、おっさん。俺たちは大真面目に『王都の治安維持』に協力してやってるんだ」
「……狂人め。スラムの底辺どもを集め、法を無視した殺し合いをさせることが治安維持だと?」
「あぁ、そうだ」
俺は首筋の剣から目を逸らし、背後にいる数千の群衆を親指で指し示した。
「よく見てみろよ。ここに並んでる連中の顔を。スラムのネズミだけじゃない。王都の商人、職人、下働きのメイド……あんたらの国に税金を納めてる『真っ当な市民』が半分以上だぞ」
騎士団長が眉をひそめ、群衆を見る。確かに、粗末な服を着たスラムの住人に混じって、王都の一般市民が多数紛れ込んでいる。
「こいつらはな、毎日毎日、貴族や高位の冒険者に頭を下げ、理不尽に耐えて、鬱憤を限界まで溜め込んでるんだ。そんな連中が今、財布の底をはたいてチケットを買い、『偉そうな一級冒険者がスラムのリングに引きずり下ろされる姿』を見るためだけに、ここで熱狂している」
俺は一歩前へ踏み出した。首筋の皮膚が薄く切れ、一筋の血が流れるが、構わず騎士団長の顔に顔を近づける。
「いいか?今のこいつらはただの『観客』だ。だが、もしあんたが武力でこの興行を潰したらどうなる?行き場を失った数千人分の巨大なストレスと熱狂は、どこへ向かう?」
「……ッ」
「暴動だよ。それも、スラムのチンピラだけじゃない。一般市民まで巻き込んだ、王都の歴史に残る大暴動だ。あんたたち聖騎士団の数十人で、あの怒り狂った数千人を『一人も殺さずに』鎮圧できるか?」
騎士団長の顔色が変わった。
剣を握る彼の手が、わずかに揺れる。
彼ら聖騎士団は正義の集団だ。悪党を斬ることはできても、ただ見世物を楽しみにきただけの無抵抗な市民を虐殺することは絶対にできない。
「……貴様、市民を人質に取る気か!」
「人質じゃない。俺は『ガス抜き』の装置を用意してやったと言ってるんだ」
俺は突きつけられた長剣の腹を、指先でゆっくりと横に退けた。
「俺の興行で、観客に腹の底から声を上げさせ、ヤジを飛ばさせ、日常の鬱憤をすべて吐き出させてやる。そうすりゃ、明日からあいつらはまた大人しく、あんたらの国のために真面目に働くよ。俺たちは『必要悪』ってやつさ」
騎士団長は沈黙した。
為政者として、俺の言葉の「政治的な正しさ」を理解してしまったのだ。ここで無理に鎮圧すれば、取り返しのつかない大惨事になる。
「……だが、法は法だ。許可のないデスマッチなど、断じて見過ごすわけにはいかん」
反論のトーンが下がった。交渉のタイミングだ。
俺は肩をすくめ、あえて明るい声を出した。
「誰がデスマッチをやるって言った?うちの興行は『絶対に誰も死なない』のがウリだ」
「なんだと?」
「ルールは1分間。致死性の高い詠唱魔法は結界で禁止。そして、裏には国で一番優秀な医療魔法使いを待機させている。……これは殺し合いじゃない。ちょっとばかり過激な『肉体派の演劇』だよ」
俺は騎士団長の耳元に顔を寄せ、悪魔の囁きを落とした。
「もし一人でも死者が出たら、俺の首を刎ねて構わない。だから今日は『違法なデスマッチの摘発』じゃなく、『大規模な演劇の安全管理』って名目で、闘技場の中に入って特等席で見物していけよ。騎士団の顔も立つし、暴動も起きない。完璧なシナリオだろ?」
長い沈黙が降りた。
騎士団長は背後の群衆のギラついた目と、俺の余裕の笑みを交互に見比べ──やがて、深く、重い溜息をつき、長剣を鞘に収めた。
「……全隊、武器を引け!!」
「だ、団長!?」
「方針を変更する。これより我々は、この『演劇』において死者が出ないか、および暴動が起きないかの監視・警備にあたる。道を空けろ!!」
騎士たちが戸惑いながらも両脇に退き、地下闘技場への巨大な道が開かれた。
「うおおおおおおおおっ!!」
「道が開いたぞ!!さぁ、中に入れぇっ!!」
歓喜を爆発させた群衆が、怒涛の勢いで地下闘技場へと雪崩れ込んでいく。
「……貴様の名前は?」
すれ違いざま、騎士団長が忌々しそうに尋ねてきた。
「ショウ。ただのエンタメ好きのプロデューサーさ」
「覚えておく。もしお前の言葉に一つでも嘘があれば、その時は必ず貴様を斬る」
「ご心配なく。客を騙すのはプロの仕事だが……約束は守る主義なんでね」
国家の暴力装置すらも、俺の書いた台本に組み込まれた。
外の障害はすべて消え去った。
俺は踵を返し、地響きのような歓声が渦巻く地下闘技場へと、ゆっくりと歩みを進めた。
さあ、役者は揃った。
世界最大の熱狂のゴングを鳴らそう。











