第11話 戦いの流儀
ズズン、ズズン、ズズン……
地下闘技場の薄暗い控室に、頭上の天井から地響きのような音が絶え間なく降り注いでいた。
数千人の観客が闘技場のすり鉢状の観客席を埋め尽くし、足を踏み鳴らし、まだ見ぬ流血と暴力への期待に飢えた声を上げているのだ。
さらに、VIP席には金に糸目をつけない貴族たちが陣取り、出入り口や通路の要所には、白銀の鎧を着た聖騎士団が『警備』として目を光らせている。
スラムの底辺で行われる違法スレスレの闇興行が、たった数日で王都全土を巻き込む巨大な『熱狂の渦』へと変貌していた。
「……おいおい、マジかよ。上が落ちてきそうだぜ」
ゴブリンのジジが、震える両腕を抱え込みながら天井を見上げた。
「俺たち、本当にあそこに出ていくのか?もし無様な負け方をしたら、客に石を投げられて殺されるんじゃねぇか……?」
顔に火傷の痕がある男も、顔面を蒼白にしてうわ言のように呟いている。
無理もない。昨日までその日暮らしのチンピラだった彼らにとって、数千人の悪意と熱狂が渦巻くリングは、処刑台よりも恐ろしい場所に思えるだろう。
ギィッ、と重い鉄扉が開き、俺はガルドと共に控室へ足を踏み入れた。
全員の視線が、すがるように俺へ集中する。
「お前ら、いいツラになってきたな。極限の恐怖と緊張……リングに上がる前の最高のスパイスだ」
俺は部屋の中央に立ち、三十人の出場者全員をゆっくりと見回した。
「外の音を聞いたか。あれがお前らに前金を払った連中の声だ。お前らは今日から、スラムの掃き溜めにいるネズミじゃない。数千人の感情を支配する、誇り高き『演者』だ」
俺の声が響くと、参加者たちの震えが少しだけ収まった。
彼らに必要なのは、慰めではない。明確なルールと、ベクトルの提示だ。
「ルールの最終確認をする。リングの四隅には、リリが調整した『魔力制限結界』の魔道具を埋め込んである。遠距離魔法はすべて不発になり、詠唱魔法は霧散する。使えるのは、己の肉体を強化する魔法だけだ」
「相手がどんな手を使おうが、頼れるのは己の拳と足、そしてインファイトの胆力のみ。魔法チートは一切通用しない」
俺はガルドの隣に控えていた、白衣を着た数人の男女を指差した。
「そして、あいつらがガルドが金に物を言わせて集めた、国で一番腕の立つ医療魔法使いのチームだ。試合が終わった瞬間、あるいは俺が『これ以上は危険だ』と判断してゴングを鳴らした瞬間、こいつらが飛び込んでお前らの傷を塞ぐ」
俺は表情を引き締め、かつてないほど低く、重い声で全員に告げた。
「だから……絶対に死ぬな」
控室の空気が、ピンと張り詰める。
「1分間、持てるすべての殺意と暴力を相手にぶつけろ。だが、トドメは絶対に刺すな。そして何があっても、生きてリングを降りろ」
俺の脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
大歓声の中、リングのマットに沈んだ対戦相手。そして、試合直後に控室で血を吐き、冷たくなっていった自分自身の姿。
ガチの殺し合いは、一瞬の極上のカタルシスを生むが、その後に残るのは虚無と後悔だけだ。死んでしまえば、次のチケットは売れない。死んでしまえば、負けた悔しさを晴らすこともできない。
「いいか、よく聞け。お前らが恐れているのは『負けること』だろ?無様に這い蹲って、客に笑われるのが怖いんだろ?」
「……だが安心しろ」
俺は口角を上げ、極上の悪魔の笑みを浮かべた。
「負けた奴には、負けたなりの最高の物語を俺が書いてやる」
「……物語、だと?」
ひな壇の頂点に座るはずだった元騎士のレオンが、鋭い視線を向けてくる。
「あぁ。リングの上で無様に負け、どん底まで落ちた男が、泥水をすすって這い上がり、再び仇敵の前に立つ。……客ってのはな、強者が勝ち続ける姿よりも、敗者が復讐を誓って這い上がる姿に、一番涙を流して熱狂する生き物なんだ」
俺の言葉が、参加者たちの胸の奥に真っ直ぐに突き刺さっていくのがわかった。
「だから負けを恐れるな。死なない限り、お前らは何度でもリングに戻ってこれる。俺が必ず再起させて、客から絞り取った金貨の山を山分けにしてやる。俺を信じて、思い切り散ってこい」
沈黙。
だが、先ほどまでの「恐怖に震える沈黙」ではない。
それは、腹の底から湧き上がる闘志を、必死に抑え込もうとする「獣たちの沈黙」だった。
「……ヒャハ!言ってくれるぜ、プロデューサーさんよ」
ジジが口の端を歪めて笑い、自身の頬をバチンと叩いた。
「負けてもいいなら、オイラは1分間、ひたすら逃げ回って相手を煽り倒してやるぜ!」
「やってやろうじゃねぇか……!俺の拳で、あの偉そうなユリウスの顔面をぶん殴ってやる!」
火傷の男も、先ほどの蒼白な顔が嘘のように、極限の興奮状態で拳を打ち合わせていた。
ただの使い捨てのコマだったスラムのゴミどもが、俺の『演出』と『安全網』によって、死を恐れぬ無敵のエンターテイナーへと変貌した瞬間だった。
「よし、時間が来た」
天井からの歓声が、一段と大きくなる。
オープニングの煽りVの上映が終わったのだ。
「第一試合。相手は一級冒険者、ユリウス。……一番槍、行けるな?」
俺が声をかけると、火傷の男が深く頷き、鉄扉へと歩みを進めた。
「行ってくるぜ、ショウさん。……俺の1分間、しっかり見ててくれよ」
男の背中を見送りながら、俺は通信用の魔石に触れた。
「リリ、準備はいいか。客の感情を限界まで揺さぶれ。第一回バトル倶楽部……開幕だ」
異世界最大の熱狂の夜が、ついに火蓋を切った。











