第12話 バトル倶楽部、開幕
地下闘技場の照明が、一斉にフッと落ちた。
数千人のざわめきが、一瞬だけ暗闇と静寂に飲み込まれる。
直後。
ドゴォォォォンッ!!
腹の底を突き上げるような重低音が響き、闘技場の中央──砂が敷かれたリングの四隅から、真紅の炎が天高く噴き上がった。
「うおおおおっ!?」
「な、なんだ!?」
観客がどよめく中、炎の明かりに照らされて、空中を浮遊する複数の『記録石』が青白い光を放ち始める。
リリの演出だ。光魔法と風魔法を応用した、異世界初の『レーザー照明』と『スモーク』がリングを劇的に彩り、壁面に設置された巨大な記録石のスクリーンに、一つの影が映し出された。
「ようこそ、王都の退屈しきった皆様!!」
俺は魔力で拡張した声を闘技場全体に轟かせながら、リングの中央へと歩み出た。
スポットライトのように一筋の光が俺を照らし出す。
「今夜、お前らの常識はすべて覆る!魔法の詠唱?騎士の礼儀?そんな綺麗事は便所にでも流してこい!ここにあるのは、たった『1分間』の剥き出しの暴力だけだ!!」
「うおおおおおおおおっ!!」
俺の煽りに、すり鉢状の観客席から地鳴りのような歓声が爆発した。
VIP席に座る貴族たちでさえ、身を乗り出して目を輝かせている。警備の聖騎士たちも、あまりの熱気に圧倒されて言葉を失っていた。
「さあ、歴史の目撃者になる準備はいいか!第一試合……入場ッ!!」
俺が天を指差すと、重厚な入場曲が鳴り響いた。
「スラムの掃き溜めから這い上がった、復讐の業火!……『火傷面の特攻野郎』、ザック!!」
赤と黒の照明が交錯する中、ゲートから火傷の男──ザックが現れた。
普段なら平民にすら道を譲るスラムのチンピラが、今は数千人の視線を一身に浴びながら、肩で風を切ってリングへと歩を進めている。その顔には恐怖はなく、あるのはただ「やってやる」という決死の覚悟だけだ。
スクリーンには、リリが編集したザックの『怒りの表情』のアップが映し出され、スラムの住人たちが「やっちまえザック!」「あの野郎の顔面を潰してやれ!」と狂ったように叫ぶ。
「対するは……王都が誇る一級冒険者!下民を見下す傲慢なる白銀!……ユリウス!!」
今度は、氷のように冷たい青白い照明がゲートを照らす。
純白の革鎧を纏ったユリウスが、ひどく不機嫌そうな顔で姿を現した。
途端に、観客席の半分以上を占める一般市民とスラムの住人たちから、耳をつんざくような大ブーイングが巻き起こる。
「帰れ帰れ!!」
「スラムの泥を舐めさせてやる!!」
飛び交うヤジと怒号。だがユリウスは全く意に介さず、ゴミでも見るような目で観客席を一瞥し、リングへと上がった。
彼の手には、いつものレイピアはない。このリングでは武器の持ち込みは禁止だ。
「……フン。耳障りなネズミの鳴き声だ」
ユリウスが鼻で笑う。
「さぁ、両者リング中央へ!」
俺が促すと、ザックとユリウスが睨み合った。
ザックの額には脂汗が浮かび、全身の筋肉がはち切れんばかりに膨張している。対するユリウスは、自然体で隙が全くない。
「ルールは1分間!魔法は己の肉体を強化するもののみ!……ゴングを鳴らせ!!」
カーーーーーンッ!!
甲高い鐘の音と共に、リングの四隅に埋め込まれた『魔力制限結界』が青白く発光した。
その瞬間、ユリウスの周囲に渦巻いていた強大な風魔力が霧散し、闘技場内から一切の『攻撃魔法』の気配が消え去った。
「おおおおおぁぁぁッ!!」
ザックが咆哮と共に特攻を仕掛けた。
結界のルールを最大限に活かした、一切の迷いがない大振りの右フック。身体強化魔法でパンパンに膨れ上がったその一撃は、岩をも砕く威力を秘めていた。
だが。
「……遅すぎる。止まって見えるぞ、下民」
バチュンッ!!
肉と肉がぶつかり合う、生々しい破裂音が響いた。
ザックの拳が届くより早く、ユリウスの放ったコンパクトな左の掌底が、ザックの顎を正確に打ち抜いていた。
魔法を封じられても、一級冒険者が日々の鍛錬で培ってきた体術と、純粋な身体強化の練度は、スラムのチンピラとは次元が違った。
「がはッ……!?」
脳を揺らされたザックの巨体が、糸の切れた傀儡のようにリングの砂に崩れ落ちる。
開始わずか五秒。圧倒的な実力差。
観客席が「ああっ……」と悲鳴に近いどよめきに包まれた。
「他愛もない。これが貴様らの言う『エンタメ』とやらか。レオンとやる前の準備運動にもなら──」
ユリウスが背を向けようとした、その時だった。
「ま、待てやぁ……ッ!!」
血反吐を吐きながら、ザックがリングのロープを掴んで立ち上がったのだ。
目は虚ろだ。足元も覚束ない。普通なら絶対に立ち上がれないダメージだ。
だが、彼の脳裏には試合前の控室での俺の言葉が焼き付いていた。
『死なない限り、お前らは何度でもリングに戻ってこれる。俺が必ず再起させてやる。思い切り散ってこい』
「俺は……ただのゴミじゃねぇ……!ここで、てめぇに一発入れるまでは……倒れねぇんだよッ!!」
ザックが再び特攻する。
左腕のガードを捨て、完全に顔面を差し出した玉砕覚悟の突進。
「……狂人め、身の程を知れッ!」
ユリウスの顔に、初めて焦りと苛立ちの色が浮かんだ。
飛んでくる血飛沫を避けるように顔を背けながら、ユリウスはザックの腹部に強烈な膝蹴りを叩き込む。
ゴフッ、と鈍い音が鳴り、ザックの口から鮮血が舞う。だが、ザックは倒れない。己の体重をすべてユリウスに預け、至近距離から泥臭い頭突きを見舞った。
「チッ……汚らわしいッ!」
ユリウスが顔をしかめて後ろに下がる。ノーダメージだが、その純白の革鎧に、ザックの血と汗がべっとりと付着した。
「いけぇぇぇぇっ!ザック!!」
「あと少しだ!倒れるな!!意地を見せろぉっ!!」
その瞬間、闘技場の空気が爆発した。
圧倒的な強者に、泥水すすりながらも食らいつく弱者。その魂の突進に、一般市民やスラムの観客たちが狂ったように声援を送り始めたのだ。
リリが操作するカメラが、血まみれでも決して目を逸らさないザックの表情をスクリーンに大写しにする。
(……これだ。これが『プロレス』であり『格闘エンタメ』の真髄だ)
リングサイドで、俺は鳥肌が立つのを感じていた。
残り十秒……
ザックは何度も殴られ、蹴られ、その度に血を吐いたが、決して膝を突かなかった。ユリウスの攻撃をすべて受け止め、前に出続けた。
「死ねぇぇぇッ!!」
ユリウスが苛立ちに任せ、渾身の右ストレートを放つ。
カン、カン、カーーーーーンッ!!
終了のゴングが鳴り響いた。
その瞬間、俺はリングに飛び込み、ユリウスの拳とザックの間に割って入った。俺の前世の『受け身』の技術で、ユリウスの強烈なストレートの威力を殺しながらいなす。
「そこまで!!1分経過、勝負あり!!」
俺が宣言すると同時に、待機していた医療魔法チームがリングに雪崩れ込み、意識を失って倒れ込んだザックに回復魔法をかけ始めた。
即座に傷が塞がり、ザックの呼吸が安定していく。誰も死なない、完璧な安全管理。
「……チッ。胸糞の悪い見世物だ」
ユリウスは血で汚れた己の鎧を見て、吐き捨てるようにリングを降りていった。
勝者はユリウスだ。誰の目にも明らかだった。
だが、闘技場を包み込んだのは、勝者への称賛ではない。
「よくやったぞザック!!」
「最高の意地だったぜ!!」
「あのお高くとまった野郎に、血をなすりつけてやったな!!」
敗者であるはずのザックに対して、割れんばかりの拍手と、大歓声が降り注いでいた。
VIP席の貴族たちでさえ、信じられないものを見たという顔で身を乗り出している。
たった1分間。魔法を奪われた密室での、純粋な命の削り合い。
その圧倒的な『密度』と『カタルシス』が、異世界の人々の脳を完全に焼き切ったのだ。
「……さあ、熱狂はまだまだ終わらないぞ!」
俺はリングの中央でマイクを握り直し、観客に向かって叫んだ。
「次の試合は、誰も予想できない『ジャイアントキリング』をお見せしよう!!」
闘技場のボルテージは、限界を突破してさらに上昇していく。
俺が作り上げた『バトル倶楽部』は、大成功の産声を上げたのだ。











