第7話 最悪のヒール
吹き飛ばされた鉄扉の土煙が晴れると、そこにはスラムの淀んだ空気とは全く無縁の、眩いばかりの純白の革鎧を着た男が立っていた。
金糸のような美しい髪を揺らし、宝石のあしらわれたレイピアを腰に帯びている。
男は鼻の前で軽く手を振り、心底嫌悪感に満ちた声を出した。
「酷い悪臭だ。まるでドブネズミの巣窟だな」
「な、なんだテメェ!」
「ここはガルドの旦那のシマだぞ!表の人間が勝手に入ってきてタダで済むと──」
血気盛んなスラムのチンピラ二人が、男に向かって殴りかかった。
しかし。
「──汚い手で触れるな。吐き気がする」
男が指先を軽く弾いた瞬間、目にも止まらぬ真空の刃が発生し、二人のチンピラの身体を容易く吹き飛ばした。
「がはッ!?」
チンピラたちは為す術もなく壁に激突し、白目を剥いて気絶する。
無詠唱の風魔法。それも、威力を殺さずに相手を弾き飛ばすという極めて高度な魔力コントロールだ。
圧倒的な「本物の暴力」を前に、さきほどまで殺し合いの熱狂に包まれていた倉庫の空気が、一瞬にして氷点下まで凍りついた。
「私の名はユリウス。王都冒険者ギルド所属の、一級冒険者だ」
ユリウスは気絶したチンピラを一瞥すらせず、優雅な足取りで倉庫の中央へと歩を進める。
「最近、この薄汚いスラムで『死なない喧嘩興行』などという、冒険者の神聖な闘いを冒涜するような見世物が企てられていると聞いてね。ギルドの威信にかけて、こんなお遊戯は今日この場で叩き潰すことにした」
見下すような視線が、床に這いつくばる参加者たちを舐め回す。
そして、その視線は高く積み上げられた木箱──「ひな壇」の頂点に座る男で止まった。
「……おや。どこかのゴミが座っているかと思えば。驚いたな、かつて王属騎士団で将来を嘱望されたレオン殿ではないか」
ユリウスの口角が、ねっとりとした嘲笑の形に吊り上がる。
「貴族の御曹司に逆らって身分を剥奪されたと聞いていたが、まさかこんな豚小屋で、ネズミの真似事をして日銭を稼いでいたとは。騎士の誇りも地に落ちたものだ」
レオンは何も答えない。だが、木箱の縁を掴む彼の手の甲には、ミシミシと青筋が浮かび上がっていた。
「全員、今すぐここから消えろ。逆らう者は、冒険者ギルドへの反逆とみなし──」
「はいはい、ストップストップ!」
俺はパンパンと手を叩きながら、ユリウスの前に歩み出た。
スラムの荒くれ者たちは「あの野郎、死にたいのか!?」という顔で俺を見ているが、知ったことではない。
「なんだ、貴様は」
「俺はこの興行のプロデューサーだ。いやぁ、素晴らしいね。その鼻持ちならない態度、弱者を見下す腐りきった優越感、そして圧倒的な実力。百点満点だ」
「……頭でも打ったか?」
ユリウスが不快そうに眉をひそめ、細剣の柄に手をかける。
「リリ!今のあいつの『騎士の誇りも地に落ちたものだ』って台詞、ちゃんと顔のアップで抜いたか!?」
『ばっちりよ。最高にムカつく顔が撮れてるわ』
俺の耳の通信石から、リリの弾んだ声が聞こえる。
「貴様……何をしている」
「オーディションだよ、ユリウス先生」
俺はユリウスの顔を真っ向から見据え、不敵に笑った。
「冒険者の神聖な闘い?笑わせるな。お前らがやってるのは、安全な場所から綺麗な魔法をぶっ放すだけの『お上品なダンス』だ。だから客は退屈してんだよ」
「下民が……私を愚弄するか」
ユリウスの全身から、先程とは比べ物にならない鋭い殺気が放たれる。
だが、俺は一歩も引かない。
「ここを潰したいなら、ギルドの権力じゃなく『暴力』で潰してみせろ。明日の第一回大会、お前をメインイベントのカードで出してやる」
「……私が、こんな泥遊びに参加しろだと?」
「そうだ。ルールは1分間。魔力制限結界の中で、肉体強化魔法だけを使ったインファイトだ。まさか……一級冒険者様ともあろうお方が、魔法の遠距離攻撃に頼らないと、スラムのネズミ一匹も殺せないわけじゃないよな?」
わかりやすい挑発。プライドの塊のような男には、これが一番効く。
ユリウスの美貌が、怒りでピクリと引き攣った。
「……面白い。私に剣の間合いで挑もうというその蛮勇、褒めてやろう」
ユリウスは細剣から手を離し、冷酷な笑みを浮かべた。
「いいだろう。明日の興行、私が直々に潰してやる。なんなら全試合、私が相手してやるぞ。私が勝てば、この下らないバトル倶楽部は即時解散。そして貴様ら全員、私の前で這いつくばって靴を舐めてもらう」
「交渉成立だ。せいぜい明日は、客の前で無様な姿を晒さないように気をつけるんだな」
「フッ。吠え面をかくのは貴様らだ」
マントを翻し、ユリウスは廃倉庫から出て行った。
重苦しいプレッシャーが去り、倉庫内には静寂が落ちる。
だが、その静寂は「恐怖」によるものではない。
スラムの荒くれ者たちの顔は、自分たちをゴミクズ扱いしたユリウスへの「純粋な殺意」と「怒り」で煮えたぎっていた。
「おい、お前ら」
俺は振り返り、全員を見渡した。
「聞いたか?あいつはお前らをネズミと呼んだ。あいつの靴を舐めたい奴はいるか?」
「ふざけんなッ!!」
「あんな野郎、俺が1分で八つ裂きにしてやる!!」
男たちの咆哮が、倉庫の天井を揺るがす。
完璧だ。
これ以上ない圧倒的な強者であり、大衆からすべてのヘイトを集める悪役。
彼がリングに上がるだけで、客は「誰かあいつをぶっ殺してくれ!」と狂ったように金を払い、声を枯らすだろう。
俺はひな壇の頂点に座る、レオンの目をまっすぐに見上げた。
彼の虚無だった瞳の奥には今、かつての誇りを踏みにじられた、どす黒い炎が静かに燃え上がっていた。
(……メインイベントの『台本』は完成した)
俺は心の中でガッツポーズを決め、最高の素材を手に入れたリリに向かって親指を立てた。











