第2話 死なない喧嘩を売れ
目を覚ますと、猛烈に香ばしい肉の匂いが鼻を突いた。
反射的に跳ね起きようとしたが、身体が鉛のように重い。どうやら、ふかふかのソファのようなものに寝かされているらしい。
「起きたか、兄ちゃん」
薄暗い部屋の奥から、野太い声が響いた。
アンティーク調の豪奢なデスクに足を乗せ、葉巻のようなものを吹かしている大男。路地裏で意識を失う直前に見た、あの巨大な影だ。
男の背後には、武装した屈強な部下たちが数人控えており、俺を値踏みするように睨みつけている。
「……ここは?」
「俺のシマだ。スラムの底にようこそ。ほら、まずは食え」
男が顎でしゃくると、部下の一人が木皿に乗った山盛りの串肉と、濁ったエールをテーブルに叩きつけるように置いた。
毒が入っているかもしれない、なんて三流スパイのような警戒は無用だ。殺す気なら俺が寝ている間にいくらでもできたはずだ。
俺は無言で肉に齧り付いた。野生の獣のような荒々しい味がしたが、空腹の胃袋には極上のスパイスだった。
「俺はガルド。このスラムで『金になること』を全部仕切ってる。兄ちゃん、名前は?」
「ショウだ」
「ショウ。いい度胸と、面白い技術を持ってるな」
ガルドはニヤリと笑い、身を乗り出した。
「チンピラの剣を躱さずに、紙一重の衝撃吸収だけで無傷で受け流すなんざ、高位の騎士様でもできねぇ芸当だ。だが、お前からは魔力の欠片も感じねぇ。……何者だ?」
「ただの、エンタメ好きのプロデューサーさ」
「ぷろでゅーさー?」
聞き慣れない単語に、ガルドが眉をひそめる。
「おっさん、あんたこのスラムで色々仕切ってるって言ったな。暴力で稼ぐ手段といえば、用心棒の斡旋か、それとも地下闘技場での殺し合いか?」
「……ほう。鋭いな」
ガルドは面白そうに葉巻の煙を吐き出した。
「地下に設けた檻の中で、奴隷や借金まみれのクズどもに殺し合いをさせてる。客はどっちが生き残るかに銅貨を賭ける。血と臓物が飛び散るたびに、スラムの底辺どもは日頃の鬱憤を晴らすように熱狂するって寸法だ」
なるほど、分かりやすい。いつの時代も、どの世界でも、アンダーグラウンドの娯楽の行き着く先は同じだ。
「だが、儲かってないだろ?」
俺の言葉に、ガルドの後ろにいた部下たちが殺気を放った。「ボスに向かってなんちゅう口を」と剣の柄に手をかけている。
だが、ガルドは片手でそれを制した。
「……なぜそう思う?」
「コスパが最悪だからだ。デスマッチってのは、文字通り負けた方が死ぬ。勝った方もただじゃ済まない。つまり、一回の興行ごとにコマを使い捨てることになる。新しいコマを補充し、教育し、また殺し合わせる。手間ばかりかかって、利益率は最悪のはずだ」
俺の脳裏に、前世の光景がよぎる。
二十歳で命を散らした俺自身。俺が死んだことで、次の防衛戦のチケット収入、スポンサー料、放映権料……すべてが白紙になった。
ガチの殺し合いは、究極の熱狂を生む代わりに、あまりにも多くのものを一瞬で無に帰すのだ。
「……大正解だ、ショウ。正直、死体の処理もタダじゃねぇ。だがよ、客は『本物の殺し合い』が見てぇんだ。血が流れねぇお遊戯じゃ、誰も銭を払わねぇ」
「違うな。客が見たいのは『血』じゃない。『剥き出しの感情』だ」
俺はエールを一気に飲み干し、テーブルにドンとジョッキを置いた。
「路地裏で俺がチンピラの攻撃を受けた時、あんたは『面白いショーだった』と言ったな。なぜだ?血は一滴も流れていないのに」
「そりゃあ……お前が底知れねぇバケモノに見えて、ゾクッとしたからだ」
「それだ。俺は技術でダメージを逃がした。死の危険をコントロールしてみせたんだ。血なんて流さなくても、やり方次第で客の心は震わせられる。俺に投資しろ、ガルド。あんたの地下闘技場を、俺が『絶対に誰も死なない喧嘩興行』に作り変えてやる」
ガルドの目が、猛禽類のように鋭く細められた。
「誰も死なない、だと?」
「あぁ。ルールは簡単だ。試合時間は『1分間』のみ。魔法の詠唱なんかしてる暇はない、ゴングが鳴った瞬間から全力で殴り合う、超高密度の1分間だ。そして、勝敗が決まっても絶対にトドメは刺させない。医療魔法を持った奴を待機させ、負けた奴もすぐに治療させる」
「ふざけるな。そんな生温いモン、誰が喜ぶ!」
「いいか、ガルド。死なないってことは、負けた奴が『次は絶対にぶっ殺してやる』って復讐を誓えるってことだ。勝った奴は『俺が最強だ』ってふんぞり返る。その因縁を、次の試合として客に売るんだよ」
俺は立ち上がり、ガルドのデスクに両手をついた。
「選手は使い捨てる『肉』じゃない。何度も戦わせ、ファンをつけ、アンチを沸かせる『資産』だ。因縁が深まれば深まるほど、客は勝敗が気になって狂ったように金を賭ける。負けてどん底に落ちた奴が這い上がる物語に、客は涙を流して熱狂するんだ。一回死んで終わりのデスマッチじゃ、この熱狂のサイクルは絶対に作れない」
部屋の中が、水を打ったように静まり返った。
ガルドは葉巻を持つ手を止め、じっと俺の目を見つめている。
スラムのボスとして修羅場をくぐり抜けてきた男の目だ。俺の語るビジネスモデルが、机上の空論か、それとも莫大な富を生む金の卵か、その嗅覚で値踏みしている。
「……1分間の、死なない喧嘩」
ガルドが低い声で呟く。
「選手は使い捨ての肉ではなく、金を生み出し続ける資産……クックック、ハハハハハ!」
突如、ガルドは腹を抱えて大笑いし始めた。部下たちが呆気にとられている。
「面白い!スラムの底辺どもを『資産』と呼んだ狂人は、お前が初めてだ!気に入ったぜ、ショウ」
「話が早くて助かる」
「場所と準備金は出してやる。荒くれどもを黙らせるハクが要るなら、俺の名前を使え。……だが、条件が一つある」
ガルドは立ち上がり、俺を見下ろした。その巨体から放たれる威圧感は本物だ。
「俺を退屈させるな。もし客が呼べねぇようなお遊戯を見せたら……その時は、お前自身にデスマッチの檻に入ってもらうぞ」
「心配するな。俺が作るエンタメは、人を殺すよりよっぽどタチが悪いからな」
俺はニヤリと笑い返した。
前世で極めたプロデュースのすべてを、この異世界にぶち込んでやる。
ここから、世界最大の熱狂を生み出す『バトル倶楽部』の幕が上がるのだ。











