第1話 死んだ後の景色と、死なない男
ピーーーーーー
無機質な電子音が、病室に響いていた。
それが、俺の心電図が平坦になった音だと気づくのに、少し時間がかかった。
俺の名前はショウ。
地下格闘技から成り上がり、日本最大の過激格闘興行『アルティメット・インパクト』のスター選手兼プロデューサーまで登り詰めた男だ。
年齢は二十歳。若すぎる死因は、数時間前のタイトルマッチで受けた頭部へのダメージによる脳出血だった。
痛みはない。ただ、意識だけが暗闇の底へと沈んでいく。
(あーあ……結局、ガチの殺し合いなんて、コスパ最悪だな)
薄れゆく意識の中で、俺はそんな冷めたことを考えていた。
格闘技は素晴らしい。闘争本能を剥き出しにした殴り合いは、何万という観客を熱狂させ、莫大な金を動かす。
だが、その代償が「選手の死」や「再起不能」であるならば、エンターテインメントとしては三流だ。
勝った俺が死んで、負けた相手は一生車椅子。そんな結末で、誰が次のチケットを買うんだ。
(もし次があるなら……絶対に誰も死なせない。けど、死ぬほど盛り上がる最高の興行を打ってやるのに……)
そんなプロデューサーとしての未練を最後に、俺の意識は完全に途絶えた。
◆ ◆ ◆
「……ッ、臭ぇ」
強烈な生ゴミと排泄物の臭いで、俺は目を覚ました。
飛び起きて周囲を見渡す。そこは病院の白い天井ではなく、薄暗く、石造りの壁に挟まれた汚い路地裏だった。
空はどんよりと曇り、得体の知れない巨大な鳥が上空を旋回している。
自分の身体を見下ろすと、死ぬ直前のボロボロだった肉体ではなく、鍛え上げられた全盛期の状態に戻っていた。着ているのは、なぜかボロ布のような粗末な服だ。
「おいおい、異世界転生ってやつか? 流行りには乗っておくもんだな」
状況の異常さに反して、俺の頭は酷く冷えていた。
興行を仕掛ける人間にとって、パニックは最大の敵だ。まずは現状把握──
「ぎゃっ!」
「うるせぇジジイ! さっさと金目のものを出せって言ってんだよ!」
路地裏の奥から、くぐもった悲鳴と怒声が聞こえた。
見れば、ボロボロの衣服を着た老人が、大柄な男二人組に蹴り飛ばされているところだった。
男たちは、一人は錆びた剣を、もう一人はゴツゴツとした木槌のような鈍器を持っている。映画のセットでしか見ないような、ファンタジーのチンピラそのものだ。
俺はため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。
正義感なんて立派なものじゃない。ただ、目障りだっただけだ。
「おい、そこの三下」
声をかけると、男たちが振り返る。
「あぁ? なんだテメェ、スッコンでろ!」
「いや、あまりにも見栄えが悪いからよ。お前らの喧嘩、客が呼べないくらいつまんねえなと思ってさ」
「舐めやがって……殺すぞ!!」
剣を持った男が血走った目で突っ込んでくる。
大上段から振り下ろされる、殺意のこもった錆びた刃。
老人が「逃げろ!」と叫ぶ声が聞こえた。
普通なら、逃げるか防ぐかする場面だ。俺には魔法も、特別な武器もない。
だが、俺は一歩も動かなかった。
──シュバッ!
鈍い音と共に、剣が俺の左肩口に叩き込まれる。
しかし、男の顔には驚愕が浮かんでいた。
「な、なんだぁ……?」
斬れていない。
いや、服の布地は裂け、皮膚の表面数ミリは切れている。だが、刃はそこから1ミリも奥へ進んでいないのだ。
「……インパクトの瞬間に、刃の進行方向へ体を脱力させてズラした。格闘技における『究極の受け身』ってやつだ」
俺は平然と言い放つ。
相手の全力の一撃に対して、わずかに身体を引くことで威力を殺す技術。前世で、死の淵を覗くような激闘の中で俺が極めた「痛みの逃がし方」だ。素人の大振りな剣など、止まって見える。
「ひぃっ、バケモノめ!」
今度はもう一人の男が、木槌を横凪ぎに俺の頭部へフルスイングしてきた。
まともに食らえば頭蓋骨が砕ける一撃。
──フッ
俺は木槌が触れる直前、自らの首の力を完全に抜き、打撃と同じ方向へ頭を振り抜いた。
どれだけ強力な打撃だろうが、体重移動と力のベクトルさえ見極めれば、物理法則に従って威力は殺せる。
ドンッ! という衝撃音は鳴ったが、脳へのダメージはゼロ。エネルギーは完全に受け流されている。
首をぐるりと回し、無傷のまま男たちを見据える。
俺は一歩、ゆっくりと前に出た。
「で? 次の『見せ場』はどこだ? 1分以内に俺を沸かせてみろよ」
「ヒッ……!!」
「こ、こいつ人間じゃねぇ!!」
俺の眼に宿る、狂気じみたエンタメへの執着。それに当てられたのか、チンピラたちは恐怖に顔を引き攣らせ、武器を放り投げて逃げていった。
「……チッ。逃げ足だけは一丁前か。ノーギャラならあんなもんか」
助けた老人が「あ、ありがとうございます……」と震える声で礼を言うのを背中で聞きながら、俺は緊張を解いた。
その瞬間。
──グゥルルルルルルルル
腹の底から、雷鳴のような音が鳴り響いた。
「……あ、やべ。腹減りすぎて……力入んね……」
完璧な受け身は、極度の集中力とカロリーを消費する。転生したばかりのすきっ腹でやるものではなかった。
俺はそのまま、バタッと前のめりに倒れ込んだ。石畳の冷たさが心地いい。
「……面白い見世物だったぜ、兄ちゃん」
薄れゆく意識の中。
路地裏の暗がりから、低いしゃがれ声と共に、ゆっくりと拍手をしながら近づいてくる巨大な影が見えた。
「死んでも倒れねぇようなタフな奴は腐るほど見てきたが……『そもそも効いてねぇ』奴を見るのは初めてだ」
それが、スラムを仕切るボス・ガルドと、異世界最大のプロデューサーとなる俺の、最初の出会いだった。











