第14話 メインイベント、因縁の決着
ジジのジャイアントキリングがもたらした熱狂は、闘技場を完全に「異界」へと変えていた。
数千人の観客の息遣いが一つになり、闘技場全体が巨大な生き物のように脈打っている。誰もが、次に提供される極上の暴力を渇望していた。
俺はリングの中央に立ち、一つ大きく深呼吸をした。
プロデューサーとしての俺の脳内には、このメインイベントにおける完璧な「台本」が組み上がっていた。
圧倒的な強者であるユリウスに対し、元騎士のレオンが誇りを胸に立ち向かう。だが、実力差は歴然。レオンは無様に殴られながらも、決して膝を突かずに耐え抜き、最後は時間切れか、あるいはスタンディングダウンで敗北する。
客はユリウスの理不尽な強さに絶望しつつ、レオンの「負けても折れない気高き魂」に涙を流す。それが、次回の興行へと繋がる最高の結末だ。
「さぁ、王都の歴史に刻まれる1分間だ!メインイベント、入場ッ!!」
俺の合図と共に、重厚な鐘の音が鳴り響く。
青のコーナー。先ほどのザックとの闘いで純白の鎧を汚されたユリウスが、静かな怒りを纏ってリングに上がった。その美貌は屈辱と殺意に歪み、観客のヤジすらも凍りつかせるほどの冷たいプレッシャーを放っている。
「対するは……すべてを失い、スラムの底に落ちた男!だが、その眼の光はまだ死んじゃいねぇッ!元・王属騎士団、レオン!!」
赤のコーナーから、レオンが現れた。
ボロボロだった服は脱ぎ捨て、上半身裸の引き締まった肉体を晒している。手には分厚いバンテージ。武器を持たないその姿に、スラムの観客たちから祈るような歓声が上がった。
「レオン!頼む、あいつをぶっ飛ばしてくれ!!」
「俺たちの意地を見せてやれ!!」
リングの中央で、二人が向かい合う。
「……まさか、貴様のような敗北者と、泥にまみれて殴り合う日が来るとはな」
ユリウスが、心底見下したような声で吐き捨てた。
「騎士の剣を捨て、スラムの猿山で大将気取りか。ここで貴様を完全に壊し、そのつまらない命を終わらせてやる」
「……剣なら、とっくに捨てたさ」
レオンは静かに両拳を顔の前に構え、深く腰を落とした。
「だが、俺が『生きている』ことだけは、この1分間で証明してやる」
俺はリングから降り、場外から手を高く挙げた。
「ゴングを鳴らせ!!」
カーーーーーンッ!!
開始の合図が鳴った瞬間、ユリウスの姿が掻き消えた。
いや、圧倒的な身体強化魔法による超高速の踏み込みだ。ユリウスの放った必殺の右ストレートが、レオンの顔面を捉える──はずだった。
パシィッ!!
乾いた音が響く。
レオンは紙一重で首をずらし、ユリウスの右腕を外側から弾き落としていたのだ。
剣術における「パリィ」の技術を、素手での防御に完全に応用した動き。
「なっ……!?」
「遅いな、冒険者。魔物を相手にする大振りな癖が抜けていないぞ」
ユリウスの体勢が崩れたその隙を突き、レオンの鋭い左ジャブがユリウスの顎を跳ね上げた。
ガキンッ、とユリウスの歯が鳴り、美しい金髪が乱れる。
「おおおおおっ!!」
レオンが先制の一撃を入れた瞬間、観客席が爆発した。
「貴様ぁぁッ!!」
激昂したユリウスが、魔法で強化された脚力から繰り出される怒涛の連撃を放つ。蹴り、肘、拳。その一つ一つが岩を砕く威力だ。
だが、レオンは一歩も引かない。
強固なガードと、急所を外すスウェーを駆使し、ユリウスの猛攻をすべて捌いていく。それどころか、防御の合間に的確なカウンターを打ち込み、ユリウスの顔面を赤く腫れ上がらせていった。
リングサイドで見ていた俺は、背筋にゾクッとした悪寒を感じた。
(……おいおい、嘘だろ)
レオンの動きがおかしい。
俺の描いた台本では、レオンはユリウスの圧倒的な暴力の前に防戦一方になり、「耐え忍ぶ姿」で客の同情を引くはずだった。
だが今のレオンからは、「耐える」気配など微塵も感じられない。
踏み込みの鋭さ。躊躇のない拳。獲物の喉笛を食い破ろうとする猛獣の目。
レオンは、マジでユリウスを「喰い」にいっているのだ。
(台本破りか……ッ!)
格闘技興行において、決められた演出を無視してガチの勝負に出ることは絶対のタブーだ。下手をすれば興行全体のストーリーが崩壊する。俺がゴングを鳴らして試合を止めるべき場面だ。
だが──俺の右手は、ゴングのハンマーを握ったまま、ピクリとも動かなかった。
『すごい……ショウ、これ凄いよ……!』
通信石から、リリの震える声が聞こえてきた。
『二人とも、魂が燃えてる。スクリーンから熱が溢れ出して、客が……客が全員、泣きながら叫んでる!』
観客席を見上げる。
スラムのチンピラも、高慢な貴族も、警備の聖騎士団でさえも。誰もが立ち上がり、拳を握りしめ、顔をくしゃくしゃにしてリングの上の二人に叫んでいた。
剣も魔法も関係ない。
これは、己の尊厳と存在証明を懸けた、純度百パーセントの「男と男の殺し合い」だった。
プロデューサーである俺が仕掛けた薄っぺらい「因縁」など、リングの上で交差する彼らの熱量に比べれば、ゴミに等しかった。
「いけぇぇぇぇっ!レオン!!」
「ユリウス!負けるな!お前の意地を見せろぉっ!!」
残り二十秒……
ユリウスも完全に「見下す」余裕を失っていた。彼は一人の戦士として、目の前の強敵を打ち倒すことだけに全神経を集中させていた。
「ハァッ……ハァッ……!なぜだ……すべてを失った貴様が、なぜそこまで戦えるッ!!」
ユリウスの拳がレオンの脇腹に深々と突き刺さる。アバラが折れる鈍い音が響いた。
「がはッ……!」
口から血を吐きながらも、レオンは笑った。
「失ったからさ……ッ!すべてを失って、どん底を這いずり回って……最後に残ったのが、この拳一つだったからだッ!!」
残り十秒……
二人はガードを捨て、リングの中央で額を突き合わせるほどの超至近距離で、互いの顔面を殴り合い始めた。
ドゴォッ!バキィッ!
肉が弾け、血飛沫が舞う。もはやどちらが勝っているのか、誰にもわからない。ただ、生きようとする執念だけが両者を立たせていた。
残り五秒……
ユリウスが渾身の魔力を右拳に込め、最後の一撃を振りかぶる。
レオンもまた、残されたすべての命の炎を右拳に宿し、踏み込んだ。
「ウォォォォォォォォッ!!」
「アァァァァァァァァッ!!」
両者の右ストレートが、互いの顔面を同時に捉えた。
カーーーーーンッ!!
カーーーーーンッ!!
カーーーーーンッ!!
1分経過のゴングが、闘技場に激しく鳴り響いた。
直後。
ズンッ……!!と、地響きを立てて二つの肉体がリングの砂に崩れ落ちた。
──静寂
数千人が息を呑む中、待機していた医療チームが一斉にリングに飛び込み、血まみれで倒れ伏した二人に回復魔法をかけ始める。
「……両者、ダウン」
俺はリングに上がり、マイクを握って静かに宣言した。
「1分経過……時間切れ、引き分けだ!!」
その瞬間だった。
「うわあああああああああああああっ!!」
「レオーーーーーン!!」
「ユリウーーーース!!」
勝者も敗者もいない。だが、闘技場は爆発的な、そしてどこか祈りのような大歓声に包まれた。
スラムの底辺も、王都のエリートも関係ない。ただ、1分間という極限の時間を生き抜いた二人の戦士に、万雷の拍手と涙が降り注いでいた。
俺はリングの砂の上で、回復魔法を受けながら静かに目を閉じるレオンを見下ろした。
(……最高の台本破りだったぜ、レオン)
俺が作り出したのは、ただの金儲けのシステムだった。
だが彼らは、そのシステムを利用して、前世で俺が最も愛し、最も焦がれた「本物のエンターテインメント」を、この異世界で完璧に体現してみせたのだ。
鳴り止まない大歓声のシャワーを浴びながら、俺は血と汗の匂いが立ち込める闘技場の天井を見上げた。
第一回バトル倶楽部は、誰一人死者を出すことなく、異世界の常識を根底からぶち壊す大成功を収めた。











