【第九話】高潔なる騎士の再就職(試用期間:賄い付き)
翌朝、サトウが現場事務所の扉を開けると、そこには昨日と変わらぬ姿勢で、だがどこか悲壮感を漂わせたカレン・フォン・ベルシュタインが直立不動で待っていた。
朝露に濡れた白銀の甲冑が朝日を浴び、無駄に眩い反射光を撒き散らしている。折れた聖剣の柄を胸に抱き、彼女はサトウが踏み出す一歩に合わせて、鋭くその瞳を射抜いた。
「……待っていたぞ、魔術師。いや、現場監督と言ったか」
サトウは無言だった。返事をする代わりにヘルメットを被り、あご紐が確実に締まっているか指を差し込んで確認する。そのまま、カレンを道端の石ころか何かのように無視して通り過ぎようとした。
「待て! 貴公、昨夜は屈辱を強いたが、私は王国の誓約騎士だ。……私を殺さぬというのなら、せめて『捕虜』として扱え! 騎士の礼遇に基づき、相応の牢獄と食事、そして身代金の交渉を認めるのが敗者への礼儀だろう!」
サトウは足を止め、深く、深くため息をついてカレンに向き直った。その目は、早朝からクレームを言いに来た近隣住民に対応するベテラン現場監督のそれだった。
「……リノ。この『捕虜』とか言ってる不審者、昨夜は何してた?」
「え、あ、はい。一晩中そこに立って、時々『くっ、殺せ……』って独り言を言いながら、地面に剣の柄で何か文字を書いてました。たまに馬と会話もしてたみたいで……」
事務所の影から、アッシュグレーの耳を不安げに揺らしながらリノが顔を出す。見れば、カレンの足元の地面には『騎士道の守護者』と壮大に刻まれていた。サトウは眉間の皺を深くし、リサイクル品の拡声器をカレンの鼻先に突きつけた。
『――不法侵入者に告ぐ。うちの現場に「牢獄」なんていう非生産的な設備はねえ。維持費の無駄だ。それに身代金? そんな不透明な臨時収入、帳簿につけられるか。税務署……いや、俺の管理責任に傷がつく。……お前は「捕虜」じゃない。ただの「無断立ち入りによる安全管理対象者」だ』
「なっ……! 捕虜ではないだと!? ならば、私はどうすればいいのだ! 剣を折られ、退却も許されぬ騎士は、ここで朽ち果てろというのか!」
「朽ちる前に腹が鳴ってるぞ。……リノ、この不審者に『給食(現場飯)』を出してやれ。食ったら、その余った体力で資材の錆び落としだ。労働しない奴に、この現場の酸素を吸わせる余裕はねえ。……あと、そのマントは外せ。回転体に巻き込まれたら首が飛ぶぞ。現場じゃ装飾品は死に直結する」
サトウはそう言い捨てると、図面ケースを小脇に抱えて重機の点検へと向かった。
「……あの、カレンさん。サトウさんはああ言ってますけど、とりあえず食べませんか? 昨日の夜から何も食べてないですよね」
リノがおずおずと、事務所の横に設けた「リユース調理場」へとカレンを促す。そこには、サトウが廃材の魔力炉を改造して作った『超高火力・圧力リユースレンジ』が鎮座していた。
リノが手際よく鉄板に火を入れる。ジューッという暴力的な音が響き、瞬時に芳醇な香りが周囲を満たした。
乾燥肉を魔力抽出液の端材――サトウ曰く『アミノ酸の宝庫』――で戻したものを、厚切りのパンに乗せる。そこに、リノがどこからか調達してきた野生のハーブと、熟成された濃厚なチーズをこれでもかと盛り付けた。
「これは……毒を盛るつもりか。騎士の誇りを、胃袋から汚そうというのか……」
カレンの脳内では、『騎士道の教典』の第一章「敵の施しを受けるべからず」が激しく警鐘を鳴らしていた。だが、それ以上に彼女の胃袋が、この世の終わりかと思うほどの轟音を立てて反乱を起こす。
(一口だけだ……。これは不審な魔術師が作った食事の安全性を、身を以て確認する『検食』だ。断じて食欲に負けたわけではない……!)
カレンは自分にそう言い訳をすると、サトウから渡された『パッチワーク軍手』を、白銀の籠手を外した素手にはめた。
「なんだ、この手袋……。滑り止めのゴムが吸い付くようにパンを固定する。籠手よりも遥かに機能的ではないか……!」
そして、一気にホットサンドに食らいついた。
瞬間、カレンの瞳が見開かれ、衝撃で全身が硬直した。
「っ……!? なんだ、この溢れ出す肉汁は! 圧力で繊維を壊された肉が、口の中で溶けていく……! それに、このソースの濃厚なコクは一体……!」
「あ、それ、サトウさんが計算した『午後の肉体労働に最適な塩分とカロリーの配合』なんです! サトウさんが言ってたんですよ。『職人の腕は飯の質で決まる』って!」
リノがアッシュグレーの尻尾をパタパタと誇らしげに振る。
カレンはもはや反論する余裕さえ失い、王都の晩餐会では決して見せないような形相で、次々とホットサンドを胃の中に流し込んでいった。騎士道の教典は、今や胃液の中に沈んでいた。
食べ終えたカレンが、満足感と屈辱の入り混じった複雑な表情でため息をつく。その口元には、ソースとチーズが不作法に付着していた。
そこへ、点検を終えたサトウが戻ってくる。彼は一度もカレンの顔を見ることなく、ただ彼女が「完食した」という事実だけを確認した。
「……食ったな。よし。リノ、こいつを西側の資材置き場へ。昨日解体した重機の錆び落としをやらせろ。カレンと言ったな。その白銀の鎧、せっかくの頑丈さと反射率だ。研磨作業中の『火花除け』と、夜間作業の『反射材』として役に立ってもらうぞ」
「ひ、火花除けだと!? 私を、ただの壁として使うというのか! 私の騎士としての武勇は……!」
「武勇で工期が短縮できるなら、いくらでも使ってやるよ。文句があるなら、今の飯代と軍手の支給費を労働で返してから言え。……リノ、作業前点呼を徹底しろ。怪我をされたら労災の手続きが面倒だ」
サトウはそう言い残すと、再び事務所の図面台へと戻っていった。
カレンは、軍手をはめた自分の手を見つめ、愕然とする。
自分が今、屈辱を感じているはずなのに、「次の飯は何だろう」と考えてしまっている自分の裏切りに。
丘の下では、元・終焉を告げる者である重機が、サトウの指示通りに黙々と岩を砕いている。
その規則正しい音は、まるで新しい「現場の同僚」を歓迎しているかのようだった。




