【第十話】試用期間の現場実習(OJT)
「……ご馳走様。……美味であった」
カレンがホットサンドの最後の一口を飲み込み、その余韻に浸るように瞳を閉じた――その瞬間。
「点呼を始める。集合しろ」
サトウの拡声器から放たれた無機質な声が、現場の静寂を切り裂いた。
カレンが驚いて顔を上げると、そこには既にヘルメットのあご紐を締め、図面ボードを手にしたサトウと、眠たそうに目を擦りながらも軍手をはめるリノが立っていた。
「待て、魔術師……いやサトウ。食事の後の余韻というものがあるだろう。騎士たるもの、食後の瞑想もまた修練の一つ――」
「うちはホワイトだが、食休みは一時間と決めている。……マルハチマルマル(8:00)。作業開始の時間だ。リノ、不審者の数は?」
「えーと……あそこの茂みに三人、向こうの岩陰に二人。計五人です。みんなお腹が鳴ってますね」
リノが指差し確認で報告すると、カレンの顔がサッと青ざめた。森の影に潜んでいた精鋭の団員たちが、完全に捕捉されている。
サトウは無造作に、数枚の紙とインクの付いたパッドを地面に置いた。
「おい、茂みの連中。これ以上は不法侵入と見なす。ここに始末書と『現場立ち入り禁止』の誓約書を書け。書かないなら、昨日この重機が砕いた岩の代わりに、お前らを粉砕して工期を縮める。選べ」
サトウの冷徹な脅しに、茂みがガサガサと激しく揺れた。団員たちが絶望の表情でカレンを見つめる。
カレンは迷った。
だが、サトウの背後で唸りを上げる巨大な鉄の怪物(重機)の圧迫感に、彼女は震える声で命令を下した。
「……皆、引け! ここは私が内部からこの魔窟の弱点……工法を暴く。貴公らは一度帰還し、王都へ報告を! これは命令だ!」
苦渋の決断(という体裁)を下し、泣きながら去っていく部下たちを見送るカレン。その背中を見届けたサトウは、感情の欠片もない声でワイヤーブラシを投げ渡した。
「余計なコストが消えて清々したな。……カレン、そこの重機の外装パーツに付いた錆を全部落とせ。いわゆる『ケレン作業』だ」
「なっ……私に掃除をさせる気か!」
「食った分は働け。……リノ、手本を見せてやれ」
リノがサンダーを回し、凄まじい音と共に火花を散らす。それを見たカレンは、最初は屈辱に震えながら、渡されたブラシを鉄板に擦り付けた。
(……くっ、私は誓約騎士だ。聖剣を振るい、魔を断つのが私の本業……。それがなぜ、油と煤にまみれて鉄を磨いている……!)
だが、作業を始めて数十分後。カレンの中で何かが「バグり」始めた。
力を込めて擦るたびに、赤茶けた無様な錆が剥がれ落ち、その下から白銀の騎士の鎧にも負けない、鈍く、力強い鉄の地肌が現れる。
サトウは、腕を組んでその様子をじっと観察していた。カレンのブラシを動かすリズムが、剣の修行で培った呼吸法と同期し始める。シュシュシュ!と、規則正しい金属音が現場に響き、カレンの周囲だけが異様な集中力に包まれていく。
その様子を満足げに一瞥し、サトウが小さく鼻を鳴らした。
「……ほう、無の境地か。騎士道とやらは、掃除に向いてるようだな」
その煽りさえ、もはやカレンの耳には届かない。
カレンの脳内では「あと一ミリ、あと一掃きで私の勝ちだ」という、危険な職人魂が燃え上がっていた。
気づけば、日は西に傾いていた。
カレンの白銀の鎧は錆と油で黒ずみ、顔も煤だらけだ。だが、彼女が磨き上げた鉄板は、鏡のように夕日を反射していた。
「……終わったぞ、サトウ」
カレンが荒い息をつきながら、やり遂げた顔で告げる。だがサトウはチラリと時計を見ただけだった。
「リノより一時間遅い。工数で見れば赤字だ。……………飯にするぞ。」
サトウが指差した先では、半分に切ったドラム缶を再利用した巨大な鍋が、猛烈な焚き火の上で地獄の釜のように沸騰していた。
今夜の給食は『魔力猪のデミグラスシチュー』。
ゴロリと転がる魔力猪の肩ロースは、サトウが開発した魔力圧力釜で繊維の奥まで煮込まれ、スプーンを当てるだけでホロリと崩れた。溢れ出した脂が濃厚なデミグラスソースと溶け合い、焚き火の煙と混ざって、暴力的なまでに食欲をそそる香りを撒き散らしている。
「(……なんだ、この濃密さは。王宮のシチューが繊細な芸術品だとしたら、これは命を維持するための『燃料』だ。泥にまみれ、腕を使い果たした今の私には、この熱量こそが必要だったのだ……!)」
リノの隣で、無言でシチューを啜るカレン。
付け合わせの、鉄板でガリガリに焼かれたハードパンにソースを絡めて齧れば、肉の旨味が五臓六腑に染み渡る。労働の後の食事は、なぜか王宮の晩餐よりも「生」を実感させる味だった。
「明日はマルゴーサンマル(05:30)集合だ。北の森の境界線を測量し直す。あいつら、境界杭を勝手に動かしやがった」
サトウが望遠レンズで北の森を睨みつける。その目は、エルフの神秘など微塵も敬っておらず、ただ「ルール違反(測量詐欺)」に対する純粋な怒りに燃えていた。
「明日の朝飯は、厚切りベーコンのエッグマフィンだ。遅刻したら、お前の分はリノが食う」
――マフィン。
聞いたこともない響きだが、サトウが言うのなら間違いなく美味いのだろう。
「……ふん。……遅れるなよ、サトウ。貴公の測量とやらに、私が立ち会ってやる」
カレンは、油の付いた軍手で誇らしげに胸を叩いた。自分が騎士団長であることを、本気で忘れかけている顔で。




