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【第十一話】暁の点呼と見えない境界線


「……マルゴーサンマル(05:30)。一秒の狂いもなし」


未だ星の瞬きが残る黎明の現場。

サトウが懐中時計をパチンと仕舞いながら告げると、そこには昨日の泥汚れもそのままに、三脚を杖代わりに立つカレンの姿があった。


深夜の静寂が残る中、冷え切った空気を切り裂くように、暴力的なまでに芳醇な香りが漂い出す。


「カレンさん、おはようございます! ほら、約束のマフィンですよ!」

ひょっこりと顔を出したリノが、ほかほかの包みをカレンに手渡した。


包みを開くと、鉄板でガリガリに焼かれたマフィンから、とろけるチーズと半熟卵、そして肉厚なベーコンの脂が溢れ出した。一口齧れば、塩気と旨みが疲労困憊の身体にダイレクトに浸透していく。


「(……ああ、昨日のケレン作業で枯渇した私の筋肉が、この脂を、この炭水化物を求めて咆哮している……!)」


もはや優雅な騎士の食事ではない。

それは「今日の労働」という戦場を生き抜くための、切実な燃料補給ロジスティクスだった。


「……それにしてもサトウ、貴公は魔法だけでなく料理の腕も一流なのだな。この『まふぃん』とやらの焼き加減、見事だ」


カレンが感心したように呟くと、隣で同じくマフィンを頬張っていたリノが「えへへ」と誇らしげに胸を張った。


「カレンさん、これを作ったのは私ですよ? サトウさんは献立の指定と、火力の魔法を貸してくれるだけです!」


「……何だと? 貴公が作っているのか、リノ」


「はい! サトウさんの現場は『美味しい』ですから。私が美味しいご飯を作って、みんなで食べて、動いて、寝る! これが一番の魔力回復になるんですよ」


カレンは呆然とリノを見つめた。

昨夜のあの濃厚なデミグラスシチューも、

このマフィンも、目の前の幼い少女が「現場飯」として振る舞っていたものだったのか。


(……この少女、ただの助手ではない。サトウという暴君の胃袋を支え、現場の士気を食で支配しているというのか。……恐るべし、サトウの現場)


リノにヘルメットのズレを直されながら、

カレンは背筋が伸びる思いだった。


「……よし。サトウ、資材搬送ロジスティクスの準備は整った。いつでも出発できるぞ」

マフィンの包み紙を丁寧に畳み、自ら進んで巨大な測量杭の束を肩に担ぐカレン。


その姿に、かつての精鋭騎士団長の面影は……

今のところ、煤と油、そしてやる気に隠れて見えない。


作業は、昨日の「開拓」のさらに先、深い森の入り口で行われた。


サトウがレベル(測量機)を据え、リノが先方でスタッフ(標尺)を掲げる。カレンの仕事は、その間を往復して重い杭を運び、サトウが「打て」と命じた場所に巨大なハンマーを打ち込むことだ。


「サトウ、あそこに見えるのは精霊の祠ではないか? 騎士団の伝承では、あそこから先は『畏怖の領域』とされているのだが……」


「ただの不法占拠された共有地だ。図面ではうちの敷地が3メートル食い込まれている。……カレン、そこに杭を打て。誤差は5ミリ以内だ」


「5ミリだと!? この硬い地盤に、この太い杭をか……!」


文句を言いながらも、カレンは巨大なハンマーを振り下ろす。

シュッ、ドォン!

と、魔力を乗せた正確な一撃が杭を大地に沈める。

リノが遠くから「ナイスショットですー!」と手を振る。


サトウの「よし、次だ」という無機質な声。カレンは、全身を巡る熱い血潮と共に、奇妙な充足感を覚えていた。


(……おかしい。私はなぜ、この男に顎で使われることに喜びを見出している? いや、これは『現場』を預かる者としての連帯感……。そう、私は今、この未開の地に『秩序(図面)』を刻んでいるのだ……!)



だが、夕刻。予定していた最終地点に辿り着いた時、サトウが不意に足を止めた。


その視線の先、昨日サトウが仮打ちしておいた目印の杭が、無残に引き抜かれ、サトウ側の敷地内へとゴミのように放り出されていた。


「……サトウ、これは」


「……誰かが、俺の引いたルールを勝手に書き換えた挙句、不法投棄(ポイ捨て)までしていったらしいな」


サトウの纏う空気が、一瞬で冷徹な「現場監督」のそれに切り替わる。魔法で攻撃された時よりも、重機を壊された時よりも、その怒りは静かで、深い。




――カサリ。


深い森の奥から響いたその微かな音に、リノが即座に反応してサトウの背後へ回り込み、魔導書を構える。

カレンもまた、反射的に傍らの三脚を握りしめると、サトウを庇うように一歩前へ踏み出した。


霧の向こう側、緑の外套を纏った「隣人」たちの冷ややかな視線が、侵入者たちを射抜いていた。


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