【第五話】現場の安全基準
目の前に広がるのは、ひときわ濃い灰色の霧が渦巻く境界線だった。
そこを境に、転がっているガラクタの質が明らかに変わっている。より巨大で、より禍々しい輝きを放つ魔導兵装の残骸。
「あ、あの……! サトウさん、ここから先は本当にダメです! 『深部』ですよ!?」
背後で、獣耳の少女――彼女はリノと名乗った――が、震える声で叫んだ。
先ほど俺が調整した荷車をしっかりと掴み、彼女の足はそこでピタリと止まっている。
「……ダメ? 何がだ」
「何がって、魔素の濃度が異常なんです! 普通の人間なら、一歩入っただけで肺が焼けて、正気を失うって言われてるんですから!」
「……ああ、そのことか」
俺は足を止めずに答えた。
確かに、少しばかり空気が重苦しく、喉の奥がチリつく感じはする。だが、長年スクラップ工場で、溶接の煙や粉塵が舞う現場にいた俺からすれば、「換気が悪いな」という程度の認識でしかなかった。
「マスクでもありゃいいんだが……。まぁ、なきゃ作ればいい。おい、リノ。そこにある、化け物の『肺組織』と、あの防具の『フィルター』を貸せ」
「えっ? ……あ、はいっ!?」
俺は立ち止まり、【再び万物再利用】を起動させた。
化け物の死体から、魔素をろ過する機能を持つ器官を抽出する。そこに、落ちていた騎士の防具から剥ぎ取った繊維を強引に組み合わせた。
「……よし。簡易式の防塵、いや防魔マスクだ。こいつを顔に巻いておけ」
「……これ、なんですか? 生臭いですけど、なんだか……呼吸がすごく楽に……」
「余計な不純物を食わせるように組んだ。これで、お前の言う『深部』でも肺が焼けることはない」
俺は自分の分も適当に作り、口元に巻く。
これで安全基準(サトウ基準)はクリアだ。
「よし、進むぞ。あっちに、さっきから気になってた『大型の熱源』があるんだ」
「えぇぇ!? これだけで行くんですか!? もっと、聖騎士様の結界とかがないと無理ですって!」
絶叫する彼女の襟首を、俺は迷わず掴んだ。
「……いいか、リノ。現場で一番大事なのは『納期』と『好奇心』だ。あの山を見てみろ」
俺が指差した先。
土砂に埋もれた、巨大な金属の塊。
かつてこの戦場で最強を誇ったであろう、魔導ゴーレムの「心臓部」が、鈍い熱を持って露出していた。
「……あのベアリング。おそらく、ミスリルとオリハルコンの合金だ。今のままじゃ歪んでゴミだが、あいつをリユースすれば、お前の荷車の車軸は一生壊れねえぞ」
「そんな、神話級の素材を荷車に使うなんて……!」
「ゴミとして腐らせるよりは、荷車の軸として生きてる方がマシだろ。……ほら、引け。動けば怖くなくなる」
俺に強引に背中を押され、リノは泣きそうになりながらも、信じられないほど軽くなった荷車を引いて境界線を越えた。
霧の中を進むたび、リノの悲鳴が上がる。
一歩ごとに、彼女の常識では「数千万ゴールド」は下らないであろう名剣の破片や、伝説の防具が、サトウの手によって「ただの便利な部品」に書き換えられていく。
「……ほう、この素材。弾性がすごいな。切断して、リノの靴のソールに仕込むか。そうすれば、お前のその遅い足も少しはマシになるだろ」
「……あの、サトウさん。私、さっきから足が勝手に動くというか、飛んでるみたいなんですけど……」
「お前の古いブーツの底、すり減ってただろ。さっきの化け物の筋肉組織を『形状記憶素材』としてリユースしたんだ。反発力だけは一流だぞ」
「……私のブーツが、魔改造されてる……」
リノの困惑をよそに、俺の目はギラギラと輝いていた。
ここは、本当に素晴らしいヤードだ。
誰も踏み込まなかったからこそ、貴重な素材が「新品」のまま劣化せずに眠っている。
俺は、巨大なゴーレムの心臓部に辿り着くと、愛用のリユース鉈を振り下ろした。
「……さて。こいつをどう料理してやろうか。まずはバラして、中の真円度を確認させろよ」
霧の深部で、俺の笑い声と金属を叩く音が響き渡る。
傍らでは、最強の装備(足元とマスク)を与えられた世界一安全なはずのヒロインが、ただただ震えながらその「異常な作業風景」を見つめていた。




