【第二話】鉄の墓場と、最初の「ニコイチ」+
上空を覆うのは、まるですりガラスのように濁った、分厚い灰色の雲だった。
現代の感覚で言えばおそらく正午を過ぎたあたりなのだろうが、地上に届く陽光はひどく弱々しい。視界の最果てまで続く戦場跡は、まるで色彩を奪われた古いモノクロ写真のようだった。
普通の人間なら、その寒々しい静寂と死の気配に圧倒され、立ち尽くすか、あるいは恐怖で足を震わせるところだろう。
だが、俺——サトウにとって、この光景はモノクロームの絶望などでは断じてなかった。
「……これ、防神加工の形跡があるな。下地の処理が丁寧だ。こっちは……過負荷で魔導回路が完全に焼き切れてるが、外殻自体は歪みがない。まだ生きている」
気がつけば、俺は泥と錆に塗れた地面に膝をつき、這いつくばるようにして鉄屑の山へと取り付いていた。
数分前、工場のプレス機に潰される直前まで脳味噌を占めていた「もったいない」という思考。
それと今の俺の思考は、何の断絶もなく、完全に一本の線で地続きだった。
自分が死んで異世界に転生したというスピリチュアルな大事件すら、この膨大なガラクタの山を前にしては、些末なバックグラウンドノイズに過ぎない。
表面に深い太刀傷が刻まれた、重厚な漆黒の胸当て。
内部の圧力を逃がしきれずに折れ曲がった、見事な真鍮製のパイプ。
そして、歯が何枚も欠け、泥にまみれて転がっている、用途不明の巨大な歯車。
どれもが、この世界の住人からすれば「戦死者の怨念が宿った呪いの遺物」として忌み嫌い、放置する類のものだろう。
だが、俺はまるで長年連れ添った愛車のパーツでも愛でるかのような手つきで、それらを一つ一つ、丁寧に検分していく。
それは、驚くほど奇妙で、同時に酷く心地よい感覚だった。
道具も使わず、ただ泥を払ってその鉄肌に直接触れるだけで、その金属がかつてどんな役割を与えられ、どれほどの負荷に耐え、そして今、どこが「致命的に壊れているのか」が、指先を通じて直感的に脳裏へ流れ込んでくるのだ。
「このジョイントのクリアランス、スカスカじゃねえか。どこのどいつだ、こんな雑な設計をした奴は。これじゃあ少し大きな衝撃を喰らっただけで一発で噛み合わせがズレる。……だが、待てよ。こっちの破片の肉厚なら、ヤスリをかけてここに噛ませれば、ツライチ(面一)でピタリと繋がるはずだ」
夢中だった。完全に、自分の世界に入り込んでいた。
ここがどこなのかという疑問も、周囲の物陰に潜んでいるかもしれない未知の魔物の気配も、すべてが脳の片隅へと追いやられる。
俺が求めているのは、現代社会が押し付けてきたタイパだのコスパだのという効率ではない。生産性の向上でもない。
ただ、俺の指先に向かって「まだ使える」「ここで終わりたくない」と音なき悲鳴を上げている鉄たちの声を、もう一度、確かな「形」にしてやること。それだけだ。
「よし。この、ひび割れた『魔導兵器の装甲板』……材質はクロム系の合金か? これと、そこの芯が生きてる『槍の柄』。これなら……ニコイチで行ける。
いや、俺が無理矢理にでも行かせてみせる」
俺は泥だらけの両手で、それぞれの素材を力強く重ね合わせた。
頭の裏側、脳のコンクリートに、二つのジャンク品が解体され、再構成され、一つに融合していく明確な「設計図」が組み上がっていく。
――スキル、【万物再利用】
その瞬間、俺の掌から、魔力の輝きというよりは、金属が超高熱で溶融する直前のような、静かで青白い熱線のような燐光が溢れ出した。
キィィィィィィン――。
耳の奥を、旋盤が凄まじい速度で回転し、冷徹に金属を削り出していく時のような、あの脳が痺れるほど心地よい高音が突き抜ける。
触れていた装甲板の表面から、ボロボロと音を立てて古い赤錆が剥がれ落ちていく。
微細なひび割れの奥で眠っていた魔導回路が、新たな電流のバイパスを見出すようにして、強引に再配線されていく。
歪んでいた鉄板が、意志を持っているかのようにぐにゃりと融解し、槍の柄の断面をガッチリと包み込むようにして、その「形」を変形させていく。
熱い。
両手の皮膚が焼き切れそうなほどの熱量が伝わってくる。
だが、それは不快な熱さではなかった。
かつて工場で、鉄を溶かす溶鉱炉の前に立った時に感じた、命が新しく吹き込まれる瞬間の、圧倒的な「生命の熱量」そのものだった。
やがて、キィンという高音が余韻を残して消え去り、熱が引いていく。
光が完全に収まった時、俺の右手には、一振りの『鉈』がしっかりと握られていた。
他人が見れば、不格好極まりない武器と言うだろう。
異なる金属の境界線が不規則に入り乱れ、いかにも寄せ集めの、ツギハギだらけのガラクタ細工に見えるかもしれない。
だが、その刃を少し傾ければ、緻密な幾何学模様のような、息を呑むほど美しい積層の刃紋が浮かび上がっていた。
何より、柄を握り込んだ瞬間の重量バランスが、まるで最初から俺の腕の長さを計算して作られたかのように、完璧に、恐ろしいほどに馴染んでいた。
「……最高だ」
ぽつりと、誰に聞かせるでもない独り言が唇から漏れた。
現代社会の誰もが「直す価値のないゴミ」だと切り捨て、俺のこだわりを「異常者の執着」だと笑った。
だが、その社会からはみ出した俺の狂気が、今、この異世界の戦場跡で、確かに一つの、命ある武器として結実したのだ。胸の奥から、言葉にできない熱い塊が突き上げてくるのを感じていた。
だが。その至福の余韻に浸る時間は、長くは続かなかった。
ガサリ、カチャリ……。
すぐ右前方、打ち捨てられた巨大な盾が幾重にも重なる「盾の山」が、不自然に崩れる音が静寂を破った。
続いて聞こえてきたのは、獣のような、しかし粘膜が擦れ合うような、不快で低い地鳴りのような唸り声。
鉄の匂いに引き寄せられてきたのか。それとも、今しがた俺が発動したスキルの熱量に当てられたのか。
崩れた盾の隙間から、のそりと這い出てきたのは━━全身に赤黒く錆びついた戦死者の鎧を、まるで自らの皮膚であるかのように不気味に密着させた、醜悪な魔物の影だった。




