【第一話】鉄屑(ゴミ)に愛された男の終着点+
胃の腑を震わせるような重低音が、プレハブの事務所までガタガタと揺らしている。
巨大な油圧プレス機が、今日も休むことなく鉄を噛み砕き、ひしゃげさせ、ただの立方体の塊へと変えていく。
鳴り響く金属の擦過音、火花が散る焦げ臭い空気、そして皮膚にじっとりと張り付く潤滑油の匂い。
一般の人間なら数時間で頭痛を催すであろうこのスクラップ工場は、しかし、俺 ━━佐藤にとって、この世界で唯一の安息の地だった。
世間は俺のことを「社会不適合者」と呼ぶ。
他人の顔色を読むのが苦手で、流行りの会話にはついていけない。マニュアル通りの効率を求められれば、頭の芯が拒絶反応を起こしてフリーズする。
そんな「規格外の不良品」である俺を、この工場だけは、ただの労働力として、静かに風景の一部に組み込んでくれていた。
「おいサトウ! また手を止めて何ボサッとしてるんだ! 効率を考えろと何度も言ってるだろうが!」
鼓膜を突き刺すような上司の怒号が飛ぶ。
俺はハッと我に返ったが、手の中に収まった「それ」をどうしても放すことができなかった。
廃棄予定の大型重機から、力任せに叩き外された一本のボルト。ネジ山は潰れかけ、全体が赤黒い錆に覆われている。誰が見ても、ただの産業廃棄物。今日中に炉に放り込まれて溶かされるだけの、無価値な鉄屑だ。
だが、俺の目には違って見えた。
指先で錆のザラつきをなぞる。鉄の芯に残る、かつて巨大な鉄腕を支えていた確かな硬度と、職人が削り出したであろう精密な螺旋の記憶が、指を通じて脳裏に流れ込んでくるようだった。
━━━━━━これは、まだ死んでいない。
「……もったいないですよ。これ、ワイヤーブラシで丁寧に錆を落として、軽く油を差し直せば、まだ現役で締め直せます。新品を買うよりずっと……」
「あぁ? お前なぁ、そんなチマチマしたことに時間使って、全体のラインが遅れたらどうすんだよ! 時代はタイパとコスパなんだよ! ゴミはゴミ箱へ、スクラップはプレス機へ! 早く動かせ!」
上司は忌々しげに吐き捨て、背を向けて去っていった。
俺の言葉は、工場の爆音と、現代社会の冷徹な合理主義の中に容赦なくかき消された。
効率、生産性、使い捨て。
少しでも古くなれば、あるいは少しでも不具合が出れば、直す手間すら惜しんで新しいものに買い替える。
それがこの世界の正義だ。
なら、その輪転からこぼれ落ちた俺が、こうして「ゴミ屋」の片隅でガラクタを愛おしそうに見つめているのは、ある意味で因果応報、お似合いの終着駅なのかもしれない。
その、直後だった。
キィィィィィィィン――。
金属が限界まで引き絞られ、悲鳴を上げるような高音が、工場の騒音を切り裂いた。
見上げれば、頭上。
老朽化したクレーンの極太のワイヤーが、経年劣化による金属疲労に耐えかねて、何本もささくれ立ち、爆ぜるように千切れていく瞬間だった。
吊り上げられていたのは、数トンはあろうかという鉄塊の山。それが、重力に従って俺の真上から質量兵器となって降ってくる。
「サトウ! 逃げろッ!!」
遠くで誰かが叫んだ。
逃げる時間は、確かにあった。
一歩、いや半歩でも横に飛び退けば、衝撃波でかすり傷を負う程度で済んだはずだった。
なのに、俺の足はコンクリートの床に縫い付けられたように動かなかった。
落下する鉄塊の隙間に、一瞬だけ、見えてしまったのだ。
昭和の時代に作られたであろう、職人の魂が詰まった古い直列エンジンのシリンダーブロック。
その頑強な造形。今ではもう生産されていない、美しく無骨な鋳物の肌。
(ああ……あれ、まだ、火を入れれば動くのに……)
絶体絶命の瞬間だというのに、俺の脳裏を満たしたのは、己の命への執着ではなく、共に圧殺されようとしている「名機」への、狂気的なまでの惜別の情だった。
最悪だ。
死ぬ瞬間まで、俺は人間関係の一面も思い出せず、ゴミのことばかり考えている。
直後、世界が暗転した。
凄まじい衝撃が全身を粉砕し、痛みを感知するよりも早く、俺の意識は深い闇の底へと墜ちていった。
「……っ、げほっ、ごほっ!」
激しく咳き込みながら、俺は跳ね起きるように目を開けた。
てっきり、肉塊となってあの世の門を叩いているか、あるいは病院のベッドの上だと思っていた。だが、肺に流れ込んできたのは、無機質な消毒液の匂いではない。
どこか甘く、ひどく錆びついた、血の匂い。
そして、嗅いだこともない、大気をピリピリと震わせるような焦げ付いたエネルギーの残り香。
「ここは……どこだ?」
見上げた空は、工場のようなスレート吹きの天井ではなく、どんよりとした灰色の雲が渦巻く、見たこともないほど広大な天井だった。
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した俺は、その光景に言葉を失った。
地平線の彼方まで、遮るものなく広がっているのは、「鉄」の山だった。
だが、それは俺の知っている車のボディや建築資材ではない。
大人が十人がかりでも持ち上がらないほど巨大で、
禍々しい装飾が施された大剣の数々。
ドラゴンの牙を模したような、ひび割れた漆黒のフルプレートアーマー。
そして、魔法陣のような刻印が全身に彫り込まれながらも、胴体中央から真っ二つに叩き割られた、巨人のような魔導兵器の残骸。
それらが、まるで巨大な墓標のように、幾重にも重なり合い、文字通りの山を形成している。
ここは、かつて数万、数十万の英雄や異形の軍勢が激突し、そしてことごとくが塵となった、伝説の戦場跡━━━━「鉄の墓場」だった。
普通の人間の感覚を持っていれば、この世の終わりような呪わしい光景に、恐怖し、絶望し、泣き叫んでいただろう。
生者の気配が微塵もしない、死者たちの怨念が渦巻く底のない墓場なのだから。
だが。
俺の胸の奥から湧き上がってきたのは、恐怖とは真逆の、体の芯が熱くなるような歓喜の震えだった。
「なんだこれ……なんだよ、これ……ッ!」
笑みが、抑えきれずに溢れ出る。
これだけの密度、これだけの規模の、しかし誰にも顧みられることなく放置された「歴史の遺物」たち。
一歩歩くごとに、足元でカチャリと金属が鳴る。
そのすべてから、かつて宿っていたであろう絶大な力の残滓が、愛おしいほどの「素材の呼気」となって伝わってくる。
「宝の山じゃないか……!!」
俺は吸い寄せられるように、足元に転がっていた「折れた聖剣」の破片へと手を伸ばした。
黄金の輝きを失い、刀身の半ばから無残に叩き折れ、泥に塗れた刃。
誰の目から見ても、役目を終えたただのガラクタ。
しかし、俺の指先がその冷たい鉄肌に触れた、
その瞬間━━━
頭の芯に、冷徹で、しかし酷く澄んだ無機質な声が鳴り響いた。
《――個体名『サトウ』の魂の指向性を確認》
《世界律の再構築を開始……固有スキル【万物再利用】が覚醒しました》
現代社会において、効率の悪さゆえに「捨てられた」サトウが異世界の片隅で、役目を終えて「捨てられた歴史」と、今、完全に噛み合った。
「使い捨てなんて、させるかよ」
ガラクタに愛された男の、異世界でのリサイクル無双が、この死界の真ん中から幕を開けた。




