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【第十八話】 現場の誇りと、折れた爪


静寂が戻った現場で、エルミアは所在なく立ち尽くし、自分の指先を見つめていた。


先ほどまで森を飲み込もうとしていた黒い奔流は、今や無機質な「石の柱」と化し、地中に深く突き刺さっている。

精霊の長である自分が知る限り、地脈の暴走とは数週間かけて精霊への祈りと儀式を捧げ、ようやく鎮められる部類の災厄だったはずだ。

それを、このサトウという男は、鉄の塊と奇妙な薬液を用いて、ものの数分の「工事」で完全に封じ込めてしまった。


信じがたい光景だった。

だが、当のサトウはそんな奇跡など端から興味がないと言わんばかりに、休息も取らずに泥まみれになった重機の足回りを点検し始めている。


カチカチと金属音を響かせながら、長いバールを使って履帯の隙間に挟まった硬い岩の破片を一本ずつ器用に弾き飛ばしていく。


さらに、使い込まれたグリスガンを手に取ると、可動部のシリンダーや関節に迷いのない手付きで油を差していった。

その無機質でありながら、どこか相棒を労うような慈しみに満ちた手付き。

エルミアには、サトウが鉄の塊と静かに対話しているように見えてならなかった。


(……理屈がわかれば、ただの数値だと?)


先ほど、危機を前にしたサトウが平然と言い放った言葉が、エルミアの胸の奥で何度も重く反芻される。


彼女にとって、そしてこの森に生きる者たちにとって、魔法や呪いは世界の神秘であり、畏怖すべき自然の代弁そのものだった。


しかし、サトウの目に見えているものは違った。それは制御すべきただの圧力であり、計算式の変数に過ぎないのだ。


サトウは作業の手を止めると、地中から引き抜いたバケットの先端を凝視した。

精霊銀で補強したはずの爪が一本、無残に折れ曲がっている。彼はその破片を拾い上げ、指先で断面をなぞりながら、小さく眉をひそめた。


「おい、エルミア。この爪の断面を見てみろ。少し焦げ付いたような跡がある。魔力による瞬間的な高熱か、それとも一点に応力が集中しすぎたか……。いずれにせよ、次の現場に入る前には、焼き入れの温度と配合を見直す必要がありそうだな」


彼は「死線を越えて生き残ったこと」など、これっぽっちも幸運だとは思っていないようだった。


ただ、次により効率よく、より確実に「現場」を制することだけを見据えている。そのあまりにも徹底された合理性と職人としての執念に、エルミアは未知の恐怖を覚えると同時に、抗いようのない深い敬意を抱き始めていた。


「サトウ……貴公は怖くないのか」

たまらず、エルミアは声を絞り出した。


「精霊の地脈を強引に塞げば、さらなる呪いや、大自然の報復を招くかもしれぬのだぞ。それすらも、貴公にとってはただの計算ミスで済むというのか」


サトウは泥を拭ったタオルを無造作に肩にかけると、振り返って真っ直ぐにエルミアの瞳を見据えた。


「呪いが来たら、またその時に一番マシな工法を考えるだけだ。そこで怖がって止まってたら、現場は一歩も前に進まねえだろ。それに――」

サトウは折れた爪を工具箱に放り込み、ふっと視線を緩めた。


「それよりあんた、さっきの『銀の鎖』って魔法。あれ、流速を絞るには最高のタイミングだった。あんたのあの制御がなきゃ、薬液を圧入する前に、圧に負けて重機ごと後ろに吹っ飛んでた。……正直、助かったよ」


不意に投げかけられた「感謝」という名の明確な評価に、エルミアは息を呑み、次の言葉を失った。


偉大なる長として遠巻きに崇められる賞賛ではない。一人の、替えのきかない「現場作業員プロ」として正面から技術を認められたという事実。


それが、数百年間のどんな儀式で受けた敬意よりも、自分の胸を深く満たし、誇らしく感じさせてしまう。そんな未知の感情に、彼女は「すんっ」とした表情の裏で、ひどく困惑し、耳の後ろが熱くなるのを自覚していた。



「サトウさん、エルミア様! 復旧作業の前に、ひとまず温まりましょう!」

そこへ、張り詰めた空気を和らげるようにリノの明るい声が響いた。


彼女が大切そうに運んできたのは、陶器の器にパイ生地をこんもりと被せてオーブンで焼き上げた、特製のポットパイだった。


黄金色に膨らんだ生地は、見るからにサクサクとした質感を保っている。

「さあ、冷めないうちにどうぞ!」


エルミアは差し出されたスプーンを手に取り、そっとパイの表面を押し当てた。


 サクッ、パリッ


静かな現場に、小気味よい破壊音が響く。

何層にも折り重なった繊細な生地が割れた瞬間、閉じ込められていた熱気とともに、森の香草と厚切りベーコンの濃厚なクリームスープの香りが、暴力的なまでの白煙となってエルミアの顔を包み込んだ。


(……温かい。この男のやり方はどこまでも冷徹で、強引だ。だが、その結果として、今こうして私たちにもたらされているこの絶対的な安堵は、一体何なのだ)


フーフーと息を吹きかけ、とろりとしたスープを口に運ぶ。濃厚な旨味と塩気が、冷え切っていた身体の芯へと染み渡っていく。


エルミアはもはや「これは燃料補給だ」という言い訳を口にすることすら忘れていた。

熱いスープを一口、また一口と運ぶたびに、泥にまみれた身体の疲れだけでなく、彼女の中で頑なに凝り固まっていた古い価値観が、ゆっくりと、しかし確実に溶かされていくのを静かに受け入れていた。


18話までお読みいただきありがとうございます。

現場を制するためなら異世界の「呪い」すら一蹴するサトウ。合理的すぎる彼にエルミアが抱いた感情とは……。


次回、第19話は【明日・日曜日のお昼すぎ(13:00頃)】に更新予定です!初の昼更新、サトウの測量とカレンの空回りをぜひお楽しみに。


面白いと思ったら、評価やブクマでの応援もよろしくお願いします!

それでは、本日もどうぞご安全に!


明日はキララ

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