【十五話】精霊銀の重圧(あるいは現場のグレードアップ)
翌朝、サトウが現場に到着すると、そこには既に「先客」がいた。
切り立った岩の上に、白銀の長髪をなびかせたエルミアが、彫像のように静止して座っている。
その手には昨夜の「交渉」で渡されたはずの図面が握られていた。
「……遅いな、人間。精霊の土地をこれ以上無体にするのを防ぐため、私が直々に監視してやる」
エルミアの声は低く、感情の揺らぎを一切感じさせない。サトウは彼女の美貌にも威圧感にも一瞥もくれず、腰の安全帯を締め直しながら吐き捨てた。
「勝手にしろ。ただし、重機の旋回半径には絶対に入るな。死にたくなければな」
長である自分を「カラーコーン」か何かのように扱うサトウの言葉に、エルミアは怒るどころか、ただ冷めた瞳でサトウを観察した。
彼女にとって、この男はもはや理解の範疇を超えた、森の異物でしかなかった。
「リノ、カレン。報酬の『精霊銀』を運ぶぞ。チルホール(手動ウインチ)と滑車を準備しろ」
差し出された精霊銀の原石は、片手で持てるサイズながら、魔法的な比重のせいか驚くほど重かった。
エルミアは氷のように冷たい視線を投げかけ、淡々と告げる。
「無駄だ。それは森の重みそのもの。魔法の理を知らぬ野蛮な力任せでは、指一本動かすことすら――」
その言葉が終わる前に、カレンがサトウの指示通りにセットしたチルホールのレバーを「ふんぬっ!」と力強く引き抜いた。ギギギ、とワイヤーが鳴り、あれほど不動だった銀の塊が、物理の法則に従ってズルズルと地上を滑り始める。
「……ほう。魔法の介在せぬ理学か。醜悪だが、興味深い」
エルミアは驚きを表情に出さない。
ただ、未知の現象を分析するかのように、長い耳を微かに動かした。
一方のカレンは、額の汗を拭いながら切実な弱音を漏らす。
「……エルミア殿。これは『滑車』という、魔法よりよっぽど質実剛健な理なのだ。……ふぅ、だがやはり、昨日の揚げ物がまだ胃の隅に居座っていて、踏ん張りがきかぬ……」
作業はさらに加速する。
搬出された精霊銀は、リノの手によって即座に鍛造へと回された。ユンボのバケットの「爪」を補強するためだ。
「エルミア、暇ならそこの送風機を回せ。火力が足りない。精霊銀を溶かすには1500℃は欲しいんだ」
「私を、火を熾すだけの道具として扱うのか」
「工期が遅れれば森が崩れると言ったはずだ。あんたのプライドで地滑りが止まるなら、今すぐ止めてみせろ」
サトウの冷徹な正論に、エルミアは無表情のまま「ふいご」の前に立った。彼女は怒鳴ることもなく、ただ機械的な精密さで風を送り始める。
「……これが森を救うための合理だと言うなら、従おう。私は貴公ほど、感傷で動くつもりはない」
やがて、リノの手によって精霊銀の装甲を施された「強化バケット」が完成した。
サトウが操縦席に飛び乗り、重機が咆哮を上げる。
銀色に輝く三本の爪が、昨日まで火花を散らして弾かれていた硬質粘土層へズボリと突き立てられた。
―――ドゴォォォン!!
大気を震わせる衝撃音とともに、地盤が一気に引き裂かれる。詰まっていた地下水が泥水となって勢いよく排水路へ流れ出し、斜面の「緊張」が目に見えて解けていく。
「おお……! あのガチガチだった地盤が、炙りたてのパイ生地のようにサクサクと崩れていくぞ!」
カレンの感嘆の声が響く中、エルミアは、泥にまみれながらも必死に土を掻き出す重機の姿を、静かに見つめていた。
ただの破壊だと思っていたその暴力的な動きの中に、サトウの計算された「冷徹な救済」が体現されていることに、彼女は気づき始めていた。
「休憩だ。リノ、マフィンを炙れ」
サトウの声で、現場に安堵の空気が流れる。
リノが手際よく焚き火でマフィンを温め直すと、暴力的な甘い香りが周囲を支配した。
「……エルミア殿。ふいご回し、お疲れ様だった。ほら、食え。二日目の炙り直しは、味が凝縮されていて、身体に……染みるのだ」
カレンに差し出されたマフィンを、エルミアは無感情な瞳で見つめる。
「……理解不能だ。貴公らは、なぜこれほどまでに脂と熱を欲する」
そう言いながらも、彼女は一切の迷いなくマフィンを手に取った。
「……毒見をしよう。この汚濁に満ちた食事が、貴公らの理を支えているというのなら」
一口、静かにかじる。
その瞬間に見せた、エルミアの眉がわずかに寄る微細な変化だけが、彼女の陥落を予感させた。
第15話までお読みいただき、ありがとうございます。
魔法よりも「物理」が森を切り拓く、シュールな現場風景を楽しんでいただけたでしょうか。
どんなにクールな彼女でも、炙りたてのマフィンの香りには勝てなかったようです。
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明日はキララ




