第二章 真実 その19 「虎の眼に映った者」
「グルルルルルゥゥゥ......」
荒れ果てた校舎の隣。
そこに佇むは現実離れした巨躯の緑色の虎だった。
虎は唸り、眼光を鋭くして一点を見つめる。
その一点の先にあるのは、ユラユラと表面を揺らす、赤色に光ったドーム状の幕であった。
虎には分かっていた、あの幕は触れてよい代物ではないと。
万が一触れてしまえば無事では済まなくなると、そう本能で理解していた。
だからただ警戒し、見つめていた。
そんな時、自らの主から指令が届く。
『TAIGA君、あのドームには絶対に近づいてはなりません。あの密度では、触れた瞬間にあなたが吹き飛ばされてしまう……。総量だけでなく操作性まであのレベルの高さとは......本当に厄介な敵です。ですが彼女もたかが人間、無限ではないはずだ。いずれ力も尽きる。あの高密度の防壁だって少なくない消耗になってるはず。数で押して、力切れまで持ち込めばこちらの勝ちです……あなたは青年の息の根を止めるまで温存させといてください。青年の力も侮ってはいきませんから、あの女の相手は私の操るカラス軍団とと造兵共にやらせます』
言葉自体は理解出来ていない。
しかし、ほぼ一心同体である主の意図は言葉と共に流れ込み、自分が何をするべきなのかは瞬時に分かった。
『あの脅しでここまで来た彼らです。このまま籠りっぱなしってことはないでしょう』
そう言った主の言葉どうり、虎の目の前で真っ赤なドームに変化が起きた。
ドームの表面部分の揺らぎが大きくなり、虎の目の前に位置する部分に人一人分が通れる程の穴が開いた。
開いた穴の中から歩み出てきたのは、先ほど逃げ惑っていた青年。
まさに虎の攻撃目標、その人だった。
攻撃対象がのこのこと己の前に出てきてくれた。
しかし虎は動かない。
その眼を見開き、急いで臨戦態勢を整えながら青年の姿をただただ開いた眼光で見据えるだけだった。
まるでその動きに細心の注意を払い、最大の警戒心を抱くように。
先ほどまで狙っていた攻撃対象とドームから出てきた攻撃対象は同じのはず。
その見た目も、気配も確かに同一のものである。
それなのに、虎は確かに感じていた、先ほど自分が狙っていたものと歩み寄ってくるこいつは明らかに違っている、と。
何かが変わっている。
それは青年の自分に対する戦闘意欲か、はたまた恐怖を乗り越えた覚悟という奴なのかそれは分からない。
しかし、虎は確かにこの時、青年に対する認識を改めたのだ。
ただ殺すだけだった討伐対象から、倒さなければならない敵に。
目の前の存在は自分を殺しうる敵、全力で向き合わなければやられる相手なのだと、そう認識したのだ。
臨戦態勢を取った状態でその眼光を突き刺してくる、虎に対し青年も拳を握り虎を睨みつける。
その瞳には赤い燐光が、そして全身からは幻か、赤く揺らめくものが立ち上っていた。
両者お互いに突き刺すような眼光で睨み合い、
そして――
期せずして同時に、地面を抉るほどの推進力でお互いに向かい突っ込んだ。
「人間一人であんな怪物に太刀打ちできるわけないでしょう‼」
遡ること少し前
真っ赤なドームの中、戦哉は顔を真っ青にしながら全力で首を横に振っていた。
「大丈夫、大丈夫、お前も私と同じ覚醒者なんだから!あのぐらい楽勝、楽勝、すぐに倒せるって!見た目にビビらせれんな、今までの常識全部取っ払え」
そんな戦哉に対し、にこやか笑顔で肩を叩いてくるディア。
ディアの発言に戦哉は不安な面持ちで首を捻った。
「あんたと同じってそれこそ不安なんですけど、俺、人間やめた憶えありませんよ」
「私だって人間をやめた憶えはねぇよ......さっき、えげつないパンチで白衣野郎の頭、地面にめり込んで破裂させてたじゃねぇか、あの感じでいいんだよ、あの感じで」
そのディアの発言を聞き、戦哉はさらに不安の色を強めた。
「いや、それが......俺、戦ってる時の感覚、怒りに呑まれてほぼ憶えてないんですよねぇ。……だからあの感じって言われても分からないっていうか......」
申し訳なさそうな面持ちでディアを見上げる。
「ん?それはどうゆうこった」
戦哉の発言に今度はディアが訝し気な目を向け問いかけた。
「いや、戦ってるの光景自体はちゃんと憶えているんですよ、戦っている自我みたいなものもありますし......でもその時身体を動かしてるのは俺自身の力じゃないっていうか、勝手に湧いてきた力がそのまま俺の身体を使ってるというか......」
どう説明したらよいのか分からない感覚に、戦哉は眉を捻りながらなんとか言葉にする。
「だから、はいッ今、さっきと同じことをやって、て言われても出来ないんですよね、あの力が自然に湧くのを待つしかないので......」
なので今の状態では到底あの虎とは戦える気が全くしません、とディアを真っ直ぐ見上げながら言う戦哉の発言にディアは手を顎に当て考え始めた。
「ああなるほど、覚醒したばっかで力にふりまわされてる状態か......そういえば感情をうんたらこうたら言ってたな......その力が湧くきっかけとかないのか?」
問いかけられ戦哉は考える。
「たぶん、人の痛みとか恐怖の感情を読み取ってしまった時じゃないかなって思うんだけど」
「よしッ分かった。じゃあちょっとこっち来い」
「い、痛ッ、ちょっと!頭取れる!!」
そう言ったディアは戦哉の頭をガシッと掴みだし、振り返ると、とある人の元まで歩いて行った。
「あ......あんたはいったい誰なんだ、神崎の知り合いか?」
それは今まで状況を飲み込めず、ディアと戦哉が話すのをポカンと眺めるしかなかった楠木教師だった。
柴崎を後ろに隠しながらディアを困惑した表情で見つめる楠木教師にディアはニカッとした笑顔で喋りかけた。
「あんたの記憶ちょっと借りるぞ」
そう言ってディアは楠木教師の頭を物凄い速さで掴みだした。
すぐ後ろにいた柴崎も楠木教師自身ですら反応できない。
そして反応できない状態でそのままにディアの手のひらが両方とも赤く光りだす。
行われたのは記憶の受け渡しだった。
戦哉の頭の中に楠木教師の記憶が流れ込む。
それは先ほどの体育館での、柴崎が立ち去った後の記憶だった。
燃える火の中、白衣の化け物の猛威が襲い来る。
腹を殴られ、あばらを折られ、手も足も出ず燃える体育館中を吹き飛ばされた。
立ち上がる隙もなく続く化け物の攻撃に意識が朦朧とし、最後は呼吸が一切できない程に首を絞めつけられた。
燃える体育館の中、火に焼かれる感覚、殴られ体の中を潰される痛み、適うはずのない絶望、そして待ち受ける死に対する恐怖、おそらく戦哉が助けに来るまでに感じたであろう、抱いたであろう楠木教師の感覚や感情が全て戦哉の中に流れ込んできた。
戦哉の中で再び、化け物を殴りつけた時の感覚、巨大な虎を見て衝撃を受けるまで止まらなかった感覚が流れ、荒れ狂い始める。
「……もうこれでいけそうか?」
戦哉と楠木教師、どちらの頭からも手を離し、ディアは問いかける。
手を離され、何をされたかも分からず、突然襲ってくる眩暈にふらッと立ち眩む楠木教師と、それを心配し駆け寄る柴崎。
その二人の目線も一気に戦哉に引き寄せられた。
戦哉は顔を上げる。
(許さないッッ‼先生が受けた痛み、全部あの獣野郎に倍にして返してやる‼)
その目はメラメラと真っ赤に燃えていた。
「うん、大丈夫、これでいける。今ならあの虎を完膚なきまでに叩きのめせる」
戦哉は静かに、内に渦巻く怒りを抑えながら、そう言い放った。
楠木教師は佇む戦哉を見て思う、あれは本当に自分の知ってる神崎なのか、と。
柴崎は見て思う、あの時の彼と同じだ、と
そしてディアはそんな戦哉の顔を見て、ニヤリと、それはもう嬉しそうな子供のような笑顔を浮かべた。




