第一章 目覚め その17「死闘――そして決着」
「……今からテメェを、ぐちゃぐちゃに捻りつぶしてやる!」
そう言った男の手には1本の注射器が掲げられていた。
(なんだ?)
戦哉は訝し気な目で、掲げられた注射器を見つめる。中には緑色の液体が入っており、その液体は淡く光を放っていた。
男はそのまま首に注射器を当て、自らの体内へ液体を注入していく。
(……何かは知らんが、先に止めを刺す)
戦哉は、液体が全て注入されきる前に、男の動きを封じようと動き出した。
男の前まで一気に距離を詰め、首元に差し込まれている注射器めがけて蹴りを放つ。
これまでの攻撃からして戦哉の動きに、男は反応することさえ出来ないはず。
しかし、放った蹴りは注射器に届くことはなかった。
(……なッ!!)
がっしりと、注射器を持たない方の男の手が戦哉の足を掴み、蹴りを防いでいた。
戦哉は驚愕を顔に浮かべる。
それは今までなら通用していた渾身の蹴りが男に止められたから――ではない。
戦哉の足を掴むその腕、そしてこちらを見上げる男の顔には、とてつもない数の血管が浮かび上がり、ドクンドクンと波打ち立っていた。明らかに正常ではないその血管の動きに戦哉は絶句する。まるで男の体内で無数の芋虫が這っているかのようだった。
蹴りを受け止めた男は、その顔に笑顔を浮かべ、液体を全て体内へと注入し終える。そして、空になった注射器を横合いへと投げ捨てると、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ」
男は大きく雄たけびを上げた。
建物全体を揺るがす程の、とてつもない大声に戦哉は思わず顔を歪めて耳を塞ぐ。
(……あ、頭が……わ、割れる......‼)
この時点ですでに、戦哉は男の体に起きた異変に気付き始めていた。
(距離を取りてぇのに……あ、足が、とれねぇ!......なんだこの力⁉)
掴まれた足が、全く動かない。
どれだけ力を込めて動かそうにも、ピクリともしない。
それどころかギリギリと音を立て、今にも折られてしまいそうなほどの握力で握り締められていた。
男の明らかなパワーアップに戦哉は冷や汗を流す。
男の身に起こる異変はそれだけにとどまらず、さらに加速していく。
「……うッ、うぐぐ......ぐあああ……」
雄たけびを上げ終え、そのままの姿勢で歯を食いしばり、呻き声をあげ始めた男。
その身体に明らかな変異が生じた。
(う、うわッ......なんだこれッ⁉)
吊り上げられていく戦哉の身体。
男の体がみるみるうちに巨大化していく。男の全身の筋肉がボゴッ、ボゴッ、と音を立て、その色まで変えながら、どんどんと肥大化していった。
腕や足は建物の柱とほぼ変わらない太さになり、体の大きさも、もはや人間と呼べる体格ではなくなっていく。
最終的に、男は身長5メートルを超える巨人へと変貌を遂げた。
身に着けていた衣服は全て破け、晒された体色はおぞましい深緑に変わっている。
男は正真正銘の化け物と化した。
戦哉はその目を見開き、ぶら下げられた状態で男の顔を見る。
男は人相すらも変わり果て、元の姿の面影はかすかに残る金色の頭髪だけとなっていた。
その目は白目を向いており、しっかりとした人格が残っているのかすらも定かではない。
(……感情が読み取れない‼……まさかこいつ、昨日の奴と同じ……)
変わり果てた男から、感情と呼べるものを感じ取れないことに気付いた戦哉は、脳裏に昨日のホームレスの姿が蘇る。
化け物へと変貌を遂げた男はゆっくりと顔を下に向け、自ら手に持つ、ぶら下げられた状態の戦哉へと目線を向けた。
戦哉の目線と化け物の白目が重なる。
その瞬間、化け物は口元の端を吊り上げ、その顔に二カッとした笑みを浮かべた。
(……笑いやがった!!……てことは感情がッ⁉)
その笑みを見て、戦哉の脳裏に疑念が浮かぶが、
しかし、その思考をかき消すように戦哉の視界が大きくぶれた。
ガンッ
「――ガハッ‼」
次の瞬間、鈍い音が鳴り響き、戦哉の身体に強烈な痛みと衝撃が走る。
自分の身体が思いっきり床に叩きつけられたのだと、その瞬間には理解できなかった。
ガンッ ガンッ ガンッ ガンッ
「――ガフッ‼」
立て続けに生じる痛みと衝撃。戦哉の身体は幾度も床に叩きつけられていた。
口や目、至る所から血が噴き出すのが戦哉自身にも分かる。
これほどの猛攻を受けて何故自分の身体が壊れないのか、何故意識はなくなってくれないのか、激痛の中で戦哉には不思議に思えてならなかった。
――ブンッ ブンッ バリンッ
幾度目かの叩きつけの後、戦哉の身体は化け物によって思いっきりぶん回され、病院のガラス窓へと勢いそのままに投げ飛ばされた。
頭からガラス窓へと、とてつもない勢いで突っ込んでいく戦哉の身体。
誰が見ても、勝敗が決したような光景だった。
柴崎含め、意識を保ったままの人々の目には、その場で何が起きているのか一切理解できなかった。これは夢だと、本気で認識する者も少なくなかった。あまりに非現実的な光景に、これは夢だと、自分に言い聞かせるしか方法がなかった。
しかし、そんな人々から見ても、目の前で戦哉に対し行われた圧倒的暴力は、もうダメだ、と化け物の勝利を確信させるもので、ロビーに集まる人々の顔は再び絶望の色で染まってしまっていた。
「うがああああああああああああああああああああああああ」
窓の外へと消えていった戦哉の身体を見届け、化け物は勝利を確信し、再度雄たけびを上げる。
――その窓から、高速で戻ってきた影には気づきもしないで。
「……痛ッッッてぇぇぇぇぇぇなぁァァァァアアアア!!」
突如、化け物の耳にそんな怒りに満ちた声が響く。
その瞬間、目の前が影で覆われ、今まさに蹴りを繰り出そうとする戦哉の姿が映った。
ドゴンッ
轟音と共に化け物の巨体が後ろへ吹き飛ぶ。
その場に佇んでいたのは先ほどよりも、なお血だらけになった戦哉の姿だった。
それを見ていた人たちは、急に現れた戦哉に目を見開く。中には歓声の声を上げる者までいた。
当の戦哉に、そんな声は全く聞こえてはいない。
ただただ正面の、壁に突っ込んだ化け物を見据えていた。
(やっぱり、全然効いてねぇなぁ……)
戦哉の視界に映る化け物は、吹き飛び壁に突っ込ませはしたものの、見るからにピンピンとしていた。
自分の今の、怒りに任せたただの打撃では、致命傷は与えられないと悟る。
「……ッ、ふぅ~~~~~~~~~~~~~~~~」
(……さっき見えた人の紫色の光とは別で、いつもと違う感覚が、ずっと自分の内側にある……最初は呑まれた時に生じる、いつもの俺の怒りの感情だと思ってたが……たぶん、これは違う……)
戦哉は息を吐き、何とか呑まれそうになるほどの、内で燻る怒りを抑える。
そして、それゆえに見えてきた新しい感覚へと目を向ける。
(……あいつに攻撃を受けるたびに積み重なっていくこれはもしかして……ふんッ、なんで初めて感じる得体のしれねぇもんなのに、こうも使い方と正体が当たり前のように分かってくるかねぇ。ホント、俺の身体どうしちまったんだろ?)
化け物を見据えながら、戦哉は拳を再び握り直す。
(まぁいいや、今はあいつをぶちころせるんなら……なぁ、金髪化け物野郎、そういえばテメェには与えられっぱなしで、まだ返してねぇもんがあったよなぁ!!)
戦哉は顔に笑みを浮かべ、体の内に感じていたものを拳へと流した。
瞬く間に赤い光を纏いだす戦哉の拳。
「ッ!うぅぅ、うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ」
その光を見て、化け物も壁の瓦礫を跳ね除け、戦哉に向かい突進してくる。
それに合わせ、戦哉も今出せる最高速で化け物に向かい突っ込んだ。
化け物が放ってくる無数の攻撃を躱しながら、必死に懐に入れる隙を探す。
人間の頃に比べ、攻撃のスピードも反応速度も格段に上がった化け物はそれをフルに生かし、戦哉を叩き潰そうとしてくる。それを躱しきる戦哉の神経は極限まで高まっていた。
「ぐッ‼……」
ついに戦哉の動きが一瞬止まる。
化け物はそれを見逃さず、そこに拳を繰り出した。
「......嘘だよ、バーカ」
完全に決めたと思った一撃、それを戦哉は身体を回転させスレスレの所で躱す。これにより戦哉はついに化け物の懐へ入った。
「……くらいやがれ、こんのックソ野郎!!」
赤く光る拳が、化け物の顔面に刺さる。
そのまま化け物は後方へと吹っ飛んでいった。
「はぁ、はぁ……」
ドサリッ
残った戦哉は、その場で膝から崩れ落ちた。
(……ダメだ、急に体の力が一気に……)
床に倒れ込む戦哉。
しかし、恐ろしいことに吹き飛ばされた化け物は再び立ち上がった。
(……嘘ッ……だろ……効いて……ないのか?)
「うがぁぁぁああああああああああああ」
声を上げる化け物、だがこちらに近づいてくる様子はない。
「うがッ、うがああああああああああああ」
それどころか化け物はその場で膝を崩し、苦しそうに悶え、呻き始めた。
バンッ バンッ バンッ
バキッ ゴガッ バゴッ
悶え始めて束の間、化け物の身体からは、様々な音が響きながら血が大量に噴き出した。
それはまるで大量の銃弾を浴びるように身体中に穴があき、さらに固い何かに叩きつけられているかのように腕や、足、頭が潰れていく。
化け物の身体には内側からも外側からも共に様々な外傷が出来、戦哉が受けた攻撃が何倍にも増幅され、化け物自身の身体を破壊しているかのようだった。
呻き声だけを発しながら、元の原型を完全に崩壊させていく化け物の肉体。
しばらくしてそこに残ったのは、物言わぬ大きな赤黒い肉片だけだった。
周りには大量の血をぶちまけており、戦哉自身も動けない状態でそれを浴びることになった。
身体を真っ赤にして、戦哉は掠れる意識で思った。
(あ~~あ、びっくりした……時間差あるのかよ……)
戦哉の意識は昨日と同じで、そのまま闇へと沈んでいき、その場には巨大な肉片と、血だまりの中で沈む青年を交互に見つめながら、ただただ唖然とするしかない人たちだけが残った。




