おまじない
ヴァンシルは目の前の光景を呆然と見つめた。
素早くルーファスとエリオットに取り押さえられた侍女は、かぶっていたらしいつけ髪が取れ、濃紺の髪が顔にかかっている。
隣に座っていたアイシアは胸に刺さったナイフを両手で押さえたまま、口から血を吐いた。
美しいピンク色に色づいた唇から流れる赤い血液にヴァンシルは自身の胸が嫌な音を立てるのを聞いた。
「アイ…シア嬢…?」
ゆっくり人形のように椅子から滑り落ちていくアイシアを、ルーファスが抱き留める。
「シア!しっかりしろ!!あぁ、僕の渡した魔石は…?」
「…ポ…トの…っ…。」
アイシアが震える手でドレスのポケットを押さえる。
嘘…
入れたはずなのに…ない…
ナイフの刺さった胸が熱い。
エリオットに抑えられたまま、ハハハッとカミラが声を出して笑った。
「魔石なら抜いてやった。昨晩抜き取ろうと思って部屋へ行ったが、ご丁寧に結界が張ってあったからな…。今朝の準備の時にメイドに紛れて取り出してやったわ。」
「…ア…アイシア嬢!!そんな…。」
ヴァンシルがアイシアの前に膝をついた時に、アイシアの胸に黒く丸い穴が開いたように見えた。
その瞬間、アイシアを支えていたルーファスの口から血が噴き出した。
「え…?」
その場に居たエリオットもジュリアスも、そして目の前にいるヴァンシルも呆然となる。
「良かった…。僕のおまじないが効いた…。」
血を流しながら、ルーファスがフッと笑顔を見せるとアイシアを抱きしめたままゆっくり倒れていく。
そして胸にナイフが刺さっていたはずのアイシアは自身の胸に何も刺さっていないことに気付いた。
アイシアの下で微笑むルーファスを見ると、その胸にアイシアに刺さっていたはずのナイフがあった。
「いや…っ!ルーファス様!!なんで?どうして…。」
「シア…。きみを…守ると…やく…そ…く…した…。」
「そんな!!嫌よ、ルーファス様!!」
アイシアが急いでルーファスの胸に回復魔法をかける。
いや…、嫌…!!神様、お願い、この人を連れて行かないで……
アイシアは渾身の魔力を込めて治癒をしようとするが、致命傷の為なかなか回復しない。
「フフフッ!!とうとうやったわ!!入れ替わることは予想外だったけれど、これで私の悲願も達成したわ。よくやってくれたわ、カミラ。」
後ろで笑い出した王妃にヴァンシルが呆然と振り向く。
「母上…まさか…。」
「ええ、そうよ、私は全て知っていたわ。ずっと私を苦しめるそこの二人を殺したくて仕方なかった。
あの時…カミラから貰った毒がこの国にない毒だとわかっていた。でも、どうでも良かった。あの女が産んだ子供が苦しむのならどうでも。」
見たこともないほど醜悪な顔で笑う母を、ヴァンシルは信じられない思いで見つめる。
「なぜ、アイシア嬢まで…?」
ヴァンシルの震える声に、エリザベートは笑った。
「嫌いだからよ。
あの女さえ居なければ…。」
そう言ってギロリと必死でルーファスに回復魔法をかけているアイシアを睨みつけた。
「お前さえ現れなければ、ランベルク様のお心は私だけのモノだったのに!!」
「は…?母上…?」
「お前にわかる?
政略で決められた婚約者のいた私に、美しい王子様が一目見て恋に落ちたと。
初めて会った日から毎日のように花を贈られ、頭を下げて結婚してほしいと、一緒に国を支えてほしいと懇願された。
夢のようだったのよ!自分がどれほど幸運で愛されているのかと、これがずっとこれからも続いていくのだと夢を見たのよ。
それなのに…あの男は…私に生涯の愛を囁いたその口で、別の女を愛したわ!夢見るような熱い眼差しで、かつて私を見つめたその熱さで、自分の息子を産んだ私を残して他の女を愛した。
許せなかった。
私は一緒にこの国を支えてほしいと言われ、辛くなるほど勉強したのに。民のために、愛した男のために、慈善事業も社交も必死で…!!
それなのに、なぜなの…?
なぜ、お前は美しいの…なぜ、愛されるの…なぜ…そんなに優しいの…。」
ヴァンシルは目の前の母親がアイシアではなく、アイリーン姫を見ているのだと気付いた。
アイリーン姫は15歳と思えない程、凛とした美しい姫だった。
細く儚げなのに芯のある性格で、凛とした美しいアメジストの蠱惑の瞳が見る者を狂わせた。
側妃として嫁いできた時から、彼女は私を慕う様に傍に来た。
国を救ってくださり、ありがとうございますと頭を下げ、正妃である私に側妃である自分の存在がどれほど心労を与えるかと、辛そうに詫びた。
彼女も、国のために自分を犠牲にした一人だとわかっていた。
あれほど若く美しい姫が、13歳も年上の他国の王の側妃になるなど、喜ばしいことでは決してなかったはずだ。
冷静に考えればわかるはずなのに、頭が靄にかかった様に冷静になれなかった。
心の中にどんどん黒い靄のようなものが溜まっていく。
恨みや嫌悪、いつしかそれが憎悪に代わり、この女とその息子をこの世から消してしまわなければこの地獄は終わらないと思うほど、心が真黒になった。
思い描いた幸せな未来もこの国の安寧も、王の愛も、この二人さえいなければと…。
思い返せば暗い気持ちになるときには傍に信頼していた侍女のカミラがいた。
あの頃から私は彼女の闇魔法で精神を弑逆されていたのだろう。
カミラにあの子供を殺す毒を用意しましたと瓶を渡された時、自分の手にある物が、この国にはない毒だと気付いた。
カミラは何なのだろう。
でも、何者だって良い。私を助けてくれるカミラは救世主だった。
この地獄を終わらせたい。
あの女が死んでも、前みたいに王は熱い目で私を見つめることはなくなった。
どこか目を逸らしたように、気を遣う様に、顔色を窺うように…
そんなもの、いらないのよ。
私が欲しかったのは永遠の愛。
あれほどまっすぐに愛してくれたのは何だったのか。
そして側妃としてあの女を迎えることを私に黙っていたのは…それが一番許せなかった。
せめて話してほしかった。
許してくれと、仕方ないのだと言ってほしかった。
そうしたら私は…これほどの闇を抱えることなどなかったのではないか…。
「…死なせない…!ルーファス様、お願い、戻ってきて。私を幸せにすると言ってくれたでしょう…?」
アイシアは自身の持つ魔力を全て込めて聖魔法を使った。魔力が尽きてもいい。どうか…。
その時、アイシアから強い光が溢れ、アイシアとルーファスを包んだ。
光はそのままルーファスの胸に集中し、ゆっくりと吸収するように消えていく。
瞬間、アイシアの体から力が抜け、ゴッソリ魔力が尽きたことがわかった。
気を失いそうになりながら、アイシアはルーファスの手を握る。
傍には血の付いたナイフが転がっている。
「ルーファス様…。」
アイシアの必死の声に、ゆっくりルーファスは目を開いた。
目の前に映る泣き顔のアイシアにルーファスはフッと笑うと愛おしい人の名を呼んだ。
「シア…。」
「ルーファス様!!」
ブワッと溢れた涙をそのままに、アイシアはルーファスに抱き着く。
傍でカミラを押さえたままのジュリアスとエリオットもホッとしたように息を吐く。
ヴァンシルはその光景を見つめながらゆっくり目を閉じた。




