侍女の逃亡
「失礼します。」
侍女の声でふと目を覚ましたアイシアは、昨日遅くまで考え事をしていたはずなのに、いつの間にか寝てきたのかと体を起こした。
「おはようございます、ジョゼット侯爵令嬢様。」
セラフィーヌがつけてくれた彼女専属の侍女は、30代くらいの静かな女性だ。
「おはようございます。寝過ごしたかしら?」
アイシアは手渡された濡れた布で顔を拭くと、窓の外を振り返った。
「いえ、まだ、朝食には早い時間でございます。ただ、セラフィーㇴ殿下が、起きたら少し時間を欲しいとおっしゃっておりまして…。」
困った様な、それでも自身の王女を敬愛している眼差しに、アイシアはフッと笑みを浮かべた。
「セラフィーヌ王女殿下が…。砦に戻る前に一度ご挨拶したかったので、すぐに準備するわ。」
グンと伸びをしてから、ベッドから降りると、侍女がすぐに着替えを用意してくれた。
馬車での移動の為、髪はそのまま下ろしてもらい、、薄く化粧が施された。
「ジョゼット侯爵令嬢様の髪も肌もとても健康で美しいですね。」
梳いただけでキラキラと光る淡い金髪を、眩しそうに見つめながら、アイシアの身支度を整えてくれると、その侍女はそっと頭を下げた。
「…、ジョゼット侯爵令嬢様。この度はガルシア帝国に来て、王妃殿下の…皆の治癒をして頂き、ありがとうございました。実は患者の中に近衛騎士団に所属する弟もいたのです。
日に日に衰弱していく様子に心配で胸が張り裂けそうな日々でしたが、とても元気にいつも通りの明るい笑顔に会えました。」
「まぁ、そうでしたのね。回復されてよかったわ。早く王都から離れたところにいるガルシア帝国の民達にも治療が行き届く様にするわね。」
嬉しそうにニッコリと笑うアイシアの笑顔に、侍女も笑みを浮かべた。
それからアイシアは案内されたセラフィーヌ王女のいる、王妃の部屋へ通された。
「アイシア様!おはようございます。朝早くから申し訳ございません。」
嬉しそうにアイシアの前に駆け寄るセラフィーヌに、ベッドの上で体を起こしている王妃が苦笑いをする。
「王女ともあろうものが室内で走るなんて、無作法ですよ。」
「あ、申し訳ございません、アイシア様。フフ…、こうしてお母さまのお小言を聞けるなんて幸せだわ。アイシア様のお陰です。ありがとうございました。」
不安そうな様子だったセラフィーヌ王女は、今日は輝く様な笑顔を見せている。
本来はこんな無邪気な方なのだろう。
「王妃殿下も体調はいかがでしょうか?まだ、体調が戻るまでは時間がかかります。
もしよろしければ、魔法をかけてよろしいでしょうか?」
「魔法?もしかして、移動中にかけて下さった癒しの魔法ですか?お願いします!」
セラフィーヌが弾んだ声で答えて、アイシアは王妃の側により、手を取ると、そっと呪文を唱える。
フワッと温かいものが体を巡り、王妃は驚いたようにまぁ、と声を上げた。
「治療していただいて随分体が楽になったというのに、今、もっと体が軽くなったわ。」
「ね、アイシア様は本当に素晴らしいのよ、お母さま。」
「なぜ、あなたが誇らしそうに言うの?フフ…ありがとう、ジョゼット侯爵令嬢様。」
幸せそうに笑い合う母娘の様子に、温かい気持ちになる。
「これから、トーア砦に向かい、ヴァンシル殿下と合流して、薬の準備をします。ガルシア帝国の風魔法や聖魔法を使える方にも協力頂き、重症患者は引継ぎ私が見てまわります。」
「本当に…ありがとうございます。また戻って来て頂けるのですね。ヴァンシル殿下は…治療が終われば入国して頂けるのかしら…?ぜひ、母に会って頂きたいですもの。」
はにかんだ笑顔が、心なしか赤い。
「その旨、お伝えします。」
セラフィーヌ様は、ヴァンシル殿下がお好きなのかしら…?移動中の馬車でも、ずっと目が彼を追っていたわ。
あれほど親身になって力を貸してくれる、素敵な王子様だもの。好きになっても仕方ないわ。
「ルーファス殿下は、大人気だったようですね。侍女達が騒いでいました。絵本の妖精王のように、とても美しいですもの。きっと縁談の申し込みが殺到しますよ。」
セラフィーヌの言葉に、グッとアイシアは息を飲んだ。
「ヴァンシル殿下が太陽なら、ルーファス殿下は月のようですよね。どこか冷たい印象で、最初は少し怖かったのです。でも、アイシア様とは家族のようなものとお伺いしましたが、とても優しい目になります。」
「…訳あって、ルーファス様は、幼少期より我が家でお預かりしていたのです。魔法の才が素晴らしく、父が鍛えておりました。ルーファス様は魔法の天才です。」
アイシアの言葉に、リリアーナ王妃は何か気付いたようだ。
「ルーファス殿下は…、私の…我が国の王の甥でもあります。生まれた時から体が弱く、寝たきりで余命いくばくかといわれていたのは真実だったのでしょうか?いえ、それは今聞くことではないのでしょうね。
ジョゼット侯爵令嬢様、大事な甥を、ルーファス殿下を支えて下さってありがとうございます。」
王妃は静かに頭を下げた。
「…いえ…、っ私は何も…。」
聡い方だわ。
きっとルーファス様のフェイレイ王国での扱いに気付いたのだわ。
もしかすると、この国のアイリーン姫の印象から見て、隣国の庶子の子として見捨てられた存在のような扱いだったのは、フェイレイ王国の、王妃の印象操作だったのか。
この慈悲深いリリアーナ王妃が、隣国へ嫁いだアイリーン姫の遺児を放置するとは思えない。
アイシアは自分が魔法にかまけて、社交に消極的だった自身を後悔した。
もっとしっかり、周りに目を向けて広い視野を持たないといけないわ。
ガルシア帝国との親善パーティーに参加する資格は持っていたし、父にどうかと聞かれたこともあるのに、面倒だと行かなかった自分を恥じる。
もっと早く、セラフィーヌ王女や、このリリアーナ王妃ともお会いできていたはずなのに。
「我が国の事なのに、あなた達にはご迷惑をおかけしますが、どうか、この国の民達を助けてください。
よろしくお願いします。」
「力の尽します。王妃殿下、王女殿下、それでは失礼いたします。」
その後、フェイレイ王国からの一団はトーア砦へと向かった。
「ジョゼット侯爵、ルーファス、アイシア嬢、ご苦労だったな。」
砦に着くとヴァンシル殿下自ら迎えてくれた。
「戻って早々悪いが、まずいことになった。ジュリアスからの連絡で、王妃の侍女が逃げたそうだ。」
「なんですと?!レイリーは何をしていたのだ。」
アーサーが眉を寄せる。
「いや、侍女がノルン帝国の間者だと見抜いて、魔術師団副団長のレイリーが捕らえた後、彼には誘拐された聖魔法士達の捜索に向かってもらったのだ。ゴーレムの話を鵜呑みにするわけにもいかないからな。探知能力の優れたレイリーならと、私が指示を与えたのだ。しかし侍女は想像以上に魔力が高かったようでな…。牢から忽然と姿を消した。」
「まさか、闇の空間魔法がその侍女は使えたのか?」
小さく首を振りながら、ヴァンシルはわからないと答えた。
「レイリーが捕縛した時も、魔力量的に移動魔法能力はないだろうという見立てだった。
彼女は闇魔法で心を操る能力が長けているため、魔法を使えなくする魔道具が装着されていた。
勿論、近衛騎士による監視はしていた。しかし、牢にはその外された魔道具だけが残されていた…。
母を監視しているジークフリートからも連絡が来て、侍女が捕縛された後、王妃は倒れたそうだ。医師に見せたが眠っているだけで異常はないそうだが…。」
ううむ…とアーサーは考えを巡らせる。
主導していたゴーレムが捕らえられた事は侍女も知っているはず。
その上で消えたということは、自国ノルンへ戻ったのか?家族の元へ?
いや、そもそもゴーレムが主導というのはゴーレムだけの意見。
実際は王弟であるゴーレムを利用しているのは、ノルン帝国の王だろう。
ゴーレムは城に間者を置いていると話したが、具体的な名前は話さなかった。
話さない、ではなく知らなかった可能性がある。
「レイリーからの連絡は?」
「ゴーレムの話から、マグノリア教会のあるゴート辺境伯の領地に近い、ノルン帝国の北の町ゲートに潜入するため、向かっている。ゲートのさらに南に黒湖がある。魔物被害が多いため、そこで聖魔法士として使っているという話だ。」
「わかりました。レイリーは侍女が逃げたことは知らないのですね。
私から伝えます。ノルン帝国への潜入も、逃げたとなれば危険でしょう。しかし、早く保護しなければ、証拠隠滅として、わが国から攫った聖魔法士達を消される危険もあるのも事実…。」
話を聞いていたルーファスが前に出る。
「僕が行きます。ここでの仕事は闇魔法の解除だけだ。薬の準備が出来次第、後はジョゼット侯爵とアイシアがいればよいでしょう。レイリー副団長と合流して、聖魔法士を見つけたら移動魔法でここへ連れてきます。」
そう言うと、ルーファスは呪文を唱える。
「…今、ここに僕のゲートを開きました。城の近くにもゲートを開いているので、兄上は薬の準備が出来たら、そこまで送るので戻って花の調査と王妃の尋問をお願いします。」
「…レイリーに合流するにはさすがに遠いぞ。」
ヴァンシルの疑問に、ルーファスは淡々と答えた。
「マグノリア教会に僕のゲートを開いてます。一度行った場所にはゲートを開くことが出来ますので。それにいくつかゴーレムが開いたゲートが使えるように残してます。ノルン帝国への潜入も容易でしょう。」
「そうか…。わかった、頼む。」
ルーファスが頷くとヴァンシルも頷いた。
「では、早急にガルシア帝国へ送る薬の準備だ!」
ヴァンシルの言葉にその場に居る者が一斉にそれぞれの仕事をするべく動き出した。




