トーア砦への出立
イライラと私室を歩き回る様子を、静かに見つめている。
「こんな…こんなはずではなかった!!ガルシア帝国…。早々に助けを求めに来るなど聞いてはいなかった。まさかヴァンシルが動くなど…!!」
美しい顔を歪ませる様子を見ながら、小さく笑みを押し隠した。
その時、来客を告げるノックが聞こえた。
来た…!!
これで、計画はうまくいくはずだ…。
「ねえ、アン。こんなに着替えはいらないわ。動きにくいものも必要ないわ。」
侍女のアンが準備をしている横でアイシアは呆れたように息を吐いた。
「まぁ、何をおっしゃいますか。ガルシア帝国はここよりずっと寒いのです。帝国に病が蔓延しているのならなおさら、しっかり着込んでいかないといけません。」
ちゃきちゃきと動きながら手早く荷を詰める様子に、アイシアは困ったように笑う。
「でも、感染しないよう、私たちはしっかり結界魔法をかけていくから大丈夫よ?それに、お父様もルーファス様もいるから、たぶん快適よ?」
「それはわかっておりますが、ずっと傍にいるわけにもいかないでしょうし、とにかく私に任せてください!はい、お嬢様は出発まで少しでも休んでください。」
明日朝一番に出発することが決まり、一度屋敷に戻ってアイシアの荷物を持ってきたアンは、忙しそうにバタバタを旅支度をしてくれている。
アイシアはこれはもう、任せるしかないと、諦め、ベッドに横になった。
今はまだ夕方だが、出発は早朝の為、確かに少しでも寝ておいた方がよいだろう。
ここから東のトーア砦まで父の風魔法がかかった馬車で行くため相当早く着くのだが、それでも半日かかる。そして砦から帝国までは2時間ほどで着くが、先に王妃に会うつもりなので、神父様の時と同じように、相当な魔力を使うことになるだろう。
ルーファス様がいるから、きっともう少し簡単に治療することが出来るはず…。
いつの間にかウトウトしていたようで、アイシアは話し声に目を覚ました。
「…どういうことですか?砦までは私が共についていくよう、旦那様に言われております。」
アンの声…。扉の前にいるのかしら…。
「使者として行くのなら、警護のためにも手練れの侍女が傍にいた方が良いとのこと。
ヴァンシル殿下からの命令です。供のものはこちらで用意します。」
「…そうですか…。その、ルーファス第二王子殿下も侯爵様もご存じなのですよね?」
「もちろん、先にお話ししております。」
誰かしら…。
確かにアンには安全なところにいて欲しい…。
ぼんやりと話を聞きながら、アイシアはそのまま寝てしまった。
翌朝目覚めるとアンの姿がない。
代りに、初めて見る侍女が朝の準備を手伝ってくれる。
「あの、私の侍女はどうしたのかしら?」
アンをきょろきょろと探しながら、アイシアの髪を整えてくれている短い髪の侍女に問う。
「昨晩のうちに侯爵家に戻ったと聞いております。砦までは私ミリーと、シュカが共に参ります。」
アイシアの着る服を準備していた侍女が、ペコリと頭を下げた。
「私たちは、普段から、訓練もしておりますのでご安心ください。」
「そう…、ありがとう。」
アンが私に何も言わずに…?
でも寝ていたし…起こす方が悪いと思ったのかしら…
アイシアはどこかモヤモヤした気持ちを抑え、準備を進めた。
早朝の為、辺りはまだすこし薄暗い。
早く治療を始めないとガルシア帝国王妃の症状が進行してしまうため、出発を急いだのだ。
「おはよう、シア。よく眠れた?」
「おはようございます、ルーファス様。お父様も。」
優し気に見つめる父とルーファスに、ホッとしたように笑う。
「おはよう、アイシア嬢。今日はよろしく頼む。急ぎで集めたが、今回は少数精鋭で行くことになる。」
ヴァンシルの後ろに、見知った顔を見つけ、アイシアは笑顔になった。
「ユージィン様!!」
「よう、シア嬢ちゃん。今回はエレナでなくて悪いが、俺がついていくぞ。大船に乗った気でいたらいい。」
おどけた様に笑う、ユージィンにルーファスが顔を歪めた。
「何だ、ルー、その顔は?」
「いえ…何でも…。」
「なんだ、俺じゃ不服か?」
「だから何も言ってないでしょう…。」
目をそらして答えるルーファスの様子にアイシアはフフッと笑い漏らす。
「皆さま、どうぞよろしくお願い致します。」
丁寧に皆に向かって頭を下げるセラフィーヌ王女に、優しくヴァンシルが笑顔を向けた。
「セラフィーヌ王女、皆で協力してこの局面を乗り切ろう。出発だ。」
馬車にはアイシアとセラフィーヌ王女、ヴァンシル殿下とエリオット、もう一台には侍女とガルシア帝国の補佐官が乗り、ルーファス様とお父様、ガルシア帝国の護衛と、ユージィン様含む騎士団は馬で護衛をしながらの移動だ。お父様の部下である魔術師団数名も一緒に来てくれている。
少数精鋭とはいえ、王太子と隣国の姫の移動だ。
相当な手練れが護衛でついている。
アイシアは幼い時から入り浸っていたため、見知った魔術師団員の脳力を知っている。
今日、共に来てくれているのは、魔術師団随一の聖魔法士と、父と同じ魔法剣士で風魔法の遣い手、水魔法の遣い手がいる。
きっと、父がそれぞれの補佐が出来るよう、選んだのだろう。
王太子の専属護衛も揃っているため、ユージィン様も一緒に帝国に入るだろう。
きっと大丈夫。
ガルシア帝国の人達を助ける。
フェイレイ王国に同じ毒が入ってきても対応できる基盤を作るわ。
アイシアは一度目を閉じるとゆっくり呼吸する。
「アイシア嬢?」
向かいに座るヴァンシルが心配そうに見つめる。
「いえ。何もありません。セラフィーヌ様、きっと大丈夫です。必ず王妃殿下は元気になります。薬の件は大丈夫でしょうか?」
「はい、ルーファス第二王子殿下に助力頂いて、素晴らしく速い伝令を送っております。あの魔法、すごいですね…。兄からすぐに返事が届いたのです。城に我が国に備蓄しているすべての薬を集めるよう、伝えております。」
すこし幼さを残すセラフィーヌ王女が、明るい声を出す。
「ルーファス様は…本当に素晴らしい魔術師なのです…。他にもたくさん、新しい魔法を開発しているのですよ。」
「まぁ、そうなのですね。母から聞いた話ですが、ルーファス第二王子殿下のお母さまであるアイリーン姫は…とても魔力量が多かったそうです。きっと、その魔法の才能を受け継いだのでしょうね…。」
「そうなのか?初めて聞いた。アイリーン姫は…父の側妃である以外に、詳しいことは聞いたことがなかった。私自身もお会いした記憶があまりない。ルーファスを産んで直ぐに亡くなったとしか…。」
ヴァンシルがセラフィーヌに答える。
セラフィーヌは小さく頷くと、思い出すようにポツポツと話し出した。
「私が生まれた時には既に亡くなっておられたので、よく知りはしませんが…。祖父は…前国王はとても女性が好きな方だったようです。妃も側妃や愛妾も含めて何人もいたようで、そのうち出来た子供のうちの一人がアイリーン姫です。
お母さまも大層美しい方だったようですが、アイリーン様も生まれた時から妖精のように愛らしいお顔だったそうです。大人しく穏やかな姫だったそうですが、愛妾の産んだ姫ということで、あまり大事にされず育ったようです。ですが、あのウイルスの時に、自ら病に倒れた民を助けるために奔走され、国民には愛されておりました。フェイレイ王国の王から側妃の話を頂いた時も、ガルシア帝国のためにと、進んで嫁いだと聞いております。
父は母親の違う妹でもあったアイリーン姫の事は、本当に申し訳ないことをしたと…それまでは肖像画一つなかったのですが、王族の一員として、城にアイリーン姫の肖像画も飾るようになりました。ですので、私が知っているのはその肖像画の姫のみです。」
「そう…なのですね…。こんなことを言うと失礼ですが…ガルシア帝国の庶子で、帝国からの後ろ盾のない姫だったと聞いておりました…。きっと…素晴らしい方だったのでしょうね…。教えて頂き、ありがとうございます。」
アイシアが、ルーファスを思いながら、お礼を言うと、いえ、そんな…と恐縮するセラフィーヌ王女に親愛の気持ちが生まれる。
セラフィーヌ王女も、きっとアイリーン姫と同じように、王妃様の事ももちろんあっただろうけど、国を憂いて動く事の出来る姫なのだ。
そして馬車を走らせて1時間ほどたった時に、馬車が止まった。




