大切な人
アイシアの前にいたはずの剣を持った男の姿は、目の前の逞しい背中で見えない。
鍛えられた背中と、月明かりに照らされた亜麻色の髪。
アイシアの目に映るその人は、後を追って来た騎士たちに指示を与えるとクルリと振り向き、アイシアの目の前に跪いた。
「間に合ってよかった…。」
アイシアにケガがないか素早く確認すると、ホッとしたように優しく笑った。
「ヴァンシル殿下…。」
「うん…。君がここへ向かったと聞いて心配で来てしまった。
でも、来てよかった。間に合って…無事で…本当に良かった…。」
唇が一瞬震えたと思った瞬間、ギュウッと抱きしめられ、震える腕の、その温かさにアイシアはホッとようやく息が出来たように感じた。
「ありがとう…ございます…。」
「アイシア様、ゴーレムが逃げました…。」
ヴァンシル殿下の後ろからエレナが肩を押さえながら、声を上げる。
「ゴーレム?」
アイシアを抱きしめたまま、ヴァンシルがエレナを振り返ると相手が王太子とわかり、慌ててエレナが膝をついた。
「王太子殿下…。」
「後ほど詳しく話を聞く。君もケガをしているが大丈夫か?私が来るまで、よく、アイシア嬢を守ってくれた…。ありがとう。」
「もったいなきお言葉…。」
エレナが更に頭を下げると、アイシアはエレナに向かって手を伸ばすが、ヴァンシルは腕の力を緩めてくれない。
「エレナ、来て。治療するから…。」
その時。
「シア…。」
フワッとあたたかな光が、魔力がアイシアを包み込むように感じた。
ヴァンシル殿下の腕の中から扉の方へ顔を向けると、そこには黒いローブをあちこち焦がしてボロボロになったまま立ち尽くすルーファス様が居た。
「ルーファス様!!」
「ルーファス!なぜ、ここに?」
アイシアとヴァンシルが同時に声を上げた。
未だ、ヴァンシルの腕の中にいるアイシアを見つめ、複雑そうにルーファスが見つめる。
そこでようやくヴァンシルがその腕を離すと、アイシアが立ち上がり、ルーファスの目の前へ走っていく。
「…兄上、何があったのですか?なぜ、ここに…?」
「ルーファス様こそ、ボロボロではないですか。何があったのです?」
急いでアイシアが聖魔法で傷を癒すとジッとアイシアの瞳を覗くようにルーファスが見つめる。
その瞳は何かわからない感情を抑えたように複雑な光を放っていて、アイシアはその汚れた両頬に手を添えた。
「ルーファス様…?」
「シア…、無事でよかった…。ここは聖魔法士の行方不明になった元凶の場所だ。知らせを受けてすぐに向かったが…途中で邪魔が入った…。遅くなって…ごめん…。」
苦しそうに自分の頬に添えられた手に手を重ねると、泣きそうに顔を歪めた。
「いえ、ここにいるエレナと、殿下が助けて下さいました。私は大丈夫です。」
二人を振り向いて笑顔を見せると、ルーファス様は小さく頷いた。
「兄上…、ありがとう…。シアを守ってくれて。…君も…。」
「当たり前だ。彼女を守るのは婚約者の務めだ。」
小さく笑うヴァンシルを、少し寂しそうに見つめると、ルーファスはそのまま祭壇の奥へ足を進めた。
その後、辺りを確認しながら、奥へ向かって消えていく。
5人の刀を持った男たちは3人が絶命して倒れ、残り二人は虫の息だ。
王太子が連れてきた騎士たちに縛り上げられて床に転がっている。
「アイシア様!何があったのですか!?」
その時、シーザーが戻り、王太子がいる状況に目を丸くする。
それからエレナのケガを治療しながら、アイシアはヴァンシルにここに来てからの状況を話すと、戻ってきたルーファスの背中にレンブラントが背負われていることにホッとした。
「良かった…。レンブラント様も無事だった。」
アイシアが笑顔を見せると、ルーファスは小さく首を振った。
「?」
「残念だが、この男には…強い闇魔法がかけられている。何らかの命令を与えられているはずだ。無理に解除すれば、絶命するように操作されている。しばらく様子を見ながらこのままにするしかない。」
「…闇魔法…?」
ヴァンシルが反応すると、ルーファスは辺境伯領で起こった一連の行方不明事件の内容を話した。
「そうか…闇魔法…。それは空間を移動出来るのか?」
「…ええ。ここにいた者はおそらくそれが出来る魔力量を持っていたはずです。あの魔法はかなりの魔力を消費するので、相当の実力者でしょう。今回の事、王妃殿下の関与は考えられませんか?」
ルーファスの目つきが鋭くなる。
その視線を受けてヴァンシルは考えを巡らせた。
「…正直、何とも言えない。でも、行方不明事件に関与するような動機が思い付かない。そもそも、この王国の聖魔法士の保護の必要性を訴え、改革したのは母上だ。アイシア嬢を、害そうとしたのは母上ではないと、私は思う。それに…これほどの闇魔法の使い手が、この王国にいたなんて聞いたことがない。」
そうだ。
ルーファスは思い出す。
僕自身が闇魔法を使えるとわかった時に、この国の、魔術師団でさえも、闇魔法を使える者はいなかった。だから独学で学ぶしかなかったのだ。では今回の事、他国が関わっているというのか…?
同じことを考えたヴァンシルもルーファスを見つめた。
お互いに考えを読んだように、目で頷く。
「アイシア嬢、ここにいたら危険だ。この教会は封鎖する。原因不明の病を発症しているという神父は結界魔法で隔離して、王国の医療研究塔へ運ぼう。何か引っかかる…。とにかく王都に戻って調査するしかない。」
「その…村に患者が残っております。数日だけ私は残ってはいけませんか?」
「何を馬鹿な…。危険だと言っただろう。今、自分がどんな目に遭ったのか忘れたのか?
絶対にダメだ、アイシア嬢。私と共に王都に戻るぞ。」
アイシアの腕をしっかりと握ると、ヴァンシルは有無を言わさずにアイシアを連れ帰る指示を出す。
「…。」
明日診ると約束して帰ってもらった患者たちの顔が浮かぶ。
緊急を要する患者な既に急ぎで診たが、それでもまだ、早く治療した方が良い者もたくさんいたのだ。
聖魔法士がいなくなったこの土地は、医療が崩壊している状態だ。
葛藤して黙ってしまったアイシアを見つめていたルーファスが、アイシアの腕を掴んでいるヴァンシルの腕に手をかけた。
「僕がシアを守り、王都まで送ります。」
その腕を呆然と見つめた後、ヴァンシルはルーファスをまっすぐに見返した。
「私がここについた時、アイシア嬢は剣を振り落とされる直前だったのだぞ。」
「…はい…。僕は…間に合わなかった…。兄上が居なかったら…僕は二度とシアに会えなかった…。感謝しております。」
「お前に感謝などされなくても、アイシア嬢は私の婚約者だ。」
「わかっております。でも!シアは私の恩人であり、大切な…人…です。」
「…。正直、心配でひと時も離れたくないのだ…。」
ヴァンシルがため息とともに声を漏らす。
その言葉を聞いて、アイシアは目を見開いた。
ただの婚約者候補の一人なのに…どうしてこれほど気にかけてくださるのだろう…。
こんな遠いところまで、心配して来て下さった…。
ヴァンシル殿下は多忙な方なのに。
私を守るなど、王妃の意にそわないはずなのに…。
迷子のような途方に暮れた顔でこちらを見る美しいヴァンシルの琥珀の瞳は、初めて会った時と同じように揺れている。不器用な…方なのだと、思った。
もしかすると、とても大切に思われているのかもしれない。
そんな過剰な事を考えてしまって、恥ずかしくて思わず下を向いてしまった。
「…アイシア嬢、私は早急に王都へ戻り、この件について確認しなければならない。私はあなたが心配でここまできたのだ。一刻も早く共に帰りたいと思っている。」
「…はい…。」
「それでも…残りたいか…?」
苦しげな気持ちの滲むその声に、アイシアが顔を上げる。
アイシアはそのエメラルドの瞳をまっすぐに向けると、小さく頷いた。
「申し訳…ありません…。2日…2日だけで良いのです。そのあと直ぐに王都へ向かいます。ヴァンシル殿下には感謝しております。お忙しい殿下の貴重な時間を割いてしまったことは申し訳なくも思っております。でも、本来、私はここへ患者を診るために来たのです。それを投げ出すわけにはいきません…。」
ああ…
本当に。
一筋縄ではいかぬ人だ…。
美しくてまっすぐで、強い…私が好きになった人はこんな人なのだな…。
いや…こんな人だから…好きになったのだ…。
ヴァンシルは諦めと羨望のない交ぜになった思いを抱えてため息をついた。
そしてルーファスを見やると頭を下げた。
「頼む、ルーファス。兄としてお前に命じる。
何があろうともアイシア嬢を守って無事に私の元に送り届けてくれ。」
頭を下げた王太子である兄の、そのまっすぐな姿勢を、その気高さをアメジストの瞳に映してルーファスは寂寥の滲む思いで眩しげに目を細めた。
会うたびに思い知らされる。
僕は…この人にはかなわないのだと。
誰よりも大切で誰よりも愛おしくて、ずっと傍にいてほしいたった一人の人を
この人ならばと…
そう思わせられるこの清廉さが。
どうしようもなく。
寂しくて悔しいのだと…。
「命に代えても。」
一言答えると、ルーファスはヴァンシルから離れて、神父に結界魔法を張りに出ていく。
その背中を見送り、ヴァンシルはアイシアに向き直った。
「絶対に無茶はしてくれるな。私はあなたが大切だ。この先も共にいて欲しいと思っている。だから来た。それだけは忘れないでくれ。」
え…?
ドキンと大きく鼓動が鳴った。
まるでプロポーズのようだと感じて、アイシアの頬が熱くなる。
「…ははっ、…そんな顔もするのだな…。」
愛おし気にアイシアの頬を指でなぞると、額にそっと唇と当てた。
ビックリして目を見開くアイシアにニヤッと笑う。
「ちゃんと帰ってきてくれ。その時、改めて正式に結婚を申し込む。」
「な…。」
額を両手で抑えて真っ赤になるアイシアに楽しそうに笑顔を向けると、ヴァンシルは事後処理の指示を与えに行く。
真横でその様子を見ていたエレナが、同じく真っ赤になったまま、ニマニマとアイシアを見ている。
目が合い、恥ずかし気に目をそらすアイシアに、拝むように手を合わせた。
「もう、エレナ、何?」
「いえ、いいもの見せて頂いたのでつい…。」
真っ赤になったまま背を向けるアイシアにエレナは優しい笑顔を向けた。
この方が王太子妃に、そしていずれ王妃になるのなら、この王国の未来は素晴らしいに違いない。
エレナはアイシアの無事を心から喜んだのだった。
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