王太子の資質
いつだったか、美しい母である王妃が、その艶やかに光る唇に弧を描いて、
そう、まるで夢物語でも紡ぐ様に、ゆったりとした口調でそう言った
隣国の庶子が生んだ卑しい第二王子は、まもなく死ぬだろうと。
なぜその話題になったのか忘れてしまった。
ただ、その言葉は覚えている。感じたのはただ、そうなのかと、気持ちが揺れることもなかった。
会ったこともない腹違いの弟。
同じ弟であるフィリップの事はとても可愛がっているのに、なぜ、心配も、悲しみも感じないその自分自身の気持ちの不自然さに気付かなかったのか。
気づかせてくれたアイシア嬢は黙ったまま、じっとルーファスを見ている。
彼に全て任せたように、ただ、その様子を見守っている。
しばらくしてルーファスは感情のこもらない表情で口を開いた。
「僕が幽閉されていたことは存じですか?」
幽閉…、そうだ。魔力量が多くて制御出来ず、体も弱く制御する能力もないからと、北の塔に隔離されていた。
幽閉…?
「…どういった話になっていたのか知りませんが、僕は生まれたときからずっと北の塔の最上階で幽閉されていました。今でこそこんなに身長も伸びましたが、アイシアと出会った5年前は、枯れ枝のように細い体で、年下のアイシアよりもずっと背も低かった。
初めて会った時、アイシアは僕のことをもっと小さい子供だと思ったそうです。」
5年前。
アイシア嬢が王宮へ来るようになった時期だ。
「魔力量が多く、制御出来なかった…というより、誰も教えてくれる人がいなかった。僕の世話を任された王宮の魔術師たちは僕を厄介者のように扱っていたし、毎日食事を運ぶ時も、運んでいる間は奥の部屋へ行くように言われていた。5年前まで、僕は人とほとんど会話したこともなかった。いや、母が亡くなる2歳までは確かに話してはいたのでしょう。言葉は覚えていたから…。」
驚いたように目を見開くヴァンシルに、ルーファスは何も感じない。
知らなかったのだろう。
自分が幸せだと、気付かないことがこの世界には腐るほどあるから。
「僕が唯一自由に出来たのは、北の塔の古い図書室を、人のいなくなった夕刻だけ、出入り出来たことだけだ。わかるでしょう?アイシアと出会ったのはその図書室です。」
「そんな…。体が弱く、寝たきりだと聞いていた。」
焦った様に眉を顰めるヴァンシルに、ルーファスは小さくため息を吐くと、フッと笑った。
「ある意味体は弱かった。僕はアイシアと会うまで自分がいつ死んでもおかしくないのだろうと思っていたし、少し体を動かすだけでしんどかった。息を吸う事さえ負担だった。」
「では、なぜ?!」
ヴァンシルが体を乗り出して声を上げた。
その様子を見ながら、アイシアは悲し気に下を向いた。
「わかりませんか?本当は気付いているのではないですか…?僕はアイシアと会って、健康になったのです。その意味、わかりませんか?」
「!!」
アイシア嬢は魔力操作が得意で、教えることもうまい。
いや、それだけじゃない。
そうだ、彼女は…聖魔法の使い手だ。
聖魔法はケガや傷を治し、疲れを癒し、軽い症状なら病気も癒せる。それ以外に出来るのが…
「まさか…毒…。」
そう、聖魔法は解毒が出来る…。
「ええ。アイシアは初めて会った時にすぐに毒に侵されている僕の状態を見抜き、その場で解毒してくれました。僕はその時初めて自分が毒に侵されていたことに気付きました。」
第二王子に毒。
大罪だ。
王宮魔術師たちが?
いや、違う。そんななんの利益もないことを彼らはしない。
彼らは命令通り、運んだだけだ。
ある人物によって命令されて…。
北の塔に幽閉し、体が弱く寝たきりだと対外的に広め、間もなくルーファスが死ぬと予想した人物は一人しかいない。
「母が…君に毒を…。」
頭を抱えるようにヴァンシルはソファーに崩れると、しばらく頭が真っ白になった。
生まれてから北の塔に幽閉され、世話もされず、会話もなく、あの古い専門書しかない小さな図書室しか行けず、毒に侵されて生きていたのか…。
5年前なら、ルーファスは11歳だ。
11年もの間…
なんてことだ。
私は血を分けた弟がそんな目に遭っていることも知らず、のうのうと王太子として幸せに生きていたのか。
ゆっくりと顔を上げて、ルーファスを見つめる。
そこには感情のこもらない目でこちらを見る、美しい第二王子がいた。
「アイシア嬢…君はその…。」
そのあとが続けられず、逡巡するヴァンシルに、アイシアは悲し気に口を開いた。
「はい。誰が…というのは確かではありません。でも、間違いなく長い時間をかけて弱らせる、珍しい毒に侵されていました…。私の聖魔法は魔術師団の中でもトップクラスの力を誇ります。
5年前と言っても、その時にはすでに誰よりも聖魔法の力は強かった。その私が…完全に解毒出来るまで半年以上かかりました。
あれはこの国にはない毒です。」
「そうか…。」
しばらく黙ったまま考えを巡らせるヴァンシルの様子にルーファスは静かに観察する。
シアに聞いていた通り、公正で真面目な王子というのは本当のようだ。
初めて会った血のつながりのある人間なのに、どこか他人事のように冷静に見れる。
アイシアに助けられたことを伝えたが、今日、王妃に内密に来たことと言い、信頼…出来るのかもしれない…。僕に対しての態度も、思っていたよりずっと好意的に感じる。
「ルーファス…」
しばらく黙っていたがふと顔を上げるとヴァンシルはまっすぐにルーファスを見つめると、ゆっくり頭を下げた。
「…すまなかった…。知らなかったとはいえ、許されることではない。私は…兄としても王太子としても失格だ。それに…母がすまない。謝ってすむことじゃないが…きっと想像もできないほどつらい毎日だっただろう…。」
ルーファスは驚きで目を見張った。
王太子である兄が頭を下げたのだ。
アイシアも呆然とその様子を見つめる。
「君がもし許してくれるなら、これから兄として君と関わっていきたい。必ず、二度と君を理不尽な目に遭わせたりしないと誓う。いや、信じてもらえるようにこれから努力していく。」
ルーファスの唇が震える。
ギュッと震えを抑えるように噛み締める。
「あ…頭を上げてください、…兄上…。」
「あぁ。そうだ。これからは私を頼ってくれ。兄として支える。
そういえば君は魔術師として素晴らしい才能を持っているそうだな。
私は君と一緒に正しく豊かで平和な…国民が笑って暮らせるような国にしたい。」
きっぱりと話すヴァンシルの様子にルーファスもアイシアも胸が苦しくなるほど感動する。
この方は…本当に清々しい空のように清廉で誰に対しても公正な方なのだと、心が震えた。
アイシアは、この人は信じていい人だと確信した。
見えている魔力は相変わらず爽やかで澄んだ綺麗な空色。
この方の治める国は素晴らしいものになると信じられる。
この方が王太子でよかった。
この方がルーファスの兄で良かったと…心から思った。




