表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉の答案を代筆させられた妹、王立学園で本名の首席になります――第二王子だけは筆跡を知っている  作者: 小春日こよみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/21

第8話 その癖は、誰のものですか

 翌朝、マリウス様は登録簿を持って第七班の教室に来た。


 登録簿は本来、教務室から出さないものだ。監督生の権限で閲覧はできても、持ち出せるとは思っていなかった。


「席についてくれ。全員」


 五人が座った。ニナ様が、昨日の紙を膝の上で握っている。マリウス様は登録簿を開いて、机の上に伏せた。中は見せない。


「まず、規則の確認だ。学園規則第九条。代筆、写し、他人名義の提出は退学。ここまではいいね」

「はい」

「では、こういう場合はどうなる」


 その人はわたしを見た。


「Aが内容を全部考え、Bがそれを紙に書いた。提出者はB。字はBのもの。中身はAのもの。これは第九条にあたるか」


 誰も答えなかった。


「答えは、あたらない」


 マリウス様は続けた。


「第九条が禁じているのは筆跡の偽装だ。中身の出所は問うていない。だから、君が第七班の全員に考えを与えて書かせるのは、規則上は白だ」


 テオ様が「なんだ」と息を吐いた。


「ただし」


 マリウス様は登録簿を開いた。


「逆は黒だ。中身がBのもので、字がAのものなら、これは完全に第九条だ」


 わたしの膝の上で、指が丸まった。


「それで、こちらが本題なんだが」


 その人は登録簿を回して、わたしのほうへ向けた。入学の日に書いた、わたしの見本。


 ――われらは、記されたものによって、記した者を知る。


「これが君の見本。二百人ぶん見たが、君のものだけ、妙なんだ」


 マリウス様は「し」の字を指した。


「跳ねていない。それはいい。だが、跳ねる直前まで筆が上がって、そこで急に落ちている」


 わたしは何も言わなかった。


「跳ねない人の『し』は、最初から上がらない。君のは、上がって、途中でやめている。癖を抜いた跡だ」


 教室の全員が、わたしを見ていた。


「オルコット様」


 わたしは言った。声は落ち着いていた。落ち着いているように聞こえるように、喉の奥を締めた。


「わたくしの字が、わたくしの字であることは、その見本が証明しております」

「ああ、そうだ。証明している」


 その人はあっさり認めた。


「僕が言っているのは、君がその字を作ったということだ。癖を抜くというのは、抜く前の癖を持っているということだからね」


 窓の外で、鳥が鳴いた。この人は、正面から来る。廊下で聞こえよがしに言うのでも、教官へ耳打ちするのでもなく、当人の前に登録簿を開いて置く。十年ぶん人の顔色を見てきたわたしには、それがどれだけ珍しいことか分かった。


 珍しいというのは、扱いにくいということでもある。


「では、うかがいます」


 わたしは顔を上げた。


「その癖は、誰のものですか」


 マリウス様の指が、登録簿の上で止まった。


「わたくしが十年、他人の字を書いてきたと、そうおっしゃりたいのでしょう。けれど、癖が残っているというのは、逆から言えば、いまのわたくしがその癖と違う字を書いているということです」


 わたしは、自分でも意外なほど滑らかに言葉が出た。


「わたくしが提出したものと、登録簿の見本。この二つが一致しているなら、規則の上で問われることは何もございません。違いますか」


 沈黙は長かった。それから、マリウス様は登録簿を閉じた。


「――正しい」


 その人は言った。


「規則上は、君の言うとおりだ。僕は君を第九条で問えない」


 テオ様が小さく「よし」と言った。


「だが、君は今、僕の質問に答えなかった」


 マリウス様は立ち上がった。


「僕が訊いたのは規則のことじゃない。その癖は誰のものか、と訊いた。君はそれに、規則の話で返した」


 登録簿を小脇に抱える。


「規則の話で返す人間は、規則が自分に不利だと知っている人間だ」


 扉のところで、その人は一度だけ振り返った。


「中間審査は六週間後だ。第七班の提出物は僕が最初に読む。楽しみにしている」


 昼、渡り廊下でセドリック殿下とすれ違った。殿下は立ち止まって、こちらを見た。書庫の日から、話していない。


「オルコットに絡まれていると聞いた」

「絡まれてはおりません」

「あれは絡んでいるつもりがない人間なんだ。そこが厄介でね」


 殿下は手すりに手を置いた。


「彼は三年の首席で、次の学年末までその席を守らないといけない。守れなかったときに何が起きるかを、僕は少し知っている」


 わたしは訊かなかった。訊けば、知りたいと思っていることになる。


「ヴァレンティ嬢」


 殿下が言った。


「この前の返事は、あれでいい。無理に言わせるつもりはない」


 わたしは頭を下げた。


「ただ、ひとつだけ教えてほしい」


 殿下は、手すりの木目を見ていた。


「三年前の手紙を書いた人は、あの返事を書いたことを、後悔しているだろうか」


 わたしは顔を上げた。上げてしまってから、しまったと思った。殿下はこちらを見ていなかった。ずっと木目を見ていた。


「いえ」


 気がつくと、言っていた。


「していないと思います」


 殿下は木目から目を離さないまま、少しだけ笑った。


「そう」


 それだけ言って、行ってしまった。わたしは廊下に残された。手すりの木は、幾年ぶんも手が触れたところだけ色が濃くなっている。殿下がずっと見ていたのは、たぶんその色の境目だった。


 話しにくいことを話すとき、あの人は人の顔を見ない。顔を見ないでいてくれるから、こちらは答えてしまう。二度、同じことをしている。あの人は、答えを引き出す言い方を知っている。


 そして、それに気づいたときには、いつも答え終わっている。

 次話、姉の提出したレポートを、エルシャは読みます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ