第18話 代筆屋の娘
呼び出しは、題目書を出した六日後に来た。
場所は学園長室ではなく、応接の小間だった。教務の教官が扉の前まで案内して、そこで引き返した。引き返し方が、少し急いでいた。
中に入ると、窓を背にして女性が座っていた。濃い青の外套は脱いで、椅子の背に掛けてある。膝の上に、書簡の束が三つ。
「エルシャ・ヴァレンティ嬢ですね」
声は低く、静かだった。
「カトリーヌ・ドラクロワと申します。王妃陛下付きの女官長を務めております」
「はじめてお目にかかります」
「二度目です。公開筆記の日に、わたくしは前列におりました」
その人は微笑んだ。目は動かなかった。
「お掛けになって」
わたしは座った。机の上に、書簡の束が置かれた。三つのうちのひとつだ。紐で括られていて、厚みが指四本ぶんある。
「共同研究の題目書を拝見しました。よく出来ておりました」
「恐れ入ります」
「四枚目の後半だけ、筆跡が違いますね。あそこはどなたが」
「ボードワン嬢が書きました」
「なるほど。読みにくい字でしたが、内容は落ちていませんでした」
その人は束の紐を解いた。
「さて、本題に入りましょう」
束の上から三枚を取って、机に並べた。一枚目。ヴァレンティ公爵から東部の伯爵家宛の書簡。二枚目。ヴァレンティ公爵夫人名義の、社交の断り状。
三枚目。ロザリー・ヴァレンティ名義の、王立学園への入学願書。わたしは三枚を、順に見ていった。
一枚目は、十四のときの字だ。まだ「し」の跳ねが強くて、力の抜き方が甘い。二枚目は十のときで、母の癖がかなり残っている。三枚目は去年で、いちばん整っていて、いちばん自分が入っていない。
三年ぶんの自分の腕前が、他人の名前の下に並んでいた。全部、わたしが書いたものだった。
「これらは、王宮の記録保管室にあるものの写しです」
カトリーヌ様は言った。
「公爵家から出た文書は、一定以上の格のものが写しで保管されます。三十年ぶん残っております」
わたしは三枚を見ていた。二枚目の日付は、母が亡くなった翌年のものだった。母の名前で、母が死んだあとに出された断り状だ。わたしはそれを、十歳で書いた。
「筆跡の照合は、既に済んでおります」
カトリーヌ様は四枚目を出した。入学の日の登録簿の写しだった。
「この三十年ぶんの公爵家文書のうち、四百十二通が、この見本と同一の手によるものと判定されました」
部屋の空気が、重くなった。
「四百十二通」
わたしは、その数字を口に出した。
「そのうち、あなたのお名前で出されたものは、ゼロです」
カトリーヌ様は書簡を揃えた。
「他人の名で、四百十二通。学園規則の第九条は、この件には及びません。学園の外の話ですから」
わたしは頷いた。
「ですが、王国の文書法には及びます」
その人の声は、まったく変わらなかった。
「他家宛の書簡に、本人でない者が本人の名で署名する。これは私文書の偽造です。刑罰の対象になります」
「……ドラクロワ様」
わたしは口を開いた。
「わたくしは、書けと言われて書きました」
「存じております」
「では」
「命じた者は罰されません」
その人は言った。
「文書法が問うのは、筆を持った手です。命じた口ではありません」
机の木目に、書簡の影が落ちていた。紐で括られていた跡が、紙の縁に細く残っている。長いあいだ束のまま棚に置かれていた紙の、独特の反り方だった。
窓の外で、鐘が鳴った。午後の講義の始まりだった。
「あなたは、何通お書きになりましたか」
カトリーヌ様が訊いた。わたしは答えられなかった。数えたことがなかった。数えないようにしてきた。
「四百十二、というのは、写しが残っているものだけの数です」
その人は続けた。
「残っていないものを含めれば、あなたご自身にしか分からない。だから、うかがっているのです」
「……存じません」
「そうでしょうね」
カトリーヌ様は書簡を束に戻した。
「では、こちらの用件を申し上げます」
その人は三つ目の束に手を置いた。
「共同研究の選抜から、お名前を取り下げていただきたい」
わたしは顔を上げた。
「理由を、うかがってもよろしいですか」
「二つあります。ひとつは、学士院の記録に載る名前に、この四百十二通が付いて回るのは、学園にとっても王家にとっても損だということ」
その人は指を一本立てた。
「もうひとつは」
二本目を立てた。
「セドリック殿下のことです」
わたしは動かなかった。
「殿下があなたの編入を推挙されたことは、王宮では既に知られております。第二王子の推挙は軽い話ではありません。近いうちに、殿下の婚約者選定が始まります」
カトリーヌ様は、そこではじめて少し身を乗り出した。
「代筆屋の娘を、殿下のお隣に置くわけにはまいりません」
わたしは、その言葉を正面から受けた。不思議なことに、いちばん痛かったのは「代筆屋」ではなかった。
「娘」のほうだった。
この人は、わたしを個人として見ていない。ヴァレンティ家から出てきた、書く機能を持った娘として見ている。それは、この十年ずっとそうだった。
「ドラクロワ様」
わたしは言った。
「取り下げれば、四百十二通は」
「不問といたします。写しは保管室に戻し、以後、誰も取り出しません」
「取り下げなければ」
「文書法の手続きに入ります。時期は、こちらで選びます」
その人は立ち上がって、外套を取った。
「三日、差し上げます。学園長宛に取り下げの一筆をお出しになれば済みます」
扉のところで、その人は振り返った。
「エルシャ嬢。わたくしはあなたを罰したいのではありません」
声が、そこだけ少し違った。
「書ける方が、書けない場所に立たされるのを見るのが、嫌なだけです」
次話、殿下が庇おうとします。エルシャは断ります。




