第17話 口述の名手
共同研究の題を出すのに、三日しかなかった。
題目書は五枚。仮の論の骨と、資料の当てと、班としての分担を書く。五枚を、五人の連名で出す。問題は、その五枚を三日で作らなければならないことだった。
初日、わたしたちは資料を集めた。二日目、資料を読んだ。三日目の朝、まだ一枚も書けていなかった。
「間に合わねえ」
ルカ様が机に突っ伏した。
「骨は出来てるだろ。あとは書くだけじゃん」
「書くだけが、五人ぶんで五枚です」
わたしは言った。
「一人一枚を、今日中に」
テオ様が呻いた。
「俺、一枚に半日かかる」
「わたしは半日じゃ足りません」
ニナ様が言った。教室の空気が、そこで止まった。止まったというより、全員が同じ計算をして、同じ答えに着いた。間に合わない。
「ヴァレンティ様が五枚書けば」
ニナ様が言いかけて、自分で口を閉じた。
「……言っちゃいけないやつですね」
「はい」
わたしは頷いた。
「連名の題目書です。五人の筆跡が照合されます」
わたしは机の上の骨を見た。十枚ぶんの骨組みが、そこにある。中身はある。並べ方も決まっている。あとは、それを五人の手で紙に載せるだけだ。
載せるだけ、の部分が、いつもわたしの仕事だった。わたしは、その仕事を今日は取れない。
「イレーヌ様」
「古語の講義で、口述筆記をなさいますね」
「する」
「あれは、何人まで同時に取れますか」
「二十人。講義だから」
わたしは、そこで顔を上げた。
「ボードワン様」
ニナ様が身構えた。
「な、なんでしょう」
「あなたは、三日前に先生がおっしゃったことを、全部覚えていらっしゃいますか」
「……覚えてます」
「一昨日、わたくしたちが資料を読みながら話したことは」
ニナ様は、少し考えた。
「覚えてます。西の村の第四年から第七年の数字がずれてる話と、それは様式が変わったんじゃなくて担当が代わったんだって話と、あと、ルカ様がインク瓶を倒した話」
ルカ様が「それは要らねえだろ」と言った。
「では、お願いがございます」
わたしは骨の束をニナ様に渡さなかった。渡さずに、机の真ん中に置いた。
「ボードワン様が、読み上げてください」
「え」
「わたくしたち四人が、それぞれ自分の紙に書きます。あなたが口で言い、わたくしたちが手を動かします」
ニナ様の顔が、白くなった。
「わたし、読み上げるって、これを読むってことですか」
「いいえ」
わたしは首を振った。
「読まなくて結構です。あなたは、覚えていらっしゃる。骨を見ないで、覚えている順に言ってください」
教室が静かになった。
「……そんなの、できるわけ」
「できます」
「あなたは三日前の話を、話した順に覚えていらっしゃいます。それは、書ける人間には無い力です」
ニナ様は、しばらく机の骨を見ていた。それから、両手でインク瓶を横へ寄せた。自分の前から、書く道具を全部どけた。
「……分かりました」
声が震えていた。
「間違えたら、言ってください」
ニナ様が話し始めた。最初の二行は、つっかえた。三行目から、速くなった。
――西の村、第四年から第七年。数字がずれている。理由は様式の変更ではなく、担当者の交代である。根拠は三つ。ひとつ、第四年の帳面の綴じ糸が新しい。ふたつ、書き手の癖が第四年で切れている。みっつ、第七年に元の癖が戻っている。
わたしの手が動いた。右で、ルカ様のペンの音がした。左でテオ様が、その向こうでイレーヌ様が。四本のペンが、同時に紙を擦る音。
――担当者が代わり、また戻ったのだとすれば、第四年から第七年の間、西の村の記録は別の人間が書いていたことになる。その人間が誰かは、記録に名前が無い。
ニナ様の声は、途中から震えていなかった。わたしは書きながら、それを聞いていた。
この子は、三日前に一度だけ聞いた話を、順番も根拠も落とさずに出している。しかも、わたしたちが書きやすい速さで。書き取る側の手の動きを聞いて、速度を合わせている。
わたしが十年やってきた「代わりに書く」という仕事は、書けない人から言葉を取り上げる仕事だった。いま、この教室では逆のことが起きている。
書けない子が言葉を出して、書ける四人が手だけを貸している。三枚目の途中で、ニナ様の声が一度止まった。
「……ここ、忘れました」
誰も文句を言わなかった。
「その手前まででいいです」
「そこから先は、わたくしが骨を読み上げます。交代しましょう」
「交代」
「はい。あなたが手を動かす番です」
ニナ様が、両手でインク瓶を引き寄せた。紙の左端を、二寸下げた。夕方には、五枚が揃った。五人ぶんの筆跡が、五枚に分かれて載っている。ニナ様の字は、四枚目の後半にあった。線は一本だった。
ルカ様が題目書を持ち上げて、灯りにかざした。
「これ、うちの班の字が全部入ってる」
「はい」
「三年ぶんの第七班で、たぶんはじめてだ」
テオ様が横から覗いた。
「俺の字、汚いな」
「汚い」
イレーヌ様が同意した。
「でも、俺の字だ」
テオ様は言って、頭の後ろで手を組んだ。わたしは、その言葉を紙に書き留めておきたいと思った。書き留めなかったのは、書いてしまうと自分のものになってしまう気がしたからだ。
題目書を教務室へ出しに行った。受付の教官が受け取って、判を押した。押してから、書類の裏を見て、少し眉を寄せた。
「――ああ、これは学士院の枠ですね。写しが王宮へ回ります」
「王宮へ、でございますか」
「共同研究は学士院の記録に入りますので。提出先の欄に、女官長室と書いてあります」
教官は判を押した書類を、二つの箱に分けて入れた。ひとつは学園の箱。もうひとつには、王家の紋が刻まれていた。
次話、女官長が学園に来ます。持っているのは、書簡の束です。




