第16話 首席候補の名簿
公開筆記試験の翌週、第七班の中間審査の結果が出た。
通過だった。三年ぶりだと、教務の若い教官が言った。言いながら少し笑っていて、それがどういう種類の笑いなのか、わたしには判別できなかった。
「五人とも進級です。おめでとうございます」
ルカ様が拳を突き上げて、テオ様の頭を叩いた。テオ様は寝ていた。ニナ様は書類を両手で持って、四回読んでいた。
「わたしの名前、あります」
「ございます」
「進級って書いてあります」
「書いてございます」
「もう一回読んでいいですか」
「何度でもどうぞ」
イレーヌ様が本から目を上げて、ひとこと言った。
「よかった」
それだけで、また本に戻った。その日の午後、掲示板に別の紙が貼られた。学年末の「共同研究発表」の選抜名簿だった。
学園には研究班とは別に、学年をまたいだ共同研究の枠がある。上級生と下級生が組んで、王立学士院へ論を出す。通れば学士院の記録に名前が載る。学園でいちばん重い枠だと言われている。
選抜は十二名。わたしはその名簿を、下から読んだ。上から読む習慣が、まだ身についていない。九番目に、マリウス・オルコットの名前があった。
四番目に、セドリック・ヴァルフォードの名前があった。そして、いちばん下に、注記があった。
――エルシャ・ヴァレンティ(一年)。選抜保留。
保留、という語の下に、細い字で理由が書かれている。
――在籍区分の変更が今学期であるため、学業成績の記録が半期ぶんに満たない。学年末までに追加の審査を要する。
「保留って何だよ」
ルカ様が横から覗き込んだ。
「入れるとも入れないとも書いてねえじゃん」
「そう書けない事情があるのだと思います」
わたしはそう答えた。答えながら、注記の字を見ていた。教務の手書きではない。この字は、学園の誰の字とも違う。細くて、縦が長い。紙に対して字が小さすぎる。書き慣れた人の、余白の使い方だ。
余白の取り方にも決まりがある。上を三分、左を二分空けて、字は行の下寄りに置く。読む人が上から書き足せるように空けてあるのだ。書く人の都合ではなく、読む人の都合で作られた書式だった。
――王宮の書式だ。
わたしはそれを、屋敷で何度も見ている。父のところに来る王宮からの通達は、いつもこの字の形をしていた。
わたしはその一行を、指でなぞらずに見た。触れば脂がつく。王宮の紙は、指の脂を吸って年を経ると跡が出る。屋敷でそう教わった。教わった相手は、もう覚えていない。
夕方、廊下でマリウス様に呼び止められた。あの日から、この人とは口をきいていない。
「名簿を見たか」
「はい」
「保留の一行は、学園が書いたものじゃない」
その人は単刀直入だった。
「ドラクロワ様が学園長に出した文書の写しだ。僕は写しを見た。原文はもっと長い」
わたしは足を止めた。
「なんと」
「――代筆の疑いのある者を、学士院へ推挙することは避けるべきである」
マリウス様は言った。
「公開筆記の結果は、あの方には届いている。届いた上で、この一行だ」
窓の外で、夕焼けが廊下の床を赤くしていた。
「オルコット様。ひとつ、うかがってよろしいですか」
「なんだ」
「公開筆記の日の見本用紙は、どなたがご用意なさったのですか」
その人は、はっきり首を振った。
「僕じゃない。条件を紙に固定した人間が、紙の質をいじったら意味がないだろう。教務に訊いたら、女官長室から届いた分を使ったと言っていた」
訊く前から、そうだろうと思っていた。それでも、当人の口から聞くまでは決めつけないことにしている。
「もうひとつ。あの日、なぜ申し立てを取り下げてくださったのですか」
その人は少し黙った。
「取り下げたのは、君が正しかったからだ。それ以上の理由は無い」
「では、なぜ最初に申し立てたのですか」
夕焼けが、その人の横顔の輪郭を切っていた。
「――僕は、君が羨ましかった」
思っていた答えのどれでもなかった。
「君は、他人の字を十年書いて、それでも自分の字を持っている。癖を抜いた跡が残るというのは、抜いたということだ」
マリウス様は窓の外を見た。
「僕は、抜けなかった」
それだけ言って、その人は行きかけた。
「オルコット様」
わたしは呼び止めた。
「共同研究の枠は、十二名です。わたくしが入れば、十三名になります」
「そうだな」
「わたくしの保留が外れれば、誰かが外れるということでしょうか」
「いや」
その人は振り返らずに答えた。
「君が入れなければ、十一名で出す。それだけだ。誰も困らない」
廊下の端で、その人は付け加えた。
「――誰も困らないというのが、いちばん困る話なんだ」
その夜、第七班の教室に五人が残った。共同研究の枠に手を挙げるかどうかを決めなければならなかった。挙げるには、班として推薦を出す必要がある。
「出すに決まってんだろ」
ルカ様が言った。
「うちの班から選抜候補が出るんだぞ。三年ぶりに中間通ったばっかりで、次は学士院だ」
「でも、保留です」
ニナ様が言った。
「保留って、たぶん、あの女の人ですよね。講堂にいた、青い外套の」
この子は見ていないようで、全部見ている。
「わたし、あの人がヴァレンティ様を見てる目、こわかったです」
わたしは、ニナ様の言い方を訂正しなかった。訂正できるだけの材料を、まだ持っていない。
「イレーヌはどう思う」
テオ様が訊いた。イレーヌ様は本を閉じて、めずらしく長く考えた。それから、こう言った。
「共同研究の題は、まだ決まっていない」
全員が顔を上げた。
「決まっていないなら、こちらから出せる。保留のまま題を出して、その題が通れば、保留は形として残らない」
イレーヌ様は本を机に置いた。
「守るより、先に置くほうがいい」
次話、共同研究の題を出します。書けない子が、いちばん働きます。




