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皇帝失格 〜帝国最強の監察官、腐った皇族を廃位する〜  作者: セルヴォア


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9/13

元老院議長の警告

帝国法廷は、晴れた日の光すら冷たく見せる建物だった。

白灰色の石柱が高く並び、中央の大広間には半円形の傍聴席と、法官席、そして帝国の有力者のための特別席が整然と配置されている。秩序を形にしたような空間だ。だからこそ、そこで交わされる言葉の一つ一つが、帝都全体へ波紋のように広がる。


この日、その広間は異様な熱を孕んでいた。

議場の左右には元老院議員、諸侯、軍務官僚、聖務庁の観察役まで顔を揃えている。表向きは「帝冠監察権の運用に関する照会」。だが誰もが、本題は別にあると知っていた。


法廷中央へ立つのは、帝冠監察官レオン・クロウヴァイス。

黒い礼装を崩さず、剣も佩いたまま、ただ一人で法廷の視線を受けている。護衛はない。必要としていないように見えた。


アリシアは傍聴席の一角からその背を見つめていた。

本来ならこの場は、皇女がわざわざ出る性質のものではない。だが、出ずにはいられなかった。グレゴリウス・バルテンが公の場でレオンを呼び出した。それが何を意味するか、彼女にはもう分かっていたからだ。


元老院議長グレゴリウスは、法官席の前へゆっくり進み出た。

深緑の法衣を隙なくまとい、老いた身体を少しも揺らさない。声を張らずとも、法廷の隅まで届くように作られた男だった。


「帝冠監察官レオン・クロウヴァイス」


その呼びかけだけで、場内の空気が引き締まる。


「お前の権限行使は、近ごろあまりにも急で、あまりにも広い」


広間の聴衆は静まり返った。

告発ではない。だが、警告の形式を借りた宣戦布告であることは、誰の耳にも明らかだった。


グレゴリウスは続ける。


「皇太子の失格、貴族権限の停止、近衛騎士団への介入。いずれも帝国法の名を借りて行われた。だがその結果、帝都は割れ、行政は萎縮し、諸侯は決裁を恐れ、軍は命令系統の混乱を訴えている」


一つ一つ、あえて反論しづらい形に整えられた言葉だった。

事実の並べ方だけで印象を作る。老人はそれを熟知している。


「帝冠監察官よ」


グレゴリウスの視線が、まっすぐレオンへ向く。


「お前の正義は、帝国の秩序を脅かしている」


その瞬間、ざわめきが起きた。

小さいが、確かな波だ。「言った」と誰もが思った。ついに元老院議長が、公にそこまで踏み込んだのだと。


レオンは微動だにしない。


「帝国の秩序は、帝冠契約です」


返答は短かった。

だが、その一言で広間の空気は逆向きに張り直される。


「初代戴冠以前より存在し、皇帝位の正当性そのものを規定する契約。権限と責務の対価関係を明文化した基礎法です。脅かされているのは秩序ではなく、秩序に寄生した便益でしょう」


言葉は静かだが、刃のようにまっすぐだった。


一部の傍聴席から息を呑む音がする。

元老院議長へ向けて「寄生」と言い切る者は、帝都にほとんどいない。


グレゴリウスは眉一つ動かさなかった。


「古い法は、古い時代のためのものだ」


老人の声は穏やかなまま深くなる。


「帝国は大きくなった。属国を抱え、軍を持ち、商業を拡張し、信仰と統治の折り合いをつけながら生きている。すべてを契約の原文どおりに裁けば、帝国は保たぬ」


法廷のあちこちで頷く者が現れる。

現実を知る大人の理屈。犠牲を飲み込みながら回すしかないという、統治の顔をした諦め。その言葉は、長く権力の近くにいた者ほど甘く聞こえる。


「必要な汚れもある、ということですかな」


誰かが小さく呟き、すぐに黙った。


グレゴリウスはそれを否定しない。


「安定のためには、飲み込むべき矛盾がある」


ついに思想が、形を持って広間へ落ちる。


「全てを清算する刃は美しい。だが、美しさだけで国は立たぬ。切りすぎれば骨組みまで折れる」


アリシアはその言葉を聞きながら、冷たいものが背筋を落ちるのを感じた。

一理ある。そう思わせる言い方だった。腐敗を容認する理屈でありながら、国家の維持という大義を纏っているからだ。


だがレオンの声は、そこで一歩も退かなかった。


「骨組みが腐っているなら、切るしかない」


場内がまた静まる。


「帝冠監察官は美しさのために刃を振るいません。責務を捨てた権力を、帝国へ返還させるために執行します。行政が萎縮しているのではない。違法に慣れた者が怯えているだけです」


法廷の空気がはっきり二つに割れた。

レオン支持の視線と、反発する視線。中立を装っていた者たちですら、どちらかへ体重を預け始めている。


グレゴリウスが最後の一歩を踏み込む。


「では問おう、帝冠監察官」


その呼び方には、わずかに冷えた嘲りが混じっていた。


「お前は何者だ。皇帝をも裁き、皇族をも量り、貴族も軍も聖職者も恐れぬ。いずれ帝国の全てが、お前の判断を待たねば動けぬようになるのではないか」


老人は法廷全体を見渡す。


「それは秩序か。それとも、皇帝より上位に立つ新しい支配者か」


どよめきが今度は大きく広がった。

そこまで来たか、とアリシアは思う。これは警告ではない。帝冠監察官そのものを、「危険な過剰権力」として帝国中へ印象づけるための儀式だ。


グレゴリウスの声が、法廷の石壁へ反響する。


「帝冠監察官は、反逆の入り口に立っている」


宣告のようだった。


レオンはその言葉をまっすぐ受け、少しも声音を変えない。


「反逆とは、責務を捨てた権力者が帝国を食い潰す行為を指します」


一拍。


「私が裁くのはそこです」


簡潔すぎる返答だった。

だが、だからこそ誤魔化しがない。


法廷の後方で、若い法務官が思わず拳を握る。別の元老院議員は露骨に顔をしかめる。空気が割れたまま、もう戻らない。


法官が中立を装って閉会を告げても、誰もそれを本気では受け取らなかった。

この場で終わったのは発言だけだ。対立そのものは、むしろ今始まった。


グレゴリウスが席を離れる際、レオンの横を通り過ぎる。

二人の視線は一瞬だけ交わった。


老人は囁くように言った。


「刃は、使われるうちは価値がある」


レオンは答えない。


「柄を持つ者がいなくなった時、ただの危険物になる」


それだけ残して、グレゴリウスは去った。


アリシアは法廷を出る人波の向こうに、その背を見送る。

老議長は敵だ。だが単純な悪ではない。帝国を回すためなら人を切り捨てることを合理と呼ぶ、最も厄介な種類の敵だった。


そして、その敵が今や公然とレオンへ噛みついた。


広間の外へ出ると、噂はすでに走り始めていた。


「元老院議長が帝冠監察官を反逆者扱いしたぞ」


「いや、監察官の方も議長を寄生虫呼ばわりした」


「帝国はどちらにつく」


「皇帝は何をしている」


問いは増えるばかりだ。


ラヴィニアがレオンへ近づく。

近衛騎士団の正装姿のまま、いつもよりわずかに声を落としていた。


「これで敵が増えました」


「増えたのではありません」


レオンは歩みを止めずに答える。


「見える位置へ出てきただけです」


その返答に、ラヴィニアは息を詰めた。

怖気ではない。怒りに近い感情だった。帝国全体が、この男に敵意を向け始めている。それでも彼は変わらない。


アリシアは少し遅れて並ぶ。


「あなた、本当に誰にも遠慮しないのね」


「必要がありません」


「元老院議長にまで?」


「議長にも責務があります」


短い答えに、アリシアはかえって不安を覚える。

この男が正しいことは分かる。だが、帝国全体がそれを受け止めきれるのかは別問題だ。


「帝国そのものを敵に回す形になるわ」


レオンはそこで初めて彼女を見た。


「帝国と、帝国を名乗る者たちは同じではありません」


その違いを、彼は一切疑っていない。

だからこそ強い。だからこそ危うい。


同じ夜、元老院議長邸の裏庭に面した小温室では、灯りを最小限に絞った秘密会談が行われていた。

集まっているのは皇太子派の元側近二名、保守派の議員一名、そしてグレゴリウス本人。


昼の法廷とは打って変わって、老人は声を低く落としている。


「帝冠監察官の排除に協力すれば、諸君の生存圏は残してやろう」


ユリウス・ベルナールが喉を鳴らす。

すでにセドリックへも接触していた男だ。だが今は、それを隠したまま平伏している。


「議長閣下は、我らをまだ使うおつもりで」


「汚れた手ほど、汚れ仕事に向く」


一切の感情なく言い切られ、部屋の温度がさらに下がる。


「帝位を守りたいのだろう?」


グレゴリウスの口元が、薄くだけ歪んだ。


「ならば、まずは刃を折ることだ」


皇太子派の残党と、元老院議長。

本来なら同席するはずのない者たちが、同じ方向を向き始めていた。


帝国の敵は、もう一人ではない。

その事実だけが、夜の温室に濃く沈んでいた。

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