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皇帝失格 〜帝国最強の監察官、腐った皇族を廃位する〜  作者: セルヴォア


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7/13

味方も裁く

翌日の午後、帝都北区にあるエルナスト公爵邸の会議室は、抑えきれぬ高揚で満ちていた。

壁一面に古い帝国地図が飾られ、長卓には磨き上げられた銀器と香茶が並ぶ。表向きは私的な茶会。だが、そこに集まった十数名の貴族が交わしているのは、明らかに次の帝国をどう握るかという話だった。


主催者であるエルナスト公爵は、六十に届く年齢を感じさせぬ張りのある声で言った。


「ようやく膿が出たのだ」


灰髪を撫でつけた老公爵の胸元には、改革派の象徴として好んで用いられる青銀の飾章が光っている。皇太子の強権に長く反対してきた名士。帝都の多くはそう認識していた。


「腐った皇太子が失格した。これで帝国は正常な秩序へ戻れる」


卓を囲む貴族たちが、安堵と歓喜を入り交ぜて頷く。


「帝冠監察官は見事でしたな」


「いや、あれは帝国の正義そのものだ」


「第一皇女殿下も動かれる。ようやく我らの時代です」


会議室には、勝者の空気が流れていた。

まだ何も決まっていないのに、自分たちは正しい側に立ったのだという安心が、誰の顔にも浮かんでいる。


部屋の中央に立つアリシアは、その熱を一歩引いた位置から眺めていた。

淡青のドレスに包まれた姿は変わらず凛としているが、胸の内は静かな緊張で張っている。


集まった顔ぶれは、昨日までなら頼もしい後ろ盾に見えただろう。

皇太子へ反対し、元老院の保守に対抗し、自分を次の旗印として押し上げようとしている者たち。だが昨夜から、アリシアの目には別の疑問が住み着いていた。


この中に、本当に帝国のために立つ者がどれほどいるのか。


ラヴィニアは彼女の半歩後ろに控え、会議室の空気を読んでいた。

皇女へ向けられる期待の熱は強い。だが、その熱は忠義とは限らない。勝ち馬へ集まる者たちの匂いを、騎士の直感が嫌っていた。


エルナスト公爵が杯を掲げる。


「皇女殿下。今こそお言葉を。帝都の民も、改革派の諸侯も、殿下のお立場を待っております」


視線が一斉にアリシアへ集まる。

その瞬間、扉が三度、硬く叩かれた。


誰かが応じる前に、扉は外から開かれた。


黒い礼装の男が、静かに入ってくる。


空気が変わった。

歓迎のざわめきは、一息で喉へ引っ込む。


レオン・クロウヴァイスは一礼もしないまま会議室の中央へ視線を巡らせた。

ここが私邸の茶会であれ、改革派の集会であれ、彼にとっては監察対象の一つでしかない。その無遠慮さが、かえって場の温度を奪った。


「帝冠監察官」


エルナスト公爵が口元に笑みを貼りつける。


「ようこそ。ちょうど、帝国再建について話していたところです」


「承知しています」


レオンは短く答えた。


「監察を行います」


沈黙が落ちた。

茶器に触れていた女伯の指が止まり、若い伯爵の喉が目に見えて上下する。


エルナスト公爵が目をしばたたかせる。


「……監察?」


「はい」


「ここは、皇女殿下を支える改革派の会合だ」


「知っています」


レオンの声に一切の揺れはなかった。


「だからこそです」


会議室の一角で誰かが不満げに息を漏らす。


「敵は他にいるだろう」


「皇太子派の残党も、軍閥派も、元老院も」


「我らは貴殿を支持した」


支持。

その言葉に含まれる当然の見返りを、レオンはまるで受け取らなかった。


「帝冠監察院は支持で動きません」


彼は会議室の中央へ一歩進む。


「敵だけを裁くのではない。すべてを監察します」


淡々とした一言だった。

だが、そこにいる全員の背筋を同時に冷やすには十分だった。


アリシアは彼を見つめた。

本当に来た。しかもこの場で。自分を支える派閥の中心へ、何のためらいもなく刃を入れに。


昨夜、頭では理解したつもりだった。

この男は誰の味方でもないと。

だが実際に目の前へ突きつけられると、その意味は想像よりずっと重い。


エルナスト公爵が笑みを崩さぬまま言う。


「それは結構。ならば我らの清廉も証明されるというものだ」


周囲がほっとしたように息をつく。

自分たちは大丈夫だという前提が、まだ誰の胸にも残っていた。


レオンはそのまま、公爵へ視線を定めた。


「エルナスト・ヴァン・ローディア公爵」


名を呼ばれた瞬間、空気が軋んだ。

黒い契約文字が床石の継ぎ目を走り、長卓の周囲を円環のように囲む。香茶の湯気がその光に照らされ、青く揺れた。


「な、何のつもりだ」


「属国監察記録、北東辺境の徴発台帳、戦時特例金の出納簿」


レオンが告げるごとに、三枚の書面が空中へ現れる。

赤い封蝋、軍印、そして公爵家の私印。偽造ではないと一目で分かる形で、罪の証拠が卓上へ並んだ。


ラヴィニアの目が細くなる。

アリシアも、思わず息を止めた。


一枚目には、属国ノルトヴァルトでの「見せしめ処分」命令。

反乱の兆候ありとされた村を丸ごと焼き払い、生存者を徴発労働へ回すよう記されている。


二枚目には、帝都復興税として集めた金貨の一部が、公爵家直轄の商会へ迂回された記録。


三枚目には、飢饉の年に食糧配給を削ってまで私兵の装備を増やした支出一覧。


会議室から血の気が引いた。


「馬鹿な」


「そんなはずが」


「公爵閣下が、属国虐殺を……?」


エルナスト公爵の顔から、ようやく笑みが消える。


「待て」


掠れた声だった。


「あれは統治のための必要経費だ。属国は放っておけば反乱する。厳罰を示さねば、帝国臣民にまで火が移る」


レオンは一歩も退かない。


「弁明として記録します」


「徴税も同じだ。帝国を立て直すには金が要る。理想だけでは民は救えぬ」


「横領の理由にはなりません」


公爵の額に汗が滲む。

それでも彼は貴族としての威厳を保とうと背を反らした。


「私は皇太子の専横に反対してきた! 帝都を守るために尽くしてきた! 私がいなければ改革派はまとまらぬ!」


その言葉に、周囲の貴族たちの目が揺れる。

擁護したい。だが証拠が重すぎる。否定すれば自分まで巻き込まれるかもしれない。そんな計算が、一斉に視線を濁らせた。


レオンはそこで初めて、アリシアへ顔を向けた。


「第一皇女殿下」


会議室の全員が息を止めた。

呼ばれたアリシアは、真っ直ぐにレオンを見る。


「この者は貴殿の派閥の中核です」


灰色の瞳に、試すような熱はなかった。

ただ事実だけを置く目だった。


「失格とした場合、殿下の勢力は大幅に減少するでしょう」


一拍。


「どうされますか」


あまりにも静かな問いだった。

だが、剣を喉元へ突きつけられるより鋭い。


会議室じゅうの視線がアリシアへ集まる。

期待、懇願、恐怖、苛立ち。さまざまな感情が一つの圧力になって、彼女の肩へ乗った。


エルナスト公爵が一歩踏み出す。


「殿下」


その声には、これまでの恩義を思い出させる響きがあった。


「私は貴女のために動いてきた。今ここで私を失えば、殿下を支える柱が折れる。元老院は必ず笑うでしょう。第二皇子も勢いづく」


さらに周囲の貴族たちが、声こそ上げないまま、同じ願いを目で訴える。

見逃してくれ。いまここで切るべきではない。大局を見ろ。


アリシアは黙った。


頭の中で、いくつもの計算が走る。

エルナストを失えば、改革派の結束は揺らぐ。地方諸侯への影響力も落ちる。次の会議で自分に従う者は減るだろう。


だが同時に、別の記憶が胸の奥から浮かび上がる。

玉座の前で兄が叫んだ言葉。

血統のために不要な者を消すと言い切った、あの傲慢。


あれと何が違うのか。

自分の側にいるから見逃すなら、それは結局、秤を自分の利益で傾けることではないのか。


レオンは急かさない。

救い舟も出さない。

ただ、彼女が何を選ぶかを見ていた。


アリシアは気づく。

この男は自分へ忠誠を誓っていない。だからこそ、この問いは本物だ。皇女である自分の中身を、そのまま帝国へさらす問いなのだ。


ラヴィニアが後方で拳を握る気配がした。

主君を守りたい。だが、ここで代わりに答えることはできない。


長くはないはずの沈黙が、会議室ではひどく長く感じられた。


やがてアリシアは、ゆっくりと口を開く。


「……切りなさい」


誰かが息を呑んだ。

エルナスト公爵の顔から色が消える。


アリシアは目を逸らさなかった。


「属国の民も、帝国の民よ。私の旗の下にいる者だからといって、その血と金を踏みにじった罪を見逃す理由にはならない」


声は静かだった。

だが、その静けさは迷いを削った後の硬さだった。


「私の勢力が減るとしても、それでしか保てない勢力なら最初から要らないわ」


レオンの瞳が、ごくわずかに細められる。

肯定とも賞賛ともつかない、小さな確認だった。


「受理しました」


その一言と同時に、契約文字が公爵の足元へ絡みつく。

エルナスト公爵が叫んだ。


「殿下! お待ちください! 私は貴女のために!」


「いいえ」


アリシアは言い切る。


「あなたは自分のために、私を使おうとしたのよ」


断罪の宣告はレオンが行った。


「エルナスト・ヴァン・ローディア。属国住民の違法処分、戦時徴税の横領、配給権限の私物化により、貴族権限の停止と身柄拘束を執行する」


黒い光が公爵の肩章を打つ。

青銀の飾章が砕け、老公爵は膝から崩れ落ちた。


扉が開き、帝冠監察院の執行吏たちが静かに入ってくる。

誰も剣を抜かない。抵抗する気力を、公爵はもう失っていた。


連行される直前、公爵はなおもアリシアを見た。

恨みと、理解できないものを見る目が混じっていた。


「殿下は……勝てませんぞ」


その呪詛のような一言に、アリシアは答えなかった。

代わりに、視線だけで見送る。


扉が閉まる。

部屋に残ったのは、香茶の匂いと、切断された空気だった。


先ほどまで饒舌だった貴族たちは、誰もすぐには口を開けない。

アリシアを支えると言っていた者たちが、今は一歩ぶんだけ椅子を遠ざけたように見える。


若い伯爵が震えた声で言った。


「皇女殿下も……帝冠監察官の側に立たれるのですか」


別の女侯が冷えた笑みを作る。


「我らが信じたのは、皇太子派を切る刃でしたのに」


「次は我らかもしれぬ、ということですな」


不信と恐れが、さざ波のように広がる。

つい先ほどまで同じ派閥の勝利を祝っていた者たちが、もう自分の足元しか見ていない。


ラヴィニアはその変化を見て、胸の奥で怒りに似たものを覚えた。

主君がどれほど重い決断をしたか、この者たちは理解していない。いや、理解したくないのだ。自分が秤に載る側だと知ってしまったから。


アリシアはゆっくりと会議室を見渡した。


「聞こえなかったかしら」


その声で、ざわめきが止まる。


「次があるなら、私であっても同じよ」


貴族たちの目が見開かれる。


「私は皇帝候補として立つつもりよ。ならば、自分だけ裁きの外にいる資格はない」


誰も返せない。

その論理はあまりにも真っ直ぐで、反論するほど自分の濁りを晒すことになるからだ。


レオンはその言葉を黙って聞いていた。

庇いもしない。補足もしない。ただ、その場に立つだけで秤の存在を証明している。


アリシアはふいに、胸の内の震えが少しだけ収まっていることに気づいた。

怖かった。勢力を削る判断も、その結果として孤立が始まることも。

それでも、間違ってはいないと断じられる根拠が、目の前にあった。


この男は自派も裁く。

だから信じられる。


その認識が、ようやく骨の近くまで沈んでいく。


エルナスト公爵を失ったあとに残るのは、弱くなった派閥ではない。

濁りを知った上でなお立てるかどうかを問われる、本当の始まりなのだと。


やがてレオンが言う。


「本日の監察は以上です」


会議の終わりを告げる声でありながら、誰にも安堵はなかった。


レオンが踵を返すと、ラヴィニアは反射的にその背を目で追った。

危険な男。だが、帝国に必要な危険だ。主君が昨日口にした言葉の意味が、いまはラヴィニアにもよく分かった。


アリシアもまた、黒い礼装の背を見つめる。

認められたいという感情は、まだ口にできない。

だが少なくとも、彼が自分へも他人へも同じ秤を向ける男であることに、もう疑いはなかった。


その信頼は、心地よいものではない。

むしろ、常に刃を喉元へ置かれるような緊張を伴う。


それでも彼女は思う。

この緊張のない玉座など、きっとまた腐る。


会議室を出る直前、アリシアは振り返らずに言った。


「ラヴィニア。今夜のうちに、改革派の再編名簿を作って」


「……承知しました」


「今日ここで離れる者は、それまでよ」


皇女の声は静かだった。

だが、その静けさの奥には、昨日までより明らかに硬い芯が通っている。


背後では、誰も彼女を呼び止めなかった。

もはや軽々しく声をかけられる皇女ではないと、全員が悟ったからだ。


廊下へ出ると、窓の外の空は夕暮れへ傾いていた。

帝都の石屋根が赤く染まり、その下で無数の人間が、それぞれの都合で次の秩序を探している。


アリシアは歩きながら、小さく息を吐いた。

失ったものはある。これからもっと失うかもしれない。

それでも、切るべきものを切れなければ、自分は皇帝になどなれない。


そして、そのことを最も容赦なく教えるのが、レオン・クロウヴァイスなのだ。


帝都のどこかで、新しい反発がまた芽吹き始めている。

だが同時に、第一皇女アリシア・ヴァルガストという名もまた、別の意味で帝国へ刻まれ始めていた。

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