近衛騎士団、権限停止
近衛騎士団の副団長ラヴィニア・カルステンの右手は、まだ剣の柄を握っていた。
だが、握る力と抜く力が噛み合わない。足元に浮かぶ契約文字が、身体の奥に眠っていた誓約を無理やり引きずり出してくる。
近衛騎士団の忠誠は、皇族個人に捧げるものではない。
玉座と、その下に生きる帝国臣民を守ること。入団の夜に復唱した文言が、いまさら喉の裏で蘇る。
皇太子が怒鳴った。
「近衛騎士団! 反逆者レオン・クロウヴァイスを捕縛しろ! 抵抗するなら殺せ!」
訓練された兵は命令に身体が先に動く。
左右の騎士たちが剣を構え直した気配を、ラヴィニアは肩越しに感じた。自分も同じように動くべきだと分かっているのに、足先が石床へ縫いつけられたように重い。
「停止してください」
レオンの声が落ちる。
「帝冠監察官への処刑命令を発する権限は、現皇帝本人にのみ存在します。皇太子にはありません。よってこの命令は違法です」
契約文字が騎士たちの周囲を走った。
命令権の出所、忠誠誓約の文面、団規定の条文が光となって浮かぶ。ラヴィニアは自分の名が刻まれた誓約文を見て、唇を噛んだ。
隣の騎士が小さく呼ぶ。
「副団長、どうすれば」
どうすれば騎士でいられるのか。
皇太子の命令に従うことか、それとも誓約に従うことか。答えは、とっくに足元に書かれていた。
ラヴィニアは剣先を下げた。
石床へ突き立てるようにして膝をつき、胸の前で拳を握る。
「近衛騎士団副団長ラヴィニア・カルステン」
喉が焼けるように熱かった。
それでも声は震えなかった。
「帝国に仕えます」
皇太子の息を呑む音が、すぐ近くで聞こえた。
「貴様……!」
ラヴィニアはもう主君の顔を見なかった。
見るべきものは石床の文字と、自分の誓約だけだった。信じるに足る男かどうかはまだ分からない。それでも、この場で法に忠実なのが誰かは分かる。
彼女に続き、数人の騎士が剣を下ろした。
なおも皇太子の側に残る者もいる。迷いを捨て切れず、怒りに顔を紅くしたまま立ち尽くす者もいた。
レオンは全員を見た上で告げる。
「違法命令へ追従した近衛騎士について、団内指揮権の一時停止を宣告する」
黒い光が肩章を打った。
数名の騎士の職責印が弾け、白い石床へ転がる。見慣れた肩章が色を失う光景に、ラヴィニアの背筋が粟立った。
権限停止は言葉だけではない。
地位そのものから力を剥がす執行なのだと、誰の目にも分かる形で示された。
皇太子が声を裏返らせる。
「私が皇帝になれば、すべて正当になる! 勝てば秩序だ!」
「秩序を守る者だけが、勝つ資格を持ちます」
レオンは一歩前へ出る。
その瞬間、皇太子の顔つきが変わった。
追い詰められた獣のような目で壇上の王笏を掴み、宝石にしか見えなかった先端部へ魔力を流し込む。
不気味な脈動が広がった。
玉座の間そのものへ仕込まれていた呪詛が目を覚まし、皇族席の下から黒い棘となって噴き上がる。
「殿下!」
ラヴィニアは反射で駆けた。
崩れ落ちるアリシアの身体を抱き止めた瞬間、皇族の血へ吸いつく呪いの冷たさが肌を刺した。
棘が迫る。
その前へ、黒い影が割って入った。




